ページ

2018年10月10日水曜日

「サラバ黄金の左よ」

元横綱輪島が亡くなった。大好きな力士だった。 左の下手を取ったら、白鵬も勝てなかっただろう。もっとも白鵬も左下手狙い、差し手争いがきっと凄かっただろうと思う。学生出身で唯一の横綱、優勝14回は立派だ。ずっと昔の話だが、輪島とラスベガスで出会ったことがあった。カジノのホテル内に、ステーキハウス「ベニハナ」があった。輪島はイロイロあって相撲界から引退し、日本プロレスのジャイアント馬場の弟子になっていた。ベニハナは人気でお客さんが列を成していた。ジャイアント馬場とその妻、ボストンバッグを持った輪島が私たちの前に並んでいた。バクチは輪島にはご法度だった。私とプロデューサー、カメラマンはグランドキャニオンで撮影した後、真っ暗の中マニュアル片手に、未だほとんどフライトしたことのないという、パイロットに命を託し、8人乗りの飛行機に乗った。左右体重が同じ位になるように、体重計の上に乗った後であった。どうしてもラスベガスに入り、翌々日ロサンゼルスに飛ばねばならない。着陸後まず腹ごしらえとベニハナに行った。鉄板の前に座ると、すぐ前にジャイアント馬場夫妻がいて、輪島がその隣にいた。私が横綱バクチしたらダメだよと言ったら、肩をすくめて、ニコッと笑い、シマセンよと言った。14回優勝の財産をバクチなどで溶かしていたからだ。ジャイアント馬場は太い葉巻をプカプカしていた。 顔がとてつもなく大きかった。ジャイアント馬場は大変な読書家で、かつてあった銀座近藤書店のキャラクターにも起用されていた。又座談の名手でもあり、その話はウィットに富み教養に満ちていた。そんな話をカメラマンたちとした。それにしてもよく落ちないで無事着いたなと乾杯した。食事を済ませ、しばし仮眠をとり、午前2時頃カジノに行った。すでに私はバクチと縁を切っていたが、少し21(トゥエンティワン)をして負けた後、バカラのテーブルに行くと、いたいたやっぱり輪島がバクチをしていた。横綱ダメじゃないのと言ったら、肩をすくめてニコッと笑ってちょっとだけと言った。そこにデーンとジャイアント馬場がいた。そのずっと奥にハマコー・コーナが表示されていた。浜田幸一代議士がバカラで3億円以上負けて、有名な所だった。本当はVIPルームで負けたのだろう。観光名所のように仕立てていた。カメラマンとプロデューサーは、バンバン、ジャンジャン負けて、カードでキャッシュを引き出していた。もうメチャ負けてて、持っていたカードが使えないと言っていた。私の大好きなカメラマンは、大好きなカジノでゲルピン(金無し)になった。ハイナシ(文無し) エレジーである。輪島と以前夜の赤坂で会った。店の女の子にサインをせがまれて、花籠部屋の“籠”の字が書けないとこぼしていた。輪島がいた日大の相撲部と花籠部屋は、阿佐ヶ谷にあって、隣同士であった。阿佐ヶ谷の一番街でよく飲んでいたので少しだけ顔見知りだった。力士たちとよくモメて、ガッツン、ガッツン殴り合っては飲み直しみんなと仲良しになった。輪島は横綱となり天上人であった。富山県七尾市出身、現在午前4時51分02秒、朝刊を見るとやっぱり輪島は死んでいた。天国で宿敵北の湖とバカラでも楽しんでくれ。北の湖は堅物で有名であった。でも銀座ではお触りをする人間らしさがあった。晩年声を失って筆談であった輪島、天国ではきっと声も出せるだろう。ご冥福を心からお祈りする。(文中敬称略)


