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2011年12月5日月曜日

「12月12日、若者よ勝て」

 


その日、姉に連れられて一人の若者が私を訪ねて来た。
若者は現役のプロボクサーである。日本ランキングに入っていた。

お姉さんは私が通うからだリフレッシュ工房に勤める人。
カチンカチになった私の首、肩、腰をほぐしてくれるとても上手で優しい人だ。

若者は所属するジムから離れたかった。試合がしたかった。
ボクシング界は芸能界と同じ移籍は足抜けと同じ御法度であった。

どんなに酷いジムの会長でも一から教えてくれた会長から離れ、他のジムに移るのは至難の事であった。
目的のない練習は若者の心身を疲れさせた。
童顔でありパンチを受けていないのか色白の顔はとてもキレイだった。

会長は金を寄越せという。
私は弁護士と相談しあくまで法に従って身分を守る事、即ちボクサーはボクシングをしないと食べていけない事を主張した方がいいとお姉さんに言った。

どうやって解決したかは定かでないが1212日、新しく所属したジムから試合に挑むと若者が電話があった。
色々ご心配かけました、頑張りますと。きっと応援に行くよと言った。

2011年12月2日金曜日

「期待通りの裏切り」


後味の悪い映画を観た日は何を食べても後味が悪い。

「冷たい熱帯魚」や「愛のむきだし」の監督、園子温の作品なので初日の初回(10時から)を観ようとわざわざビジネスホテルに泊まってテアトル新宿に行った。

舞台挨拶があるとかで9時に行くと長い行列、しまった前売りを買っておくべきだったと舌打ちをした。

中はギッシリ満員。何年振りかで通路に座った。
宿泊用に持っていたTシャツやパジャマを入れた布袋が座布団代わりとなり役に立った。
渋谷の円山町で起きた東電OL殺人事件に園子温がインスパイアされた作品だというので評判を呼んでいたのだ。

映画の題名は「恋の罪」、なんかゆるゆるの題名に?をつけていた。
ロマンポルノみたいな気がしていたのだが、いざ上映開始となると作家の妻、変態の女刑事、大学の助教授の女性、三人が大乳、中乳、小乳をむきだしにして○△×をしまくるだけ。

おい、おい園子温、どうしたどうしたと思いながら長い時間に耐えたのです。
その日は1日中マズイ日でありました。

2011年12月1日木曜日

「おっ、何」




先日、国立社会保障・人口問題研究所の調査発表に驚いた。
なんと18歳〜34歳の未婚者の61.4%(男性)に彼女がいなく、49.5%(女性)に彼氏がいない。
又、女性の38.7%は処女であり男性の36.8%は童貞であるというではないか。
 更に35歳〜39歳でも男性27.7%、女性25.5%が未経験者という。

日本は農耕民族であり稲を植えたらSEX、稲が実ったらSEX、稲を刈ったらSEX、精米したらSEXと、まあ一年中SEXをしていた一大SEX大国であったのだ。
それ故小さな島国に子が生まれ続け人口過多となった。

よしそれじゃ戦争でもして人減らしをしようと戦争を仕掛けたともいう。かつては童貞は男の恥であった。
しかも明治・大正そして1920年代になるとキリスト教が拡大し性欲は大罪となり「童貞処女礼賛国家」となった。

ある学者がLOVE=恋愛という訳を生み、結婚とは処女と童貞が一対になる崇高な儀式になってしまったのだ。
戦後は一変フリーSEX全盛となり倫理感、貞操感は死語となった。今何故若い男女は愛し合わないか。

それはネット社会、画面上であらゆるSEXが見れる。バーチャルなSEXがした放題であり必要性がなくなったのだ。
バカヤロー振られるのが恐くて男をやっていられるか。

2011年11月30日水曜日

「答えのない問題」

11.25放送朝まで生テレビより

十一月二十五日午後一時二十五分より「朝まで生テレビ・暴力団排除条例」を見た。

議論は百出するも何ともチンプンカンプンであった。
何故なら出席者それぞれがこの条例がよく分かってないからだろう。

私はあえて警察について書く。
日本の警察は成果主義である。例えば目の前で喧嘩しそうな人間がいるとすると警察官は決して、君たち、お前達喧嘩をするなとは言わない。事件を予防しても得点にならないからだ。むしろ、さあ早くやれやれ根性出せといった感じである。
やるんであればただ殴り合ったり蹴り合ったりじゃつまんない。切ったり刺したりしてほしいというのが本音なのだ。
その結果傷害致死や殺人事件の犯人逮捕となると得点はグンと上がるのだ。

