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2013年11月27日水曜日

「三度目の日」


イメージです

シラスコロッケ、シラス丼、シラスマン(肉まん風)、シラス揚げ(さつま揚げ風)、とれたてシラス、釜ゆでシラス、シラス盛り放題定食、江ノ島は火山も無いのにシラス大地(?)だ。

十一月二十四日(日)快晴、訳あって江ノ島神社に行った。
小田急線江ノ島駅から橋まで人、人、人、橋の上から江ノ島まで人、人、人、橋から神社まで人、人、人、富士山はぼんやり灰色だった。
海の上には洞穴巡りの船、釣り船が遠くにチラホラ、ホラホラ。

ヨットが気持ちよさそうに海の上をセーリング、友人が出ているかもなと思いつつ橋の上を歩く。風を受けウィンドサーフィンを楽しむ人、あーこの国は平和(?)なのだなと思ったりもする。

観光地を生かすも殺すもお天気次第。
この日はすこぶるつきの観光日和で、お土産屋さんや食堂やまんじゅう屋さん、おかき屋さん、ソフトクリーム屋さん、海老せんべい屋さん、何でも1000円ショップなどは大賑わいであった。神社までのゆるい坂道は殆ど満員電車であった。

イカ焼き、ハマグリ焼き、タコ焼き、トウモロコシ焼き、貝の串焼き、サザエのツボ焼きなどお醤油の焼き焼きのいい香りが元気よく鼻の穴に入って来た。
顔が隠れてしまうほど大きな海老せんをかじって歩く若い娘さん、バリバリしていると段々と顔が見えて来る。

アレッ、確かあった射的屋がいつの間にか和装小物に様変わりしているではないか。
それにしても地引網にあんまり入っていないシラスがなんでこんなにあるんだろうと疑問に思う。

湘南シラスが売りのこの地に本当に湘南シラスがこれだけいるのかい(?)
近頃何もかもが偽装とか、誤表示と続々と「お白州」の場に出されている。
あのイカも、あの貝も、あのサザエも、怪しいな、長い歴史を誇る店がある。
そこの太った三代目だか、四代目だかがラムネの栓をボッシュと抜いていた。

橋の上にズラリと並んでいた屋台のおでん屋さんが何とか条例で消えてしまった。
江ノ島の文化だったのに。富士山を見ながら波の音を聞く、サザエのツボ焼きを食しながら冷えたビールをグビィプハァーと飲む。次に大根、チクワブ、はんぺん、つみれと進む。そんな楽しみがもう無い。

目的のものを手にし、今日みたいな平和(?)な日が続くといいなと駅に向かった。
「病気平癒御守」二つ、今年この御守を頂きに来た日は確か三度目だったかなあと思った。アジの干物のいいのを出している店で何故か買うかと思ったが「御守」が魚臭くなるといけないと思い止めた。人気のホットケーキ屋には人、人、人が並んでいた。

2013年11月26日火曜日

「トッピング」




厚労省が発表した就職後三年以内に仕事を辞めた「大卒離職率」の割合は、今年で31%だとあった。

ある会社で就職の試験官を務めた人の、へえーと思う記事を読んだ。
ある学生の面接を終える、「最後に何か聞いておきたい事ありますか?」と言ったところ思いがけぬアクションがあった。
学生は「今日の僕の面接、何点ですか?」別の試験官が「全体的に何点かは直ぐに測りかねるけど、君のあの話は良かった、今度はあの部分を強調すればいいんじゃないかな」と応えたのだと。

今の学生は究極の“フィードバック好き”評価結果をすぐに伝え、課題を示す。
ちゃんと相手にしてやらないと就活サイトにいろいろ書き込むらしい。
「結果を順位付けしてきちんと公表せよ」という学生が増えているという。
入社後も自分の評価を非常に気にする「僕が作った企画書、どうでしたか」とか「さっきの僕の顔変でしたか?」とかを言うらしい。

