ページ

2021年7月23日金曜日

つれづれ雑草「血だらけのキス」

中国でもイジメの問題は深刻のようだ。2019年製作、デレク・ツァン監督、中国・香港映画「少年の君」は、現代中国の受験問題、校内のイジメ問題、社会の底辺で生きる少年問題や、格差社会を正面から描いた話題作である。中国で興行収入280億円近くを叩き出した。青春映画ジャンルでは、歴代第一位、数々の賞を受賞した。先週日本で封切られた。私は封切りを待ちわびていたので、すぐに新宿武蔵野館に行って観た。韓国映画の名作「息もできない」に匹敵する作品であった。中国でも韓国でも国が映画産業に大きな予算をつけ、有能な人間を世界中に行かせて学ばせている。「少年の君」は、北京大学か精華大学を目指す一人の女子高生と、社会の底辺である、ストリートで生きる不良少年との物語なのだが、この映画は一筋縄ではいかない。暗く、重く、醜く、その先きがない。有名大学に入れたい母親は、犯罪スレスレの事をしながら女手一人で娘を育てている。娘は清楚で美しく成績も優秀である。それ故クラスメイトたちから妬まれている。ある日校内で一人の女生徒が飛び降り自殺する。校庭に横たわる死体を皆は言葉失い見ている。少女は自分の身につけていた服を持って近づき、死体に掛けてあげる。それを見ていたクラスメイトたちは、少女への憎悪を行動で示し始める。イジメられ傷つき家に帰る少女は、暗いストリートで集団暴行を受けている少年を見る。不良グループのリーダーは、血だらけの少年と、そこで起きたことを見た少女をひざまずかせ、キスをしろと命令する。血だらけの少年少女は暴力下の中でそっと唇を合わせる。一流大学を目指す暗い少女と、何も目指すもののなき不良少年は、こうして出会った。この映画には心からの笑いというものがない。未来というものがない。ただ現実というのが無数の受験生の中にある。中国の全国統一大学入試試験を高考というようだ。それに挑む生徒の集団には圧倒される。苦難の道に向かう囚人の群れのようであった。トンネルを抜けると、そこはもっと長いトンネルだった。人生というものは、キリストの如く、苦難の道である。なかなかイエスとはいかない。だがしかし泣いてばかりではいけない。ボヤイてばかりもダメだ。与えられた運命線の上をガッタン、ゴットン進むのだ。宇宙に旅する時代がすぐそこに来ている。世界の大金持ちたちは、今後こぞって行くだろう。何を感じて地球に帰って来たのかは分からないが、おそらく次の金儲けを思いついたのだろう。オメーラ地獄へ墜ちろといずれ神は命じるだろう。ちなみに地獄へは無料で行ける。税金を払わずに大儲けして来たから、八大地獄へご優待だ。「少年の君」あるいは、「君の少年」誰にも淡い恋の思い出はある。コロナ禍の中でそっと思い出すのもいいと思う。岩井俊二監督の「ラストレター」は、オススメだ。島根県松江市の海岸で、キスの投げ釣りをしていた人に、な、なんと2メートル、125キロのマグロが掛かった。格闘すること8時間、釣り人たちの手をかりて見事釣り上げた。(木曜日のニュース)キスがマグロに大変身した。「CURE」という黒沢清監督の昔の代表作を見た。CUREとは、治療という意味がある。主役の役所広司が若々しい刑事を演じている。人間には潜在的に殺意がある。かつて大学で心理学を学んだ一人の男がいる。催眠療法を学んだその男自体が、自分から離脱している。その男と接すると、例えばいままで仲良かった夫婦が、恋人同士や警官同士、会社の仲間が、そして刑事までもが、突然仲間を殺してしまう。人間は大なり小なり身近な存在に、潜在的に殺意を持っている。今では世界的監督となった黒沢清だが、私はこの作品がいちばん不気味だと思っている。小栗旬と中村獅童が、本人と分身の役を演じた「隣人13号」という作品もいい。15年以上前の作品だ。小学生の頃醜いイジメを受けた少年が、オトナになり自分をイジメた奴等に復讐する。イジメのリーダーは若い頃暴走族の総長になり、その仲間の女性と結婚して、堅気になり大工職人となって、息子と妻と三人でアパートに住んでいる。その家族が住んでいるアパートに一人の男が引っ越して来る。部屋の番号は「13」だ。小学校の頃のイジメのトラウマを背負ったその男には、やさしい自分と、凶暴な自分が共生している。井上靖雄監督2005年の作品だ。反省だけならサルでもできると広告界の巨匠が書いたが、私はこのところ過去を思い出しては、サルのように反省している。ヤキが回ったのかも知れない。16年前の小栗旬の全裸のシルエットは実に美しかった。その気がある人にはぜひ。映画も実に良く出来ている。目の前で善意ある言葉をかけている人の中にも、殺意が秘められている。人間とは恐ろしいとつくづく思うのだ。そして呪われたオリンピックが開催される。何が起きるかは、疫病神に電話して聞くしかない。あ~モシモシ……モシモシ……

                               (文中敬称略)




