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2010年4月14日水曜日

人間市場 合がけ市


「カンヌキ」というと大具道具の様ですが築地の市場では特上のサヨリの事をいう。
カンヌキは漢字で書くと閂、観音開きの扉の錠で横に渡す棒の事、体長30㎝を超えるサヨリが一見このカンヌキに似ているからだという。

春を告げる魚、群れをなし海面を優雅に泳ぐ、築地の食通は薄づくりにしてから昆布締め。潮汁のお椀も上品でいい、体がピンとして銀色が鮮やかでくちばしが赤いものほど新鮮だという。
と、ここまではサヨリのいいところばかりの話だが私の様な岡山出身者にとってサヨリは忌まわしい魚なのです。ある高名な民俗学者が人国記を書き残した、そこに岡山県人は魚でいうとサヨリの如くであると書いてある。見た目はキラキラして美しいが中を開けると腹の中は真っ黒いという。

正体を中々出さずという。以来寿司屋に行ってもサヨリはあまりというより殆ど頼まない。確かに腹の中が黒い。そういえば私自身も腹の中は真っ黒いのかもしれない。それでもいろんな困難に対して閂(カンヌキ)の役目はして来た様に思う。

福沢諭吉の「学問のすすめ」の中にこんな一節がある。「人にして人を毛嫌いする事なかれ」つまり人間なのに人間を毛嫌いしてはいかんよ、という事だという。
世界の土地は広く色んな人がいる。碁でも将棋でも食事でも茶でも腕相撲でも何でもいい人と人の交際を大事にしなさいと教えている。明治以降のエリートたちは「学問のすすめ」を勉強のすすめと曲解し争って学歴の取得に走った。それが極端な官僚社会、学歴社会を創ってしまったのだろう。

築地市場といえば残念な事があった。
私の大好きな「合がけ」の店「大森」が創業から87年の店を閉じた。一杯700円、大盛り830B級でなくZ級ですよと主人は言う。カレーも食べたいけど牛丼も食べたい。
そういう重大な悩みを持った人にそれなら半分づつにして一つにしてしまおうという柔軟な発想から合がけは生まれた。

カウンター5席だけ、午前二時半に起きて仕込みを始めるという。
築地は早朝から午後二時位までが営業時間だ。小さな店、ユニークな店が沢山ある。徹夜した時等必ず朝方行ってとれたての魚を食べながら一杯飲む。これ程旨い酒はない。
コハダ、鯖、鰺、鰯、光り物が大好きだ。ホタルイカ、鮪の中落ちなんかは泣けてくる程旨い。この頃、魚の仕入れも電話やネット、ファックスが中心になり仕入れ人がめっきり減ってしまった。

その変わりに外国人観光客が増えた。中国語、フランス語、ポーランド語等で「ようこそ」という言葉を覚えたと言う。福井県の農家の三男だった祖父が上京して上野で開店、関東大震災に遭った。日本橋にあった魚市場が壊れて築地に来た、築地は日本の伝統文化の地、あらゆる知恵を出し合って残して貰いたいと思う。

今夜のメニューはカレー+すき焼きで合がけ丼を作ってもらう。
サヨナラ大森さん。ご夫婦お元気で。


2010年4月13日火曜日

人間市場 面接市


東大、藝大は別格として、早慶、一橋、上智のすべり止めといわれる大学がある。

第一群「MARCH」と呼ばれる、明治、青学、立教、中央、法政。
第二群「日、東、駒、専」これは日大、東洋、駒沢、専修。
第三弾「大東亜帝国」大東文化、東海、亜細亜、帝京、国士舘。
第四弾「関東上流江戸桜」関東学園、上武、流通、経済、江戸川、桜美林。
関西第一群「関関同立」関西学院、関西、同志社、立命館。
関西第二群「産近甲龍」京都産業、近畿、甲南、龍谷。
医大、美大、地方の国大は別とする。

私は別格の大学以外は大学の四年間一生懸命遊べと言いたい。
いい友、いい先輩を作る事に四年間を使って欲しい。何故なら私の長い就職に於ける面接経験で学歴を重視した事は一度もない。

四年間何してたと聞く、ハイ勉強してましたなんて答えたら即終わり。
最近女の子と恋したかい?エッ(?)最近読んだ本一冊言って、最近観た映画は、コンサートは、劇は、歌舞伎とか好きかい、その安っぽいスーツはどこの、何で靴が汚れてんの、君なんで面接に来てるのに爪が伸びてるの、爪の中が汚れているよ、いつもそうなの?君は自分を海科、山科、沼科、河科、草原科に分けると何科だい?普段はどんな格好してるの、大好きなミュージシャン一人言って、バイトは何をやっていたの、この辺になって来ると学生さんは顔には汗がびっしょりとなる。

