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2016年7月13日水曜日

「死の商人」




「地政学」という言葉が最近よく出る。早い話国と国との縄張り争いだ。

かつては七つの海を支配する国が世界を制すとばかり、イギリスは大航海時代なんて聞こえがいい言葉だが、世界中に縄張りを求め植民地化した。
イタリア、フランス、オランダ、トルコ、スペインなども世界中に縄張りを求めて植民地化した。

植民地とはつまるところ占領支配と人的財産、つまり奴隷の確保と資源のかっぱらいだった。コロンブスが間違って発見したアメリカ大陸なんかはイギリスが縄張りを求めている途中で見つけたような国である。
アメリカには“ニュー”がつく地名が多い。ニューヨーク、ニュージャージー、ニューハンプシャー、ニューオーリンズ等々、イギリスにある地名に“ニュー”をのっけたのだ。

「地政学」の概念になっている理論は分かりやすい。
自分の国にふさわしい必要なものを求めよ、つまりは腹が空いた、それじゃ満腹になるためのモノを他人の国に行って食べてしまう。
文句が出ないようにその他人の国をまるごと奴隷化する。
日本の戦国時代も同じ仕組みだ。

貪欲な国はインカの山の頂上にまでその欲望の手を伸ばした。
日本軍が軍を海外で展開した時、食糧などは“現地調達”であった。
つまり現地のものを根こそぎ食べてしまえだった。
が、結局食べる物がなくなり殆どが餓死した。

戦国時代の兵などは9割位が農夫たち、戦は農困期の公共事業だった。
ごほうびは“乱取り”といって敵方の物は好き勝手に取ってよし、これがギャランティーだった。当然放火、掠奪、強姦、輪姦やりたい放題で、戦の後は夥しい数の女性たちが妊娠した。子どもから老女まで犯され、殺され、焼き尽くされた。
地政学的に凄い争いでユーラシア大陸を占領して行ったのが“蒙古(モンゴル帝国)”だった。が、放牧民のため海を支配できなかった。

日本に明治維新なるクーデターを仕組んだのは、東インド会社、フリーメイソンの死の商人たちだ。グラバーたちは武器を戦う相手同士に売りまくった。
マッチポンプであった。坂本龍馬はそのパシリであったという説もある。
龍馬の面倒を見ていた西郷隆盛や大久保利通たちが、使う必要のなくなった龍馬を殺して口を封じたという説もある。
日本は地政学的に自分の国だけで満腹感を得ることはできない。

中国は14億人近い人間の腹を満たすためには、国際法などは紙くずだと言っている。
すでに中国は一帯一路といって陸を支配し、地政学的の最重要ポイントである、南シナ海を支配下にした。かつて日本も中国に満州国という国を造ったという歴史がある。
他人の国に行って、自分の国を造ったのは世界史上日本国しかない。
満州国調査団に国際法を破ったとされた日本は、国際連盟を脱退した。

果たして日本は巨大な隣国とどう付き合って行くのだろうか。
世界の巨大な胃袋は中国、すでにアフリカ大陸をすっぽりと手に入れている。
北海道の水はごっそり持って行かれている。

2016年7月12日火曜日

「ザ・ピーナッツ」




「遠くへ行きたい」という名曲を生んだ永六輔さんがあの世という遠くへ行った。
永六輔さんの生んだ数々の名曲の作詞には、日本人の良心と日本の原風景があった。
テレビのないところでしか見えないテレビより、どこでも聞けるラジオを愛した。

その原点は“歩く巨人”といわれた民俗学者、宮本常一さんの言葉にあった。
「放送の仕事をするなら、電波の流れるところに自分で行って、そこで話を聞いてきなさい。スタジオで物を考えちゃいけない」この言葉は私も命のように大事にしている。

自分の足で、自分の目で(目の見える人は、不自由な人は心で見る)、自分の耳と鼻で、そして自分の手の触感で感じたものでなければウソを書くことになる。
私も体力が続く限りそこへ行く、そこで人に会う、そこで五感を働かすことを心がけて来たが、悲しいかな才に恵まれず永六輔さんのような詩が書けなかった。
それ故永六輔さんを先生のように仰ぎ見て学んだ。

何を唄っているのかわからない現在の言葉について行けず、相変わらずの演歌節にサジを投げている。かつて好きだったNHKの“のど自慢”は何年も見ていない。
大好きだったナツメロ演歌番組も何年も見ていない。
自分自身がナツメロになるような気がしてならないから見ない。
先日仕事仲間がBSで小林旭をやってますよと電話くれたので久々にアキラ節を聞いた、新曲はイマイチだったのでチャンネルを変えた。

永六輔さんの訃報の側にそっと“ザ・ピーナッツ”の妹さんの方が亡くなっていたという記事があった。♪〜ため息の出るような…で始まる“恋のバカンス”とか“可愛い花(プティット・フルール)”が好きだった。
永六輔さん八十三歳、伊藤月子さん(ザ・ピーナッツ)七十五歳であった。合掌。
何びとも死からは逃れられない。