2021年7月17日土曜日

つれづれ雑草「柿の種」

先生はやっぱり死んでしまったのだ。7月16日日経新聞の夕刊「追想録」というところに、小林亜星先生と、立花隆さんの二人が載っていた。人間は太ったら早死にするという、医学界並びに社会通念を、見事にバカ言ってんじゃないよと太りまくって、八十八歳の喜寿を生きた。先生の大好物は何(?)と、先生の右腕か左腕の元ドラマーの人に聞いたら、それはですね、新潟米で出来た柿の種ですよと言われた。柿ピーじゃないのと聞けば、ピーは無しですと言った。青山にあるという、新潟米の柿の種を見つけ、ご自宅に送ったら、愛妻家の先生の奥様から、葉書が届いた。すっかりごきげんで、柿の種をポリポリしながら時を楽しんでいますと。先生は銀座の夜をこよなく愛していた、永遠の慶応ボーイだったと思う。硬派でもあり、仁を大切にし、義を重んじた。銀座の筋者(ヤクザ)は、先生を見かけるとビシッとあいさつをした。倉本聡さん脚本の映画「冬の華」で、カラオケ大好き(映画では敵対する相手に、マイクを握られつづけ歌わなかった)の親分役を演じた。大きな組の系列の親分なので、相手からマイクを奪ってしまうと抗争になるので、組織のためにジッと我慢する。高倉健主役、池部良、小池朝雄、田中邦衛などが脇を演じた。クロード・チアリのギターが流れる。この映画が大好きである。モーツアルトのピアノ協奏曲第一番を知った。(あるシーンで流れる)どこから浮かんだのか言葉のマジック。マハリクマハソタヤンバラヤンヤン(魔法使いサリー)ボバンババンボンブンボバンバババ(狼少年ケン)don don din don shubi da don(サントリー・オールド)ダンダンデイダンシュビイダアデン、ウイスキー飲みでこれを知らぬ者はいなかった。地球は回って、朝が来る。ウイスキーはそんな男の飲み物である。先生もきっとあの世を一回りして、ドカンと銀座に帰って来られるだろう。何より先きに奥様のところへは掟だ。私は新潟米の柿の種を用意する。これも掟だ。さようならを言うよりも、おかえりなさい親方と、ドラマーの知人と迎えたい。知の巨人と言われた立花隆さんの記事、八十歳没。私の大親友だった亡き友も、博覧強記であって知らない事はないのではと、思う知の巨人であった。カバンの中には、アサヒ芸能や週刊実話、哲学や宗教、宇宙関係などのぶ厚い本が、ゴッソリ入っていて、もの凄い速さで読んでは、ゴミ箱にポイポイ捨ててしまう。唯一住むところに置いてあった本は、内田百聞全集だけだった。立花隆さんは読んだ本はちゃんと、とって置いた。一度その蔵書の引越しをテレビの番組で見たが、まるで図書館移動と同じであった。天皇と東大という巨書を数年かけて読んだが、チンプンカンプンであった。無学な私には読むほどに分からなかった。一つ分かったのは、戦争を始めたのは、東大法学部卒で、戦争を終らせたのも東大法学部卒。つまり高級官僚は、現在でもほぼ全員東大法学部卒である。この国を奇跡的に復活させたのは東大法学部卒で、現代のように世界一の借金国にして、徹底的に駄目にしたのも東大法学部卒といえるだろう。勉強しかできないバカは、血の通った国をつくれない。立花隆さんが認めていた、最高のジャーナリストは故筑紫哲也さんだったようだ。自分の癌を告知されて喜ぶ人は余りいない。どうやって自分が死んでいくのか、それを知りたかったようである。何かの番組で日本で一番興味深く、おもしろかった政治家は、田中角栄だと言っていた。昨日深夜見たのに題名が思い出せない。スペイン語だったからだ。今夜しっかり探す。1800年代のスペインのひなびた農家に、軍隊が来て二人兄弟のどちらかを兵隊に差し出せと言う。父親は何故か一家の跡継ぎの兄の方を選ぶ。三年余りを経て兄は帰って来る。そしてキョーガクする。仲良かった弟が巨人症にかかっていて、身長が3メートル近くなっていた。一家は貧しい。このままだと食べていけない。弟は何人分も食べてしまう。そこで3メートル近い弟を見世物にして稼ごうと考え、街に出る。人々はその巨大さに言葉を失い、オドロキ、コインを投げる。そしてイタリアへ、フランスへと旅をする。実に切なく、悲しい旅だ。名作「道」を思い出す。医師は巨人症は内臓が人の何倍も早く病んで、早死にすると兄に言う。そして弟は死んで巨大な穴の中に埋められる。が、その墓は誰かによって掘り起こされて、取り去られてしまう。医学界の人間たちが、研究のために持っていったのではとの説が伝わる。あるいはどこぞの国の博物館にあるとか。巨大な弟は一度だけ女性とSEXをしようとする。が女性は……。題名は今夜きっと見つける。人の不幸は、密の味の素と言う。同情ぶっている人に、ちゃんと同情している人は少ない。大事故で人が死んだり、殺人事件があって幼い命が奪われたりした時、すぐに花やジュースや、カッパエビセンや、ビールなどを持って行く人々は多い。なんてかわいそう、ゼッタイ許せない、などと言いながらスマホで写真を撮ったりして、知人や友人に送っている。私はこういう人間たちを見るとバケツで水をかけてやりたくなる。同情はつづけてこそ同情なのだ。野次馬たちの同情が次の不幸を生むのだ。インターネットと言う悪い同情だ。(文中敬称略)