私自身何度か警察にけしかけられた経験があり、したくもない喧嘩を警察によってやらされた(裏社会ではジャッキを入れる「あおる」という)。暴力団は社会悪であるが(金筋のヤクザや侠客は男だ)、警察もまた社会悪である場合は多い。最も重大な事は冤罪だ。日本特有のバレなきゃいいじゃん。出世第一なのだ。

元ヤクザの組長が元警察官僚の平沢勝栄にこんな質問をした。
平沢さんがもし人に殺されそうになった時、暴力団に助けられそうになったらどうしますか(平沢勝栄は言葉に窮した)。
極めて分かりにくい法と言わざるを得ない。

一歩間違うとかつての悪法治安維持法となってしまいます。

2011年11月29日火曜日

「馬鹿は死んでも直らない」




山形の洋梨(ラ・フランス)を食べながら夕刊に目を通す。

大学生の内定率、10月時点で59.9%、高校生は41.59月時点。

こんな数字の横に大王製紙社長、刑事告発へ。
その額なんと1068千万円。全て博打に消えたとかの記事があった。

その男、井川意高は東大法学部卒、それも現役で入った秀才の筈であった。
だが凡才であった。法学部で法を犯す事を学んだのか。
東大を卒業したら銀座のクラブ大学に入学、芸能界の姉ちゃん達を連れて男女共学でラスベガス大学院、マカオ大学院、モナコ大学院、ソウル大学院、シンガポールやフィリピン大学院などに入学。
わずか一年半で入学金106億円以上を使った。(実際は更に数十億)

バカラ学科、ルーレット学科、ポーカー学科、最後にドボン学科に入って本当にドボンとなった。
そして世の中から退学処分となった。

私の尊敬する博徒の親分(史上最高と言われた)波谷守之さんは素人が博打に手出ししても絶対勝てないと言っていたと聞いた。そして拳銃で自死をした。金庫の中には素人衆の博打の負けの証文がゴッソリあったとか。
決して自分が追い込みをかけられても素人衆に追い込みをかけなかった。博打はやらなければ絶対負けない。

井川意高には博才がなかった。

2011年11月28日月曜日

「毒舌の天才逝く」


立川談志七十五歳、骨と皮となり死す。
十一月二十六日(土)BS、朝十一時から一時の特集を見る。
死を予想していたのかずっと「談志師匠」を追っていた。

さすがNHKだと思った。
こういう仕事をしてくれるなら皆気持ちよく受信料を払うであろう。

権威、権力、旧習、旧態を嫌った。落語家は「噺家」ともいう。その文字のつくりは「口」偏に「新」と書く。
即ち絶えず新しい創意工夫をしているのだ。又、噺家は喋ってこそ商売である故、文字に何かを込める事はない。がしかし立川談志は違った。膨大な書籍を集めて蔵書とし、それを読み込み自らの手で膨大な全集を遺した。
心底古典落語を愛していたのだろう。


定席から追放された中で当代きっての人気噺家。志の輔、談春、談笑、志ろく等育て遺した。
反逆児であるがシャイで小心で毒舌で不安症で巾帳面で家族思いで孫大好きであったという。

この頃毒舌家がいなくなって来た。口げんかすらしない時代はイケナイ、キケンだ。
嫌いで結構、好かれちゃ困るその気迫が必要だ。立川談志の「芝浜」は特上であった。
落語のCDから引き出し、名人桂三木助の「芝浜」と聞き比べた。落語家と噺家の違いが分かる。

2011年11月25日金曜日

「腹上の知人」

「ダライラマ」来日の事を「ダラリマラ」来日と言ったらすごく受けたのでその気になってある処で同じ様に言ったら、何という不謹慎な言動とこっぴどく叱られました。
 
以来慎んでおります。この場を借りてダライラマ様お詫びします。

つくづく、ホトホト、ひと言多い自分を反省させております。
ある知人が若く美しい女性と再々婚しました。

今流行の年の差婚です。知人六十三歳、新妻三十一歳です。
銀座の風月堂で一緒に珈琲を飲んでいた時二枚の紙を見せられました。二枚とも雑誌広告をビリビリと破ったものです。

