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2012年2月17日金曜日

「生よく死を制す」




茨城県水戸に日蓮宗のお坊さんで井上日昭という人がいた。
行動右翼のシンボルとしてその名を残している。
「一人一殺」というのが心定であった。
五・一五事件で政府要人を襲撃した若者達の教祖でもあった。

時の総理大臣犬養毅は豪胆であった。
拳銃で撃たれた時、有名な言葉を発した。「話せば分かる」と。
それに対し若者たちは「問答無用」といって止めを撃った。
若者の中に四元義隆という東大出がいた。
つい最近死ぬまでは時の権力者の思想的黒幕であった。

 井上日昭は「一死多生」とも遺したという。私はこの言葉が好きである。
一死をもって一人でも多くの人に尽くしたいと願うからだ。地獄に堕ちるのが当然の事ばかりしてきたので少しでも罪滅ぼしをと思っている私なのだ。

たった一度の人生、たった一度の死、ならば世の中の為にならない奴等を道連れになどと思うのだがそれに値する様な人間がいない程悪党も小者になってしまった。

この頃あの大嫌いな五木寛之ではないが、法然や親鸞や日蓮や蓮如などの本を読んでいる。
又きっと行くであろう地獄の関係書を呼んでいる、何故だろうか。

3.11以後自分の命に対して敏感になっている様だ。
どう生きるかより、何を遺し、どう死ぬかを考える。
自分の命でかけがえのない命を救えるなら望むところなのだ。
「死よ驕る勿れ」イギリスの詩人ジョン・ダンの言葉を、詩人の田村隆一が訳した。
正に死よあんまり威張るなよといいたい。「生は強いぞ」

2012年2月16日木曜日

「0点」


読売新聞夕刊より

読売新聞夕刊より


東京ゲートブリッジ開通。
誰が設計したのか極めて不細工な形だ。

2月13日(月)読売の夕刊を見るとその開通した斜めの右下にGDP年率2.3%減の折れ線グラフが載っている。よく見るとまるでゲートブリッジと同じ様だ。
左右対称にこの折れ線グラフを配すとそれは決定的な程似ているではないか。

全く縁起の悪い不景気の象徴の様な橋の開通である。
きっと名ばかりのコンペティションを行い筋書き通り発注を決めたのであろう。
写真には富士山がクッキリ写っている。日本のシンボルが見届ける落ち目な橋の形なのだ。

日本の橋は造る度にお粗末な形となって来た。
曲線を取り入れると予算がかかるのか、みなおしなべて直線的でギスギスとしている。
橋の設計家の心もきっとギザギザハートなのだろうか。

折角富士山を望む事が出来るのならその富士山と一体となったまるで絵の様な美しいラインを生んでほしかったのだ。葛飾北斎ならどんなゲートブリッジを生み出したであろうか。
私の採点ではほぼ0点の作品だ。

2012年2月15日水曜日

「佐渡と靴」


※写真はイメージです


佐渡島といえばまず金山を思い出すはずだ。
次には流刑、島送りだ。そして美空ひばりの名曲「佐渡情話」だ。

深夜一人で聞くと体中に人を恋する想いが寄せては返す、波の様に伝わって来る。
つい一杯、又、一杯となる。酒は旨い、ひばりはもっと上手い。

その佐渡に震度5強の地震が来た。
小さなホテルの一室、手を伸ばせば何もかも操作出来る部屋に泊まり込んでいた。
部屋に入りTVのスイッチを探す。どか雪が降り注ぐ中、地面が揺れた様だ。

その瞬間私はある女性を思い出した。
その女性は新橋の靴磨きの人、SLのある場外馬券場の側でずっと昔から来る日も来る日も(休曜日以外は)ひたすら人の差し出す靴を磨いている。
隣には言葉がよく喋れない中年の男性がいる。バックスキンの靴はこの男性に磨いてもらう。

女性は一度NHKでドキュメント取材された。
夫を早くに亡くし靴を磨いて子供達を育て上げた。
一度義姉の葬儀(法事かもしれない)に佐渡に帰った時、佐渡の夜空はこんなにも美しかったかと初めて思ったといっていた。ずっと靴ばかり見ていて空を見上げる事がなかったと。
東京の空は見るに値しないと。

今日もおばさんはずっと靴を磨いている。
トキドキお世話になる。話をすると凄いインテリでユーモアがあり話が上手であった。
1回五百円。恐れ多い女性だ。年の頃は7578位だろうか。


2012年2月14日火曜日

「岩波大嫌い」




それをいったら終わりだよ」といったのはフーテンの寅さんだった。

我が社はコネのある人しか入社させません。
と、予め宣言した企業が出版界の名門岩波書店だ。
確かに大手から中小企業迄コネクションは有力な採用基準になる。
始めから入社させる事のない真剣な若者と面接するのは苦痛以外何物でもないだろう、だがしかしそれをいったら終わりなのだ。