お父さんお母さんのスネかじってその程度の大学しか入れなくては君に学力は期待しないけど、自分の一番の取り柄を一つ言ってくれる。
一人は馬鹿です、一人は暗いです、一人は酒が好きです、一人は根性あります、一人は空気みたいです、一人はスーツにアロハです、一人は坊主になると東条英機に似ています。よし気に入った、入社決定となったある面接結果です。

彼等の出身校を後から見ると、馬鹿は青山学院二部、暗いは中央大学文学部、酒が好きは明治学院大学、根性あります高校卒、空気みたいは明治大学文学部、スーツにアロハは中央大学法学部、坊主になると東条英機は上智大学新聞学科。
後の人は専門学校や無学歴に近い人が多い。会社という個性を創るにはその人間の持っている目の輝き、声の出し方、声の質、体から出る気配が大事、コーヒーかお茶を出してあげてそれを飲むか飲まないかでセンスと育ちが判る。飲み方でも判る。

アロハシャツにジーパン、テーブルの上にレイバンのサングラス、目つきの悪いヤクザみたいな男に面接されているより脅かされている様な時間、そこで一人の男の人生が生まれる。私なりに真剣勝負である。その他の人間との個性のバランスを頭の中で考える。

私はワンパターンの就活スーツというのが気に入らない。
面接はいつも着ている格好の方が本人の個性がよく判る。私の面接成功率は八割から九割は大成功。みんな期待通りに個性を発揮してくれている。今や独立して立派にやっている者も数多い。文学者になった者も画家になった者もサンドウィッチを創って大成功した者、花屋さんになった人、様々に成功してみんな今も付き合っている。

一つの仕事に一生をかけよう等と思うことはない。その為には二流、三流、無名の大学に入ったら徹底的に遊べと言いたい。サーフィン、山登り、沢登り、カヌー、釣り、マンガ、落語、バンド、昆虫採集、SL写真、バードウォッチング等々ひたすら日本中を歩くのもいい。病的でなければ色んな事をやり、いろんな人たちと会う事だ。

ちなみに私の人生を支え会社を伸ばしてくれている幹部10人の内、大卒は和光大学のみ、高卒、専門学校出身が多い。
一人は三十六年、一人は三十五年、一人は三十二年、二人は三十年、一人は二十五年、二人は二十三年、二人は二十二年、記憶が確かなら面接した日から今も一緒に戦っている。目に狂いは無かった、素晴らしい人材たちである。

我が社の人材募集のキャッチフレーズは、「社長以外はみんないい人です」だった。
ある会社が八人全員東大卒の人間で会社を起こしたら一年も持たずに解散した。全員が俺が自分が私が四番打者だと思っていたからだ。
色んな個性が集まっている集団、例えば真田十勇士みたいな会社が最も強く理想だと思う。社員は現在65人(?)、私は経営にはほとんどノータッチだ。

2010年4月12日月曜日

人間市場 花巻市


三月二十九日花巻市北上川沿い、中村光一氏撮影、朝日新聞の心の風景という日曜版にこの写真があり思わず息を飲んだ。

この風景は長谷川等伯も小林古径もあらゆる日本画の名人、達人も描く事が出来ないだろう。
宮沢賢治の生まれ育った地、賢治風に言えばドドドドドーっと白い雪が降って来てザザザザザと風が吹いたのだろう。

かつて日本はとんでもなく美しい国であったのだろう。万葉集が生まれ、童謡が生まれ、奥の細道が生まれた。しばしこの写真を見て心を洗って下さい。

中原中也の「汚れちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる」この頃自分の心もすっかり汚れちまった。

近々心を洗う旅に出る。
種田山頭火に尾崎方哉に宮本常一になってみる。
「花に嵐のたとえもあるさサヨナラだけが人生だ。」美しい連れと気の向くままに暫く歩き続ける。

2010年4月9日金曜日

人間市場 鯖江市


近松門左衛門、久里洋二、五木ひろし、佐々木小次郎、福井県の出身者だ。

過日鯖江という処に行って来た。
一日目は福井市、二日目は鯖江市に行った。
鯖江は日本の眼鏡の九割近くを作っている処だ。そこにいる若いデザイナー達と会った。ある新商品のアイデアを頼みに行った。三社三様それぞれ目を輝かして話を聞いてくれた。

