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2013年10月7日月曜日

「我慢」





新橋発下り十一時二十五分。
金曜日の夜、東海道線に乗る為に改札口に向かった。
切符を買いに自動販売機の処に行く。

その近辺は混雑を極めていた。
重いバッグを持っていたのでグリーン車に乗る事とした。
乗車賃950円、グリーン券950円だ。
自動改札口に切符を入れる、その横で若いスキンヘッドの男と若い女の子が抱き合い別れのキスをしている。お前ら何やってんだとは誰も言わない。
みんな疲れている週末だから人の事なんてかまっていられないのだ。

その夜、私は銀座のBARの経営者、兼舞台演出家、兼役者、兼兄貴と呼ばれる人と映画の夢を語り合った。友人のキャスティング・ディレクター、後輩のプロデューサー、新人監督(CMでは売れっ子)も一緒だった。
背中に入れつつある刺青を見る。絵柄は不動明王だ。
現在筋彫りが終わり色を入れ始めている。
全部完成すると両腕から両足のふくらはぎまでとなるとの事だった。
手彫りよりも電動の針で彫る方が猛烈に痛いという。
死ぬより痛いのは肛門辺で相当な強者も激痛に耐え切れない。

刺青の事を我慢というのはその痛みにじっと我慢する処から来ているのだ。
私は友人からその人を紹介され、その人が是非自分が映画に出て出来ればその我慢を見せたい。1000人ほど友人、後輩、舎弟がいるのでその1000人に配りたいといわれたのだ。
ビシッと礼儀正しく、とても可愛い笑顔なのだ。
女性のスタッフには隠してあるのだろう、店の中にあるカーテンを閉めて裸になった。
鍛えられた体に不動明王が目をむいていた。
腰からお尻にかけては未だ線だけだった(筋彫りという)。

銀座のクラブで五回飲んだらおしまいという程の低予算で作らねばならない。
若い監督を世に出したいと願い、二年近くかけてシナリオを書いて来た。
三時間余り四人の男は熱っぽく語り合った。

その興奮が列車が来るホームに向かう体に満ち溢れていた。
東海道線のホームは現在工事中だから白いシートがアチコチにあり通路は狭くなっていた。左に階段が見えた時、ガァーンと何かが体にぶつかった。
黒い大きなショルダーバッグだった。その男はそれをたすき掛けに背負っていた。
三十五、六だろうか、度の強そうな眼鏡をかけていた。団子鼻の近辺が赤くなっていた。

オイッ気をつけろというと、モグモグしながら「どーもずいまぜん」みたいにペコッと頭を下げた。見れば右手にアサヒスーパードライ350ml缶。
左手にチーズ入りの竹輪を三本持っていた(袋から見える)。
一本を口に含んで食べながら、飲みながらだったのだ。

刺青をたっぷり見たせいか気分が東映のヤクザ映画を観た後みたいだった。
だが待て、たかがこれしきでと心を鎮めた。
階段を上ってホームに出ると、男は二本目の竹輪を口にしながらメールを見ていた。
背広のポッケから残りの竹輪を入れた袋が見えた。

列車が入って来た後、男は普通車の中にずいまぜん、ずいまぜんみたいに消えた。
グリーン車も満席であり、横浜でやっと座れた。
やっぱり週末は東京駅からだなと思った。

実は二席空いていたのだが、一人は笹かまとサキイカをつまみに飲んでおり凄く臭った。
一人は空いている席の処まで顔を出して熟睡していた。
頭の毛が凄く脂濃いのが汚らしかったので座るのを止めた。
こんな時何をいうか自信がないので立つ事にした。
大事の前の小事だから。歳と共にやっとこさ大人になった。私だって我慢なのだ。

2013年10月4日金曜日

「あしたのショー」



イタリア映画の全盛期があった。
数々の名作を生んだ伝説の撮影所「チネチッタ」に行った時、感激で身が震えたがその頃既にチネチッタは殆ど映画を製作をしていなかった。

今から丁度五十年前、1963年にフェデリコ・フェリーニの名作「8 1/2」が日本で上映された。その映画を久々にレンタルして観た。
先日青山のワタリウム美術館で「寺山修司」の展覧会を観た。
天才か怪物かといわれた寺山修司がNo.1の映画に「8 1/2」を挙げていたからだ。