2018年10月9日火曜日

「きしめんと、スッピン」


昨日小田原10時8分で名古屋へ行った。仕事をおてつだいさせてもらったマンションのモデルルームが完成した。すでに一ヶ月近く経っていたが、諸々仕事があり、又、台風の影響でスケジュールが狂った。名古屋は天気晴朗だった。タクシー乗り場の側に、プレハブの交番があった。そこに大きな木製の看板があり、下手な筆文字で、「みかじめ相談所」と書いてあった。みかじめとは、用心棒代(略してジンボー代と言う)さすが山口組六代目の地元である。タクシーに乗り、運転手さんに、この頃ドンパチはあるのと聞いたら、全然静かなものですよと言った。来年高山若頭が出所して来るので、静かにしているんですよ、暴対法もあるしね、とやけに詳しかった。モデルルームはとても明るくて、よく出来ていたのでうれしかった。休日なので予約したお客様が相談コーナーにたくさんいた。シニアの夫婦、若いカップル、小さな子(一歳くらい)をダッコした夫婦、大切なお客様のジャマをしてはいけないので、サラ、サラッと見た。シアタームービー、立派な模型の部屋、挾土秀平さんの作品、バッハ幅さんのコーナー、浅葉先生のマークの紹介ボード、各種ポスター、大型ポスター等々を見た。日当たりがよく明るかった。販売会社の人が親切に応対してくれた。顔を知っている女性もいて、蘭の花をありがとうございますと、言ってくれた。(オープンの時に送った。入り口にたくさんの蘭の花が置いてあった。)次に待ってもらっていたタクシーに乗って、工事中の現場を見に行った。未だ基礎の段階だった。仮囲いに大きなキービジュアルがあった。その後名古屋駅へ。三連休の三日目、キップ売り場には長い行列が出来ていた。外人さんが多い、とても多い、ものすごく多い。中国人やアジア人より白人系が多い。私の前に並んでいたのは、やたらに太った40代の白人男性、その連れが日本人女性、34•5歳だろうか。ノーメイクであった。が、とても美しい。スッピンでこれほど美しいのだから、メイクアップしたら、女優さんと同じになるだろう。なんで、こんな野郎にと思った。男のダブついたジーンズから、白いシャツがはみ出ていた。90キロ位はあるだろう。女性はやけに疲れきっていた。目に輝きがない。二人はキップを手にして消えて行った。腹が減ったなと思った。小田原止まりは、一時間に一本しかない。残り時間はあと26分。ヨシ、ホームできしめんを食べようと思った。名古屋のきしめんは、駅のホームが一番ウマイ。海老天きしめん680円を頼んだ。たっぷりとカツオ節がのっている。昔、オマエヨオ、きしめんみたいにヘラヘラしてんじゃネエなどと表現していた奴がいた。きしめんはすすった時の独特のズルズル感がいい。かなり無秩序な音がする。山梨のホウトウはかなり厚めであって、ヘラヘラとしていない。名古屋駅ホームのきしめんは、私の知っているヘラヘラ野郎と違って、天下人を生んだ誇りがある。信長、秀吉、家康の歴史が、やや薄めのつゆの中にある。空腹が天下を取ったように、満たされた。赤い制服を着たおじさんが、テキパキと働いていた。ホームには人、人、人。指定席は売り切れていた。が、指定席に空きは必ずある。車内精算でOKだ。「赤福」か「ういろう」か「煮込みうどん」を買うかと思ったが、やめた。列車は時刻通り入線した。指定席の空きを目指して、一両、二両と車内を歩いた。オッ一つ空いている。右三人、左二人、その一つ。多分時間に間に合わなかったのだろう。オッ三人の方を見ると、キップ売り場にいた、太った男とスッピンの美人。すでに目を閉じていた。太った男を相手にして疲れたのだろうと、よからぬ想像をした。女性がいちばんセクシーなのは、スッピンである。