「あーもしもし頭取かね、いや〜いつもすまんが知人の娘さんでね、とてもいい娘なんですよ」と電話口で喋っているのはある大物代議士だ。初めてその個人事務所に打合せに行くとことさら熱心に話を続ける。
そして、いや〜いろいろ大変でねなんていってコンビニのサンドイッチかなんかムシャムシャ食べる。

後でその代議士の知人に聞くと、あれはいつもの手なんだよ、初めてくる人間に自分を大きく見せる為に演じるんだ。
相手は頭取、会長、社長、教授、先生と使い分けるんだとか?どうりでクサイ芝居に見えた訳だ。
だがしかし何人かは本当に入れているはずだ。

岩波書店の言い草を聞くときっと文部科学省とかのコネで新入社員が決まっている訳だ。
バカヤロー、学生さんをナメんなよといいたい。出版人の矜持は何処へ捨てたかといいたい。
もう岩波は読まない。(元々難しいから読んでネェーけんど)

2012年2月13日月曜日

「行為のススメ」




1192年鎌倉幕府成立、この頃の人口は約760万人。 
1603年江戸幕府成立の頃約1200万人。 
1868年明治維新が起きた頃、約3400万人、そして2000年には約13000万人。
130年で9000万人以上増加した事になる。

が、2004年をピークに日本の人口は減り始めた。
出生年率を1.26とすると2100年頃には約4800万人位になってしまう。 
1.06とするとなんと約3800万人。その内約40%が65歳以上の高齢者となっているのだ。

この数字が何を意味するのかは明白だ。全ての産業がお終いになってしまうのだ。
どこもかしこもガーラガラ、スッカラカンになっているのだ。元々日本の人口は国土に比べて多すぎたのだ。
戦争ばかりやっていたので子孫を残すためにひたすら子供作りをした結果なのだ。
戦争状態になると人間の動物本能が働き子孫を残すために女性の卵子はバンバン生まれ、又、男の精子は生死をかけて健気な受精の旅をするらしい。

国を守るためには若者達が行動しないといけない。どんどん結婚をしないといけない。更に行為をしないといけない。
そして元気な赤ちゃんを頑張って産まないといけない。古来より1人では食えないが2人になれば食えるというではないか。結婚こそあらゆる産業を守ってくれるのだ。

こらーそこの若いの、1人で何をやってんだ、この意気地無し。

2012年2月10日金曜日

「猫と脱腸」


※写真はイメージです


猫は何で走るのか、本来猫はお皿の上の魚をパクッとクワえて走り去る時位しか走らない。
美人の膝の上にのんびりと座り、我が輩は猫であるとイバッテいるのだ。

ところが「猫ひろし」は大きな夢、ロンドンオリンピックに向かって走る、走る、走るのだニャー。2時間31分を切ればオリンピックへ行けるかもという。
カンボジアに国籍を移し遂に2時間3026秒でクリアした。
なんとも頼もしい猫であった。金メダルも夢ではない。

かつてキャットフードのCMを制作した事がある。
袋入りのドライタイプと缶詰だ。今と違ってCGのない時代、スタジオの中でジーッとお猫様が美味しそうに食べるのを待つ。一日、二日、三日。
とにかく大の大人が固唾を飲んでお猫様を見続ける。

なかなか上手くいかないのだ。
オッ食べたと思えばドライタイプの山がボロボロ崩れてNG。
オッヤッターと思えばウェットタイプの缶詰に口を入れすぎでNGとなる。

ともかく撮影で一番手こずるのは、猫や犬や鳥などの生き物と赤ちゃんだ。
赤ちゃんは三人位をスタンバイしてスタッフ全員がサツエイデチュヨ、タノンマチュヨ、コンヤモカエレナイデチューと赤ちゃん言葉になるのだ。

と、ここまで列車の中で書きながらひと休み、夕刊紙をパラパラと見ると何!あの玉置浩二がダチョーンと脱腸(鼠径ヘルニア)の手術をしていたとか。
レコーディング中、気合いを入れ過ぎて腸が飛び出てしまったらしい。
精力絶倫を語るミュージシャンとしては何とも絞らない話ではと、玉置浩二支持者としてはダチョーンなのであった。(当然日刊ゲンダイ)

2012年2月9日木曜日

「鴨と鴨」




私の仕事場の直ぐ側に長寿庵というお蕎麦屋がある。
そこの「鴨せいろ」は大人気、ウルトラ人気で昼はいつも満杯。それを楽しむためによく行く。

「鴨」といえば「鴨長明」といえば「方丈記」だ。
有名な「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」原稿用紙にしてわずか25枚ほどの中に今我々がどう生きるかの心があると、福島県三春町にある福聚寺の第三十五世住職にして芥川賞作家の「玄侑宗久」さんが方丈記を訳し、「無常という力」という本にして新潮社から出版した。
方丈記とは五畳程の広さ、天上まで2メートルほどの住まいの中で書いた日本三大随筆の一つ。他に「徒然草」「枕草子」だ。

