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2017年6月12日月曜日

「時代の申し子たち」

私の目に狂いはなかったことを三人の若者は証明してくれていた。
六月九日(金)午後五時過ぎ私は若者たちの事務所引越し祝いに行った。場所はカタカナ職業が目指す青山である。
そのオフィスの窓から見えるのは青山通り、そして青山学院大学のキャンパスだ。
青山通りから数メートル入ったビルの中にあった。それはかなり年季の入ったビルだが、オフィス内はすべて自分たちの思い通りにつくり変えてあり、グッドデザインであった。
スタッフ七、八人は新しく。床も壁も照明もデスクも椅子も、何もかも新しい。仕事があり過ぎて断っているんだとか。十一月には上の階が空くのでそこも使うという。

中国地方のある県から出て来た若者三人は大学は東京で学んだ。
福井県鯖江といえば日本のメガネの90%をつくるところ。
その鯖江のメガネメーカーに行った時、新商品のプロモーションビデオを見せてもらった。それを見て、誰!これをつくったのはと社長さんに聞いた。
日本人離れした映像センスとデザイン性に驚いた。
東京に帰りすぐに連絡をして会ってもらった。確か四年程前であった。若者たちは未だ会社を設立して間がなく銀行との取り引きを始めたばかりであった。何しろ才能が並外れてあった。
一人で三役以上をこなすマルチな才能を持っていた。未だ三十二・三歳である。君たちは絶対に成功するよと確約した。

それから三年余、若者三人はIT社会の申し子のように、クリエイティブに、イベントに、プロモーションにと活躍の場を広げた。又、人材活用の新しいビジネスモデルを生んで行った。
もう平面だけではクライアントの要望に応えられない。
日々進化するネット社会の媒体を自分たちのアイデアでつくり上げて行った。これからはマルチでないとダメですね。と言った。
若者三人は又営業力に優れている。毎夜酒を飲みつつ人と交流をし人脈をつくり上げたという。
いまどれくらいの年商なのと聞けば、三億円事件を超えはじめているとか。来年には片手にします。(5億円)と自信を持って言った。

金がすべてではないが、つくづく時代の変化を知った。
平面広告の比重は30%位で、70%は自分たちが生んだ媒体からだ。
すばらしい若者たちの感性と時代感覚に敬服した。自信に満ちあふれる若者の前途がさらに洋々たらんことをと思った。時代の変化は速い。気がつくと浦島太郎のように世の中から置いて行かれる。
我々の世界は〝センス〟である。人間的センス、創造力のセンス、営業力を展開して人脈にするセンスだ。一人ひとりが自らをスキルアップすることだ。

アメリカのギャラップ社の調査によると、従業員が会社への熱意を持っているのは、アメリカの32%に比べて日本は139カ国中132位6%であった。ほぼ最下位だ。
グタグタ不満をいう無気力者が24%、やる気がない者が70%であった。
若者たちは実に明るく、楽しそうであった。キラキラとしたプラスオーラが出ていた。
これはどの分野にもいえるはずだ。
向上心のない者は時代から置いてけぼりになる。

2017年6月9日金曜日

「山本屋とブータレ」




昨夜名古屋出張から九時半頃に戻った。
御礼を言うべき方への電話や、お願いをする電話や、こういうことになりましたとの話を聞いた後、ノドが乾いたので冷えたキリンの生茶を飲んだ。

そこに一本の電話が入った。
出張前日結婚なんてものはと言った相手から、希望を持って結婚しますと報告があった。そうかそれはよかった。

私はずっと未婚の人に結婚をすすめて来た。
一度や二度失敗したっていいんだよ、恋愛を何より大事にするフランスみたいにこの国はなって行かなければが持論である。
洗濯物がごちゃまぜの大回転になっても我慢すればいい。
なぜなら相手もデタラメな私を我慢してくれているからだ。
多大な理想主義は現実に直面した時、ガタガタとなるから天邪鬼な私はあえて本音を語る。

人は結婚で大きく変わることができる。
心が広くなり、男は逞しく、女性の姿は美しくなる。男女同権を声を大にして言う。
自分にもっと自信を持って恋愛をせよ。君を待っている人は必ずいる。
寛容と忍耐の形を結婚と言う。

名古屋を歩き回って帰って来たのでシャツが汗びしょであった。
それを脱いで洗濯機の中に投げ入れた。
久々に名古屋で山本屋のみそ煮込みうどんを食べた。やっぱり旨かった。
足腰がバンバンになっていた。