2018年10月5日金曜日

「アラマ出てきた」

昨夜 DVD のデッキが怒って機能停止した。途中まで見ていた映画のその先を見ようと、手にしたボタンを押したら、 DVDが出たり入ったりする。このバカアホとボタンを押したら、入ったまま出てこなくなっちゃった。ヤバイ、レンタルしてきているのを返却するのが今日なのだ。何度もボタンを押して、悪かった、ゴメンと言いながら、黒いデッキをゴツン、ゴツンと叩いた。このデッキはメカオンチの私には、これ以上カンタンなのはないという、超安価なものであった。思えば随分と長い間お世話になっていた。もっと大切に付き合うべきだった。東京発21時30分の湘南ライナーに乗って22時25分頃辻堂駅に着いた。タクシーで帰ろうとちゃんと並んだら、ちゃんと並ばない奴がいたので、ああ若い頃ならテメエちゃんと並べと言ったはずだが、朝早くから動きまくっていたので、心身共にチカレタベェ〜になっていた。心の中にを感じる自分がいた。家に帰ってアレコレ片付けて映画を見なければと思った。で 、ボタンを押した。どうするべえと思ったのは午前1時過ぎ、超旧式の FAX が動いた音がした。なんだろうと思ったら、あっそうか親愛なる兄弟分に頼んでいた和文英訳が送られてきたのだ。で、届いたよアリガトサンと電話した。この人はロサンゼルスにやたら強くて、いい人に頼んでくれる。今日は面白かったぜ、Vシネの王様みたい人の誕生パーティーに行った話を聞かせてくれた。 Vシネも売れない時代になっていると言った。話のついでに今デッキの中に DVD が入ったまま出てこないんだよと言ったら、さすが兄弟分、それはオレも経験したよ、ガチャガチャやると相手は精密機器、記憶しているデータが狂ってしまったんだよ、一度電源のコンセントを外して、リセットしてみたらと言った。あっそうやってみるよと、2本を抜いて、2本を入れ直したら、アラマとDVDが出てきた。すぐに電話をしてアリガトサンと言った。そんじゃ10日知人の出版パーティーで会おうぜとなった。現在午前1時47分38秒。映画の続きを見始めた。映画を見ながら夕刊を読む。日経の夕刊一面に「トヨタ・ソフトバンク提携」の大見出しが踊っていた。両社の有利子負債を合わせると、30兆円位になる。日本の国家予算の3分の1位だ。時代は激しく動いている。超大会社も生き残りをかけて。いわんや我々小会社はどうする(?)。「現状維持は、後退だ。」 こんなキャッチフレーズの、全面広告を思い出した。


2018年10月3日水曜日

「大ファンに」

昨夜帰宅途中の列車の中で新聞を広げて、ウワァ〜、間違えたと脂汗をかいた。沖縄知事選で勝利した、玉城デニーさんを、デニー玉城さんと書いてしまった。思い込みすぎていて、家に着くとすぐに訂正をお願いした。改めて、玉城デニーさん当選おめでとうございます。 翁長さんの遺志を継いでください。午前1時12分8秒 NHK では、新しい大臣たちの記者会見が流れていた。 官僚の書いた原稿を棒読みするオドオドした新大臣時間はわずか、質問者もわずか、ハイそれでは終わります、ハイ次と進む。この前にノーベル医学生理学賞を受賞した、本庶佑京都大学特別教授(76)の鮮烈な記者会見を見ていたので、その差に愕然とした。国に対して毅然と物申す姿に久々に感動した。聞けば日経に載った早刷りの記事を、遅刷りでカットされたとか。あまりの了見の狭さにも愕然とした。教授は賞金後進のために使うと言った。目先のことばかり追うのではなく、もっと基礎に国は予算を使えと言った。発見は思いもよらないところにあるのだから。典型的亭主関白、大の阪神ファン、大のゴルフ好き。その佇まいは、男のダンディズムに満ちていた。背筋をピンとしてキッと正面を見据えていた。新大臣たちは下ばかり見ていた。 原稿を読み違えないために。はキョトキョトと泳いでいた。大の阪神ファンの教授に、どうしたら阪神は強くなるでしょうかと言う記者の質問に、ピシャッとひと言、指揮官を変えなきゃダメ、もうひと言、もっと藤浪を使わないとダメと言った。藤浪とは投手の藤浪晋太郎選手のこと、150キロ台の球で相手の打者にぶつけることが多い。恐怖の投手なのだ。教授はそんなところが好きなのかもしれない。指揮官を変えろは、国に対して言ったのかもしれない。私は教授の大ファンとなった。