福井駅に降りると街も道路も大きく広い、しかし人がいない。殆ど人が見えない。若者の姿はまるでなく、会社員も居ない、OLは全く居ない、オジサン、オバサンも居ない、ホームレスも一人も居ない。店はあるがお客が居ない、タクシーに乗って運転手さんにどうしてこんなに人が居ないと聞いたら、みんな家の中にいるんです。
漆芸と眼鏡は家内工業なのでみんな外に出ないのですと言う。塗芸と眼鏡はコツコツ、コツコツとにかくコツコツなんですよと言う。一人に一車というクルマ社会の処だから人が見えないのですよ、鯖江に行くともっと人が見えないですよと言われた。


その昔は鯖街道と言われ若狭湾でとれた鯖を京都に運んで栄えた。しかし雪深く農閉期になると産業がない、そこで明治三十八年増永五左衛門という人が少ない初期投資で現金収入が得られる眼鏡枠作りに着目した。大阪や東京から職人を招いたという。
世界で始めてチタン金属を用いた眼鏡フレームの製造の確率に成功した。世界シェアの20%は鯖江という。
又、業務用の漆器の九割近くもやはり鯖江だというではないか。持ち家率86%、みんな広くて大きい。人口比率は日本で第四位に低く、それ故人が見えず眼鏡をかけても見えない。家の中に居て場所から場所へはクルマで移動するからなのだ。

始めに駅に降りた不安はどんどん視界が広く明るくなった。大きな川べりには六百本以上の桜が咲いている。橋の名はさくら橋だ。


我々六人がなんか異物混入の様に思えた。清らかな湖に外来種のブラックバスが入った様なものなのだ。普通駅前にはお土産屋さんがあるのだが殆ど無いのも珍しい。ここから佐々木小次郎が出たと聞くと何か急に弱そうに感じてしまった。きっと穏やかな性格だったのではないかと思った。


DJ OZUMAもここから出たという。あんな派手な格好もきっと穏やかな心を隠すためなのだろう。何しろ人々はみんな穏やかなのだ。欲深き心を宿した人は居ない様に思われた。
東京という業深き会社の中で日々牙を剥いて目をギラギラさせて欲望にまみれた日々を送っている六人の一行は浮きに浮いていたのだ。中国や韓国やタイやベトナムは日本製を作っていた貧しい国であった、ところが今や著しい成長を遂げている。

日本人よ、今一度コツコツ精神コツコツ魂を取り戻せと云いたい。バブリーな心を一度捨てないといけない。濡れ手でお金を稼ぐとか、よその国に安い工賃で働かせて利益を出す。そんな邪な心を捨てよう。元々日本人程コツコツが似合う国民は居ないのだから。会社が大きい事がいいことなんていう時代は終わった事に気が付かないといけない。小さくても優秀な人間が集まれば一人でも二人でも、三人か五人でもいれば十分なのだ。

この街に来て確信した。
日本再生は日本人に帰ろうという事に、老人達の知恵を生かすのだ、老人達に教わるのだ。若者よ手に職をつけよ。大学を出ても会社に入れる時代ではない、大学はどんどん淘汰されていく、驚く事に近頃は大学生の入学式に親がこぞって参列するという。一度で入りきれず一部と二部とに分けて入学式を行っている大学もあるというではないか。大学生が幼稚化してしまっている大きな原因はここにある。親の過保護が様々な問題を起こすのだ、とんでもない風景だ。日本はもっと職能学校、職人学科を充実した方がいい、つくづくそう思った二泊の旅であった。

残念ながら越前ガニはシーズンが終わり、鯖はいいのが全然取れないと言う。
連れの一人が「へしこ」という鯖を米ぬかに着けたくさやみたいな品を買った。ほぐして茶漬けにすると絶品だと言った。
鯖江に「森六」というおろしそばで有名な店に行った。小さな民家であり、いい風情の店であった。


2010年4月8日木曜日

人間市場 相方市


この頃のテレビを観るとどうしたら人間は阿呆と馬鹿になれるのかの実験を受けている様な気がする。実験体になったつもりでバラエティ番組だけを選んで次々と見ていく。
その間にCMが入る。CMも又ほとんどがバラエティの延長の様なので区切りがつかない。