熱田神宮に200円お賽銭を投げ入れて200円分のお願いをした。
私は結婚して48年である。日帰りで歩き回り途中でソーダ水を飲んだ。
熱田神宮の側であった。あの世に行く時三途の川を渡るという。
その時ソーダ水を飲みたいなと思った。200円分のお願いの一つであった。
若者に幸多からんことを祈る。

「婚活うつ」


ジーンズとブラジャーを一緒に洗濯したら、ジーンジャーかな、ショーツとパンツを一緒に洗濯したら、ショーパンか、シャツとスリップを一緒に洗濯したら、ダンプか。

まあ結婚なんてこんなもんになるんだよ。
キミたちの愛も二、三年もすれば、洗濯機の中で大回転をする。
洗剤のパワーが結婚への理想をすっかり洗い流す。
マゼコゼになった洗濯物は、乾燥機の中に投げ入れられて、これまた大回転だ。
Tシャツにブラジャーがへばりつき、エプロンとタオルと靴下とパンツが現代アートのように一対となる。
それはやがてバリバリとはがされて太陽にさらされる。

人間は慣れていく生き物なので、はじめはギョ、ギョっとしたものもこんなもんだと見えてくる。
恥じらいなどというのは大幅に後退をし、面倒臭いというのが最優先される。
結婚とは我慢比べのゲーム。耐え忍ぶという金のかかる生活苦なんだ。

翌日朝早くから名古屋へ日帰り出張だから早く帰ろうと思っていた。
銀座の仕事場に映画の配給会社の社長が来て映画談義に話が弾んだ。
社長は二時間ほどいた。

NHKの七時のニュースが終わった七時半ごろ、知人の息子さんから電話があり、結婚を考えている女性と会ってほしいと言われた。銀座で食事をしていたらしい。
で、銀座の旧東武ホテルの喫茶室で会った。私が洗濯物の話をしたら二人はキョトンとしていた。
女性は洗濯物はしっかり区分けして袋に入れて洗います。と強い口調で言った。
そうだよねキミはとても几帳面だしね。と息子さんが言った。

結婚への希望なんて、絶望にあっという間に追い越される。
それにいかに耐え抜くかのチキンレース(我慢比べ)だと私は言った。
夜十時過ぎ家に帰り洗面所で顔を洗っていたら右斜目前にある洗濯機の中が見えた。
Tシャツや靴下やエプロン、パジャマがへばりつき合い不思議な団体となっていた。

ある調査によると結婚率が一番高いのが福井県で、最下位が東京都であった。
約6分に一件離婚をしているという。〝婚活うつ〟というのが多くなっているというニュースを見た。
何度も何度も婚活したが失敗率100%の男女が、すっかり落ち込んでしまうらしい。
理想の相手というのはこの世には存在しないと私は思っている。
頑張れ婚活!妥協と我慢、非理想だよ。

2017年6月7日水曜日

「無法者の町」




1870年代アメリカ西部。荒野の中に小さな町がある。
教会も当たり前のように小さい。両開きの扉を開けるとバーがある。

長い木のカウンターの前に立つカウボーイ。馬は外でじっと待つ。
カウンターの奥には店の主人、二階はホテル。
大きな胸を見せた女性たちが階段を上下する。スカートはカーテンのように長く広い。
バーボンを頼む、ショットグラスで一気に飲む。ワンコインをカウンターに置く。
バーには常連のカウボーイたちがいてトランプでポーカーをやっている。
脇にはライフル、腰にはガンベルト、そこには二丁拳銃。
よそ者が来ると一斉に身構える。紙巻きたばこの煙が動く。

町には必ず成金の支配者がいる。支配者に買収された悪徳保安官がいる。
用心棒を金で雇っている。町には正義感の強い者がいるが殺される。
荒野で求めるのは「土地」だ。土地を支配したものが町を支配する。
かつて原住民のインディアンがいたが白人が殺してしまった。
弱い者たちは神に祈るしかない。

支配者は好き勝手をしながら、アメリカには自由と民主主義があるとうそぶく。
支配者の言う自由とは、好き勝手にするという自由だ。すべては金によって支配する。
支配者たち白人は、原住民にとってはよそ者であった。
イギリス人、フランス人、オランダ人、スペイン人たちだ。
こんな町に凄腕の賞金稼ぎとか、裁判所から委任されて犯罪者を追う正義の味方が現れて、汚れた町をキレイに掃除して去って行く。西部劇の定番ストーリーだ。