(読売新聞より)

2018年10月2日火曜日

「台風の速さ」

確か先週の水曜日だったと思う。沖縄でホテルを経営している友人に、電話をかけて、知事選はどう(?)と聞いた。友人は玉城デニーさんがリードしていたけど、佐喜真淳陣営が、ひっくり返したみたいだと言った。何しろ建設業界とかいろんな業界にものすごい締め付けを行っている、それに創価学会がフル回転しているとか、佐喜真氏が所属している日本会議も動いている。そうか、なんとか玉城デニーさんに勝ってもらって、この救いようもない悪政の流れを変えてもらいたい、そう思っていた。台風がまた近づいてきているようだから気をつけて、勝ったらきっと沖縄に行くからね、と言って電話を切った。台風24号は投票日の30日にピッタリ照準を合わせたかのように、大きく、広く、ゆっくりと沖縄を目指していた。歴史は必ずひとつの分岐点がある。命脈が尽きる時とか、悪運が尽きる時だ。政治のプロたちはそれを敏感に感じていたはずだ。この台風が吉となるか凶となるか、神風となって無党派の人々が棄権してくれるか、あるいは台風で投票率がグンと下がるか、頼む30日に沖縄に来い。佐喜眞陣営の選挙のプロたちは祈っていたはずだ。なぜなら自民党内において独自の調査をしていて、玉城デニー氏に大きくリードされている。期日前の独自の調査でもリードされている。自民の票も鉄壁の公明の票もかなり食われている。沖縄の知事選は大官房長官マターの選挙、公明もその官房長官の盟友、学会の選対を仕切る副会長のマター。ここで負けるとアメリカから見放され、学会での力を失ってしまう。客寄せパンダと化した小泉進次郎氏は、三度も沖縄で演説をして、その日和見主義を味方からも笑われる。いわゆる“逃げ恥”ばかりだ。政治家としての処世術ばかりを身につけた。(ある大物自民党政治家がテレビで語っていた。やっと政治家になって来たと。)台風24号は絶妙な早さで沖縄を通過した。30日にはほぼ去っていた。自民党内には投票率が61%を超えたらマズイと言っている者がいた。日本人は何かをやり遂げようとして、志半ばで命を落とした人に対しては、その志を支持する。いわゆる弔い合戦が強いのは、洋の内外を問わず共通だ。期日前投票に35%以上行ったのは、玉城デニー氏を支持する人々と無党派が多かった。台風が過ぎ去り、午後から投票に行けるようになり、28%くらいの人が投票した。日曜日午後9時過ぎ沖縄の友人から電話が来た。当確が出ましたよ、玉城デニー当選ですよと弾んだ声で言った。そうかそれは良かった。これで流れは間違いなく変わる。沖縄に行くからねと約束をした。今日内閣を改造するだろう。党の人事はすでにニュースに流れている。主要閣僚は留任ばかり。つまり閣外に出すと始末の悪いことになるので、ホールドしている。麻生太郎と言うカッコマンの根性なしは、閣内で飼い殺し、野党への生贄だ。後は軽量ポストばかり。テキトーに割り振って終わる。内閣は改造するたびに弱体化するという。ポストにつけなかった、大量の心待ち議員がブータレるからだ。国会議員及びマスコミ関係、ありとあらゆる情報を手にしている、官邸の茶坊主たちはそれを弄んでいる。官房長官は、大モンスターと化している。ひょっとして沖縄知事選の敗北をよろんでいるのは、安倍総理大臣かもしれない。それで少し大きな力が削げた。が、来年の参議院選挙は退陣含みとなる。私の夢見ている人にいよいよ機会が訪れる。“動かざること山の如し”動いた人間は勝てない。動かされるようになった人間が勝つ。(文中敬称略)