過日外国人家族と食事をしたら何で日本のCMには同じ人が出るのだと聞かれた。
一人の男がカメラに化粧品に住宅に車に飲料に通信に出るのか。外国人には考えられないという。有名人を使うのがこの国の習性なのだよと言ったらやはりその外国人家族には理解不能の様であった。何のCMだかこの国のCMは全然判らないと言った。私も判らない。

バラエティ番組を考えている人たちの頭の中も又理解不能だ。あるいは特殊な才能の持ち主たちなのだろう。何しろ考えられない事を考え実行するのだから凄い。
出川哲朗なんか心から尊敬している(老舗の海苔屋の息子なんだ)。

みんなで騒げば馬鹿じゃない。みんなで答えれば阿呆じゃない。
とにかくみんなみんなが出て来るのだ。
芸能界にも派閥があるらしくその人が出ると必ずその取り巻きが出る。ある種の救済、相互補助なのだろう。ビートたけし、島田紳助、和田アキ子などが大派閥なのだろうか。
特に島田紳助という人間には少々驚かされる。その頭の回転の速さ、切り返しの上手さ、流れるような口調は第一級に思われる。言葉の豊富さも並ではない。事業も大成功しているという。むべなるかなだ。

ビートきよしさんは過日、我が家のペットが供養されているお寺で箱の上に乗って人とペットの関係について30分程話をしてくれた。その前は確か佐良直美さんだった。

何故かその日の事を鮮明に思い出すのは卒塔婆一本一万円、申し込むとガラガラ回す抽選券を一枚貰える。元来くじ引きで当たった事は殆ど無い。
お線香あげて花とペットフードを取り替え、ビートきよしさんの話を聞いて帰りがけに引換券を渡しグルグルと回すと赤い玉がコトンと落ちた。あっ一等賞ですよと言うではないか。えっ一等賞と言うとオメデトウゴザイマスとオジサンがVネックのセーターをくれた。コレが一等賞と聞くとそうですと言う、他に缶ジュースを一缶。まあいいかと思った。
横山ノックとアウト、西川きよしと横山やすしコロンビアトップとライトそれぞれ相方は不幸福だった気がする。大好きな坂田利夫と前田五郎とは別れてしまった。

傘の上で玉や独楽をごろごろ転がす楽しいコンビの姿が見えない。
相方が亡くなってからすっかり見えなくなってしまった。名コンビだったのに、お正月の風物であったのに。人間利巧を演じるより馬鹿を演じる方が余程難しいと言う。立川流の落語の真打ちになるには古典落語を四百位話せないと駄目だと言う。

昔流しというギターを持った歌手が酒場に現れ人間ジュークボックスの様に頼めば何でも歌ってくれた。一流の流しになるには四百曲位を憶えていないと駄目だと聞いた事がある。漫才も落語も浪曲も手品も色物もコントもみんな血の出る様な努力と創意工夫から生まれて来たのだ。昇っていく者、消えゆく者、破滅する者、人生は正に舞台の上の如しだ。


先日チャンバラトリオのリーダーが亡くなってしまった。少したるんでしまった自分をあのハリセンで思い切りバチンと叩いてもらいたかった。仕方ないから愚妻の小さな扇子でパチンと叩いている。夫婦もコンビと同じ相方とずっと幸福のまま行くとは限らない。一度駄目なら二度、それでも駄目なら三度、もう飽きたと言うまで一緒になればいいのだ。子供にさえ迷惑を掛けなければだが。

それにしても親のわがままの犯罪があまりに多すぎる、残酷だ。

2010年4月7日水曜日

人間市場 紙くず市

このところ三人の友人を失った。
一人は病で失った、本当に男らしくいつも少年の様ないい奴だった。
一人は友人として認めることが出来ず失った。もう一人はこれ以上仕事上で付き合うとお互いに心身に支障をきたすと判断したからだ。

人生の四コーナーを回った時に共に戦った戦友を失うのは辛いがそれも又人生だろう。人の心の中がギザギザになり始めて長い。いよいよその傷口は深く広くなってしまっている。夢を持って入ったある大会社の若い社員が会社に行くのが毎朝辛いという。

言汗のごとし」というが一度口から出た言葉は二度と自分の口の中には戻らない。言葉程恐いものはないとつくづく考える。今頃になって何だと思うが自分が放ったひと言、人が放ったひと言がその言葉を受けた者に積年の憎悪となって心の中に染み込まれるまで刺青の様に消す事が出来なく刺し込まれているのだ。