2021年7月9日金曜日

つれづれ雑草「ドンマイ・ドンマイ」

 お姫様や大奥の女性たちは、きっと強かったという確信を見た。佐賀県のとある市、とある学校の体育館で、剣道有段者(二段、三段クラスの男子と女子2名)と、女子高校生薙刀部(一級、二級クラスの女子)が戦った。先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の各5人ずつ。これが実に面白かった。見応え十分だった。キェ~ィと剣士、ハリャーと女子、掛声はよく分からなかった。試合時間は3分3本勝負。面(メン)、小手(コテ)、胴(ドウ)、そして臑(スネ)だ。剣道に臑はないので、足に防具をつけている。地元の剣道連盟の剣士たちは、竹刀より長い薙刀対策が出来てない。高校生女子たちは、エイ、エイ、エ~イとか、ウキャ~、ハキャ~とか、大声を発しながら、剣士の臑を攻める。オメ~ン、コテ~、ドーと剣士は面、小手、胴を攻めるが、薙刀で防がれる。そしてキエ~イとばかり臑を攻め、一本! を取られる。男子剣士ヤバイ、マズイ、突きは危ないので禁止。長い薙刀を自由自在に操って攻めに攻め、守っては攻める。結局薙刀の3勝2敗だった。時代劇で見ていた、お姫様や大奥の女性たち、武家の女性たちの薙刀姿は、お飾り程度と思っていたが、とんでもないぞと思った。かなり前の映像だった。その次の大会は剣士たちが薙刀対策を練って、剣道の3勝2敗だった。人生を長くやっていると、臑に傷はつきものだ。弁慶の泣き所を薙刀で思いっきり切られると、飛び上がって悶絶するだろう。コロナが収束したら、大人たちの全国大会、それを見に行こうと思っている。剣道と薙刀はいい勝負のようだ。武士道の教本「葉隠」を生んだ佐賀の女性恐るべしだ。戦国時代最強だったのは、薩摩ではなく佐賀だったのではと、歴史家たちは分析している。薩摩は芋侍だが剣術がもの凄かった。佐賀は近代兵器を使用した鉋術に優れていた。話は変わる。去る日曜日近所の小学校に野球の応援に行った。雨のため試合開始が大幅に遅れていて、目指す試合の前の試合を見た。試合時間は一時間半と決まっている。少年たちは互いに整列して、遠く離れて大声を出さず一礼を交わす。公式戦なのでネット裏に公式記録員が三人。主審、副審三人の計四人で、いざプレイボール。ボール、ボール、ボール、打つ、エラー、ボール、ボールそして情は無用と打ちまくる。ボール、ボール、時々ストライク、あとはボール、ガツンとヒット。これを延々一時間十五分続けて一回の表32点入った。一回裏あっさりと終って、試合終了。32対?、監督、コーチ、応援の父兄たちは、ドンマイ、ドンマイ次があると、泣きじゃくる子供たちを励ます。でもって次の試合は私が目指す試合。プレイボールと試合開始、ボール、ボール、ボール、ドカーンと一発、ボール、ボール、バコーンと一発、ヤバイ、この先はつらくて、かなしいので書けない。32点までは取られなかったと思うけど。ドンマイ、ドンマイだ。いつもはいい球を投げるエースと、準エースが調子がよくなかった。最近女子選手もいてよく打ち、よく投げ、よく守る。それにつけてもよく雨が降る。カラ梅雨だと思っていたが、とんでもなかった。近所の名もなき中華店に入って新聞を広げていると、ギャ~、アジィ~と叫ぶオバサンがいた。いわゆる老夫婦だ。小籠包(ショーロンポウ)を一気に口に入れて、大惨劇となったのだ。熱い肉汁が老婆の口の中に充満した。水、水、水を飲めと老主人。目から涙を流す老婆。スミマセンとあやまるバイト風の女の子。ドンマイ、ドンマイとそれを見ている私であった。それにしてもNHKの天気予報士、斉田さんは苦手だ。まったく無感情で無表情。台風に大雨、竜巻に強風、大災害が来るやも知れない。何があっても、何人死んでも、ドンマイ、ドンマイ。◯×です。◯×でしようと、タンタンとタンタンメンなのだ。ムキャンキャンじゃなくて、ムキャンキャクでオリンピックを開催するとか。暗~い顔したこの国の顔。マスク、マスク、消毒、消毒の中でやるスポーツに、安全安心という言葉は使えない。裏社会にヤクな奴という言葉がある。疫病神みたいな奴のことを表わす。現在この国で、ヤクな奴は誰か。言うまでもないだろう。こればかりは、ドンマイ、ドンマイとは行かない。みんな共倒れになってしまう。昨日東京に出ると、銀座のクラブのヒトが来た。写真家の人と話をしていた。マア座れよと言った。ある大箱店に復帰したとか。もうやってられない。政府や東京都に潰されてしまう。銀座は殆どフツーに営業してますからと言った。そうかがんばれドンマイ、ドンマイだ。でも行けないけどなと言った。






2021年7月3日土曜日

つれづれ雑草「雨音の中で」

私が眠るところの斜め上には、約2メートル位のプラスチックの屋根もどきがある。そこには雨どいがないのでスキ間から雨が落ちる。透明なその部分にドタバタ、バタバタ、バチバチと雨が叩きつけた。午前一時~四時半頃まで映画を見ていた。いつもは雨音も風流なもんだと言っているのだが、今朝のように大騒音となると、やっぱりちゃんとした屋根にしとけばよかったと思う。映画の音量はフツーは1011なのだが、イジョーな日は18から20にしなければよく聞こえない。私の眠る所は、「方丈記」を書いた「鴨長明」の住まいより狭い。不眠症なので何かを見たり、聞いたり、読んだりと、たりだりを必要とするので、一階のキッチンのテーブルの横で横になる。壁にテレビ画面がくっついているので、それを見ながらが常なのだ。又、冷暖房機が現在2機しか稼働しておらず(一機は愚妻の部屋)四角いテーブル(お客用兼仕事用)と、長方形のテーブル(食事用)のスキ間が、眠る所となる。電気スタンドは自分の部屋にあるが、そこは今は資料室兼仮眠室など、マルチに使用している。(四畳半位だけど)狭い所では足手まといなので、懐中電灯を置く。家の中をアチコチふとんと枕を持って移動したが、今のスキマがすこぶる気に入っている。今日土曜日は平塚から鍼灸の達人の先生が来てくれるのだが、朝早くに電話が入り、平塚が大雨で大変な状態となり、本日は休診にとのことだった。スキ間が治療スペースになるのだが、今日はハリのない日となった。テレビをつけるとすさまじい雨の恐怖が拡大している。午後一時頃熱海の猛烈な山崩れ、土石流は家屋を根こそぎ飲み込んでいる。南極や北極が30度を超えたり、アメリカでは50度近い温度となったりと、地球温暖化の影響は、異常度をウサイン・ボルトより速く進めている。オリンピックはいつの間にか、中止か延期かではなく、無観客か有観客かにすり替わっている。いつもの日本流論点代えだ。雁首揃えていた専門家たちは、無視無視コロコロキンチョール。日当もらってルーチョンキだ。提言に決死の覚悟がない。雁首の中には一度も声を発することなく、まい日バイトの如く、日当もらって帰っている者も多いはずだ。「存在の耐えられない軽さ」こんな題名の映画があった。何度も書くがこの国は、地震帯の上にある国。四方八方が海、国土の半分以上が山の国。山を大切にしない、樹木の手入れを大切にしないから、同じ災害を繰り返す。海に敬意を表しないから同じ被害をくり返す。(被害にあった方々に心よりご冥福をお祈り申し上げる)コロナだオリンピックだと言っている内に、40年以上経った原子力発電所の運転がいつの間にか再開されている。東京電力の社員の給与が上がっている。「オオカミの皮をまとう男」というスペイン映画を見た。あなたが何を食べているか、それを知ったら、あなたが分かる美味礼讃にそんな言葉がある。主人公の男は四十歳位だろうか。雪深き山の中一人で暮らしている。家の周りには、粗末な十字架がいくつもある。誰かが住んでいたのか、誰かが来て死んでしまったのか。筋肉隆々、ヒゲもじゃの男は、自分で撃ち殺した獣の肉をむしゃぼっている。オオカミを殺し、その皮を山の下の村に行って売る。ずっと孤独だ。村に貧しい父娘がいる。父は姉を男に売る。生きていくために。娘は雪山の中で獣のような男の相手をする。多くを語らない男、娘は子を宿しており死産となる。娘は実は未亡人であって、子は村の誰かとの子であった。父は村人の噂を怖れて男に売ったのだ。その娘はやがて死ぬ。その遺体を雪ぞりに乗せ、男は山を下り父親にその事を正す。父親は謝罪の代わりに、美しい妹を嫁にと差し出す。村人たちとささやかな婚礼の式をする。父親は山に向う娘に、もしもの時はこれをと毒の入った袋を渡す。男を知らなかった美しい娘は、日々獣のような男の相手をする。そしてある日、雪山の中を逃げる。が山の中で男が仕掛けてあった、獣を奪るための仕掛けに、足をとられてしまう。やがて男に見つかり小屋に連れ戻される。半死半生の体を男は必死に温める。男は何も語らずにひたすら娘のために尽くす。美しい娘の澄んだ目はそんな男を見つづける。娘は何かを感じていたのだろう。しかし男の体には少しずつ異変が起きていた。この男の周辺に何があったのか、それを知っているのは山でしかない。空には不気味にハゲタカが群れを成して飛んでいる。中上健次の小説を映画化した「火まつり」を思い出した。何度見ても何故無理心中したのかが分からない。その答えは血であったのか。人間の本当の正体とは、何故私は私で、あなたが、あなたなのか。科学的に誰も証明できない。ニュースでは都議選のことを少し流していた。何かコントを見ているようであった。私は当選したらすぐやめます「議席を減らします党」の立候補者のポスターのキャッチフレーズに笑った。もう一人、私はバカでしょうか?京大卒。「愛の力党」都民の皆さん必ず清き一票を。