2018年9月28日金曜日

「やさしい先生」

1982年頃、レバノン戦争があった。その年に生まれた赤ちゃんは、36歳位になっている。昨夜写真家の永石勝さんと赤坂で食事をした。永石さんは天才中野裕之監督の友人であり、私の大先輩である元東急文化村の社長田中珍彦さんの友人でもある。大切な資料を借りていたのをお返しに行って食事となった。中野裕之さんは布袋寅泰と奥さん、今井美樹さんのPV(プロモーションビデオ)を手掛けている。中野裕之さんは日本の音楽界で、世界に対抗できるPVを創り、その世界では「神」に近い存在である。先日中野さんと食事したんですよ、いや、すごいのなんの、 古代史から宗教史、地質学、中世史から大宇宙論まで、話をしてくれましたよ、そうですかやっぱり物凄いですよね、と永石さんが言った。 私はそれを書こうにも浅学のために書けないのである。永石さんは一昨日千秋楽を終えた「オセロー」の公演のポスターや、 すばらしいブックを撮影、デザインをしていた。歌舞伎界の役者さんも多く撮影している。美意識が何しろハンパでない。私が「あかるい鬱展」をやった時、素晴らしい作品を創って協力してくれた。女性にモテル見本の人である。そうだレバノン戦争について書くことにする。昨夜永石さんとサヨナラをして家に帰って、「レバノン」という、映画を見た。午前1時から2時半まで、90分の映画、戦争映画の名作である。 玄関に入ると、愚妻が借りといたわよ、とひと言、言った。メモに書いて置いた「レバノン」を借りといてと。メモが会話である。戦車の中でシリア兵と戦う、市街戦の怖ろしさを、ほぼ戦車の中のクローズアップの顔と目の動きと、戦車の中から見る敵と十のマークのような照準の先で、戦争の凄惨さと恐怖を表現する。ギュイーン、ギュイーンと照準を動かす音がずっと入る。戦車の中からテロリストが車で迫ってくるのを撃つ。ふっ飛ぶ車、手足がちぎれ飛ぶ民間人、逃げまどう数十羽のニワトリ、5歳の娘が犠牲になり、泣き狂う母親。着ている服が千切れて全裸になってしまう母親。汚れに汚れた下着だけだったが、それも千切れてしまう。テロリストか民間人か、恐怖の中で見分けがつかない。照準を見ていると、自分に向かって敵の撃ったロケット弾が近づいて来る。ドカ〜ンと来た、5人は正常でなくなって行く。戦車に命中したからだ。顔は黒く汚れて見分けもつかない。目玉だけがギョロギョロ、どアップで動く。家に帰りたいという男、ここはどこだという男、死にたくないという男、そんな中で一人の男が、ポツンと話し出す。「高校生の時父親が死んだ。学校の先生が、しっかりすんのよと抱いてくれた。体に乳の感触が伝わった。先生はやさしく抱いて励ましてくれた。体は乳の感触に反応してボッキしてしまった。先生はきっとそれに気づいていた。そして抱きしめつづけてくれた。父親が死んだというのに、高校生だった俺は、射精してしまった。それで悲しみが消えてスッキリした。戦車の中男たちは、話を聞いているだけ感じてしまうよと言った。本当の話か恐怖で狂ってしまったのかはわからない。「レバノン」、ぜひオススメです。戦車にはこう書かれていた。「人間は鋼、戦車はただの鉄」司令塔から無線が入る。シリア兵にすっかり囲まれているぞ。そして・・・。戦車はとてつもなく怖ろしい。