今からでも謝る事が許されるなら日本中を回ってでもお詫びしたいと思う。
若気の至りと言えばそれまでだが「天上天下唯我独尊」だなんてうそぶいて生きていた自分を恥じるばかりだ。それ故この残り人生の前に受けた言葉の許されざる者は許す事はできないのだ。

今は別離した戦友の幸せを祈るしかない。又、私自身もその責務を背負って生きて行かねばならない。プロの仕事をするという事は正に「強者どもが夢の跡」となる。何百枚の企画の案もあらゆる案もただゴミ箱に入る紙くずと化すのだから。
売れない案はただの代物がプロの企画の世界なのだ。

何年もかけて描いた日展への出品作が「ハイ次!」のひと言でただの絵の具の壁となり、何年もかけ千枚も二千枚もかけて書いた力作の小説も編集者の「ボツ」のひと言で紙くずとなる。陶芸然り、塗然り、織物然り、努力の結果が作品の評価となり得ない。それ故私は世に潜む無名の作家たちを求めて歩く。
その中に本物の作家がいるのだ。高名な審査員に付け届けもしない、編集者や画商に接待もしない、身も心も売らない、新聞社や専門誌の批評家、評論家に接待もしない。自分の先生の作品づくりの手伝いをしない(代書き)それ故可愛くない奴だという事になる。
力があればある程潰す必要があるのだ。

フランス等では芸術とは「ゲイ術」とも言われる。ゲイは身を助けるのである。
駄文の本を書き、絵本をつくり、短編の自主映画をつくる。友人から誰々に幾ら払えばチョーチン記事を書いてくれますよとか、あの新聞社の文化部の誰を「ゲイ」に連れて行けば直ぐチョーチン記事を書きますよとか。ちょっと広告出せばいい書評を書きますよとか色々言って来る。

評論家を招いてパーティをすればどうですか、みんなやっていますからと言ってくる。小田原提灯じゃあるまいしそんな事できるかと思う。見る人が観て一人でもいいと行ってくれたらそれでいい。一人でもいい本だったですよと言ってくれたらそれでいいのだ。商業製作でなく自主製作なのだから。
「ボロは着てても心は錦」みたいな作品を作って行きたいと思う。近々新作、新本の試写会と発表会を行う予定である。

「敵を恨む事なかれ、自分もきっと敵に似ているから」誰だか忘れたがある哲人が言っていた様な気がする。

2010年4月6日火曜日

人間市場 撮り者市

人間は何かを残そうと決意し、行動すると大変な足跡となる。

三十年来の友人を紹介する。
本名は小林直道、我々の仲間内ではピート小林という。
長い間アメリカに居てバーテンダーのアルバイトをしている時に付けられたあだ名と言う。
その時の経験を生かし、サントリーと友人ジョージ伊藤と共に二千種類に及ぶオリジナルカクテルブックをつくった。
レシピとシェイクは全てピートであった。名著中の名著として世界の賞を貰った。又、高名なコピーライターとしてマッキャンエリクソン、博報堂や電通に入社。ジャガーやマッキントッシュ、サントリーの洋酒の広告では朝日広告賞のグランプリを獲った。

180㎝を超える体、口ひげ、ソフト帽それにパイプをくゆらせながらヒョッコリ現れる。ある時はピート小林の英会話術という本を出したとか。春夏の甲子園には必ず高校野球の写真を撮り続けている。

過日は日本中の畑を歩き回り「案山子」の本を出し、TBSのクマグスという番組にV6と共に出てキラキラと案山子について語っていた。

又、日本中の桜の写真を何年もかけて撮影している事は知っていたが、四月四日の日刊スポーツ二十一面一ページに「ピート小林と歩くこころの日本人遺産」今日から連載とあった。撮り者の第一人者としてこれからが楽しみである。


アメリカの文化の中で青春を過ごした男が今、高校野球や畑の中の案山子や日本の桜、古き良き香りが残る木造校舎の四季の中の春を追う旅の枕は時刻表でありボロボロである。
彼も又移り変わる季節の様に様々な人生の四苦八苦を味わった。その上で行き着いた先の目的地がこの滅びゆく日本、去りゆく日本の風景であったのだろう。

先日倒木した鎌倉八幡宮の大銀杏の木に小さな木の芽が出たというニュースを見た。自然の生命力は、なんと逞しいのだろう。あと千年生きれば又あの立派な大銀杏に会えるかもしれない。住む場所を失ったリスたちも又帰って来るだろう。
ピート小林には何とか千年生き続け大銀杏の木の成長を記録して欲しいと思う。