寺山修司が47歳で亡くなって30年になる。
それを機に再び寺山修司論が再燃し、記念イベントが催される。
五十年前の「8 1/2」を観ると寺山修司が如何にこの作品の影響を受けたかが分かる。
また、後にヌーベルバーグといわれて出現した映画人がこの作品から学んだ事が分かる。

マルチェロ・マストロヤンニ、クラウディア・カルディナーレ(この人の大ファンだった)が素晴らしい。音楽はあのゴッドファーザーの主題曲を作った、ニーノ・ロータだ。
 
アカデミー賞にノミネートされたがやはりハリウッドはイタリア映画にその賞は渡さなかった。結局外国映画賞でお茶を濁した。余りに凄い作品なのでハリウッドのドンパチ、ヒーロー、ラブロマンス映画人には理解不能だったのだろう。

寺山修司は引用の天才でもあった。
芸術はすべからく模倣と引用から生まれるのだから、何と何と何の引用を結びつけて一つの作品にするのか、その「何」を見つける感性の天才でなければならない。
明治から大正期に世に出た大作家、大文豪たち(夏目漱石、森鴎外、中島敦、谷崎潤一郎、井伏鱒二、芥川龍之介などなど)全員如何にして外国の文学を取り入れて誰よりも早い者勝ちを目指して分解引用の作業をした。

現在最も売れる作家の一人、村上春樹も引用の天才だ。
その村上春樹も青山の寺山修司を訪れたという。引用は別名パクリというのだが、パクリがちゃんと出来る様になるには大変な努力がいる。

8 1/2」は140分の作品だが映画学校四年分以上の事が学べるだろう。 
DVD1本わずか200円で。現在は過去の延長上であるのだから何かに悩んだ時は過去に学ぶ事が正しい。カコ、カコ、カコとカッコーの様に鳴きながら過去を漁りまくるのだ。

寺山修司さんの詩「この世でいちばん遠い所は自分自身の心である」、もうひとつ「消しゴムがかなしいのは いつも何か消してゆくだけで だんだんと多くのものが失われてゆき 決して ふえることがないということです」詩人、劇作家、演出家、競馬評論家、アート、美術、短歌、時に殴りこみ。何もかも天才的であった。

ボクシングをこよなく愛した。
「あしたのジョー」の出てくる「力石徹」の葬式を出した。
マンガの主人公を本気で愛したのだ。

近々元サントリー伝説の制作部長若林覚さんが館長をしている練馬区立美術館で「寺山修司とあしたのジョー展」みたいなのを催すと聞いた。
ちばてつやさんの原作が見れるらしい。楽しみだ、絶対に行かねばならない。

さて、今夜は十月になって二個目の井村屋の肉まんをパクッと食べる事にする。
「あしたのショー」のために。人間が生きている毎日はショーなのです。
観客はピエロの様な自分一人。

2013年10月3日木曜日

「パンドラの箱」

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絶望と希望がリングに上がったらどっちが勝つだろうか。
絶望は赤コーナー、希望は青コーナーだ。グローブは8オンスだ。
絶望の得意のパンチは左右のフック、希望の得意のパンチは左ジャブだ。

絶望は大都会に在る大きなジムで育った。
プライドが高く尊大で世の中で一番強いのは俺様だと常日頃放言をした。
フットワークは面倒だからと使わず鼻高々に相手を倒してきた。
希望の野郎なんてフック一発で倒してやると好きな物を食べ、女性を抱き、酒を飲んだ。若い頃は減量苦を知らなかった。

絶望には銀座、赤坂、六本木から応援が来た。
試合前には激励賞と書いた祝儀袋がグローブで掴み取れない程送られた。
誇らしげに観客にそれを見せてリング上を回った。
絶望は敗け知らずで希望たちをリングの上に沈めて来た。
鼻は試合ごとに高くなり先が少し曲がって来ていた。

その夜の相手は東北のある県出身の若い希望だった。
親兄弟も無い孤独な若者だった。小さな漁港の側にある倉庫がジム代わりだった。
獲っても売れない魚が倉庫の中で加工されていた。生臭い中にリングだけあった。
ボクシングジムにある筈の大鏡も無い。あるのは薄暗い灯りだけ。

