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2016年7月7日木曜日

「大名人の言葉」



♪〜私バカよね おバカさんよね うしろ指 うしろ指さされても…。
誰が唄った歌か忘れたがこんな流行歌があった。

私はかつて不名誉な言葉でこう呼ばれた。「歩く迷惑」と。
何故かといえばあっちこっちに打合せに行って、すっかり決まっていることを、あっちはそっちに、そっちはあっちにとか言ってはまとまっていた話を引っくり返していた。
あ〜アノバカまたきっと話を壊しに来るぞ、なんて思われていたのだろう。

朝起きてこれはいいぞと思ったことが数時間経って、本当にいいというのはめったにない。一分一秒経つごとに思考は変わる。これでもか、これでもかと考え続けていると、朝OKだったことが夕方99.8%はNOになるのはプロとして当然だと思っていた。
めんどくさがりは、それってもうOKだから次に行こうぜとなる、が勝負の世界はマムシよりしつこい人間が最後には勝つ。

将棋界の四冠王羽生善治はマムシより恐い“ハブニラミ”と言われている。
全部決まっていたことを全部引っくり返す、小林亜星先生が演じた“寺内貫太郎”の卓袱台返しのように。だがそれを恐れていては誰もやらなかったことは生まれない。
太陽が西から登場したってOKだし、前に進むクルマや列車がみんな後に進んでもOKだ。

かつて「ダダイズム」というのがアート界に出現した。
ダダとは常識破りとか、伝統や権威、道徳などを否定する若者のアートだった。
芸術は、バッバッ爆発だ!と言った岡本太郎さんは古い権威主義の画壇にオサラバだ。
現在日展に入選したなんて言っても、あっそう位だ。

ダダ(DADA)はルーマニア語の二重の肯定(イエス・イエス)だったと言われる。
私バカよね、おバカさんよね、そんなことを必死にやる若者が出て来てほしいと思っている。土鍋で顔を洗い、洗面器ですき焼きをする、そんなことを平気でする柔軟な発想力を養ってほしい。
いつの時代も大発見、大発明したのはみんなからバカみたいと言われていた若者だ。
人が一度やったことをいくら追いかけてもダメなのだ。
ボクは一年間も考えに考え抜いたものだといっても、つまんないものはつまんない。
ボクさっき駅に降りてふっと思いついたんですが、こんなバカなことって有りというのには勝てない。思考時間と創造の価値とは正比例をしない。
パッと一秒で大発見!そのためには何千時間も実は考えていることが必要となる。

一流のタクシーの運転手さんは一度行った道をずっと憶えている。
長い待ち時間の時は地図をずっと見ている。
そうでない人はただボーッとお客を待っている。こういうのを、ダダではなくタダの時間という。気が付くと実にこのタダの時間を私は重ねている。

プロとアマの打つ手の違いとは(?)と聞かれたある将棋の大名人はこう言った。
「打った手がプロの手」なんだと。大名人の名を大山康晴という。
ダダイズムが誕生して今年で100年目。
さあ〜今日からまた、バカになって誰も考えないことを考える、大成功を目指して。

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