初サンマが一匹3,300円という築地市場のセリの値があった。
卸値1キロ29,000円であった。
私はサンマのまんまも好きだが、サンマの開きの方が好きだ。
アジも同じで開き優先なのだ。

石原慎太郎先生が田中角栄ブームを呼んだのに、パパ田中直紀は沈没した。
ママ田中真紀子はパパ、パパ、パッパッパと絶叫したが60余年守った田中家の議席は新潟の地に消えた。
田中角栄の秘蔵っ子生活が第一と吠えた小沢一郎の政党は最後の最後オーラスで一人だけ比例当選した。今の権力者が明日の権力者である保証はない。
一寸先は闇だから。小沢一郎も数年前は頂点にいた、金が第一と。

昨夜ある防災専門企業のセミナーに行った。神田錦町であった。
そこで元早稲田大学政経学部教授、現台湾淡江大学客員教授(客座という)と二人で話をした。正義の固まりのような老教授とは妙にいいタッチであった。
老教授の口から民俗学者宮本常一の名が出て尊敬していると言った。
住まいが杉並区上井草というのも話が弾んだ要因だった。

上井草球場は私が草野球のチームを率いていた頃のホームグラウンドであった。
長女が生まれた日、上井草球場で試合中だった。そこへ義母から電話があり、上はアロハシャツ、下はユニホームのズボン、それにビーチサンダルで慈恵医大に行った。
上井草の老教授はもしかしたら私より年下かもしれない。
桃井町とか四面道とか懐かしい地名が次々と出た。勿論荻窪のラーメンも。

2016年7月11日月曜日

「選挙速報の夜」




バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ、バンザーイと昨夜はバンザーイ大会だった。
バンザーイは当選した議員のみに与えられる特権だ。
選挙の時、清き一票をというのは大変なのだ。

家でテレビを見ていたり、読書をしていたり、足の爪を切っていたり、食事をしていたり、詰め将棋をしていたり、好きな音楽を聴いていたり、金魚にエサをやっていたり、まあ人それぞれの行為を止めて投票用紙を持って投票所に行って、ヨシ!この人にと候補者の名を書く。
行動の早い人なら、バッと立上がってサッサと顔を洗ってパジャマから外出着に着替えて、靴やらサンダルやらを履いて投票まで3040分位で済む(投票所が歩いて10分位の私の場合)。
だがしかし投票所が歩いて20分、自転車で10分となると、めんどくさいとなる。

いい天気だからどっかに行くかとなると、まあオレ一人、アタシ一人位の一票なんかどうってこたぁないだろうとお出かけとなる。
今回の場合投票率54%位だとすると、46%位が投票行動をしなかったことになる。
化粧時間の長い女性なんか投票に行くまでに、誰も見ちゃいないのに何を着て行こうかと迷いに迷い340分、すっぴんの顔にたっぷり一時間以上もかけていざ投票所へとなる。

選挙というのは実は大変な一票の積み重ねなんだ。
バンザーイ、バンザーイをした議員は一票の重みをしっかりと胸に刻まないといけない。私の知っている男女は選挙に行くか、ドライブで買い物に行くかでモメにモメて別れ話に発展したケースもある。

小泉進次郎という若者がどんどん客寄せパンダ化している。
気持ち悪くて、気恥ずかしい男になっている。
次は東京都知事選だ。バンザーイ、バンザーイをするのは誰でしょうか。

選挙というのは麻薬と同じで中毒性があるという。
医療大麻をもっと使おうと(?)立候補した女優高樹沙耶がなんと6万票近く得票した。
後楽園球場が満員で43,000人強だから凄い票なのだ。
万が一石田純一が出たら当選すると思う。
不倫した経験のある人の票だけで200万票位あるからだ。
勿論男女を足して、回数を掛けてだが。

小池百合子と石田純一に比べると、増田寛也はいかにも地味で華がない(毛染めが濃すぎる)。テレビタレント、テレビのキャスターは無敵だ。
この国はタレント天国なんだ。あ〜嫌だ、嫌だ。あの人(?)が出れば良かったのに。(文中敬称略)

2016年7月8日金曜日

「綿菓子」




空は青々として雲白く、太陽はノー天気にギンギラしている。
夏雲は岩の如くという。銀座の街を歩く頭上に猛暑がある。
まっすぐ歩いているようだが実はユレユレしているのに気がつく。

今年も猛暑の中、和光の前に一人の雲水がいた。
ピクリともせず、静止している。その横をゆかたを着た若い女性が二人通り過ぎた。
そうか今日は七夕なのだと気がついた。
ゆかた姿が少ないことにも気がついた。街にも風情がない。

去年の夏、ゆかたに下駄履きの女性とやきとりを食べた日を思い出した。
♪〜浴衣のきみは 尾花(すすき)の簪(かんざし) 熱燗徳利の首つまんで もういっぱいいかがなんて…吉田拓郎の曲を思い出した。
目の前は山野楽器であった。
イジメっ子みたいな人にイジメられていないだろうかと思った。