希望にアドバイスを送るトレーナーはかつて絶望に打ち敗かされた男だけだ。
男は希望に、足を使えフットワークがボクサーの命だ、動く労を惜しむな、後は左のジャブだけを教えた。小さなジャブ、突き刺すジャブ、ストレートの様なジャブを徹底的に教えた。あいつの鼻を狙え、あいつは希望を飲み込んで贅肉だらけで動けないと。

そしてゴングが鳴った。絶望は見下す様に希望に近づいて来た。
希望は左のジャブを鼻に突き立てた。何発も何発も、絶望の鼻は少しずつ変形して二つの穴から血が流れ続けた。絶望はニタッ、ニタッと笑いながら近づいて殴られ続けた。

R、2R、絶望は一発のパンチも出さない。
Rになると絶望の顔面は赤いダルマの様になっていた。
希望は強いストレートの様なジャブを放った、とその瞬間希望の左と右の顎にフックが入った。左右のパンチが同時に出たかの様な速さだった。

希望は勝てると思い一瞬足を止めたのだ。
気がつくと希望は海の底に沈んでいた。希望の周りをクラゲたちが不思議な光を発しながら浮遊していた。立て、立つんだ、希望にトレーナーの声が聞こえた。
毒の強いクラゲに刺された様に希望の全身は痺れていた。

絶望に敗けてたまるか、ユラユラと立ち上がった気がした。
希望が練習したジムの名は「パンドラ」であった。
決して開けてはならないと伝えられていたパンドラの箱の中にあった二文字とは。

2013年10月2日水曜日

「本当の愛の味」

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みのとのみ。ご存知「みのもんた」は毎晩飲み歩く事で有名だ。
夜の銀座にとっては最上客だという。
やりたい放題、言いたい放題でテレビやラジオに出ずっぱりであった。

みのは、のみの心臓ともいわれている。
攻めには強い姿も、守りに入ると塩をかけられたナメクジみたいにすっかり縮こまってしまうと聞く。敷地3000坪の中に建てられた大豪邸の中で、今は一人震えてグラスを重ねているのだろうか。

息子は余程警察を怒らせてしまったのだろう、門前逮捕という一番キツいやり方をされた。門前逮捕とは、一つの犯罪の容疑で逮捕した時、もう一つの犯罪を隠しておいて一つ一つ逮捕拘留をするのだ。

みのの息子の場合、一つは他人のカード使用であり、もう一つは窃盗容疑だ。
警察が一度にやれば罪の大きい容疑で取り調べを進めて行く。
一つ一つやったら面倒だからだ。

みのの息子はきっと、俺の親父は有名だ、親父の知り合いには有名な弁護士や政治家や経済界の大物もいるんだ、俺の勤めている会社はマスコミ界のボスなんだぞみたいな生意気な態度をとってやってない、知らないと言い張り10日間で外に出られると思っていたのだろう。どんなに長くても20日間で外に出れると。

警察はこういう態度の人間を思いっ切り嫌う。
だからあ〜これで外に出れると思った時に、今度はこれで逮捕とイジメ抜く。
窃盗をする人間は盗癖という一種の病気だから余罪がてんこ盛りである場合が多い。
警察はもっと隠し玉を持っている筈だ。

万引き(窃盗)は一万回でもやり続ける意味を持つ。
「みのもんた」程の息子を捕まえて起訴出来なかったらとんでもない大失態となるからだ。どでかい車の中でタオルで身を隠している「みのもんた」は全然ズバッとしていない。父「みのもんた」という隠れ蓑の中で生きて来た男にとって3000坪の敷地の中に生きる父は遠い存在であったのだろう。
何不自由ない人生にとって手に出来なかったのは小さな親の愛だったのかもしれない。

お金持ちの家の子が窃盗をする場合、親の関心を引くためにやるケースが多い。
心から叱って欲しいからだ。なんでも物を与えてしまうから何もいらない、だから物を盗むという矛盾ある行動をするのだ。
初めて窃盗に気づいた時の親の対応がその子の将来を決める事となる。
子どもの前で無神経にお金を勘定したり、財布を置いたり、小銭など無造作に置いてはいけない。

「みのもんた」が何をすべきかは明白だ、いい訳じみた事を止めて謹慎して法の裁きを待つしか無い。息子の好物の一つでも持って差し入れに行ってやる事だ。
自分で握ったおにぎりでもいい。勿論自分一人で持って行かねばならない。