最上の味の鴨せいろをすするが如く、名言が河の流れの様に一行一行極上の味で入ってくる。
故あってその玄侑宗久さんに会いたいと願い新作二作を読んだのだ。

この全長123頁の言葉の河には大学一個分以上のいい教えが書いてある。
重大な危険から身を守るには住む場所は小さい方がいいのだ。
ヤドカリでいいのだ。魚は水に飽きず、鳥は林に飽きずとか。なるほどザ・ワールドなのだ。

是非ご一読をオススメしたい。(1100円)

2012年2月8日水曜日

「働け」



まったり、ぐったり、ひっそり、しみじみ、どんより、着ている服は黒、灰色、茶色系。

顔に艶なく、髪は手入れ無し、靴に輝き無く口から言葉はない。
コンクリートの中の喫煙コーナーにはヤニの臭いと煙が彷徨っている。

手には競馬や競輪の予想紙やスポーツ新聞、赤鉛筆とチューハイや第三のビール、これが定番だ。ボクシングの聖地、水道橋の後楽園ホールに試合を見に行く。

その時その下にある場外馬券売場の光景だ。
光景といっても光は決して差し込まない。体から闘志も熱気も感じない。
人生のリングの上で戦う意欲を失っている。この頃会社員風が多いのは当然だろう、リストラされた人間には必ずリストラされなかった人間との違いがある。

お金にルーズ、時間にルーズ、約束にルーズ、女性にルーズ、又家族や友人、親からも見放されている。闇金やサラ金を渡り歩き汗をかかずして1000円を100000円にとか。10000円を1000000円にと一発を狙ってコンクリートの階段にぺったりと座っているのだ。

働ける五体を持っているのに何故働かないのだ。
ギャンブルのコツはやらないことが絶対に負けない唯一の方法だ。しかしかつて競輪場で聞いたジャンジャンジャンの鐘の音は今でも忘れられない最高のパーカッションだ。

2012年2月7日火曜日

「ヒマつぶし」


写真はイメージです


招請教授、客員教授、専任教授、臨床教授、特任教授等々世の中に教授が溢れている。

で、この人達は何をしているかといえば殆ど名ばかり、肩書きばかりの人が多いのだ。
一年に一度か二度講義するだけでほぼOKなのだ。

学生達が減り学校に魅力がなくなっている昨今。
ケーキの上にちょこんとのっている赤いイチゴみたいな目を引く色合いが必要なのだ。

当然熱心な○×教授や□△教授も多い(ごく少数だが)我々の業界でもめっきり仕事がなくなると自分の出身校などに行って自分を売り込むのだ。何しろヒマなのだから。

「オイ、あいつ大学の客員教授になったってよ」「そうかそうだろうな、あいつはイバル、タカル、手を出す?セコイ、ネタム、グチル、とことん人を利用してきたからな」「今も人の会社に居座っているらしい、タダで」こんな人が教授だなんていって教壇に立つ。被害者は学生さん達でたまったもんじゃない。

壊れたテープの様に過去の成功話を繰り返す(ヒマつぶしに)。
私に教授の話が来たことがあるのかだと、よしてくれ俺はそれ程馬鹿でもヒマでもないのだ。

2012年2月6日月曜日

「食い尽くされるな」




イーグルスの「ホテルカリフォルニア」のライブ盤を聴いたのは1976年だ。 
AIWAのラジカセのポスターの撮影でLAのズマビーチにいた。

こんなフレーズが歌詞カードにあった。
「ようこそホテルカルフォルニアへ、ここはいい人ばかりです・・・。ここにはいつでも入れますがチェックアウトは出来ません・・・・給仕長にピンクのシャンパンを頼んだ・・・。1969年以来ここには酒(精神)は置いてありません」と。

この曲はベトナム戦争が終わりアメリカは物質文明の中に奥深く入った頃を歌っている。
酒、ドラッグ、SEX、暴力、精神の荒廃、人間性の衰退。

イーグルスのサウンドはズマビーチ風の中で全身に染み込んだ。
今、ニッポンは長引く経済戦争から来る重度の疲弊、格差社会での諦め、希望無き無力感、脱力感の中にいる。
精神の置き場所がなくなっているのだ。放射能への強い懐疑、予告された大地震への恐怖。

チェックアウトの出来ないホテルの中にいるのだ。
非常口に行く事さえ出来ない。ホール&オーツの名曲に「マンイーター」というのがある。
その曲のキーワードは「食い尽くされるぞ」だ。