2018年9月27日木曜日

「コイコイとカープ」

花札バクチを知らないヒトでも、 オイチカブという言葉は知っているだろう。(知るはずないか)コイコイとも言う。 オイチヨカブというバクチで一番強いのをカブ、数字の9のことだ。1はピン、2はニタコ、3はサンズン、4はヨツヤ、5はゴス、6はロッポウ、7はシチケン、8はオイチョと言う。8をいちばん強いに9するには、1の札を引くことを願う。トンガレ、トンガレと言う。1は花札の絵が「松」 先がとんがっているので、さあコイ、コイ、 トンガレ、トンガレと札を引く。カブの9を目指す。2月 3月4月となれば、 ニイサンヨッテラッシャイ、ヨシワラのカブとか、5月5月9月だと、ゴゴンゴンクツリガネのカブとか(10の桁はとる)いろんな言葉で表現される。(日本はとてもオモシロイ) 「アトサキ」と言って2枚で勝負するのもある。中盆(ナカボン)というが先2枚、後2枚とおいたのに対して、先か後かにかける。 バッタマキとも言う。10代の頃夢中になって、バッタをやった。1月と8月でカブ、10月と9月でカブ、6月と3月でカブとか。これらより強いのが、1月と4月(シュピンと言う)1月と9月(クツピンと言う)これの方がカブより強い。マアもうすっかり忘れちまったが、昨夜ニュースでさあコイコイ93歳のダンナさんと90歳の奥さんが、テレビに向かって必死に応援していた。(広島の仮設住宅内で)そうです。コイといえば広島カープです。球団史上初の3連覇を広島カープが果たしたのです。緒方監督は9回胴上げされた。ヤッタアー、ヤッタアーと。“仁義なき戦い”風に広島弁で言う。コンナはヨオ〜何ボケーとしとるんじゃ、カープがヨオ、優勝したんじゃけん、オー、オー、もっとよろこばなあいけんのじゃけん、ヨオ〜、広島カープ言うたらヨォ、よそのには負けんのじゃけん。台風の被害で家を失った93歳と90歳のご夫婦はとても上品であった。若かりし頃は美男美女であったはずだ。アサヒスーパードライをゴッソリ乾杯用に買ってあった。そしてコイコイ、そしてヤッタアー、そして乾杯!昨夜帰宅すると、栗をもらったので茹でたとかで、沢山良い形をした栗があった。少年の頃よく拾いに行ったのを思い出す。防御体制のスゴイ栗は硬い皮で中身を守っている。素人の私には、硬い皮がうまく取れない。仕方ねえと小さな包丁で真っ二つに割って、小さなスプーンで中身を取って食べた。ボロボロと黄色い中身が溢れまくった。チクショウ栗の形のまま食べたいと思った。コンビニにある“甘栗むいちゃいました”という袋詰めの商品を思い出した。山の中の栗と、海の中のウニは、トゲトゲで完全防御している。絶対食べられたくないとの思いが進化したのだろう。小さな秋と格闘した夜であった。私の朝のおまじないは、家を出てはじめに見たクルマのナンバープレートが、カブになっているか否かである。足して19とか、29とかならカブ、サイコーなのはそのものズバリ“9”だけ。ヨシ今日はイケルと思うのである。



2018年9月26日水曜日

「捨てられる1000万トン」

先週見た「NHKクローズアップ現代」は、衝撃的だった。アパレル業界で売れ残った新品の衣料品を大量に廃棄してた。日本だけでもその量は、推定年に1000万トン。小林旭の大ヒット曲に「ダイナマイトが150万トン」というのがあるが、気の遠くなる衣料品が焼却処分されたり、闇の業者のような人にマトメテドン!みたいに二束三文で売られる。イギリスの高級ブランドのバーバリーなどは服や香水など約40億円相当を燃やして捨てていた。売れ残りの在庫をそのまま倉庫などに置いていたら、莫大な経費がかかる。高級ブランド品がバンバン捨てられ、バンバン値切られて行く。これは売れ筋と思って大量に生産してもアテが外れて在庫の山となる。ファストファッションの商品などはハナから安く作っているので、安売セールでさばく。それでも残ったらシュレッダーにかけるがごとく処分する。高級ブランドを大量に持ち込まれた業者は、まずは衣服などに付いているタッグをバチンバチン切ってそのブランド名を消す。需要と供給のバランスが完全に狂っているのが、不況にあえぐアパレル業界なのだ。ゾゾタウンの前澤友作なる者が、剛力彩芽を恋人にしたとか、宇宙ロケットで旅するなどと言ってるが、株価が下がり続けていたから、その対策と思えばしてやったりだろう。その露出費を広告費に概算したら、ん億円、ん十億円になるはずだ。実にしたたかなのだ。バーバリーとライセンス契約をしていた三陽商会は、バーバリーに撤退されて、赤字続き、大量のリストラをしている。その陰でバーバリーの商品が大量に廃棄処分されている。一見時代の先を行っているような高級ブランドも、実はコンサバであって時代遅れの経営をしている。これからはスーパーブランドと、ファストファッションになる。一方は商品作りにプライドをかけている。一方はプライドなどは一切ない。アパレル業界の中でいちばん創意工夫しているのが、スーパーブランドで、いい品をより高く売る。一方は安い物をより安く売る。「私たちの商品はとても高価です。それは高級品だから」アメリカの広告の中にこんなコピーがあった気がする。先日白いシャツにシミが付いてしまったので、新橋駅前の安物紳士服店で6,000円のシャツを急いで買った。通気性がすこぶる悪くてすぐに脱いだ。寒くなって来たから暖かいかもしれない。「ファッションに強い国民になろう」PARCOのスタート時の広告を思い出す。(文中敬称略)

