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2014年5月20日火曜日

「トンネル」


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誰だか忘れたが手帳をパラパラとめくっていたらこんな一行が書いてあった。
「運命は性格の中にある」芥川龍之介だったかもしれない。
博学の徒なら分かるはずだから気がついたら教えていただきたい。
グサッと刺さる言葉だ。

何か上手くいかない、何だかツキが回って来ない、何もかも面白くない。
そんな時、親のせい、兄弟姉妹のせい、会社のせい、上司のせい、気に入らない同僚のせい、クライアントのせい、あの野郎のせい、自分が持って生まれたDNAのせい。
要するに全ては自分以外のせいで片付けている人には、運命は複雑に動くのだろう。

私も運命にため息をついた時、あっちこっちのせいにしては「せいせい」させていた。
人間は運命線の上を走っているのだから長いトンネルに入ったり、落石にあったり、脱線したりする。
そんな時は乗っていた列車を降りて道路の上を歩くといいと分かったのは、実はつい最近だ。この事に気がついたらずっと見えていなかった自分が見えて来た。


時すでに遅しの感がするのだが、その見えて来た法に従って行こうと心を決めた。
私の性根と性格の悪さは治るはずがない。ならば、何故今日これまで生きて来られたかを振り返ってみる。

午前一時四十七分四十一秒。
いつものグラスにジンビームを入れた。ストレートで一杯。
喉から食道を通り胃袋に熱い液体が通過した。トンネルの中を列車が通過する様に。

2014年5月19日月曜日

「人間はやさしい」


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五月十七日(土)快晴なれど風強し、船橋市立夏見台小学校の広い運動場には万国旗がXに交差し、風に吹かれて音を立てているのを見ると、子どもたちを応援している様であった。紅勝て、白勝てと。

この日は私の愛する娘の子、二人の孫の大運動会であった。
五年生の女の子、二年生の男の子。前の日から泊まり込みであった。
全校生徒は700人位とか、オジイチャン、オバアチャン、お父さんにお母さん、兄弟や姉妹がいればその人たちも応援に来ている。

一人の子に4人から6人位の応援の数だから約3000人近くが来ていた事になる。
「リレーに出るから見に来てね」「組体操の上に乗るから見に来てね」の連絡があった。勿論運動会には必ず行く。

友人の奥さんが62歳で亡くなり幡ヶ谷でお通夜があった。
このところ若くして亡くなる人が多く辛い。
会社の人間4人と出席し、幡ヶ谷のお寿司屋さんで献杯をした。
それを終え船橋に向かった。

運動場の子どもたちはみんな明るく、元気であった。
この子たちの未来が平和である事をつくづく思った。
私の側で何人かの女性が大声を出して最終種目のリレーを応援していた。
紅・白各三人ずつ、五年生と六年生は一周150メートルだった。

キャー、ギャー、ガンバレ!キャー抜いた抜いた、勝ったぁ〜良かった〜とメガネをかけた女性が絶叫し、泣きまくった。六年生で一人とんでもなく速い子が走った、そのお母さんだったのだろう。

負けていた白がリレーで逆転した。白の勝ちとなった。
孫の女の子は紅で悔しいとなり、男の子は白が勝ったと大喜びだ。
今、世界はあちこちで戦争の火種を生んでいる。

小学校の万国旗は、日本も、中国も、ロシアも、韓国も、米国も、ベトナムも、タイも仲良く等しい間を保って子どもたちを見守っていた。

おにぎり、玉子焼き、ウインナー、鶏の唐揚げなど四段重ねのお重箱には運動会定番のメニューが入っている。これ以上旨いものはない。
大人たちもこの日ばかりは喧嘩したりはしない。

一人の男の子が不自由な体ながら一歩一歩進み、トラック半周をちゃんとゴールした。
運動場全体がその子を見守り続けゴールと同時に全員が拍手を送った。
心から感動した。人間はみんなやさしいんだ。