与謝野馨、平沼赴夫、園田博之、藤井孝男等々もう老木となり散り際を作らねばならない男達が新党を立ち上げると言う。新党というより老党である。
政治家の中には煮ても焼いても食えない人間が多い。「老兵は消えゆくのみ」といったのはマッカーサーだが若手に道を空けない老木は朽ち果てるしかない。

かつて、「国や敗れて山河あり」と言ったが今や国滅びて山河消ゆとなって来ている。
童話が生まれる様な景色が消えてゆくのは切なく悲しいものだ。
スペインの養殖で育った大トロだらけのブヨブヨのマグロに105円の値段をつけ解体ショーを見せながら寿司を売る店をお寿司屋とは言えない。
そこに行列を作っている人々を見ると又言葉を失ってしまう。

先日東京湾でアサリ漁をしている老人の話を聞いた。
海も畑も同じ、せっせと水を耕さないと水の中が死んでしまい貝達が死滅していくのだという、しかしそれを継いでいく若者たちがいなくなっている。
何でもいい一人が何かを残す事をしてみよう。一本の木を植える事も、一つの球根を埋める事でも、一枚の写真を残す事でも被写体は何でもいいと思う。


花見に行けなかった人はピート小林の写真集を是非。
「花は根に、鳥は古巣へ帰るとも人は若きに帰ることなし」と記してあった。

2010年4月5日月曜日

人間市場 思案市


大長考と言えば将棋や囲碁の世界。

かつては現在の様に持ち時間制でなく打ち手が決まるまでずっと、考える。
一日に一手しか打たない日もあった。対局の相手は庭で体操をしたり、自室に戻り一休みしたりして頭を休めたり、次はどんな手を打って来るかを考える。
何しろ相手が打たない限り自分の手は打てない。体力と気力の勝負となる。高度な駆け引きもあった。

ある二十代の若者と同様な経験をした。
一つの仕事を決める事についてとにかく決断しないのである。
うーん、うーと腕を組み大長考する。一日、二日、三日、四日、五日、六日、七日と考えてはこんな事もありますよねとか、こんな事を思いついたんですがとか、凄い良い考えがついに思いついたんですと言う。

周りはいよいよ先に進めるのかと期待を込めて考えを聞くとやはりう〜ん駄目かなとなる。思うに勉強が出来過ぎ、育ちが良過ぎ、人が優し過ぎ、一人で部屋にこもり過ぎ、一人で遊び過ぎなのだろう。ある人にそんな話しをするとそれこそが草食系の典型なんだよという。
人を傷つけたくない、自己主張を押しつけたくない、友人や妻や彼女を巻き込みたくない、出世欲はない、でも自分のやりたい事は頑固なまでにやり遂げたい。
大きな喜びよりちょっとした喜びを楽しみたい。ゲームで相手に勝ったとかボーリングで最後のピンがフラフラしながら倒れてストライクになったとか、昼休み神社でおみくじを買ったら大吉だったとか、自分で作ったパスタが思いの外旨かったとか、メダカが沢山子供を生んだとか等であるらしい。

何より人を傷つけるのを嫌うのだ。逆にたった一言で深く傷ついてしまうのだ。柔軟性がなく、展開力がなく、大胆に捨てる勇気がない。僕はこれがいいと決めるともうそこから思考回路がテコでも動かない。そして又、一日、二日、三日、四日と日が経って行く。その事による膨大な時間とコストの無駄に気が付かない。絶えず相手に責任を転嫁する。ちゃんと考えてくれていますかと言われた相手はぞぉーっとしてエーとなり、何だ何だとなって答えのない宿題に苦悩する。世に言う人のいい人程、世の中のためにはならない、という事であろうか。

あの田中角栄は決断と実行といい、出来る男は走りながら考えると言った。田中角栄論はともかく決断と実行力、他人依存性を持つ若者が増えている事は確かである。
パソコンやゲーム、携帯のせいもあると思う。自分の文章力、発進力、思考力が無いのだ。

だから元気な若い女性から見ると全然物足りない、頼りにならない、結婚したくないとなっている。思うに、初めのデートでホテルに行き、お互いにベットの上までは行った、その後うーん、うーんと腕を組んで行動しない(その先の出来事を考えている)。
女性は何してんのよ風邪引くじゃない、いい加減にしてよ。私帰りますサイテーなんて事になる。その後も何故帰ってしまったかうーんと考え続ける。ハックション!となりやっと事態に気が付き慌てて電話をする、しかし着信拒否となる。ちょっと例えは悪いがこんな二十代が多くなっている。成功もしたくないが失敗したくはない。