今の二十代はSNSで仲間に報告し、〈いいね!〉の承認をもらいたがる。
個の対応を求めるその他大勢として扱われる事が苦手。
そのため、少しでも不安を感じると、他人からの〈いいね!〉というフィードバックを求めるのだとか。正直に本人の評価の低さと効率の悪さを指摘すると、ワッと泣き崩れてしまう。面倒臭いが〈いいね!〉を適当に伝えないと嫌がらせで何をされるか分からない。

記事の内容は企業の人選びの難しさと、人材育成の難しさを物語っていた。
リクルートスーツという黒い蟻ん子の様なファッションというか面接用制服が生まれたのはいつからだろうか。黒い若者の群れを見ると私は気持ちが不安定になってしまう。
私服になるととてもいい感じの若者があの群れに入ると没個性となってしまう。
私服の方がその若者のステキなセンスが分かると思うのだが。

リクルートスーツで来るもよし、一着しか無いスーツでもよし、ジーンズにTシャツでもよし(水着だとモデルのオーディションかスポーツウェアや下着のオーディションになってしまうからマズイ)と思うがそれ以外ならOKにした方がきっと良い人材に出会えると思う。

「私」を知るには「私服」が基本だ、この若者はスーツにしたらきっと〈いいね!〉をイメージするのが面接する人間のセンスなのだと私はずっと思っている。
あるいはリクルートスーツじゃなく私服になったらどんなセンスだろう、きっと〈いいはず!〉とイメージするのが大切だ。

かつて〈いいじゃないの!〉と思って、ハイ君採用!といったら半日で辞めた者、一日半で辞めた者、三日で辞めた者などいろいろな若者がいた。
私に見る目が無かったという事だ。オイ、アイツ昼飯食いに行ったきりどこへ行ったんだよ、もう何時間も経ったじゃないの!若者はずっと長い昼飯を食っていたのだと理解した(?)。

ある年、恵比寿にある「香月」というラーメン屋に行った。
トッピングで有名な店、入社して三ヶ月は試用期間なのだが、二人の若者をその店に連れて行った。肝試しでなく、バカ度だめしに。
ラーメンにモヤシ、ノリ、チャーシュー、ネギ、メンマ、ニンニク、煮玉子など十三種をトッピングしたらとんでもない大盛りラーメンが出て来た。

さぁ〜ご馳走だ、食べれやと言ったら、一人はえっと絶句、一人は大きく深呼吸をした。オレたちの仕事はバカになんなきゃダメなんだぞなんて言った。
さて、その結果は(?)私は本当にバカでした。

2013年11月25日月曜日

「S」

朝日新聞、リレーおぴにおんより






十一月十九日(火)朝日新聞朝刊十五面に「リレーおぴにおん」私の悪人論⑧。
元北海道警警部であった、稲葉圭昭(よしあき)さんの話に、この国の警察の闇の一端を見た。また人間は強いようで弱いものなのだというのを確認した。

書き出しはこう始まる。
ヤクザと言えば反社会的存在で悪人というイメージですが、刑事として多くのヤクザと接してきた実感としては、彼等の大半は悪人というより弱い人間でした。
子どもの時の非行で警察の世話になり、学歴も職歴もないのでまともな仕事につけず、いじけた気持ちを引きずったまま暴力団に入って虚勢を張っている印象が強いですね。

稲葉さんは道警で銃器捜査を担当、八年間で100丁以上の銃を押収し、「銃器捜査のエース」と呼ばれた。銃の摘発には暴力団関係者に情報提供者(スパイの頭文字Sをとって「エス」)として協力をしてもらうことが必要だった。

稲葉さんは20人のエスを上司に報告して運用していた。
今では考えられないことだが当時は当たり前だった。
彼等と付き合う時は常に自分の方が優位に立つよう気をつけたという。

彼等には「ウソをつかない」「約束を破らない」を守った。
約束を守っている限り彼等は裏切らないから。「今月は数が足りないから出してくれや」と頼むとちゃんと出してくれた。