(文中敬称略)




2021年6月25日金曜日

つれづれ雑草「愛犬」

出血覚悟の食べ物といえば、ノザキのコンビーフだった。長方体の中に小山のような肉の塊りがある。それを入れた缶の底には、変型T字型で大きな横穴のすぐれ物がへばりついている。コンビーフは少年の頃、超のつくごちそうだった。肉が詰まった胴体の下腹部分には、それを一周するように切り口専用部分があった。大きな横穴に入れられるように、下腹部に突起部分がある。アメリカ軍が戦場で缶切りがなくても中身が食べられるように、細密に工夫したのだろう。栄養も満点である。ウワァ~コンビーフだ、とよろこんで、底にあるT字型の先きの横穴に突起物を入れて、胴体の下腹をグルグルと巻く。この時、気持ちが早まると、胴体を切腹させるのに大失敗する。ブチッと途中で切れてしまうのだ。こうなるともう一大事だ。チクショウと短気を起こすと、指先きを怪我して鮮血にまみれる。コンビーフのガードはすこぶる頑丈なのである。なんとしてもコンビーフが食べたいと、道具箱から錐(キリ)とかペンチを持ち出し、血だらけになりながら、悪戦苦闘する。それでも肉の塊には到達できないのだ。初めに大きく深呼吸をし、心をしずかにして、いざお腹を切らしていただきますと会釈して、ゆっくりとおだやかにグルグルしないと駄目なのだ。こんがらがった夫婦間が、元に戻ることがないように、細心に事を運ばなければならない。先日釣り番組のテレビを見ていて、船の上で食べるコンビーフはサイコーだな、やっぱりノザキのコンビーフ。とつぶやいていたら、愚妻が二個買ってきていた。オッオオ、コンビーフだと手にするとかなり様子が変わっているではないか。切腹方式は危険だから(?)と、なんとフタがついていて、それをパコッと外すと、中に肉塊が悲しそうに入っているではないか、肉塊は自己主張を禁じられた、香港市民のように、身を固めている。出血するようなことはない。缶と違って重さも違う。軽くなってしまった。私の中のノザキのコンビーフとは別物であった。なんとなく味まで違ったようにかんじた。オッオオ、なんだ都こんぶではないか、私が映画を見ながら、むかしは映画館に行ったら、都こんぶをペロペロなめながら、こんぶについた白い粉を指につけてやはりなめる。酢こんぶの味がツーンと鼻に抜ける。映画と都こんぶは極上の味だとつぶやいていた。小さな長方体の都こんぶの箱が三個買ってあった。ヤッホー、サイコーだとよろこんだ。一本映画を見終ると、黒いジャージは白い粉だらけだった。歯と歯の間に入った都こんぶを楊枝で取りながら、お前久しぶりだったなあと言葉をかけた。「A Dog's Way Home ~ベラのワンダフル・ホーム~」愛犬家がこの映画を見たら、涙の洪水となるだろう。子犬の時からかわいがってくれた若者の家から、訳あって600キロも離れた所に連れて行かれる。成長した犬は自分の大好きな若者が住む、自分の家に向って苦難の道を行く。山あり、谷あり、狼あり、大雪や飢餓との戦い。車の洪水の中を行く。帰りたいんだよと、ひたすら臭いを頼りに向う。犬の嗅覚は人の一兆倍との説もある。そして二年半の月日を経て、自分の家に帰る。これだ、これが僕の育った毛布だと。若者は……家族は……。おそらく実話を基にしているのだろう。日本でも同じようなケースがいくつかあった。犬は人間を裏切らない。何百キロ離れていても、自分を愛してくれた人の臭いを忘れない。「DOG」という題Netflixで見られる。深夜この映画は見て泣いた。人間は平気で恩人を裏切るが、愛犬は決して裏切ることはない。海の男、ヨットマンたちが見たら、泣ける映画がある。「ダンケルク」だ。1940年フランス北端の町ダンケルクに、追い詰められた英仏軍、生と死の瀬戸際で陸から、空から、そして海から史上最大の救出の作戦が展開される。ドイツ軍は空から猛攻撃、若い兵士たちは桟橋の上で、ビッシリと身を寄せ合って恐怖と闘う。その兵士たちを救ったのが、数多くの民間人、ヨットマンたちだった。彼等はセールを外して救出に向った。空ではメッサーシュミットとスピットファイアが空中戦をする。次々とヨットに乗り移った若い兵士たちが遠くに見たものは、自分たちの故国だった。ドーバー海峡の荒海の上で、若い兵士たちは歓喜の声をあげた。戦争には大反対だが、戦争はいろんな物語を生む、コンビーフも、ヨットマンたちの勇気も。この映画はアカデミー賞を受賞した。名作「戦場のピアニスト」もぜひ。ドイツ軍将校も悪い奴ばかりではなかった。IOCの五輪貴族たちは、悪い奴ばかりだ。その悪臭にDOGたちは、吠えつづけるだろう。帰れ! 帰れ! と。大変お世話になった大巨匠小林亜星先生。正に小林巨星だった。先生との思い出は、もう少し月日が経ってから書きたいと思っている。