2014年5月16日金曜日

「無力こそ」




老人たちは祈り続ける、神様お願いします、お願いします。
土に頭をつけてどうかクジラが来ます様に。

インドネシアの小さな島にある小さな集落。
そこには4050人ほどしか住んでいない。木製の船が海岸の直ぐ側に10隻ほどある。
遠い昔の生活がそのままある。

漁師を父親に持つ11歳の少年は、銛を刺す名人の父親に憧れている。
この島では物々交換だ。漁師が獲って来た魚や、漁師の妻たちが作る塩と、山の民が作る野菜や果物やトウモロコシや米と交換する。

船には10数人の漁師が乗る。
マグロ、マンタ、シャチなどを手漕ぎで追い、一本の長い木の先につけた銛で体ごと飛び込み突き刺すのだ。

彼等にとって何よりの獲物はクジラだ。
一頭のクジラで集落のみんなが長い間生きていけるのだ。
かつては一年に数十頭近く獲れた年もあるというが、近頃は二、三頭なのだという。
クジラは捨てるところは一切ない。一番いい部位ははじめにクジラを見つけた者に、次には銛の射手に、後はそれぞれ公平に分配されていく。

少年には二人の妹、一人の弟がいる。
父の様になりたいと海に浮かべた丸太を目がけ、岩の上から自分で作った銛を体ごと刺す練習をする。海が荒れ漁が出来ない日が続くと、妻はずっと大切にとっておいたクジラの乾かした肉を小分けにして山の民の村に向かい、食料のバナナやトウモロコシと交換する。

全てが原始的なのだが現代社会が失ってしまった大切な文化がある。
公平、平等、質素、夫婦の役割に対する尊敬、それと平和だ。
時に何袋もの塩を両手に持ち頭の上に乗せ何時間も歩き市場に行く。

少年は運動靴が欲しいと母親にいうが、今日は妹の靴だけよと言われる。
少年は朝早く起きて学校に行く。父親から漁網の作り方を教わる。
妹たちは母親から塩の作り方を教わる。現代人が失った底抜けに明るい笑顔が並ぶ。

神様に祈ってもクジラはずっと、ずっと現れない。
男たちは黙々と船を修繕し、銛を研ぎ、クジラを待つ。

私はこんな人たちに憧れるのだが、私は何も出来ない。
全く何も出来ないのだ。能書きだけで生きて来た男なので、ターザンとかロビンソン・クルーソーとか、小野田寛郎さん、植村直己さんみたいな人には心底敬意を表すのです。海の民、山の民、畑の民、縄文人と弥生人は仲良かったのです。

先夜あるドキュメンタリーフィルムを、いつものグラスに氷を入れ、ジンビーム+ウィルキンソンでハイボールを作り、ゴクリと飲みながら観たのです。
そして大好きな縄文人に思いを馳せたのです。
何でも有るより、何も無い方が人間らしいのです。
「無力」という極意です。

忘れてならないのがグアム島で生き続けた日本兵、横井庄一さん。
帰還後に「耐乏評論家」という仕事を生み出しました。今こそ横井さんの生きる知恵が必要なのです。耐乏論が“待望”されるはずです。




2014年5月15日木曜日

「ガジル」




裏社会では、人の物を奪い取るとか、脅し取る事を「ガジル」といいます。
あいつは人の物をガジってばかりいる、マッタク嫌な奴だぜ、特に先輩風を吹かせて後輩からガジル、権力の力を借りて弱い者からガジル、そんな奴が多くいます。

今、国家権力が国民からバンバン、ガジリ始めています。
消費税増税、老人医療の事実上値上げ、大学病院などの初診診療の値上げ(紹介状なしの人に)、電気代、ガソリン代、インフラへのガジリ、相続税への増税(タンス預金をガジル)ありとあらゆる物への増税、そしていよいよ年金の支給を75歳になどという究極のガジリだ。