ダリルホール&ジョンオーツは全米NO.1からどん底へ、そして又、NO.1へと落差を繰り返した。
日本国の我々は無能な権力者に食い尽くされたそうだ。増税、増税でイキがゼイゼイする。
怒りを表さないといけない。

エジプトの春は1人の若いラッパーのメッセージから始まった。
命懸けのラップであったのだ。大地に桜は咲いても心の中に満開の花は咲かない。
しかしネバーギブアップだ。深夜イーグルス、ホール&オーツ、クイーンを聴いている。



2012年2月3日金曜日

「あきらめが肝心」

 


「タニタ」体脂肪計の大手メーカーである。
この会社の社員食堂のレシピ本が400万部を超えたらしい。
書店に行くと学食、病院食、ダイエット食などのレシピ本がブームを呼びコーナーが作られている。
ブームは直ぐ終わる、コンニャクもキャベツも。読者の殆どは若い女性かあきらめの悪い中高年の女性だ。
目的は勿論ダイエットだ。
若い人はともかく、506070代の女性が必死になってダイエットに励む姿は痛々しい。

ハッキリいって今更間に合わないよといいたい人が多い。
丸大ハムの様な体になってからウィンナーになるのは難しい。

こんな学説がある、中高年になっての粗食ダイエットは万病の素、つまりカロリー恐さに動物性タンパク質を減らすと体の代謝が落ち、かえって肥満になるらしい。疲れやすい、冷え性、肌荒れにも。

あたしダイエット中なのといって、和食中心、ご飯におひたし、お豆腐にアジの開き。
でもゴマ系ふりかけをかけまくるとまるで効果無し(ゴマは油だから)。
ちなみに沖縄系女優、特に黒木メイサは超肉食のみとか。

2012年2月1日水曜日

「変わり過ぎるなよ」




安全地帯なのか、危険地帯なのかどちらでもいいが私はミュージシャン玉置浩二、役者玉置浩が大好きだ。

その才能は1996年発売の「田園」を聞いた時、正直驚いたものであった。
その生き方は本気と凶器、恋と愛、結と婚、離と婚の中で混然一体、雑念全体となっていた。

ファッションセンスが第一級だ。
今をときめくエグザイルとの共演を見るとまるで大人と子供、プロとアマ以上の差を感じた。赤の腕章、黒の革パンツ、黒のジャケット、黒のTシャツ、黒のベスト、クロスのペンダント、銀髪に黒と赤のバンダナ、黒のリングシューズ、いいんでないかい玉置さんだ。

一時かなりクレイジーっぽくなっていたが、きっとクスリのせいだったのかも知れない?

先日見た姿は極めて真っ当であった。
玉置浩二に触れるとグイグイインスピレーションが沸いてくる。
お金があれば全てをはたいても玉置浩二でヤクザ映画を作りたいと思う。かつてはヤバイ奴、危険地帯だから近寄るなといわれた時期があった。ミュージシャンがフツーであったらタダの音と楽。不良でないといけない。ジャックナイフの様でないとダメヤローだ。

 53歳玉置浩二、あんまり安全になるなよ。「清く、正しく、美しく」なんて新曲は嫌いだぜ。

2012年1月30日月曜日

「掛け軸」




民約論を訳した明治の哲人、東洋のルソーといわれた中江兆民はこういっている。
この日本国にはいにしえの頃より哲学がない、哲学がないのは床の間に掛け軸がないのに等しいと。

久々に文士らしきひねくれた哲学、屈折を演じられる芥川賞作家が出た。
山口県下関の出身、父親を4歳で亡くし母親に育てられた1人っ子だ。
田中慎弥38歳。教師には嫌われていた。
友達はいない、群れない、媚びない。
高級的無頼派を気取っている直木賞作家伊集院静とはエライ違いだ。

もう一人の芥川賞作家はすっかりその存在が消えてしまった。
田中慎弥は私の大好きな風情を持つ男だ。文章は相当に上手い。
床の間に鎮座していただき身を正して一献差し上げたいと思う。

前年受賞した西村賢太は無名の頃から支持していたが、すっかり哲学を失いただのミーハーになってしまった。あるインタビューで毎月100万円は振り込まれるから受賞は嬉しいなどといっていた。哲学なき文士は粗大ゴミの掛け軸と同じだ。

2012年1月27日金曜日

「カツカレーな夜」



赤坂溜池交差点近く終電に乗れなかった午前一時過ぎ、タクシー乗り場に行く。

カレー専門店CoCo壱番屋の前には通称でんでん虫と呼ばれる個人タクシーが並んでいる。
個人はいい車を使用しているので長いドライブにいい。車内灯も明るいのでゆっくり新聞や本が読める。