間違っても坂本龍馬の様に天下国家の為に国中を走り回る人間は出ない。土方歳三の様なロマンチストは出ない。それ故この日本国の明日は終わっても電気の付かない映画館であり続け、次のシーンが始まらない。人に思い切り嫌われる覚悟があると言う事は自分の行動に責任を持つという事である。

過日ある若い右翼の部屋に行った。立派な筆文字で「必死三昧」と壁に書いてあった。思想はまるで違うがその二十代の若者がいつ死んでもいいと思っています、という言葉に説得力があった。久々にリリシズムを感じた。今、二十代で国の為に必死を覚悟している者がどれ程いるだろうか。

婚活が流行るとか、携帯メールで相手を探すとか、いかに男が女性にモテなくなった証明である。

2010年4月2日金曜日

人間市場 春風市


この季節になると一日に何枚か葉書がポストに入って来る。
定年退職、会社転職、昇進や地方への移動人生の縮図が小さな葉書の中にある。思い出深い人や、たった一度であった人、又すっかり忘れてしまっていた人々からだ。

一枚の葉書を読み終えると様々なシーンが甦るものだ。
入園式、入学式、入社式の季節でもある春は希望の花が咲く季節であるが散る花の季節でもある。園長先生、校長先生、社長たちは成長を語り勇気を語り、誇りや夢や責任や自覚や期待を語る。

誰もが一度は通って来た道である。その先には一人一人にそれぞれの人生が待っている。結婚式の案内状も来るのもこの季節だ。幸福は歩いて来ない、だから歩いて行くんだよとの歌もある。一歩一歩幸福に向かって欲しいと願う。

長い間のご愛顧ありがとうございました、この度店を閉店する事になりました等の葉書も来る。あの頃は若く楽しく元気だったなあと主人や奥さんの顔が目に浮かぶ。
思えば自分も閉店に近い事に気が付く。個展の案内状も多い。何でも長引く不況で画廊が空いていて凄い安い値段で個展が開けるらしい。水彩、油彩、織物、陶芸と次々に来る。みんな頑張ってるなと顔が浮かぶ。

今年は小さな庭にある梅の木に花があまりつかなかった。庭師の人は来年は一杯咲きますから、枝をかなり切りました。生き続けさせるために間引きが必要なのだと言う。その変わり牡丹が今年は立派に咲きますよと言う。確かに隅っこにある一本の牡丹が一日一日伸びて来ている。

明日人生が終わるとしても私はリンゴの木を植えるとか言った偉い人がいた。
中々そんな偉い心境にはなれない未熟者だ。
江戸時代の教訓歌に「井戸掘りて今一尺で出る水を掘らずに出ずという人ぞ憂き」というのがある。もう一尺何故掘らなかったのか後一尺掘る努力をしたら水に出会えたものを、そんな思いをする事が多くなってしまった。残念な結果には必ず努力の不足がある。
一つの物を生むために幾つもの大切な物を失ってしまう事は辛いものだ。

既に飛び始めた桜の花を見ると還らざる日々を思う。
失敗が成功の母というなら、成功は失敗の父であるかもしれない。自分の中の自分がもう一尺掘り続ける自分であるために人生の新入生になろうと思う。但し、新しいランドセルや、新しい学生服や、新しいスーツを着れる年ではない。
直ぐに人生の卒業式が待っている。しかし努力をしようと思う。一尺を掘る努力を。

会社員からアニメ作家になる人、子供達のサッカーのコーチになる人、スポーツのインストラクターになる人、農業家になる人、カマボコ屋になる人、作家になる人、画家になる人、陶芸家になる人、政治家を目指す人、みんなみんな一尺を掘る努力を。一度しかない人生、一生に一匹しか出会えない幻の魚を釣る為に旅にでるという人もいる。カナブンが網にしがみついている様な生き方はつまらないと思う。いずれはがされて外に向かって放り出されてしまうのだ。