そんな中で一人のエスに裏切られた。
その男は、頼むと死に物狂いで銃を探し出して来た。ある意味真っ直ぐな性格だった。
ある時、そのエスが稲葉さんの上司から「拳銃100丁出してくれたら、警察の予算から一千万くらいポンと出す」と言われ真に受けてしまった。
稲葉さんは「そんなのホラに決まっているだろう」と言ってもエスはきかなかった。


やがてそれがウソとわかり、ある事情で上司からエスは遠ざけられた。
Sは怒りの矛先を上司だけでなく稲葉さんに向けた。
ある日Sは覚醒剤を持って警察に出頭し、逮捕後の裁判所での勾留尋問で稲葉さんの覚醒剤使用を告発、その後拘置所で自殺してしまった。

稲葉さんは、銃器捜査から外され、閑職に追われた。
孤独感と絶望感、体を張ってやってきた警察官人生を否定されたように感じた。
そして常に「死にたい」と思うようになり、自暴自棄になり覚醒剤使用という第一線を越えてしまった。

今ではそんな自分を恥ずかしいと思い、反省している。
虚勢を張っていても自分自身も弱い人間だった。

稲葉さんは覚醒剤取締法違反などで服役、現在は自身の体験をもとに著書を出している。「恥さらし、北海道警悪徳刑事の告白」興味ある人は読むといい。
テレビドラマや映画で警察の暗部をテーマにする作品がやたらと多い、人間はそれが好きだからなのだろう。

新聞社や雑誌社は「ネタ元」という情報提供者を手足の様に使っている。
裏情報は何より手に入れたいからだ。毎日、車や列車で人身事故が起きている。
そんな中に「エス」や「ネタ元」がいるのではと思ったりする。

特定秘密保護法案の成立が確定的となった。
この国は暗黒の時代に向かって行く。
稲葉圭昭さんは現在六十歳、命を懸けて警察の闇に挑んでもらいたい。
朝日新聞にその写真を大きく出したのは、勇気ある事だ。
日本中の警察を敵に回すのだから。その身を国民が守らねばならない。
S」はどの社会にもいる。

2013年11月22日金曜日

「紅とんぼ」




この女性歌手が唄うと言ったら私は地の果てまで行くだろう。

歌手の名は「ちあきなおみ」、日本歌謡史で東の横綱が「美空ひばり」なら、西の横綱は彼女だ。アイドル歌手から始まり、シャンソン、ポルトガルの「ファド」また流行歌のカバーと自らの唄うべき歌の道を探した。

ある時一人の音楽プロデューサーから一曲の歌をすすめられる。
歌の表現力、歌唱力、音階の広さ、音質の深さ、声の艶っぽさ、何もが美空ひばりに匹敵していた。そして「ちあきなおみ」でなければならない世界を持っていた。

名曲「喝采」はプロデューサーの読み通り人の心を掴んだ。
歌を志ざして故郷を棄て、愛する人を棄て列車に乗った、そして喝采を浴びる日をやっと向かえた歌手に届いたのは黒い縁取りの葉書だった。

 こんな死亡通知の歌を「ちあきなおみ」は一つの芸術の高みにして哀切りステージを生んだ。余人を持って変えがたしの心を打つ歌だ。日本レコード大賞を受賞する。

だが1992年、愛する人、郷鍈治という日活の役者(宍戸錠の弟)を病で失ってしまう。以来「ちあきなおみ」は二度とステージに立たなくなり、歌の世界から姿を消した。
それ程まで愛された郷鍈治はどんな男であったのだろうか。

私は吉田旺作詞、船村徹作曲の「紅とんぼ」という歌が好きであった。
新宿駅裏で五年間小さなBARをやっていたママが店を閉める心情を唄ったものだ。
一曲の中に「ちあきなおみ」の歌のエッセンスと歴史が全て入っている。