700頁二段組みの本「増田信也著(木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか)」を読む、兎に角分厚い。
柔術や柔道、そしてプロレスを通して戦前戦後の歴史が語られる著者。
柔道の鬼、木村政彦への思いが強すぎていささかうんざりする内容だが、なんとか気合いを入れて読み続けている。

書評はつくづく当てにならない事を実感する(だが著者の熱意には脱帽する。その取材力もだ)。
十数年かけたこの一冊は本が売れない時代に挑戦している。

お客さん、目が回りませんかと運ちゃんがいう。全然大丈夫と応える。
突然CoCo壱番屋でカツカレーを食べた話をし始めるではないか。お客さん私ね59歳なんですが体重は108㎏なんですよ。
毎日あそこに停めているのはカレー大好きなんです。1日1回カレー、お客さん好きですか?なんてウルセイ。
今はな力道山が木村政彦を殺しそうなんだ、静かにしろと怒った。

2012年1月25日水曜日

「ラーメンの王道」



遠くで海鳴りが聞こえる。
遠くで貨物列車の通過する音が聞こえる。

昔から音をじっと聞くのが好きである。
何だかブルースの様な夜、懐かしい音が夜風に乗って聞こえて来た。
ピラリーラリ、ピラリラリラリーと。そうです、ラーメン界の帝王チャルメラです。屋台のラーメンです。

夜十時三十分、外に出るといました、いました。
ライトバンを改造したチャルメラ屋さん。何十年振りだろうか、胸が高鳴り心は震える。
おーいと呼べば、へーいと応える。山のこだまの様である。丼ぶりを二つ持って1人で整列。
 立ち上げる湯気がたまらなくいい絵ではないか。

おじさんは65才位か、いやもっと若いかもしれない。
丼ぶりを湯にひたす。麺を入れる、丼に味の素少々、ぎざみネギをさっと入れる。
醤油ダレを入れてスープを備え付けの道具から入れる。ゆであがった麺が網目の中で楽しそうに揺れる。
丼に麺を投入、お箸で丁寧に整える。備え付けの小さな引き出しからメンマ、ナルト、チャーシューを二切れ入れる。
最後に長方形の海苔を一枚で、出来上がり。

いいね、いいね、おーい取りに来いと声を掛ける。
何!コショウ入れてだって、自分で入れろっていうの。

「恐い処」




オラ、オラ、ここはどこだか分かっているだろうな、エッオラ、オラと頭をコズられ、腕をマゲられ、足をフマれる。
ここに来たらナァ、骨の一本、二本折ろうが、何しようが俺等の勝手なんだよ。
一生中に置く事だって出来るんだよ。
オラ、オラ、早く全部ウタエ(喋ってしまえという事)やってないですよ、何もやってないすよ、カンベンしてくださいよ。
 何!カンベンしてくれってか、コノォー、ちゃんとネタは掴んだぞコノヤロー。
エッ、オラ、オラとが繰り返される。

こんな風にして誤認逮捕が生まれ、罪のない人がずーっと罪人として世の中に放り出される。八十歳の老婆にだってワッパを掛ける。

今でも日本中の警察で同じ様な事が繰り返されているはずだという人もいる。
警察官僚のOBに死刑廃止論者が多いのは何人も冤罪で首を吊られてしまったのを見たり、聞いたりしているからだ。

例え交通違反でも一度指紋を採られた人はいつでもその被害者になる可能性があります。
くれぐれも正しいアリバイを。

2012年1月24日火曜日

「ゴモラ化」




イタリアはナポリの街を支配するマフィア、カモッラ。

殺す、殺す、殺す、兎に角殺す。
カンヌ映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した映画「ゴモラ」である。

ゴモラとは旧約聖書に出てくる悪徳の街。
砂、採石、土砂、海運、港湾工事、解体、土木、足場、地盤改良、基礎杭、生コン、舗装、ガードマン、造園、ダンプ、シート材料、トレーラー、産廃、構築、ゼネコンの仕切等々これは日本のマフィアが手掛ける事業のほんの一部。
 新しい暴対法で暴力団はマフィア化し海外へも進出する。政府の動きより遙かに素早く街をゴモラ化する。

カモッラは邪魔者は男女問わず、年齢問わずバンバン殺す。
イタリアのGDP30%近くはマフィアの数字とか。

甲府を舞台にした映画「サウダーヂ」の中でラッパー達が歌う。
この世で一番のギャングは日本政府、税、税、消費税、○×税、△□税、××税と。

サウダーヂとは郷愁だという。帰りたいけど帰れない所。
日本全体が「ゴモラ」になっていくのだ。
カモッラの大ボスが十数年逃げていたが、密告により捕まった。
ベルルスコーニが退陣したからだという説がある。