少年の頃夏祭りでゆかたを着ていた同じ学校の男と女の子が、イジメっ子たちにイジメられているのを見て、イジメっ子たちをイジメてやった。二日間留置された。
女の子は白い綿菓子を持っていた。

例年なら平塚の七夕さんに行くゆかた姿が、今年はめっきり少ないと思った。
辻堂駅にはチラホラであった。日本の三大七夕といえば、仙台、阿佐ヶ谷、平塚。
ある年平塚の暴力団がドンパチをやったのが平塚の七夕さんにも影響したらしい。
私の体のメンテナンスをしてくれている鍼灸の達人が平塚に住んでいるのだが、やはりあの事件以来平塚の繁華街は勢いを失っていったという。
また長引く不況の影響もあるのだろう。

昨夜お世話になっている社長さんが銀座の仕事場に来てくれた。
あ〜嫌だ嫌だと言って入って来た。
世の中にイジメられているような人をたくさん助けている今どき珍しい位善い人だ。
あ〜嫌だ嫌だは、映画「男はつらいよ」に出て来る寅さんのオジちゃんのセリフだ。
また妹さくらの夫が働いている零細企業の社長(通称タコ社長)のセリフでもある。
毎月資金繰りに苦しむタコ社長は、あ〜嫌だ嫌だなのだ。

山形出張からそのまま直行して来たもう一人の社長も合流した。
冷たいビールで乾杯!話はサッカーボールのように弾んだ。
頭の中にずっしりとあった岩のような雲から少し解放された。

夏なのにセミの鳴き声が一度も聞けない。選挙カーからセミのような声が聞こえた。
◯×です頑張ってます、あと一歩、あと一歩です。ウグイス嬢の声だ。

2016年7月7日木曜日

「大名人の言葉」



♪〜私バカよね おバカさんよね うしろ指 うしろ指さされても…。
誰が唄った歌か忘れたがこんな流行歌があった。

私はかつて不名誉な言葉でこう呼ばれた。「歩く迷惑」と。
何故かといえばあっちこっちに打合せに行って、すっかり決まっていることを、あっちはそっちに、そっちはあっちにとか言ってはまとまっていた話を引っくり返していた。
あ〜アノバカまたきっと話を壊しに来るぞ、なんて思われていたのだろう。

朝起きてこれはいいぞと思ったことが数時間経って、本当にいいというのはめったにない。一分一秒経つごとに思考は変わる。これでもか、これでもかと考え続けていると、朝OKだったことが夕方99.8%はNOになるのはプロとして当然だと思っていた。
めんどくさがりは、それってもうOKだから次に行こうぜとなる、が勝負の世界はマムシよりしつこい人間が最後には勝つ。

将棋界の四冠王羽生善治はマムシより恐い“ハブニラミ”と言われている。
全部決まっていたことを全部引っくり返す、小林亜星先生が演じた“寺内貫太郎”の卓袱台返しのように。だがそれを恐れていては誰もやらなかったことは生まれない。
太陽が西から登場したってOKだし、前に進むクルマや列車がみんな後に進んでもOKだ。

かつて「ダダイズム」というのがアート界に出現した。
ダダとは常識破りとか、伝統や権威、道徳などを否定する若者のアートだった。
芸術は、バッバッ爆発だ!と言った岡本太郎さんは古い権威主義の画壇にオサラバだ。
現在日展に入選したなんて言っても、あっそう位だ。

ダダ(DADA)はルーマニア語の二重の肯定(イエス・イエス)だったと言われる。
私バカよね、おバカさんよね、そんなことを必死にやる若者が出て来てほしいと思っている。土鍋で顔を洗い、洗面器ですき焼きをする、そんなことを平気でする柔軟な発想力を養ってほしい。
いつの時代も大発見、大発明したのはみんなからバカみたいと言われていた若者だ。
人が一度やったことをいくら追いかけてもダメなのだ。
ボクは一年間も考えに考え抜いたものだといっても、つまんないものはつまんない。
ボクさっき駅に降りてふっと思いついたんですが、こんなバカなことって有りというのには勝てない。思考時間と創造の価値とは正比例をしない。
パッと一秒で大発見!そのためには何千時間も実は考えていることが必要となる。

一流のタクシーの運転手さんは一度行った道をずっと憶えている。
長い待ち時間の時は地図をずっと見ている。
そうでない人はただボーッとお客を待っている。こういうのを、ダダではなくタダの時間という。気が付くと実にこのタダの時間を私は重ねている。

プロとアマの打つ手の違いとは(?)と聞かれたある将棋の大名人はこう言った。
「打った手がプロの手」なんだと。大名人の名を大山康晴という。
ダダイズムが誕生して今年で100年目。
さあ〜今日からまた、バカになって誰も考えないことを考える、大成功を目指して。