2021年6月19日土曜日

つれづれ雑草「人類の災典」

雨にも負けて、風にも負けて、権力にも脅しのすごさにも負けて、丈夫でない心を持ち、欲も出し、そっと怒り、いつも自分たちのことだけを考え、一日四合の酒を飲み、たくさんの肉と魚を食べ、あらゆることを自分の勘定に入れ、よく見極めて、そして忘れる。みんなからデクノボォと呼ばれ、ほめられずもせず、見向きもされない。そういうヒトに私はなりたい(分科会一員?)。人類の祭典オリンピックは人類の災典となった。政府の選んだ人が雁首を揃えた分科会:会長の尾身茂会長の提言は、予想した通り玉虫色だった。妥協の産物を生む、調整能力に優れた尾身茂会長は、オリンピックは中止すべきと断言できなかった。返り血を浴びることを怖れた。東に文句を言う委員がいれば行って麻雀をし、西に一言居士がいれば行って麻雀をしつつ説得をしたのだろうか(?)。否現在麻雀はポンだチーだと声を発するので、禁止かも知れない。ともあれ雁首たちの意見は研究の成果として少しは役にたったのだろう。人と人が会えば、ワクチン打った(?)があいさつ代わりとなった。えっ、打ってないの、ヤバイよあの人はと、同調圧力がかかる。この国の民は付和雷同する強い傾向がある。ワクチンではない、ワクチン風の薬の副反応が今後いろんな形で出るはずだ。老人たちの多くがそれを知る頃は、この世から旅立っている。幸い私はホタテアレルギーなのでワクチンもどきを打つことは許されない。会社もやっていけない、店もやっていけない。その一人ひとりの命と、オリンピックの選手一人ひとりの命の重さは同じだ。アスリートはずっとこの日のために、血の出るような練習してきたからカワイソー。そう言うが、我々弱小企業も、レストランのオーナーも、中華店のご夫婦も、クラブやバーのママさんも、テレワークで仕事をするパパさんも、みんな、みんな職業の数だけ、血の出るような過酷な日々を送って来た。アスリート達と等しくカワイソーなのだ。カワイソーでないのは、莫大な利権のおこぼれを手にした悪い奴等なのだ。より速く。より高く。より強く。がオリンピックの目標だった。初めは未だ人類が未熟だったからだ。そもそもアマチュアが参加する祭典だった。徹底的にバカヤローな組織が生まれ、より多く賄賂を。より高価なプレゼント。より強情に(要求)。五輪貴族たちのための災典となった。話は代わって、国土計画に就職した「A」さん。90年代前半に国土計画からJOCに出向して国土計画を辞職後、そのまま再雇用されて経理を担当していた。その「A」さんは長野オリンピック(大赤字)の時、T氏から金庫番を命じられていた。以来ずっとオリンピックの金庫の中の動きを知っていたらしい。その「A」さんが、先日突然列車に飛び込んで死んだ。それを目撃したという人がいるというが、その人は出て来ない。遺書もない。ごくフツーに出社して行ったと家の人たちは言う。Why何故(?)なんだかサスペンス映画みたいだ。昨日深夜「南山の部長たち/KCA」を見た。韓国映画はここまでリアルに権力と対峙するのかと感心した。今ブタ箱に入っている朴槿恵元大統領の父朴正煕元大統領が、最側近に食事中に暗殺された大事件をイ・ビョンホン主演で映画化した。日本も韓国もアメリカに全て支配されている(同盟国という子分)オセロのイアーゴは誰だ、という言葉が出る。2020東京オリンピックが、無事に終り(ありえないが)万才! 乾杯! ヤッホー、ブラボー、となることはない。イアーゴ(密告者)だらけの大会なのだ。あの店は酒を出しているぞ、あいつはワクチンを打っていないぞなんてことになる。オリンピックの時には、毎回ん十万個のゴム用品が用意されるというが、今回はいくつだろう。濃厚接触は禁止だけど。アドレナリンが多く出る選手は、男女問わず、ハケ口を求める。私たち市井の民はアドレナリンなどもう出ない。ハケ口も求めない。南無無辺行菩薩……南無安立行菩薩。雨ニモマケズ 風ニモマケズの最後は経文で終る。宮澤賢治先生の黒レザーの手帳には、南無妙法蓮華経の文字が、ページの中央にひときわ大きく書いてあった。今回のオリンピックに、仏様は味方しない。(文中敬称略)