裏切り者が又何人も殺されるのだ。東北の被災地はやがて「ゴモラ化」する。

2012年1月23日月曜日

「思い出の道具たち」




製図板にT定規、コンパスにデバイダー、烏ロ、30センチの溝つきの竹の物差し。
ガラス棒に面相の筆、雲形定規、ポスターカラーにケント紙、絵の具皿、鉛筆に消しゴム、筆洗い・・・。
 等はデザイナーの定番の道具類だった。今はそんな物は一切ない。

一台のパソコンがあればOKだ。
昔のデザイナーは下を向いて紙に向かってデザインをしたが今は画面をじっと見てひたすら手を動かす。
パソコンを使っているのではなく、パソコンに使われている。真の創造は人間の五感を使わないと生まれない。
コンピューターには五感がない、だから人間は決して負けないはずだ。

何しろ何でも出来る魔法の機械なのだ。
オレなんかよぉー、溝引き(細筆の先っぽで)でよぉー、1ミリのオモテケイ(細い線のこと)の中に三本は引けるぜ、なんて自慢する。

何言ってんだ、オレなんて五本だぜ。
そこに女性デザイナー「何いってんのヨォ」
浅葉克己さんなんて十本だっていってるわよぉ、あの人素敵。
線の天才ね、入りたいわ〜浅葉克己デザイン室。

二十歳を堅気で迎えた頃、そんな会話がアチコチで聞こえた。
パチンコ屋の看板や喫茶店のマッチや、キャバレーのチラシで学んだ私にはまぶしい世界の始まりだった。

2012年1月20日金曜日

「消えたブルマー」



今、オネエ系が何故受けるのか。
その謎を追っている1人の物好きな外人学者がいる。

その源流はなんと「消えたブルマー」にあるというではないか。
 かつて女子学生といえばブルマーであった。

しかしある時代ブルマーなんて冗談じゃない運動が起き、学園からブルマーは消えた。
学者によるとブルマー時代とブルマー止めた時代では圧倒的にブルマー止めた時代から離婚が増えたとデータで証明する。

それは女性達が自己主張を猛然とし始めた結果であるのだとか。
そして男を選び始めた(婚活ブーム)。

又、学者は現代は「顔面製造文化」なんです、なんて想像もしていなかった用語を製造した。
 いくらいい女になりたい、だってあのIKKOだって、マツコだって、マングローブだって、カバちゃんだってTV局じゃ視聴率が稼げるって必需品というじゃない。
私だって整形したり、つけまつ毛したり、顔面エステで磨きあげたり、メイクで顔面製造すればきっとモテまくれる、テレビにだって出れると思うわ。そんな女心がオネエ大好き文化を製造しているんだとか。オネエ様の下着はブルマーかも。

2012年1月19日木曜日

「かさぶたの思い出」




四十八年振りに会った男は云った。

アノヨオ〜ガキだった頃ヨオ〜みんなでよくこんな事を口ずさみながら歩いたヨォナア〜。
それはこんな言葉。「ちりめん三尺ぱらりと散って花のお江戸は大東京、女ばかりが花じゃない、男ばかりがヤクザじゃない、グレた俺らにいわせてみれば、六尺足らずの五尺の男。今日もゴロ、明日もゴロ、ゴロで明け暮れるこの俺さえもたった一つの恋がある」※ゴロとはケンカの事です。

と、ここまでは口上的にいう。
♪ネリカン窓開け空みればあの星あたりがスケのヤサ、スケチャン今頃何してる、写真片手に目に涙あー、とこの部分はハミング的となる。

あの頃二人は野球少年であり、不良少年であった。
毎日、毎日ケンカをしては少年係の刑事と追いかけっこをしていた。
どうしたい元気かいといえば、オオ、マアなで四十八年の月日はあっという間に埋まるのである。

お前の小指未だ生えてこないかといえば、馬鹿野郎当たり前だろと笑う。
お前のその左手の傷、俺がヨオ〜下手を打ったせいだったな、スマナカッタナア。
かさぶたを俺がバッて剥いだらお前えらい痛がったな。

その夜、夜空がキレイで星がきらきら輝いていた。115日の深夜。
白髪が目立つ2人の男が辻堂海岸のおでん屋に居た。
小さなテレビの画面には「お願いランキング」が映っていた。

2012年1月18日水曜日

「イソ弁」



全国駅弁大会が人気だ。

特に京王百貨店は日本一らしい。
駅弁には故里の郷愁とその土地の味がギッシリ詰まっているのだ。磯の香りがする「深川めし」というのが私は大好きだ。
アサリ入りのご飯にハゼの甘露煮がのっている。それと穴子だ。

駅弁ではないイソ弁の友人が大苦戦している。
イソ弁とは、居候弁護士の呼び名、自分で事務所が持てないので大、中、小のいずれかの事務所にイソローして小さな事件を扱う、安い報酬の国選弁護士もコツコツやるのだ。