昨夜久々にその西部劇を見た。
2017年現在アメリカは根本はちっとも変わっていない。
150年前と基本的構図は変わっていない。
凄いと言えば支配者がほとんどユダヤ系であり、ライフルやガンベルトに二丁拳銃などは持っていない。その代わりにありとあらゆる地球上の情報という武器を持っている。
その最強の武器がアメリカを動かし、世界を動かして来た。

ハリウッド映画は必ずハッピーエンドで終わって来た。
正義が勝つと決められていた。ベトナム戦争以降、それは変わった。
「ジョニーは戦場に行った」、この映画がハリウッドの常識を大きく変えた。
アメリカが旗印にする正義のための戦争が、ひと握りの資本家という支配者のための金稼ぎであったことを知る。

ユダヤ系の人間がつくったハリウッドはハッピーエンドで終わらなくなった。
アメリカの天敵ロシアとトランプ一家がツーカーの状態だったことが、アメリカが誇る伝統の正義によって裁かれる。
西部の小さな町に現れた、正義の味方のようなものがアメリカには決然とある。
ロシアとツーカーだったのがトランプ大統領の娘、ユダヤ系というので実に話の構図が分かり易い。

「スミス都へ行く」という映画で支配者の不正を暴く熱血議員の姿を描いた。
西部の町の無法者「リバティ・バランスを撃った男」で伝説には隠れた真実があることを描いた。アメリカの正義はどうなるか。
我が日本国は無法者リバティ・バランスが支配する西部劇のようになって来た。

私の期待する人が「スミス都へ行く」の主人公になる日がきっと来るのを信じている。久々に見た西部劇はまるで現代劇と同じであった。
無法者リバティ・バランスを撃つ男は“リベラルバランスで撃つ男”である。
いつものグラスにバーボンを入れた。

2017年6月6日火曜日

「500円以内は…。」



恩人、知人、友人またこの人はずっと生きていてほしい、そう願う人が次々と癌によってこの世を去って行く。たった一つの小さな癌でも死んでしまう。
癌のタチが悪いからだ。残念無念である。
そう思うとやっぱり何年も全身癌と言っている樹木希林さんはスゴイ!
ヤブ医者の大誤審かもしれない(?)

日々カロリー制限をし、一日一万歩を歩き、血糖値とニラメッコしている人がいる。
私の近所のご主人はずっと糖尿病で朝、昼、晩、速足で一生懸命歩いている。
一万歩歩いてもビール、コップに二杯分のカロリーしか減らないがもう何年も歩いている。
否正しくは歩いていたのだ、暑い中海岸を歩いていて低血糖になり気を失って頭を強く打ち入院した。一日1800キロカロリーが目標だったとか。
今はいいクスリがあるのでしっかり食べた方がいい。
キリギリスみたいに野菜ばかり食べていては力が入らない。

ギャル曽根とかその子分みたいな若い女の子が、一時間にラーメン30杯とか50杯に挑戦して、目から涙を流し、鼻の穴から麺が出ている。キタネー姿をテレビは写す。
激辛汁なしでなく、汁あり担々麺を5人で食べて競争していたが、そりゃーもうハチャメチャ、ドバッとゲップした若い女性の口の中から、麺が一気に飛び出していた。
超、超激辛カレーに挑戦した主婦の一人は、我が子の前でバッタリとうつ伏せになってしまった。

昼食の予算500円以内で生活しているおとーさんたちにとって、担々麺もジャージャー麺も不気味な油そばも夢の食事なのだ、バカがバカ食いするのを見るバカがいる(私でした)過食症は重大な病なのだ。

それにしても45分でハンバーガーを54個食べた女の子がいて、二位は53.5個半分負けた。子どもの6人に一人が貧困である。
勉強したくても学校に行けない、一食一杯のカップヌードルやおにぎりで成長期の体を支える。
これでいいのかと思ってしまうのだ。

2017年6月5日月曜日

「日本列島」




地球儀をグルグル回して見る。世界地図を広げて見る。
そこには200カ国以上の国々がある。
デザインというのを少しばかりかじり始めた時こう思った。
いかなるデザイナーであっても日本列島の形はデザインできないだろうと。
北海道、本州、四国、九州。この内一つでも欠けたら日本列島は成立しない。