2021年6月12日土曜日

つれづれ雑草「石に感動」

THE STONE/石の仏、神の獣。西村裕介写真展」を六本木21_21DESIGN SIGHTギャラリー3に友人と行く。六月七日(月)である。アートディレクションは、巨匠井上嗣也氏、デザインは稲垣純氏である。全国を訪ね訪ねて撮影した、10数万点に及ぶ写真の中から、選び抜かれた30余点が見事にディスプレイされていた。午後四時頃に行きますと伝えていたので、井上氏、稲垣氏、そして西村さんが会場に来てくれていた。一ミリでなく、一ミクロンにもこだわる井上さん、稲垣さんのグラフィックデザインの最高峰のセンスが、西村さんが撮った、石仏、羅𣿮像、馬、犬、猿、蛇、羊、亀、蛸、猪、獅子、鯰、虎、などなどの石像写真と対決する。感性と感性ががっぷり四つとなり、誰が彫ったか分からない石像たちが、熱い息を発する。久々に興奮する展覧会であった。意志を持ち無言の言語となっている。すばらしい写真集が、リトルモア刊で発売されている。(8000円)会場を出る時に写真界の巨匠と会った。ウワァ~、〇〇さん久しぶりとなった。この写真家を使いこなすアートディレクターは、日本国で二、三人しかいない。猿がウォークマンをつけて、湖のほとりに立っている名作で有名だ。六月九日(水)観ておかねばなら吉永小百合さん主演の「いのちの停車場」を二時十五分から観た。レディースデーで館内は、女性客でいっぱいだった。金沢で訪問看護をする女医さんが主人公。東京の大学病院で救急医をしていたが、ある事で辞めて父親がやっているまほろば診療所に帰って来る。さまざまな苦難の病と共に生きる人たちを診て回る。あ~嫌だ嫌だ、なんて人間は汚いんだ、と思っている人は、吉永小百合さんの映画を観ると。あ~なんて人間はいい人なんだと心が洗われる。一年365日看病をしつづける人々は、私から見ると神の領域にいる。年老いた父や母、生まれながらの難病奇病、あるいは不慮の事故により、不自由になった夫や妻や、兄弟姉妹、そして愛する我が子。日本国中屋根の下で生きる家族の数だけ、何かしらの病がある。若くして事業に成功したのに、全身麻痺になってしまった男が言う(映画の中で)金はいくらでも出すからと。人は運を買うことはできない。人生とは不公平なりという。好事魔多しともいう。悪い奴ほどよく眠るとも言う。ネバー・ギブアップだ。希望は人間だけが持てるものだから。今月中に来日すると言ったIOCのぼったくり男バッハ会長が訪日中止、七月に来日をすると延期した。そんな折来年の冬季五輪開催を目指したが途中で立候補を降りた、ノルウェーのオスロが、IOCのバカヤローこんなことやってられるか、という内容がどこからともなく流出した。とにかくゆすりにたかりである。空港は特別にしろ、滑走路で式典風に迎えろ、開会式には国王と面会させろ、その後にカクテルパーティを、その費用は王室かオスロ五輪委が出せ、車移動には専用道路を作れ、ホテルでは支配人が、季節の果実とケーキを持ってあいさつに来い。ホテルのバーは委員用に深夜も営業しろ、ミニバーには必らずコークを、競技スタジアムにはワインとビールを。当然ホテルは一泊ん百万円のツイン、ワインはあれこれ、シャンパンはあれこれと細かい銘柄、きっと毎晩美人とか美男子をと、秘密用語であったはずだ。五輪貴族はうす汚い者共なのだ。ひょっとしたら小池百合子都知事は、五輪返上を宣言するかも知れない。今のままでは、都議選は大敗北(都民ファーストの会)となる。中止を宣言してコロナと闘うと言えば、年を取ったジャンヌ・ダルクになれるはずだ。もっともジャンヌ・ダルクは処刑されるのだが。熱中症で救急搬送される人が増えて来た。救急医療の現場に、吉永小百合さんみたいな医師はいない。コロナで手一杯なのだから。飲食店のオーナーや店主、おかみさんたちの怒りは、頂点に達している。何をチンタラチンタラやってんだよ、早く給付金を振込めよ、何をスットコドッコイの事言ってんだよ。こんな中でオリンピックなんて、できる訳はないだろう。子どもにだって分かるだろう。バカも休み休み言え、こちとらはずっと休んでんだからヨオ。小池百合子はジッと状況を見ているはずだ。親分の二階幹事長も次があるか分からない。二人が組んでコロナ最優先、給付金援助最優先に、とやったら一気に拍手だ。オリンピックはやれないと思ったら、スパッとやめると言った言葉を思い出す。それにしても日本の政治ジャーナリストは、田崎史郎しかいないのか、顔が見たくないから、スイッチを変えるとそこにもいる。又、変えるとそこにいる。局をハシゴしている。収録を重ねている。展覧会で見た犬の石像には、哲理とか、真理を感じたが、政権の犬には、ヌメヌメしたナメクジのような気配しかない。目覚めよ大マスコミよ。奮い立てジャーナリストよ。何んのために政治家になったのか、思い出せよ。青雲の志を。昨日深夜「なぜ君は総理大臣になれないのか」という、ドキュメンタリー映画を見た。東大→官僚→さまよう野党の議員、17年間に及ぶ作品だ。国会議員になるということはとにかく大変だ。一家一族、全員、お願いします清き一票をの、積み重ねだのだ。選挙は近い。一言一句が当落に影響する。韓国では36歳の若者が、議員経験なしで韓国最大野党の党首となった。時代は動いている、若手准教授の著作、「人新世の『資本論』」がベストセラーなっている。(抜群にオモシロイ)絶望は愚か者の結論なりその教えを噛みしめている。(文中敬称略)



2021年6月4日金曜日

つれづれ雑草「婉という女」

オッ、オヨヨ。コロナ対策の医療チーム分科会の会長尾身茂が、現在の状況では普通はオリンピックなんてできないと言った。(フツーというところがミソ)やるとすれば徹底的な対策が必要と言った。(やるとすればがミソ)尾身さんやるじゃん、と見直しの言葉がドドッと出た。伝聞だったか、何かで読んだか記憶が定かでないが、この人は無類の麻雀好きで、ポン、チーをしながらの調整力に優れているらしい。医学的見識や専門的知識は、さほど持ち合わせてない(?)。政府が選んだ人間だから、政府のためにならないことは決してやらない。アメリカ資本の圧力で、何が何んでもオリンピックをやらねばならない日本国政府は、戦時中体制の如く開戦じゃない、開催に向かう。国民の命なんか知ったことはないと邁進する。尾身茂たち分科会にとっては、何かしら面目を保つことを言い残さねばならない。でもって政府と尾身茂たち分科会は、しっかりと役柄を決めて芝居を打っているのではないかと思う。分科会以外の医師会などは、ちゃんとした専門知識があるので、オリンピックなんかできるはずはないと、次々に発言する。七月、八月、日本は猛暑の中、熱中症などで夥しい数の救急車が出動する。しかしコロナ禍の中でオリンピックをすると、救急患者はさてどうなるか。囲碁や将棋の世界で、カタチをつくるという言葉がある。名人、達人たちは打ち続けていると、もう敗けたと分かる。が、観戦記者やファンは終わるまでを知りたがる。テレビ放送などがあれば、敗けと分かっていても手を進める。このようなことをカタチをつくると言う。つまり尾身茂たちはカタチをつくってやるだけやったとなる。碁の言葉に征(しちょう)というのがある。強い人と弱い人が勝負をしている時、弱い者が自分の陣地を広げたり、守ったりするために、必死に手を打ち続けるが、どこまで進めてもその手は征、つまり死んでいて、バシッと手を打たれて、ゴソッと陣地を取らてれ敗ける。今の政府はその征に見える。将棋なら詰んでいる。囲碁なら死んでいる、ということになる。日本国軍歌の中に、世は一局の碁なりけりとかいうフレーズがある。政局とは囲碁からきているのかも知れない。狭い部屋の中で、ゴッツイニシキヘビを三匹も飼っていたペットマニアに、蛇が大嫌いな私は、檻の中で三匹の蛇と一生暮らせばと言いたい。嫌いな訳は、少年時代伝書鳩を飼っている時、蛇のヤローに小鳩を何羽も殺されたからだ。中国では象の親子が街中に出現した。かわいそうに、食べ物がなくて出て来たのだ。ミナミジサイチョウなる巨大鳥が出現した。ペットショップが飼っていたらしい。かわいそうに長いくちばしの先きが切られている。それ故食べ物をつっつけないので、かなり不自由で怒っている(そう見える)。ドサクサにまみれて高齢者の医療費が1割負担から、2割負担になる法案が成立した。日本語というのは実に情緒がある。雨を表現するだけでも、400500程あるという。通り雨、夜来の雨、遣らずの雨、六月四日現在、だらしない雨がシトシト降っている。 通り雨にはすがれない いっそ明日が来ないでほしい すがるこいさん涙にぬれて……。森進一の歌った曲を口ずさむ。銀座、赤坂、六本木、すすき野や中洲、キタの新地やミナミの女性たちが、お客さんが来なくて泣いている。行ってやりたいが、行くに行けない。禁酒法下の中にいる。すっかり甘党になって、深夜から朝まで映画を見ながら、頂き物のチョコや、甘納豆を楽しんでしまう。カラシの効いたところ天で気分転換をする。ステイホームの見本のような苛烈な映画がある。巨匠今井正監督、岩下志麻主演の「婉という女」だ。野間文芸賞を受賞した。高知県出身の女流作家大原富枝原作。(大正生れの作家で記念館がある)土佐藩の家老であった婉の亡き父は学識があり、先見の明が大であった。藩政を立て直すために、あらゆる手を打った。また学問の大事さを身をもって実践した思想家でもあった。政治の世界はできすぎる人間、やりすぎる人間をそのままにはしない。政敵は、婉の父が世を去ると、その優れた血筋を恐れ、四歳であった婉をはじめ、兄弟姉妹、老母たち一族を山の中に幽閉する。外出は一切禁止、外との交流も禁止、竹矢来の柵外には番をする者が見張る。やがて、三人の兄と一人の弟は狂死、病死する。男系の血がなくなり血筋が断たれた時、婉はやっと放免される。幽閉されること四十年、外に出た時は四十四歳となっていた。婉にとってただ一つの救いは、父の門下生であった、一人の学問の徒との文通であった。その一行、一行の中に男を知らぬ身は、男を感じた。二十六歳の時からそれは始まった。美しい婉は外界に出ると藩中の噂さとなったが、六十五歳でこの世を去るまで処女であり続けた。お歯黒もせず女であり続けた。掟が厳しいステイホーム四十年だったのだ。原作は文庫本三篇の中の一作166ページ、講談社から出ている。日本語を勉強するにはこの上なき名作である。(先日再読した)土佐には婉の父が遺した幾多の事業の足跡が今も生き続けている。人々はその上で生活をしている。(文中敬称略)