刑事、民事、なんでも食べる為に引き受けるのだ。
世界一難しいという日本の司法試験に合格しても今やワーキングプアという弁護士は多い。
年収300万位という人も多いと聞く。
小泉・竹中コンビがやった弁護士の自由化で外国資本の大きな法律事務所が日本の仕事をどんどん取っていってしまう。
知人の元最高裁判事も今やイソ弁なのだ。

友人のイソ弁にイソイソ通って相談しているのは先輩というより知人夫婦の離婚話。
夫婦は元々赤の他人とはいえ、いざ別れるとなると女性は心底怖い。

仲良く抱き合っていた日々などは地獄だったとなるのだ。
お、来た来たガックリ肩を落としたご主人が、イソ弁はあんまりヤル気が見えないのだ。

2012年1月17日火曜日

「映画三昧」




この十日間ひたすら映画を観た。レンタルDVD14本、映画館で3本だ。

韓国映画「哀しき獣」は見終わった後に、ドッドッと疲れが出る程もの凄い暴力のノンストップムービー、撮影3005000カットを編集したそのパワーに脱帽した。

中国映画「無言歌」見終わった後しばし呆然とし、一気に食欲が消える。
1人を殺せば殺人者だが100万人を殺せば英雄と云う。毛沢東が行った思想弾圧で四千万人近くがゴビ砂漠等の劣悪な穴の中で餓死させられた(何しろ1日250gだけ)、飽食肥満に悩んでいる人は是非観て下さい。

カナダ映画「灼熱の魂」映画の舞台はとある中近東。親子の断絶に悩む人、兄弟は他人の始まりだと思っている人、自分の血を憎んでいる人に是非お勧めしたい。囚人番号72番、アダ名は「歌う女」その女性の魂の物語とは。
1+1=1」の数式の答えとは、3本で3000円、十分すぎるお年玉を貰った。

で、その帰り横浜新道の高台にあるハングリータイガーで86分待たされた食べてハンバーグはえらく旨かった。
が、熱い鉄板に触れてしまい、アッヂーと悲鳴を上げてしまった。 
100席満員の人々、待合室の人々、店のスタッフの人々の冷たい視線を一身に受けてしまった。
いい映画を観た後はどえらい熱いのだ。

2012年1月16日月曜日

「さまよう眼鏡」




ある時はホテルの洗面所、ある時は出版社のトイレの中、ある時は料理屋さんの炬燵の中、ある時はタクシーの座席の上(3回)、ある時は東海道線の窓際(その後平塚警察へ)とまあ転々とした眼鏡がある。

その持ち主は当然私です。何しろ忘れ物が多いのです。

一本10002000円位の眼鏡を何本も持っているのだが安価な品はすぐ壊れるから大切にしないのであっちこっちに忘れて来た。だが気に入っているウェリントン型の黒縁の品は私にしては大枚をはたいた眼鏡、なんと38400円もしたのだ。物には一切執着しないが、眼鏡は別、活字が読めない。だから忘れると必死に探す。
今度こそ出て来ないかと思い、駄目もとで電話するとちゃんと出て来てくれるのだ。

出版社では外人さんがピックアップしてくれた。
で、落花生の詰め合わせを御礼に持って行った(サンキュープリーズジャパニーズピーナツ?と)、タクシーの人には710円しか乗っていないのに2000円の御礼。運ちゃんはにっこりした。

料理屋さんには今何を持って行くか考えている(116日の夜、友人3人との新年会で忘れた)。
という事はこのブログを書くために掛けている眼鏡は、江ノ島にある1000円ショップで買った品なのです。
その内きっと命をどこかに忘れて来るはずだわと愚妻はいった。
その時はちゃんと御礼をしろよと私はいった。さて何処で?

2012年1月13日金曜日

「木枯らし」


写真はイメージです


「海に出て、木枯らし帰るとこなし」
 
確かこの様な一句だった。記憶違いかもしれない。
山口誓子であった気がするが確かでない。私は句才が全くない。
といって他に才があるかと問われれば正しくまるでなしと答えられる。

この一句に出会った年、私の心の中に木枯らしが吹いていた。
寒く冷たく鋭く針で刺される様な風であった。

自分で自分を励ましそして叱咤した。
こうなったのも自業自得なんだ、私は木枯らしに許しを願った。木枯らしはいう、これが最後の機会だ、もし約束を守らなければ次の年は北国の海辺の石にしてしまう。そして容赦なくお前をいじめ抜くだろう。

何故石にというのか、石は意志と同じ硬い心を生む象徴だ。
人間は石なのだ。
海辺の石は人間の意志なのだ。

木枯らしはヒューヒューと訳の分からない事をいって消えた。
私は海辺の石に打ち寄せた水で意志と書いて置いた。強く激しく打ち寄せた波が来た。
一度目の波で海に引き寄せられ、二度目の波で石は海に吸い込まれていった。もう帰るとこはない。