演歌、歌謡曲、シャンソン、ファド(アマリア・ロドリゲスが有名だ。曲の名を「難船」)ファドはギター相手に酒場で一人唄う心情歌、叙情歌だ。
まさに難船の様に自分は何を唄うべきか、ずっと五線譜の波の上で探していたのだろう。その先にぽつんと見えた灯りが、新宿駅裏にあった「紅とんぼ」だったのだ。

何が何でもテレビに出たがる時代、「ちあきなおみ」はその心魂を愛し続けた男のために捧げているのだろうか。まるで歌そのものの様だ。
今でも唄えば一番上手い歌手であることは誰もが知っているはずだ。


先夜、それをしみじみ聞く機会があった。
この歌にはどの酒が似合うのだろうかと迷った。
唄っていたのは勿論「ちあきなおみ」ではない。一人の酔客だった。




とんぼ

:吉田旺
作曲:船村

(から)にしてって 酒も肴も
今日でおしまい 店仕舞
五年ありがとう しかったわ
いろいろお世になりました
しんみりしないでよケンさん
新宿駅裏とんぼ
想い出してね々は


2013年11月19日火曜日

「ポールと水炊き」

(日刊スポーツより)





人間は手に入らない物が手に入ったらどうするか。
例えばそれがお金なら先ずは「ルノアール」のモーニングセットを食べながら今日のゆで玉子はいい出来じゃないかとそれをポコッと口に入れる。
スポニチとか日刊スポーツを読む。

昼には「長寿庵」に行ってミニ盛り、ミニかつ丼セットなんかを声を大にして頼む。
夜には「お多幸」なんかに行って大根、ちくわぶ、糸コンニャク、ハンペン、ねぎまを頼む。更に串かつ辺りまでヨロシク!となる。

いいなぁこんな幸福はとつくづく思うのだ。
そうだ入らないはずだったんだから、牛すじとタコまで行くべしだ。
日本酒を一合冷酒でやってからハイボールだ。

持つべきものは親なる友なり。
十一月十八日(月)私は中学時代の同級の友と共に東京ドームに行った。
入らないと思っていたコンサートのチケットが友の凄腕に依り手に入ったのだ。

開演七時十二分。観客約五万人。
ウォー、キャー、ワァー、ドヒャーと総立ち。出て来ました、現れました。
「ポール・マッカトニー」がです。一曲目は、Eight Days A Week
ウォー、ポール、ポール。もう説明は無用です。

九時四十分チョイ過ぎまで、全39曲、勿論ビートルズナンバー(28曲)となるともう東京ドームは大爆発です。1960年代に青春時代の中に居た人、人、人がもうその手が割れんばかりにバチバチ叩き合わせるのです。

現在日本で売上NO.1の新作「NEW」を真ん中に入れ、急所どころはレディ・マドンナ、レット・イット・ビー、ヘイ・ジュードで大合唱、イエスタデイで極上のしんみり感を味わうのだ。ポール・マッカトニー71歳最高!を友と共に連呼したのです。

 音楽はやはりすばらしい。
一曲の中のワンフレーズで世界中の国境を越えて繋がる事が出来るのだから。

もう一人凄い男が居た。友の隣にオレンジ色のダウンジャケット、銀髪の外人女性としっかり手を握り合っている。年の頃は45歳位、中上健次とダンカンと崔洋一を足して3で割ったような感じ、この男ビールをしこたま飲み過ぎたのか、グワァーっと始まってから一時間三十分近くずっと眠ったままだった。 
50000分の1の大物との隣合わせだったかもしれない。
 
アンコールは一度、二度、三度。もう二度とポールに会える日は来ないだろう。
友と東京ドームを後にしながら「ポール牧」があそこに出たら最高だったなと言ったら、バカ言ってんじゃないよと言われてしまった。
そうかな、指パッチンの芸人ポール牧とポール・マッカトニーのジョイントなんかいいと思うんだけどなぁー。ポール牧は自分であの世に行っちゃったけど。
 
ポール・マッカトニーは100歳でもきっとギターを左手で弾きながら、2ビート、4ビート、8ビートで愛と平和と明日への「NEW」を唄い続けていてほしい。
伝説は決して死ぬ事はない。