2018年9月25日火曜日

「タイガーウッズとハイヒール」

昨夜禁を破って23日振りにいつものグラスに酒を入れた。禁酒中飲まずにいた、オールドパーの貴重な残り分をオンザロックで。あと7日と心に決めていたのだが、大ファンであるタイガーウッズの優勝のニュースを見て、涙がたまり興奮した。大ギャラリーと共に、18番ホールに向かうウッズ、最終日には決まりの黒のスラックスに赤のポロシャツ、勿論ナイキのマーク付きの黒のシューズ、やっぱりナイキのマークはタイガーウッズがいちばん似合う。女性スキャンダル、腰痛の手術5回、薬物の副作用、歩くのもままならない体から遂に復活した。アメリカのニュースでは、スポーツ界において歴史上最大の復活とアナウンサーは叫んだ。日本と違って、アメリカは失敗に対して寛容である。大ファンの私は乾杯をしなければならないと思い、オールドパーを飲んだ。久々にノドから食道、そして胃袋に染み込むウイスキーは、たまらなくしびれた。全身がこの味を待っていたぞと声を上げた。文豪永井荷風は、名作「断腸亭日乗」の中で男の人生の三楽を書いている。(一)読書、(二)好色、(三)酒。(一)と(二)は駄目だが、(三)は楽しんで来たし、これからも楽しむ。タイガーウッズは病的に(二)を楽しんだがあくまで病気の一つであった。ウイスキーは1杯だけにした。その後1本の映画を見た。メキシコ映画「ハイヒール」音楽は坂本龍一さんだった。官能的に唄って大歌手となっていた母親、若い頃はたくさんの男と浮名を流した。娘に会いにメキシコに帰って来た。娘は27歳になりテレビ局のキャスターになっていた。そのテレビ局の社長はかつて母親の愛人であった。娘はその社長と結婚していた。メキシコ独特の極彩色の世界、母と娘の愛情ともつれ合う感情。タイトルデザインが抜群に良かった。秀逸だったのは女装した男が大歌手の母親のセクシーな歌い方を真似をして唄うシーンがよかった。シャネルの服、バッグ、メガネ、ココ・シャネルはココというシーンに生きていた。坂本龍一さんの音楽もさすがにいい。映画は思わぬ結末を呼ぶ。