2021年5月28日金曜日

つれづれ雑草「情けない」

「コラ、ババア、電話出らんかい。ババア、死ね、コラアー」と昨年末から今年5月かけて、40代の男性と60代の女性に、電話をかけ続けていた、四天王寺大学准教授(48)が五月二十四日脅迫の疑いで逮捕された。元外務官僚である。昨年11月被害者の男性は、勤務する職場近くの牛丼店で食事をしていた。会社役員をしていたその男性に、電話が入った。男性はマスクを外した状態で、「食事中なので折り返します」と話をした。マスクの着脱、そのことに准教授は立腹した。その場ではトラブルにならなかったが、准教授は男性の後をつけ、職場を突き止め、脅迫電話をかけた。その日以降、無言電話や脅迫電話が数十回続いた。脅しはやがて、息子さんやお母さんに向けられた。その内容は、留守電にしっかり録音されていた。1997年早大卒、2000年コロンビア大学で修士を取得、富士通に就職後、ユニセフのパキスタン事務所で児童保護官を務め、国連の国際労働機関のタイ事務所で児童労働専門官、そして外務省へ。さらにJICA国際協力機構に所属、帰国後広島大、羽衣国際大へ。パクられた時は四天王寺大の専任講師(准教授(?))だった。大阪維新の会の橋下徹氏に共感して、政治塾で受講していた。世の中的に言えばエリートなのだろう。あるいは友人たちが、いつかきっとと言われていた阿呆なのだろう。とにかくしつこい男であったようだ。数ヶ月ババア、ババアの連発だったようだ。被害者家族は相当にマイッテ、警察に相談した。「間違いありません」と容疑を認めているとか。(5/27日刊ゲンダイ抜粋)マスクを外すか、外さないかでトラブルが生じている。マスクの着脱には十分注意しなければならないと、この記事を読んで思った。FACTAという会員誌・今月号に「食べログ」で、★の数や評価点を減らされて、そうでなくてもコロナでお客さんが減っているのに、大迷惑だ! とお店のオーナーたち、という記事があった。(自由競争経済秩序を侵害しているから独禁法違反に当たる)東京地裁へ公正取引委員会事務総局審査局長が意見書を提出した。この問題はコロナ禍の中で大きく広がって行くと思われる。(とても気がかりなのだ)知っていた店が、次々と閉店や廃業している。昨日深夜、溝口健二監督の「山椒大夫」を久々に見た。森鴎外原作である。平安末期、世は乱れ人が人として生きてられない時代であった。現在と同じ格差社会だ。一昨日日本人が海外で持っている資産が、350兆円近くもあると記事で知った。国内での預貯金は1000兆円を超すともいう。ケチ、守銭奴、ゼニゲバたちは金が金を生んでいるのだ。使い切れずに死んで行く。さて、「山椒大夫」だが右大臣家から広大な荘園を預かるボスである山椒大夫は、貧乏人たちを安く買い漁り、コキ使って銭を稼ぐ、そして貴族たちに貢ぎ物をする。人としての正しさを、妻や息子厨子王、娘安寿に教えた父は死ぬ。母は佐渡へ送られ遊女にされる。厨子王と安寿は山椒大夫に買われて、生かさず、殺さずコキ使われる。いつの世も同じである。兄を逃がすために入水自殺する妹。やがて月日は経ち、山椒大夫は厨子王によって退治される。そして厨子王は佐渡へと渡り、老女となった母と会い抱き合い、安寿の死を知り母は泣き崩れる。私はこの手の映画に弱いので、涙を流していた。白黒の佐渡の海は美しかった。映画の中で安寿が織り物をするシーンがあった。買われて来た少女たちに織り方を教えるのだ。ふと、ユニクロの事を思った。より安い原材料を使い、より安い賃金でより安い商品をつくる。アメリカではユニクロの一部商品を、人権問題にあたるとして、輸入不可にした。(そういうアメリカもかつて、綿栽培は奴隷の仕事であった)ユニクロは女工哀史で成長をした企業であることは言うまでもない。中国やベトナムなどアジア諸国で、そこの賃金が上がるとバングラデシュなどへ。そのバングラデシュでは、ユニクロの商品は、「血の糸」(娘たちの安い賃金)で織られていると言われている。売り上げ高世界一へとエラソーに言っても、ユニクロはユニクロ、GUはGUでしかない。これから企業はエシカル(倫理的)が求められる。倫理性に欠けていたら、そのブランドは認められない。山椒大夫と同じなのだ。売れ残ったユニクロ商品が燃やされ、焼却された時に出す二酸化炭素が空気を汚す。女工たちの祟りがきっとあるだろう。それにしても、溝口健二の世界はすべてにおいてすばらしい。その後、新藤兼人監督の「悪党」を見た。谷崎潤一郎原作「顔世」をベースに作られている。この映画については後日。今、ある作品づくりの資料を読み進めている。母は強し、されど女は……。コラッ! 阿呆官僚たち、ババアなんて言ってんじゃネエぞ。コラッ!IOCのバッハ会長オリンピックでひと儲けして、バッハハハハと笑うんじゃないぞ。IOCのコーツ調整委員長、コイツは悪想の極みだ。(人のことは言えないが)子どもたちの運動会が中止になっているのに、オリンピックはできないだろうと、ハッキリ物言う議員が出たら、次のリーダー候補になるだろう。近所の市会議員たちが、ワクチンのために全く働いていない。オッとババア、じゃない、奥さま方が声高に叫んでいる。次は絶対投票しないと。飛行機の中で、CAの女性のおしりをワシづかみしてパクられた男がいる。ホトホト情けない国になっているのだ。