ジョン・レノン、ジョージ・ハリスンに捧げる歌を唄っている時、オーロラビジョンに若き日のビートルズのメンバーの写真が現れた。
音響、ビジュアル、照明全て第一級のコンサートだった。

チケットを入手してくれた御礼に東京駅八重洲口の居酒屋でアジと黒ソイの刺身を頼み、あんまりイマイチだったので水炊き二人前を頼んだ。こちらは更にイマイチであった。
友にまた借りが出来てしまった。最後のおじやがマアマアだった。

次は十二月十二日「矢沢永吉」をヨロシク!なのだ。
そうそう、来年三月にビートルズをそっくりパクッた「レットイットビー」という四人のメンバーが日本で公演する。世界中で大人気、みなさんぜひチケットを入手して下さい。
ビートルズにソックリです。見た目も曲も。
伊勢エビとバナメイエビの違いですがいい味出しているのです。

2013年11月18日月曜日

「肉体言語」





リンゴ男子、高く舞え!イルカとなれ!とキャッチフレーズ。
“美と身体エネルギーの化学反応に一気に引き込まれた”演出家・宮本亜門とおすすめの言葉。

青森大学男子体操部にスパイダーマンの演出家が挑んでビックリしたなぁー、すごい、すばらしい、驚異的!超絶!を連発したのが、東京・代々木会場でのイベントだった。

私の敬愛する中野裕之監督が、そのノンフィクションフィルムを完成させ、十一月十四日(木)午後三時三十分〜四時五十分(作品七十八分)東京港区新橋スペースFS汐留で完成披露試写会があった(超満員)

映像試写の前に中野監督のご挨拶、トレードマークのソフト帽がガッチリと背の高い体に合って素敵だった。ある番組を見た三宅一生さんがその躍動感に感動、他のスケジュールを全てキャンセルにしてこのプロジェクトに情熱を注ぎ込んだ。
 このフィルムは、公演の準備段階から本番当日までの三ヶ月にわたる、ニュースタイルのドキュメントタッチのフィルムである。

コスチュームデザイナー、イッセイミヤケと振付師ダニエル・エズロウの演出、27人の若者たちは、地元は勿論のこと福島・埼玉・愛知などからも青森大学に入学していたガッツリな奴等。初めて与えられたコンセプトとテーマ。

高校・大学の監督やコーチとの格闘と猛練習の日々、中野監督は撮影監督もするのでその一部始終を追う。カツ弁を食べる者、唐揚げ弁を食べる者、福島訛り、愛知訛りの若者たちが青森訛りと、オレたちのアイデアも生かすでヨォーと、笑い、ほうばり、空中に舞い、マットの上に転がり、信じられない縄跳びをする。

集結、団結、飛散、飛翔、27人は個となり、疾走、拡大、また一匹ずつの魚になり、イソギンチャクになり、大波になり、一本の縄になり、一枚の布となる。

このフィルムを見て人間は、海から生まれた生物体である事を知る。
ファッションの原点がきっと海に打ち上げられた樹々の蔦ではなかったかと想像させられる。それを纏って糸として布としていったのではないだろうか。
肉体言語(ボディランゲージ)の映像に感動してほしい。

十一月三十日(土)〜一週間限定モーニング上映・テアトル新宿。
連日午前十時〜。三十日と十二月一日には中野裕之監督の舞台挨拶も予定されている。
スペシャルイベント、十二月十二日(木)、日本一の音響を誇る立川シネマシティ・シネマ・ツーへ是非。十九時会場、十九時半開演、みなさんの友人知人をお誘い合わせて下さい。

またこの頃すっかり感動を忘れてしまった人々に。
この頃すっかり体が硬くなって、ハリもお灸もマッサージも効かなくなった人々におすすめしたい(相当体がほぐれます)。

また若き映像作家たちに、中野裕之監督の取材の優しさと編集の素晴らしさを学んでいただきたい。「FLYING BODIES