92歳まで生き抜かないと、60歳から年金を受給している人と並ばない。
92歳までに増税、増税でゼイ、ゼイして呼吸困難で死んでしまう。

表の社会でガジリが公然化して来た。
残業代なし、いつでもリストラOK、イカサマの地域限定正規社員、遂には憲法までガジリ出して立憲主義を丸ガジリへ。憲法のインチキ拡大解釈へ。

戦争へ一直線、ここに来て中小企業は悲鳴を上げる。
生き抜けない、逃げるしかないと追い詰められている。
大企業や銀行たちは軒並み最高益を発表、預金者の金をガジリまくっている。

虎ノ子の年金基金も権力にオドシをかけられ、株を買えとなって来た。
ドーンと下がったら、バーンと130兆円近い年金はパァーになって行く。
実質賃金は下がり続ける。中小企業は厳しいのだ。
貿易収支は日銀の予想を裏切り大赤字。

ガジル奴らを許してはならない。無関心は絶対にいけない行為だ。
私たちの出来る事は、日々誰が何をガジったかしっかりチェックしておく事なのだ。


2014年5月14日水曜日

「開かないがま口」




あいつは使える、器量がある、きっといい親分になるだろう。
そういわれる男に共通している事がある。それは金の切れがいい事だ。

渡世人の世界では、自分より上の人間や、下の人間には身銭を切って尽くし、身銭を切って愛情をかける。これが器量だ、同じ座布団位置の人間(同格の人間)とは行って来いで貸し借りを決して作らない。

相手が50万使ってくれたら、次は50万使って返す。10万なら10万、5万なら5万と。
一度でもその関係を崩すと、あのヤローは銭にブシイ(渋い)奴だぜ、あいつには気をつけろ、必ず銭の方に顔を向けるからなと、安い男に見られてしまう。
また、銭のためならどんな仲間や先輩、後輩の事もチンコロ(密告)する。
男と男は命と命をやりとりするから、相手が何より金にキレイか、銭に汚いかを見抜かねばならない(幸い私の周りには使える人間ばかりです)

これは一般社会でも同じだ。いつも人のふんどしで相撲を取る奴、人のフトコロでメシを食い、酒を飲む奴にはろくな人間はいない。先輩に心置きなくお金を出してもらったら、後輩には少しばかり見栄を張っても旨い物、旨い酒、面白い遊びを教えてあげる事だ。

この頃は上司や先輩と酒を飲むのが嫌だとかいう若者が増えているという。
男と男は馬鹿を見せ合ってこそ心が通う仲となる。銭離れの悪い人間はいつも自分の自慢話、昔話をする。その人間には過去しかないからだ。
大恩ある人や先輩や未来ある後輩のためには、借金もいとわない、そんな人間がすっかり少なくなった。

勘定精算の時、いつもシカトをしている人間には絶対人はついていかない。
ウソでも今日は私が、今日はオレが、今日は自分がと言える人間になってほしい。
とにかく、遊べ、遊べ、遊べだ。先輩にたかればいんだから。

夜の世界は人や会社の金で飲み食いし、自分の金の切れの悪い人間を腹の底から馬鹿にしてこう言うのだ。あの人はズック(クズ)だからとか、野次馬(ヒトダカリ)だからとか。開かないがま口とか。

私はそんなレベルの高い表現は出来ないので、ただみっともねえ奴と呼んでいる。
新入社員も少しずつ会社の風景や人間が見えて来ただろう。
より深く知るには、やはり夜の海に出よだ。私と一緒に海に出たければいつでもご連絡を。心よりお待ちしております。勿論勘定は私が払います。
あまり高いところはダメだけど。



2014年5月13日火曜日

「1円の価値」






CNNのテレビ電子版などの報道によると、約720億円かけて造られた空母サラトガ(56000トン)がテキサスの解体業者にわずか1セント(約1円)で売却されると発表した。