親と子は別人格か、プライベートと仕事は別か、悩ましいテーマだ。
親は子の無実を静かに信じるしかない。金では買えない本当の愛の味を握りながら。

※ちなみに門前逮捕とはやっと外に出て家に着いた、その門前でまた逮捕するという事から名付けられた。

2013年10月1日火曜日

「どんぐり」




詩人のサトウハチローは子供の頃、手が付けられない不良少年だったらしい。
 落第や退学を繰り返し、父親から二十回近く勘当されたという。

ある時、原稿用紙を前に布団に腹這いになって外を見ていたら、赤く色づいた櫨(ハゼ)の葉があった。
秋なんだなと感じて書いたのが有名な「小さい秋見つけた」という詩だった。

「誰かさんが 誰かさんが 誰かさんがみつけた ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋みつけた めかくし鬼さん 手のなる方へ 澄ましたお耳に かすかにしみた 呼んでる口笛 もずの声 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた」

私の目の前に小さな櫨の木があっても詩など全く浮かばない。
詩才ある人は別世界の人に思える。
日本には童謡という世界に類を見ない言の葉の調べが生まれた。
鮮やかな色をつけて。

かつて童謡作家の人と話をした時、あまりに純粋な心を持ち、子どもの様な澄み切った目をしていたので自分が恥ずかしかった。
その時足元を見ると革靴の先が少し穴空きとなっていた。

十月一日、今日は衣替えだ。
下手な詩でも書いてみようと思うが全く書き出しが浮かばない。朝の富士山がぼんやり見えるのだが沢山の屋根やマンションや電線ばかり目に入ってしまう。

穴の空いた革靴の詩人は今児童劇団を主宰している。秋の公演の案内が届いた。
「どんぐりころころ」という劇だ。

子どもの頃どんぐりをいっぱい拾って来てYの字型のパチンコという武器をつくりその弾としてどんぐりを使った。当てられると目から火が出る程痛かったのを思い出した。
嫌いだった近所のおじさんの頭に打ち込んだ時、こっぴどく怒られたのを思い出す。
可愛かった女の子のおしりに当てたら、泣きながら追いかけて来たのを思い出した。
たき火の後にできた灰の中にドングリを入れて焼き、友達と皮を剥いて食べた。

ある時どんぐりがポップコーン(爆弾あられといった)みたいにババアーン、パパアーンと弾けて輪になって焼けるのを待っていたガキ共を飛び散らした。

「はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた」サトウハチローの詩はこの言葉で終わる。
誰かさんいい童謡を書いて下さい。子どもの頃を思い出して。

コラッコラ、仕事をサボってパチンコ屋にばかり行ってはイケマセン!

2013年9月30日月曜日

「ゴー・アヘッド」

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あーあ、はあー、テニスのクルム伊達選手がミスする度に7000人近い観客からため息が漏れた。

シャラップ!(黙って)、クワイエット(静かにして)、サーブミスをするとあー、はぁー。レシーブミスをすると、あー、あーが連発された。
イライラしたクルム伊達選手が試合後に語った。
ため息を続けられるとエネルギーを失ってしまう、吸い取られてしまうと。

外国人の観客はミスした選手に向かってはOH!オーとか、GO!行けがんばれと応援する。
四十三歳になっても第一線で全力で戦うクルム伊達選手に心から敬意を持っている。
光る汗は美しく、その姿は神々しい。

日本人は基本的にため息国民なのだ。泣く子と地頭には勝てないと諦めてしまう。
それがどんなに理不尽だろうと、無理難題だろうと、支離滅裂な命令だろうと、あーあやってらんねえ、だけど仕方ねえ、はあーそんなばかな、でも仕方ないわと溜息をつきヤケ酒を飲んだり、やけ食いをしたりする。

値上げが続く物価、増税に次ぐ増税、無計画極まりない、でたらめな政治。
血の気の多い国ならとっくに暴動が起きているだろう(日本にもかつては一揆や暴動が起こった。いつからか去勢された)。

会社は誰の物かといえば社員の物と決まっている。
社員のいない会社、株主だけの会社は幽霊会社なのだから。
役員だ、社長だ、会長だといっても一人になれば何も出来ない。