正月の海を歩いていて一個の石を拾って帰った。そして一つの意志を固めた。

2012年1月12日木曜日

「会社は誰のもの」



写真はイメージです

年の瀬こんな会話を交わした。

会社は誰の物か。
私の答えは社員の物、社員が全員辞めたら役員と社長、会長しか残らない。すると何も生産できない。
オーナーレストランは誰の物か。私の答えは、スタッフの物。全員辞めたらオーナーだけで何も作れない。
大相撲の部屋は誰の物か。私の答えは、弟子の物。全員辞めたら親方だけでは何も出来ない。
スポーツチームは誰の物か。私の答えは、選手の物。全員辞めたら試合が出来ない。

日本社会はずっと縦割り社会に慣らされて来た。
上から下への上意下達、とりあえず上の言う通りやっていればという気持ちと、給料払うのは勿体ないけど仕方ない、使ってやるかの気持ち。

両方には利害関係しかない。
殿様と家来の関係の続きなのだ。もっと怒れよといいたい。
大阪などは市長のケツに府知事が金魚のフンみたいにくっついて歩く、珍現象が起きている、これが正しいかどうかは我々が決める事だ。社員の後に社長がくっついて歩く。

これでいいのだ。

2012年1月11日水曜日

「今年の決意」




「錆びたナイフでも闇は切れる」

今年の年賀状に書いたひと言だ。
もう何年になるだろうか、年賀状にひと言を書き出したのは。

「いつも待っています」とか「毎年ファイルしています」とか、「気合いをもらってます」とかいただいた年賀状に添え書きがしてあると生来調子者であるため今日まで続いている。

今年は東北の大災害もありどうするか悩んだのだがこんな時こそひと言を書く決意をした。

4コーナーを回ってゴールテープもクッキリ見えて来た身にはたっぷりと錆がついてしまった。
若さが羨ましくなって来たらもうお終いと老先輩からいわれた。
ならばその錆付いた身を研ぎ、感性を武器にし、この世の闇に一太刀を浴びせようと決めた。
政治、経済、文学、絵画、教育、家庭、スポーツまで闇となった。人間達、社会に潜む闇に少しでも切り込んで行くのだ。

アートという武器で立ち向かう。
名作、「長距離ランナーの孤独」ではマラソンランナーはゴールテープを切っても走り続けて行った。
私も1人になれば孤独なランナーなのだ。ゴールテープは錆びたナイフで切ってやる。

2012年1月10日火曜日

「又and又」

「又」訓読みで「また」と読む。

この意味を辞書で引くと、「その上」「あるいわ」「ふたたび」「さらに」とある。
英語ではand(アンド)である。この一文字程その先が変化する字はないのではと思う。

例えていうなら普段メガネを掛けている人が、メガネを掛けた時はクッキリと見え、メガネを外すと薄ボンヤリとしか見えない。そんな感じだろうか。
又来るからなとか、又逢いたいわとか、又一緒になとか、又頑張ろうぜとかであれば次々にいいシーンが見えてくる。
その逆に、又来たのとか、又やらかしたのとか、又振られたよとか、又メールしつこいの嫌いとかになってしまうと辛いシーンが現れる。

又、新しい年が来たのかとなると前途はため息まじりとなるが、又来たな今年こそやるぞとなれば決意も新たになる。
12/311/1までの24時間はいつもと同じ24時間なのに昨年の12/31はまるで違って感じた。
又地震が、又大津波が、又放射能が、又、又、又、あんな事がとなってしまったのだ。
なんだか来て欲しくもない気がしたものだ。だが「又」という字はそもそも前向きなのだ。

それで辞書に書いてあった順にその意味を入れてみた。
新しい年はきっと思っている「その上」を行くいい事がある。
とても心配していた「あるいわ」の事が思い過ごしで終わる。
「さらに」おみくじで引いた“大吉通りいい事が起きる。

早速正月の商店街で多角形のグルグル回しのくじ引きでポトンと大当たりの赤い玉が出た。
and” 私の大事なスタッフの奥さんに赤ちゃんが出来るのだ(1/20が予定日とか)。
何と48才の初産だ。何度も何度も挑戦してすっかり忘れていたらご懐妊したのだ。
赤ちゃんは赤い玉の様にポトンとは出ない。苦痛の分だけ喜びは大きいのだ。

「又」駄目とか諦めたら何も生まれない。
又やるぞ、この一年そんな気で「又」の一文字を大事にしたり。
アレッ、今年は節酒と思っていたが、又、又、又、飲んでしまった。
又、意志薄弱の始まりなのだ。