19651994年まで現役だった。航空機90機を運搬出来る。
ベトナム戦争や湾岸戦争などに出動した。過去にも同様のケースがあったとか。

歴戦の強者も時代遅れとなり、お役御免となった様だ。
維持費も掛かり過ぎる、廃棄費用も数億以上かかる。退役空母は無用の長物なのだ。


こんな記事に触れると、我と我が身も同じに思えて来る。
かつては若く、全身を凶器の如く鍛え続け、怖い者なしの乱暴狼譜者であった。
いかなる敵にも臆する事なく戦うだけの気力、体力、馬力が漲っていた。
だがしかし今は“ふりしぼる”そう何もかもを“ふりしぼる”事に専念している。

今流行中のディズニーの映画(アナと雪の女王)の主題歌の一節「Let it go」「ありのままで」をモットーに。ありのままの姿をさらけ出す。
そして誰も作らなかった作品を世に出し、ドーンと風穴を空けてやるんだと“ふりしぼる”のだ。残りわずかとなったマヨネーズを絞る様に。

私に1セントの価値有りと思ってくれる人のために全力をふりしぼる。
1 円を笑う者は、1円に泣くという。価値ある1円になりたい。






2014年5月12日月曜日

「ウィスキー・ボーイ」




吉村喜彦、有美子さんという素敵な夫婦がいる。
ハートビートのロックンローラのパッションと、ファンキーなサウンドを身にまとった実に仲良い夫婦である。

吉村喜彦さんは京都大学を出てサントリーの宣伝部に入った。
3200倍の超狭き門であったとか。
人気の宣伝部には吉村喜彦さん一人しか配属されなかった。

現在は奥さんがプロデューサーで、吉村喜彦さんが小説家だ。
既に何冊も出版している。
また現在NHK FMで「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅〜」の構成・選曲・ナビゲーターをつとめている。 

17年間サントリーにいて退社後、17年間小説家を営んでいる。
サントリー時代には幾多の名作CMや名作広告を世に出し、あらゆる広告賞を得た。
そんな吉村喜彦さんがサントリーウイスキー作りの「ウソ」を許しがたき、愛する会社のためならずと、世に放出し、広島支社のビール販売に放出される。
だが、持ち前のガッツと正義感と酒を飲み乱れまくる事を味方にし、営業成績をあげる。

そして再び不可能といわれた宣伝部復帰を果たす。
お前帰って来いという良き先輩上司がいたのだ。

そのエピソードなどを、フィクション仕立てにして201458日「ウィスキー・ボーイ」をPHP文芸文庫から出した。初版が16000部というから人気なのだ。
前作に「ビア・ボーイ」がある。サントリーオールドは単一ブランドで世界一であった。

最盛期には1300万ケース位を売っていた。だが今はその10分の1位ではないだろうか。
なぜそうなったかの話が「ウィスキー・ボーイ」の中に書いてある。

勿論フィクションなので名前は違う。登場人物も違う。
サントリー関係者ならあの人だ、あいつだ、あのヤローだと想像はつくはずだ。 
59日サントリーに縁の深い巨匠や、友人と京橋の焼鳥店で出版祝いをした。
オレついにサントリー全社員、全OBたちを敵に回しましたよと吉村喜彦さんは言った。
どうやら奥さんも筋金入りの戦友だ。

通称“ヨシヤン”は現在60歳。
いただいた本には「衆妙の門は玄なり」とサインしてあった。
その意味は、宇宙の中心は暗黒なのです。そうしてウィスキーは闇の子どもたち。
その闇は鮮やかな生命をもつ、光輝く闇なのです。と、まあそういうことであった。

この「ウィスキー・ボーイ」の一冊の中には会社という入れ物、その中で生きる麦芽の一粒一粒、トウモロコシの一粒一粒のような人間たちの生き様がある。
ウィスキーは元々ビールから生まれた。
アイルランドのケルト人たちは税金逃れのためにそれを木の樽に入れて隠した。
それが月日を経て開けてびっくり、琥珀色のウィスキーとなっていた。