私は会社はため息をつく処ではなく積極的に利用すべき処だと思っている。
正しいと思った事は声を大にして言うべきだ。それが通らない、何も改善されない、こんな時代だから仕方ないと我慢するのは体に悪い。
愚痴と悪口と溜息と共に、食事や酒を飲んでも決して旨くない。会社なんかおさらばさといつでも言える様に日々自らを鍛えればいい。そのために会社を徹底的に利用すべしといいたい。

その人の仕事へのモチベーションと能力と契約する欧米の会社に永久雇用はない(日本と同じでゴマすり上手は生き残るが)日本人はずっと地頭とかお殿様に永久に仕えるシステムの中で生きて来た。
殿様の子は殿様に家老の子は家老に、奉行の子は奉行に、馬廻りの子は馬廻りに、足軽の子は足軽と決まっていた。生まれた時から諦めて来たのだ。
その名残が未だ染み込んでいる。

私は不出来を極めている人間だから悪口陰口をいくら言われても仕方ないと思っている。ただあきらめとため息は聞きたくはない。そこからは何も生まれない。
私程度の人間にため息をついていたら人生はつまんないものになってしまう。
堂々とシャラップというのが正しい。

その時私はこう反撃するだろう。
それじゃゴー・アヘッド、前へ向かって進め、夢は心のエンジンだぜと。

会社は人材を育てる処でないとその存在の意味はない。
クルム伊達さんの行動に賛否の声があがった。
日本人には日本人の声援がある(それがため息でも)。
外国人には外国人の応援がある。
2020年オリンピックに向かって日本人一人一人が考えるいい機会かもしれない。
怒りを忘れた人間にだけはなるのはよそう。

「君よ憤怒の河を渡れ」という言葉もある。
人生は夢とロマンス、それとスリルとサスペンスだ。
若い内の苦労は買ってでもしろという。

2013年9月28日土曜日

「マヒ、マヒ、マヒ」






日本の映画界に凄い監督が登場した。
その名を白石和彌(39)という。現在上映中の映画「凶悪」の監督だ。

九月二十六日有楽町でその映画を観た。
間違いなく今年度No.1だと思う。

史上最悪の凶悪事件はある死刑囚(暴力団組長)の告発から始まった。
「月刊新潮45」の記者に一通の手紙が来たのだ。
そこには警察も知らなかった事件の全容があった。
映画はその実話を基に白石和彌監督の見事なシナリオによって人間の闇に切り込む極限のドラマ、白熱の犯罪ドキュメント映画が生まれた。

過去に園子温監督によって埼玉県熊谷の愛犬家連続殺人事件を基にした「冷たい熱帯魚」という凄い作品が作られNo.1の評価を得た。
若松孝二、行定勲監督の下で鍛えられた白石和彌監督は「凶悪」という作品をわずか20日間で撮影し終えた。低予算だからだ。

映画は(一)にシナリオといわれる。
どんなに予算を掛けてもシナリオが良くなければ絶対にいい映画は
生まれない。
いかなる名監督、名優を配しても映画は本(ホン→シナリオ)なのだ。
いいシナリオはいいキャスティングを生む。「凶悪」のそれは素晴らしい。

暴力団の人間からも殺し屋と恐れられたシャブ中の暴力団組長にピエール瀧、自分が何人殺したのかさえ忘れてしまう程の殺人魔を抜群の演技で再現した。
その殺人魔を操る通称先生と呼ばれていた不動産ブローカーをリリー・フランキーが演じる。この人は日本最高の役者だと思う。

ピエール瀧と共に今年度の主演男優賞を争うだろうと思う。
「凶悪」における演技は特筆ものだ。金という魔物にとりつかれた人間は最早人間ではない。否人間とは一体何なのかをこの映画は突きつけてくる。

群馬県前橋で実際に起きた実話がベースだ。現在も死刑囚は生きており、先生といわれた男は無期懲役で服役中だ。新潮45の記者は今も先生といわれた男を死刑にするために死体を埋めたという場所を示した地図を手に探し求めている。

気の弱い人、老人介護をしている人、金儲けばかり考えている人、土地の転売をしようとしている人、焼肉が好きな人、ローストチキンやスペアリブの好きな人は決して観ない事をすすめる。

先日東京八王子のホストクラブ経営者がピーピースルーという排水管やパイプ詰まりを解消する医薬用外劇物によって溶かされてしまっていた事件があった。
また今日は建築関係の若い社長が土の中に埋められていた事が分かった。
人間はどこまで凶悪になれるかが毎日当たり前の様に起きている。
茶の間ではそんなニュースをご飯を食べながら平気でみんな見ているのだ。