2021年5月21日金曜日

つれづれ雑草「エスカルゴ」

粘着テープをシュレッダーして、暗い空から落とし続けるような嫌な雨が降る。心も体もベトベトする。人類すべてがマスクをしている。(アマゾンの原住民もアフリカの民族も(?))ふと、ある映画のシーンを思い出す。確か大岡昇平原作の映画か、火野葦平の映画だった。敗戦間近の南方戦線のジャングルの中、飢餓地獄の日本軍兵士たちが、動く物なら何でも食べると食物を探す。一年中雨のような熱帯雨林の中で育った、かたつむりは大きい。フランス料理のエスカルゴも、日本兵士たちには、悲惨なかたつむりでしかない。(でんでん虫ともいう)連合国には空から陸から食料が次々と補給される。戦争の勝敗は、兵站(食料弾薬、武器)の差で決る。日本軍の作戦命令は、現地調達せよであった。つまり現地で略奪しろという事であった。太平洋戦争の戦死者の60%以上が餓死であった。木の皮、木の根を、サラミか、ビーフジャーキーのように思い、待っている人のために生きようとしたのだ。飢えた日本兵は、ハンニバル・レクター博士のようになっていた。敗戦から76年目、世界大戦の中にいる。新型コロナウイルスが、世界共通の敵となっている。戦争は武器商人たちにとって、これ以上ないビックビジネスである。世界各国の財閥は戦争によって生まれた。当然日本の財閥も戦争成金である。2021年現在日本国民はかたつむりの代わりに、ワクチンを必死に求めている。このワクチンは正しくは、ワクチンではなく、新薬だと世界の科学者は言う。治験も経ていない新薬(ワクチンと称しているだけ)を求めて、配給米を支給されるが如く列をつくる。人間は一度必ず死ぬが、ずっと生き続けたいと思う生き物である。過度に発達したIT社会の中で、日本がIT後進国であった事を知る。(私は全くITオンチ)ワクチン注射の予約がとれない、つながらないと今、後期高齢者たちは怒る。この国はホントダメ、菅政権はサイテー。黒岩サイテー(神奈川県知事)と、ご近所は大合唱する。悪夢のような民主党政権時代と、安倍首相はよく言ったが、今や悪夢の上を行くのが菅政権だとの声が、鳴門海峡の渦より大きく広がっている。今ではワクチン敗戦国の大見出しが夕刊紙に、週刊誌に踊る。すべてはオリンピック開催のための作戦も、かつての日本軍司令部の机上の空論のように、あてが外れまくる。織田信長だったらどうするか、豊臣秀吉や徳川家康だったら、西郷隆盛や大久保利通、江藤新平だったら。大村益次郎や秋山好古、真之兄弟だったら。児玉源太郎や後藤新平だったらを研究していない。私が最も尊敬する吉本興業のアホの坂田さんにお願いするしかない局面になっている。坂田利夫さんは、本当は凄いインテリ(?)なのだ。このままだと、米一揆ではなくワクチン一揆だ。世界を仕切る新薬マフィアの高笑いが聞こえる。バチカン銀行の口座には、上納金がしこたま振込まれるはずだ。悪魔はいつも微笑している。名画モナリザの微笑は、レオナルド・ダ・ヴィンチが、女装した自分を描いたのではと私は思っている。ダ・ヴィンチはジョークが好きだったとか。ミサイルなどの武器や弾薬にも使用期限があるらしい。で、在庫一掃セールのように、イスラエルとパレスチナなどが、ドンパチして新兵器を買う。武器マフィアの売り上げは上々となり、バチカン銀行に上納金が入る仕組みなのだろう。コロナワクチンという新薬は、ずっと先きの先きまで日本国民みんなの腕には注射されない。(二度打てというオマケつきだ)今はガチンコ勝負だが、かつて大相撲の世界では、八百長をすることを注射を打つと言った。どの国の誰がウイルス菌を創り、大儲けを企んだか、八百長を仕組んだ胴元が、いつの日か分かるだろう。「五輪一大感染イベント」に米の権威、延期を促す(ニューヨーク=共同)米国感染研究の権威の一人、バンダービルト大のウィリアム・シャフナー教授は、CNNのニュースで東京五輪延期を語った。バイデン大統領は、科学的に安全・安心が証明されない限り、と言っていた。五輪中止を勇気を持って決断したら、菅義偉総理は歴史上の大人物として後世に語り継がれるだろう。さもないと敗戦のA級戦犯、東條英機となる。私の好きな、河竹黙阿弥の言葉(花街模様薊色縫~十六夜清心)。「一人殺すも千人殺すも、取られる首はたった一つ」。ある戦史家が、同じ武器を持たせ、同じ人数で戦ったら、日本人が世界で一番強いと言った。みんなでゆずり合ってコロナと戦って行こう。最高司令長官は、アホの坂田こと、坂田利夫元帥だ。作戦名はエスカルゴ。あせらず争わず前へ。梅雨の季節は、天才中野裕之監督のピースな映画作品を見よう。日本全国雨は降っていない。(文中敬称略)