一枚は「漲るあなたEDよサヨナラ」と大見出し、もう一枚は「夜よ今夜もありがとう」の大見出しです。
これですがね、一つは錠剤、ひとつはスプレータイプらしいんですが今取り寄せているんです。
何でしたらお裾分けしますよなんて言った。

イラネイヨ、そんなのインチキに決まってるから止めておけと言ったのでした。

ある夜、ある住宅街に救急車が駆けつけたのです。男が一人とても恥ずかしい姿で運ばれたのでした。
だらりとした両腕が見えたそうです。


2011年11月24日木曜日

「ブルッた名前」

佐藤さんは強い、最強だ。
柔道でいえば無敗の鬼、木村政彦。空手で言えば牛殺しの大山倍達。プロレスでいえば空手チョップの力道山。相撲でいえば69連勝の双葉山。ボクシングでいえば全盛期のカシアスクレイ。

佐藤さんはその全部を足してかけ算した位強いのだ。

佐藤さんはなんでも食べ、何でも飲むという。ビールや日本酒やジンだって?
おーい佐藤さん散歩行くよと知人の久我さんはいう。

「佐藤さん」は久我さんが飼っている超猛犬、闘犬界最強のブルテリアの名前なのだ。なんというネーミングの天才か。
佐藤さんは久我さんのいう事だけはちゃんと聞く耳を持っている。
秋田犬、紀州犬、土佐犬の猛者も佐藤さんにはマイッタ、ヤメテらしい。


決して大きくないし、顔だって恐くない。久我さんの携帯に写っている顔を見るとごくフツーの犬だ。
これがひと度戦いとなると喉笛にガバッと食らいついて決して離さない。
犬は飼い主に似るというが久我さんも一見穏やかであるが何処か殺気が見える。きっと怒ったら最強かもしれない。

佐藤さんと友達になりたいがそれ程気は進まない。

佐藤さんと同じ、ブルテリア。闘犬界最強らしいです。

2011年11月22日火曜日

「遠足気分の夜」

十一月二十日(日)、夜十一時四十一分。

礼状を出しにサークルKのポストへ行く。家から歩いて五分とかからない。
昼は少年野球の応援をした。日差しがやけに強かった。天気予報通り日が暮れてから一気に冷えて来た。

一週間一人暮らしだ。
レトルトのクリームシチュー2袋、銀座カレー(中辛)2袋、チーズ6ピース入り一ヶ、サバの水煮缶一ヶ、ノザキのコンビーフ一ヶ、マグロツナ缶一ヶ、おかゆ()2袋を買って帰る。

一人はいいぞ楽しいぞ遠足にでも行く気分になる。
アイツがいるとこういう旨い物は食べれない。夜空がやけに澄んで星がいっぱい光っている。

思わず平尾昌晃の「星はなんでも知っている」を口ずさむ。
星は何でも知っている。夕べあの娘が泣いたのもぉーと、きて今度は坂本九ちゃんの「見上げてごらん夜の空を」に移る。
見上げでごらん夜の星を、僕らの星をオーとなり、一気に谷村新司の「昴」になる。
我はゆく青白き頬のままでェーと。

野良猫が一匹馬鹿にして見上げていた。

2011年11月17日木曜日

「お前の名は分かるか」

 
フロ、メシ、ネル。フロ、メシ、ネル。
昼夜兼行、減私奉公が定番だった。その内、メシだけとか、ネルだけとかフロ抜きとなりいつかネルもなくなり、起きる、起きよう、起き続けようという労働変則三段活用となっていった。

モーレツ社員の誕生、1960年代からだ。その中核は元軍人少年か元軍人たちであった。
上官の命令には逆らえない。気が付けば会社は軍隊となっていたのだ。“企業戦士”なんて言葉が生まれたのはこの頃だ。

24時間戦えますか」なんてふざけんじゃねえぞコノヤローと思う、ドリンクのコマーシャルがその延長上で生まれた。

私も一時期徹夜、徹夜、半徹、徹夜、徹夜、半徹、完徹そしてダウン。
先輩がオイ大丈夫か?気は確かか?お前今日は何曜日か分かるか?オイ、お前自分の名前いってみろなんて言われた。

「モーレツからビューティフルへ」なんていう言葉がテレビから流れ出した時何だか新しい夜明けが来るのではないかと思ったのであった。

だがその先に来たのは更にモーレツな地獄の戦場であった。