凶悪な殺人魔は死刑囚となりキリスト教に入信する、そしてこう云う。
キリスト教では悔い改めれば全ては赦されるのだよ、と。

安倍晋三総理がウォール街でこう演説をした「日本は買いだ」と。
金を追う人間たちがこれから何人も凶悪の犯罪人になり、あるいは凶悪の手で無惨な姿となるだろう。わずか一本のインプラントしか残らない様に。
 溶けてしまったホストクラブの経営者は金の亡者で自らを平成の貯蓄王といっていたという。

文芸評論の天皇であった小林秀雄がこんな言葉を遺している。
「便利は新たな努力を麻痺させる」便利をインターネット社会に置き換えるとゾッとする時代が見えて来るではないか。

私たちは今やいかなる凶悪事件にも麻痺しているのだから。
現在九月二十七日午前四時ジャスト。
NHK雲上のアルプスの映像を見ながら、マヒ、マヒ、マヒ。


2013年9月26日木曜日

「オキシフルと赤チン」




気がつけば12チャンネルといわれた6チャンネルTBSが、気がつけばみんなTBSじゃんかという数字がある。
高視聴率を記録した民放ドラマのベスト5が全てTBSなのだ。

①積木くずし45.3
②水戸黄門43.7
③女たちの忠臣蔵42.6
④半沢直樹42.2
⑤ビューティフルライフ41.3%となっている。

殆ど最終回が最高の数字である事はいうまでもない。
ドラマのTBSという伝統が見てとれるではないか。
面白くなければテレビじゃないとバラエティ路線を突っ走ってずっと三冠王だったフジテレビが、いまや気がつけば7チャンネル(テレビ東京)なんていわれている。

テレビの番組欄の順序が左から、①②④⑤⑥⑦そして⑧となったのがダメージだよとフジテレビの一人は云う。人間の目線は左から右へと向かう習性がある(変わり者以外は)。

かつてはテレビ朝日が10チャンでテレビ東京が12チャンだった。
何も見るべき番組がない時は断然7チャンという人が多い。
「温泉巡り」とか、「食べ物巡り」とか、「釣り巡り」とか、「お城巡り」とかで楽しめる。

「なんでも鑑定団」は大好きだ(日曜日午後に見る)。
深夜となると放送コードなんてあんのかよぉ、みたいな無法地帯の番組であふれる。
作り手のやる気マンマンなのだ。掟破りの暴露物がある。
そこには元死刑執行官とか、元麻薬取締官とか、元税務署職員とか、元呼び屋とか、元プロ野球選手とか、元暴力団組長とか、元、元、元の人が今現れるのだ。

私は何かしながらとか、何か見ながら族なのであれやこれやを見ながら聞きながら眠気を待つ。午前三時ちょい過ぎから始まるNHKSL特集は心底泣けて来る。
日本中を走り回った想い出の蒸気機関車が素晴らしい風景の中を走るのだ。
このアーカイブは鉄道マニアでない人間が見ても絶対に泣く筈だ。

SLでない日は世界の海の中とか、日本の名峰というシリーズがある。
これが実に美しい。かつてキスリング(リュックサックの横型で大きいもの)を背中に背負ってあの丘、あの峠、あの峰、あの山々と一歩一歩登った日を思い出す。

山に登っている時は真面目であった。山友達はどうしているだろうか。
ヤッホーみたいに元気だろうか。死にそうになりながら、眠ったらダメだと声掛け合いビバークをしたのを思い出す。

奥秩父を三泊かけて縦走した時は、新しい登山靴が足に合わず(丹沢で慣らしたのだが)大きな靴擦れが破裂し裸足にテープを貼って一日中歩いた(靴下も破れてしまった)下山途中にあった飯場でオバサンがオキシフルで消毒し、赤チンを塗ってくれた。
そのオバサンの顔はクッキリと憶えている。
近道をしようと線路の上を歩いた。枕木の感触は今でも足に残っている。

私という人間列車がどう終着するか、その姿はしっかりと見えている。
それ故一日たりとも無駄には出来ない。

九月二十五日午前三時十六分十三秒、NHKではPGAゴルフツアーのテレビが流れている。外では雨がポトポトからボタボタになっている。後七分で午前四時。
落合恵子が婚外子相続格差について話し出したではないか。