テレビでは新入社員達が明日への熱い思いを語っている、頑張れよのエールを送る。人生は苦しいが色んな人と出会えて楽しいもんだよ。

こんな雑文を書き終えて夕刊を取りにポストへ行くと敬愛する佐藤隆介先生から一冊の本が送られて来ていた。「池波正太郎直伝 男の心得」という本です。

いざと言う時男はいかに振る舞うべきかが書いてあります。新潮文庫の新刊です。
読んで学びます。

2010年4月1日木曜日

人間市場 一番市


何でも一番が命みたいに思っている変わった人がいる。

高速道路がオープンというと数日前から並んで一番を。閉店セールがあるというと二日三晩並んで一番を。近所で火事が起きた全てを捨てても駆けつけ一番へ(本人が火をつけた場合も多い)。地震があり決して浜辺に近づかないで下さいと言っているのに一番に浜辺か防波堤に。台風で大雨なのにわざわざ歩き回る。

交通渋滞でニッチもサッチもいかないというニュースを見るとわざわざ車を出しその渋滞に向かう。次の日、あの日あの時あそこにいたんだよ、大変だったよと自画自賛する。周りはただの変わった人、物好きな人、野次馬の人、仲良くしたくない人となる。
ずぶ濡れになった自分を自分で写真を撮って悦に入る。

こういう一番シンドロームの人が勉強や仕事で一番になったというケースはまず一人もいない。ただ目立ちたい、ただ話の中心にいたいだけ。このうすら寒いのに花見に繰り出している人たちも同じ、花を愛でるという風流よりもあんな寒い風のある日に一番早くあの場所にいたという事実の方が重大ニュースなのだ。可哀相に子供はガタガタ震え、妻たちは鼻水をすすり、風でシートはめくり上がり、押さえていた四隅の足とか置物は飛んでしまう。
それでもマスコミが近づき凄いですね、こんな時にこんな所に一番早く来るなんてと取材されると、とりの唐揚げかなんか食べながら一番なんです、毎年一番なんですと誇らしげに語る。

悲しいとか切ないとか情けないとかを通過して気の毒としか言い様がない。これは 確かな病気なのだから。
正月に寺社で一番を目指して走る若者。裁判で一番最初の傍聴券を求めて並ぶオジサン(おおむねマスコミから金で雇われているのだが)。

この間吉祥寺にあった百貨店が閉店した、そこの人間が古い友人であった。閉店オープンという相矛盾したイベント。扇の向こうに血走った目の人、人、人。
よく見るとたいがいバーゲンセールの常連だったという。大学出て四十年近く頭を下げて来た百貨店マンにとってその人たちは憎しみの対象でしかない。

いざオープン、どっと人が入り込む悔しいから足をそっと出したら数人将棋倒しに倒れたらしい。ザマーミロと思い笑いが止まらなかったと言う。うっすら鼻血を出した人はいつもなら何時間も苦情を言うのにこの日は一切無し。ただひたすら一番を目指していた自分が自分でケッ躓いてしまったと思ったからだ。バカ丁寧に頭を下げるまで無感情な店員たちとの対比が何とも可笑しかった。

こういう種族は「野犬科」の人に多いと学者さんが言っていた。ご主人が撃った獲物を一番に捕って返って来てご主人に頭を撫でられご褒美をもらいお前は一番エライ奴だといわれる、もう嬉しくて仕方がない。
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警察のプロファイルには一番にマークされています。自分では全く心外なのでしょうが当局にとっては何か事件があると一番にその名が出て来るのです。

ある中学の校長が校長室で30歳も年下の夫子供がいる女性を好き勝手していてその手で卒業証書を渡すかも等という全て持って打ち首者がいました。実は生徒も先生もPTAもみんな知っていたとか。誰が一番に密告するか順を競っていたのです。この学校を一番で卒業した生徒は生涯傷つく事でしょう。知っていないから知らない素振りのご主人はこれからどうやって生きて行くのでしょう。この世で一番程危うい存在はありません、何しろ重病人ですから。気をつけて下さい。

誰も来ないと言っていた茨城空港に一番乗りして自慢顔の人が居ました。
撮り鉄なんて集まっている人の顔を見ると我が家の側にあったチサンホテルのプールサイドでヌード撮影会に群がっていた人々の異様な顔と同じです。娘を連れて行った私はその時スケベジジイどけと言ったら主催者の三人がスミマセン気をつけます、何しろ今だけ少しご勘弁をと謝りました。気持ち悪い中年オジサンばかり四、五十人いましたチサンホテルは当然潰れました。

ちなみにその日一番先にいいポジションを得た人は二日前からホテル近辺の車の中に泊まり込んでいたのです。この世で一番に気をつけるのは一番危ない人です。