夫婦で正義のためにケツをまくる方策を練るところは実に爽快であった。
サントリーはそのおかげか、現在「山崎」とか「響」とか「白州」というウィスキーの名品を世に送り出している。

歴史の影には必ず「闇」があるものなのだ。

2014年5月9日金曜日

「犬のたたりとコンニャク串刺し」



「孫正義」が必ず「損正義」になる事を確信している。
ソフトバンクが有利子負債65千億ともそれ以上ともいわれる借金をしながら買収に買収を重ね買り上げを伸ばしている。

トヨタを超えて日本一を目指すというのだが私は必ず「任天堂」の様になると思う。
あるいわソニーの様になってしまうだろう。日本一にどれ程の意味があるのか分からないが野心と野望こそが生きがいなのだろう。

天才的経営者が終生天才的である保証は歴史的にない。
ダイエーしかり、リクルートしかりである。
アメリカという国は買収資本主義だから自らの国の大切な会社が買収されるとなった時、容赦なく牙をむき出す。急上昇は急降下と同意語ともいえる。

話すとチャーミングな孫正義が泣きを見る姿は見たくないが、とりあえずCMの中で白い犬を虐待するのは止めていただきたい。私の側で子どもたち、孫たちがいい加減にしろとか、余りに可哀想だと言っている。

私の経験上「犬」を犬以下の扱いする人に真っ当な人間はいない。
孫正義が何兆、何十兆、何百兆儲けたとしても、そう遠くない内に必ずこの世を去らねばならに。秦の始皇帝は不老長寿の薬を求めたが、命だけは誰も買収は出来ない。
私には悲しく哀れなピエロにしか見えない。

天才スティーブ・ジョブズの名を口にする人は今や殆どいない。
彼の自伝的映画を観に行く人は余りに少ない。ソフトバンク王国の足許は実は既に崩れ始めている。自転車操業なのだから。

アメリカ人は会社は売り買いをする商品だと思っている。
孫正義も同じだ。「犬」のたたりは恐い。
日本には犬神家の一族というのがある位だから。
奥多摩の御嶽神社は犬神信仰だから、ソフトバンクのCMは許しがたいと御師(神主さんみたいな人)の人が言っていた。

ちなみに京王電鉄が経営する、御岳山ロープウェイは人間と犬が一緒に乗れる。
そこの社長は仲田美治さん。私がお世話になった人だ。とても太って大貫禄の人、時々ロープウェイのところにいる。

私の名を言って声を掛けてみて下さい。
コンニャクの串刺しおでん一本出してくれるかもしれませんから。
これから奥多摩はいい季節だ。(敬称略)

2014年5月8日木曜日

「いいね!は」




「父の秘密」という映画を借りてきて観た。メキシコの監督の作品だ。
今年度カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門のグランプリを受賞した。

妻を交通事故で失くした気の短い男、職業はレストランのシェフだが直ぐ辞めてしまう。高校生の美しい娘がいる。二人は新しい場所に引っ越す。

娘は新しい学校に入る。
この学校で娘はマリファナパーティーに参加する、酒を飲み一人の金持ちの学生とSEXをする。金持ちのドラ息子はそれを写し、動画を学校中に配信する。
それから毎日娘は酷いイジメに遭う。ここまでは現在日本中の学生間で起きている事でもある。

この映画の中のイジメを見ているとゾッとする程怖く、ムカムカする程気持ち悪い。
やがて娘は行方をくらます。離れて暮らす父親のところに一枚のDVDディスクが届けられる。父親はそのDVDをパソコンにセットする。そこには娘のおぞましい姿がある。
そして父親は行動を起こす。