朝刊をポストに入れた音がした。雨音と新聞屋さんのバイクの音は妙にいい感じだ。
気がつけば四時十六分、台風二十号が近づいているとか。






2013年9月25日水曜日

「やっぱり」


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チョロチョロすんな!この夏何度も言った。
猛暑のせいか、スイカを食べ過ぎたせいか今年の夏はやたらコバエが出た。
目障りである。どこから来るのか分からないがウロチョロするのでこのヤローとばかりひっぱたいた。

そんな時、テレビのCMで北村総一朗さんという役者がカブト虫かなんかのかぶりものを身に付け、コバエのかぶりものを付けたものを叱りつけた。
「チョロチョロすんな!」と。コバエ退治の薬品のCMだった。
 大阪地方で制作されるこの種のCMは秀逸で笑える。私の気持ちを代弁してくれた。

北村総一朗(77)さん、癌で降板というニュースを見た。
前立腺がんの治療のため、10月出演予定だった舞台を降板するとの事だった。
皮肉にもその舞台は「本当の事を言ってください」であった。
北村総一朗さんはちゃんと本当の事を言ったのであった。

私は記事に向いこう言った。癌のヤロー、北村さんの周りをチョロチョロすんなと。
手術の成功を願う。そして元気に復活を、そうしてもらわないとコバエがウルサクてたまらない。

屋根の瓦がかなり傷んでますよとか、壁の塗装がかなり剥げてますよとか、土地を安く買いますよとか、畳を変えるところはありませんとか、休日一人で留守番をしていると玄関のチャイムが鳴る。

少しばかり海へでも行くかと歩くと、ある公園では久々に見る光景があった。
一人の老人が見事に包丁やハサミやノコギリの刃を研いでいた。
実に素晴らしい職人芸だ。子どもたちが珍しそうに輪をつくって見ていた。

暑さ寒さも彼岸までだ。先日の中秋の名月も見た。
「一葉知秋」というが葉の色が変わって来た。
岡山の人から送って頂いた大きいブドウを食べて皿の上にその皮を置いていたら、チョロチョロすんな!やっぱりコバエが出てきた。




2013年9月24日火曜日

「ハイ、チーズ」


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霊長類最強といっても、この人はれっきとした女性である。
誠にもって不謹慎だが、その凄まじい戦いの姿を見ると、このまるでゴリラの様な女性は、男性と性の交換をする時はどんな姿なのだろうかと思ってしまった。

一杯飲んでちょいと酔が回っている時にニュースを見たのだ。
戦うマットをベッドの上でと想像すると、一人の男性が息も絶え絶えに悶絶する姿が浮かぶ。顔の幅よりはるかに広く太い首、鋼鉄のような体、二つの乳房は見た事はないがきっと砲丸投の球の様に硬いのだろう。

丸太ん棒の様な二本の腕。強靭そうな出歯。
どこもフニャフニャとか、ホンワリ、ホッコリ、プッチリ感はない。
猛然とタックルされ、後ろに回られ、組み伏せられ、首とお尻をガッチリ掴まれ、逆エビ状態にされ、グイグイに攻め立てられる。
イテエ、イテテテ、何すんだバーロー、ギャーギャーギブアップとなる筈だ。

レスリングは古代から続くスポーツだからオリンピック種目に残るのは当然だ。
霊長類ゴリラ科アスリート、吉田沙保里さんの知られざる姿を想像し余計な心配をしていたら酔いが回るのが早くなってしまった。
世界選手権女子55キロ級でなんと11連覇を達成した。
未だ30歳だからきっと2020年の東京大会でも勝つだろう。

あるアスリートから聞いた話だが、マット上で戦うアスリートたち(レスリングや柔道)は外のスポーツ選手と違って肉体と肉体が密着するからアドレナリンの発生を治めるには、やはり肉体を密着させねばならないんですよ、なんて云っていたのを思い出した。

霊長類最強の女王吉田沙保里さんはインタビューに応えて「むっちゃキツイ、体にガタがきている」なんておっしゃっていました。

そんな事を云わずにもっと勝利の快感を味わって下さい。
私は吉田沙保里さんの勝利に対して心より乾杯をいたしました。
少し濃い目のハイボール。おつまみは、ハイ、チーズです。