2018年9月21日金曜日

「熱量と熱血の人」

「ソノマ」 のワインに夢とロマンをかけている知人のことを書いた次の日。つまり昨日夜岡山の名産のぶどう、“ジャイアント”を、お土産にと持ってきてくれた人と会食した。歌舞伎座前で午後6時に待ち合わせをしていた。この日午後2時に名優「ベンガル」さんのマネージャーの方と会って、隣にある文明堂の2階でお茶をした。「四万十映画祭」で“最優秀賞”を受賞した短編映画に、ベンガルさんが親分役で出演してくれた。トロフィーのレプリカを制作していたのだが、ベンガルさんにお渡しするのができていなかった。マネージャーの方にベンガルさんはどんなお酒を飲みますかと前日に尋ねたら、赤ワインだけにしていますと言った。で、「ソノマ」の赤ワインを知人から送ってもらってそれを渡し、御礼を申し上げた。ベンガルさんは、明治座で「氷川きよし」の公演に出演するので、稽古中だと聞いた。一か月のロングラン公演とか、「氷川きよし」恐るべし、前売りチケットはほぼ完売であった。ということで昨日は歌舞伎座前に二度行った。岡山のでっかいぶどうをもって会いに来てくれたのは、倉敷の美観地区で有名な「林源十郎商店」の社長「辻信行」さんだ。辻さんは「三宅商店」の社長もやりつつ、超人気カフェ「水辺のカフェ」の経営もしている。51歳京都教育大学を出て小学校の教師をしていた。身体も声も大きいが、夢とロマンもでっかい。倉敷の若きリーダーの一人である。林源十郎商店は代々続く薬問屋さんであったが、今では若い人たちの集まる人気ショップである。いろんなものがある。ワークショップもある。ジーンズショップは高価だが人気がある。辻信行さんは、現天皇・皇后のテニスのご教授した、日本テニス界のパイオニアの人が住んでいた屋敷を(私が3年前くらいに行った時は、広々とした廃屋であった)ここに案内してくれて、ここを買ったんですと言った。ん億円をかけてここに“ジャム”や焼き菓子などをつくるんですと言った。岡山は果実の名産が多い。“村おこし、町おこし”少し形が悪いとか、少し傷があると店頭に出せない、膨大な果実を買って、いろんなジャムや他のものをつくるんです、 これによって農家は丹精込めて作った果実を捨てないで済むのですと言った。辻信行さんの強烈な熱量と、大学を出て岡山以外の46都道府県を野宿しながら訪ね歩いた、飽くなき探求心(まるで歩く巨人と言われた民俗学者宮本常一さんと同じ)に触れさせてあげたかった。辻信行さんは「ジャム」を自分で目利きしたところに置いてもらうためにとか、コラボレーションをするために上京を重ねて、すでに有名店に出している。ギフトにも広げている。パッケージは白が基調なので、冠婚葬祭にも選ばれていると言った。おしゃべりでは負けない私が、ほとんど無口に近い状態になるほど、壮大な夢とロマンを熱く熱く語った。気がくと3時間以上経っていた。教育者としての志もあったので、人を育てたいんですと言い、老人たちの知恵や経験を活かして、活性化もしたいと言った。この人こそ地方創生を実行している人であった。とにかくいろんなことをエキサイティングに語った。お金の話はただ一回きり。ところでジャムってどういう意味と聞いたら、期待の新人がすぐにスマホで調べてくれたら、 英語では “いろんなものをごちゃ混ぜる”みたいですと言った。そうだなジャムの中って、ジャズのセッション 、(ジャムセッションと同じ)みたいに、ジャムの素材が瓶の中でセッションしているみたいだ、それにジャムは色々美しい色をしている。美しいいろんな音と同じように。辻信行社長にお願いをした。是非この期待の新人にジャムのポスターを制作させてやってくださいとい言ったら、ぜひお願いしますとなった。9時半頃、店の外に出ると、雨が降っていた。辻信行さんはガバッと私をハグしてきた。私よりはるかにでかい180センチ位、そしてゴッツイ手と握手をした。近いうちにいざ岡山へ期待の新人は行くことになる。人を育てるのは私の大事な仕事である。倉敷美観地区に行ったらぜひ林源十郎商店へ。三宅商店へ。そして水辺のカフェへ。私の名前を出せばきっと何かをしてくれる。半日いても飽きないほど、楽しいショップである。熱量を持っていない人は夢を形にできない。今日も長くなってしまった。いい週末を。


(林源十郎商店)
(新開発のジャム)
(水辺のカフェ)
(ジャムを作る三宅商店の民家風工房)