ここからは日本の親とは違う、結末が文学的の極みとなり、映画の極みとなる。
鈍色の海、不気味な音を立てるモーターボートは何処を目指しているのか。

静かで太った父親のケジメのつけ方とは。
父の秘密とは、映画は終始不安定であり、不吉を予感させる。
年頃の男女を持つ人にはぜひ観てほしい作品だ。また、学校関係、教育者にも。

私の愛する孫たちの明日が心配を極めた。
「いいね!」が人間と社会を滅ぼすという本が出版されていた。

「女」




67分の映画は、映画作りの教本の様であった。
昭和三十三年松竹映画製作。
監督は「木下恵介」撮影が「楠田浩之」という日本の映画史に幾多の名作を生んだ黄金コンビである。

楠田浩之の作り出す映像は斬新を極めていた。
スリ、窃盗、強盗を繰り返し逃げる男、別れたくても別れられない女(女はショーダンサー)二人は逃げる。セリフを言う役者は二人だけ、男は小沢栄太郎、女は水戸光子だ。タイトルにも二人しか名は出ない。

だがしかし、この映画は大群衆劇だ。日本の映画史上、エキストラや名も出ない、セリフもない人々が見事に芝居をする映画は無いだろう。
楠田浩之の映像、数百人のエキストラたちを思いのまま演出する木下恵介は想像を絶する。

画面は一度たりとも止まらず、水平を保たない。
真上から、真下から、真横から、斜めから、動き、走り、揺れる。
クローズアップで表現される、目、口、歯、腕、足、指、爪、その一つひとつに女を離したくない逃げる男の心理がえぐりだされる。女は時に一度は心と体を与えてしまった悪党に哀れみを感じながらも、別れたい、逃げたいと心が揺れる。

 演出と映像が手持ちのカメラで不安定を作り出し続ける。
 走る東海道線から真鶴ホームに飛び出し転げる女、追う男。
雲の動きはどこまでも怪しい。その雲が作り出す不気味な光と影。
木の枝一本一本、野草、雑草のざわめく動き、細部の細部まで二人の心理をえぐりだす。

画家中川一政がこよなく愛した真鶴湾を見下ろしながら弁当を食べ合う二人、眼下には畑の農作物を盗んで農民たちに追われる貧しい少年と少女。
それはまるで男と女の過去の姿の様であり、暗示的シーンだ。

この映画は映像心理劇のエッセンスの全てを出し切っている。
木下恵介は「二十四の瞳」や「野菊の如き君なりき」などの代表作は静的叙情的世界と言われているが、男と女の愛憎劇、戦争と軍人、権力と暴力に抗する映画の名作も多い。この映画のラスト15分位の長回しはとにかく凄い。黒澤明が絶賛した。

箱根町の大震災だ。
撮影のために箱根の旅館街を本当に燃やしてしまったのではないだろうかと思うほどリアルである。何軒もの旅館から出る火と煙、逃げ出す客たち、荷物を積んで逃げる大八車の夥しい数、絶叫、悲鳴、大蛇の様な太いホースが破裂し吹き出す水、水、水、町は阿鼻叫喚となる。その中で逃げる女、追うナイフを持った男。人殺し、人殺し、助けて、助けて、この人人殺しなんですと人々に訴える女。
放水される水に足をとられて倒れる男、そこにどっと集まる警官や群衆たち。
男は暴れるバッタを抑えれられる様にして動きを止められていく。

三日間だけの連休であったが十六本の映画を借りてきて観た。
厳選した映画であったが、この67分の映画は他を圧した。
映画の題名は「女」のひと文字であった。この一本を見つけ出しただけでもゴールデンウィークであった。

女性が別れたい、逃げたいと言うと、男が追い、命を奪うという法則じみた痛ましい事件が後を絶たない。女性の心はトンネルの様に奥深く、時に怪しく、時に優しく、時に残酷であり、魔性を浮かび出す。「女」はラストに教訓的言葉を残して終わる。
タイトルには「おしまい」という文字が出る。