絶妙という言葉はこの日本列島であると言ってもいい。
長く伸びた本州に緊張感を持たせるために、能登半島が突き出る。
そしてその先に佐渡島があり更に本州を緊張させる。
日本列島の周辺にはまるでデザイン上のポロック(点々)のように島々が点在する。
新島、伊豆大島、八丈島、小笠原の伊豆諸島。
対馬、道後、淡路島、沖縄、与論、種子島、奄美大島、屋久島。
そして宮古、石垣などの八重山諸島。
日本列島は島々の美の緊張と言ってもいいだろう。

ここにこの形でなければという絶妙にして絶対の配置である。
北海道の国後、歯舞、色丹、択捉の北方四島。最果てにある礼文、利尻。
日本列島の形はデザインの極致である。

金曜午前一時から三時半過ぎまで、日活映画の名作「日本列島」を見た。
日活は実に多くの社会派の映画を作っている。この映画は過去に何度か見ている。
昭和三十年代日本で起きた不可解な数々の事故死、また松川、下山、三鷹事件という謀略的事件、私が長く住んでいた荻窪近くの善福寺川に浮かんだ国際線のスチュワーデス。
育英教会の人間が容疑者として調べられたが、突然本国に帰国して迷宮入りとなった。
すべては米国のスパイ機関の仕業と言われているが、日本国は米国に物が言えない。

戦後七十二年を迎えようとしている現在も、占領されたままなのだ。
麻薬、偽ドル(闇ドル)、武器の売買、人身売買などあらゆるものが、ビルマ、タイ、ベトナム、ラオス、ミャンマーから上海、香港、台湾、中国のあちこちから世界へ回る。
勿論日本は大きな市場だ。

銀座から人形町に向かっていると、さして大きなビルでないところに◯×洋行、◯×商会、◯×交易、◯×研究会、◯×通商などという小さな看板がビルの入り口にある。
一度ある記者とそこいらを通ったら、これらの会社はみんな闇ルートとか、必ずここに金を落とさなければならない仕組みなんだと聞いた。
元上海機関、元陸軍中野学校、元軍人、元憲兵、元満州国関係などが今でも仕切っているのだと言った。
熊井啓脚本・監督に名カメラマン姫田真佐久、日本列島の美しさでない黒い部分を鋭く描いた。見終わってふと思った。

この頃忖度という言葉が流行り言葉となっているが、日本国政府は何から何まで米国に忖度しているのではないかと。
米国から無理難題をこれでもかと押し付けられているのだろう。
金髪を逆立てシャラップと叫び、テーブルをドーンと叩いてディールする。
敗戦国となった時からずっとそれが続いているのだ。

私の好きな日本列島はこの先どうなるのだろうか。怖ろしい事件となって来た。
是非映画「日本列島」をご覧あれ。今の日本がクッキリと見えて来るはずだ。

2017年6月1日木曜日

「才能のDNA」




人間には本人が知らなかった才能がある。
こんな才能はどうだろう。
保険会社に勤務していた男がリストラをされる。八年間勤めていた。
男には結婚を約束した女性がいる。女性は自分の店を持つ夢を持っている。
5000億ウォン→日本円で約5000万円あれば店を持てる。
男に金を迫るがリストラをされたとは言えない。
当然銀行から融資も受けられない。

女性に事実を言えない男は、いくつかのアルバイトをする。
その中で運転代行が性に合った。
自分の車に乗って飲食をした人間は、飲酒運転ができない。
そこで運転代行業者に頼んで自分の車を運転してもらい帰宅する。

存在感が弱く気の小さな男は自分の中にとてつもない才能がある事に気づく。
その才能とは、保険会社に勤めていたので街中の防犯カメラの位置を知っている。
そして車の中で殺人をして、車を売って稼ぐことである。防犯カメラの死角で行う。
運転代行はその才能を発揮するために一石二鳥であった。

男は一人、二人と絞め殺し、一台、二台と売り飛ばして行った。
5000億ウォン→5000万円を稼いで女性と結婚するために。
ベンツ、アウディ、レクサスなど高級車は次々と売れた。
会社では何も出来なかった人間が、自分の才能に気づいた時、もうブレーキは効かなくなっていた。
韓国映画「殺人の才能」。
“飲んだら乗るな”の標語を思い出し“飲んだら呼ぶな”に置き換えた。

福井県鯖江市に行った日の夜、広い歓楽街、飲食街に人が全くいなかった。
だが店内には満員の客であった。日本でも有名な裕福の県である。タクシーがいない。
自家用車もない。
Why?何故と聞いたら、みんなお金持ち、運転代行を呼んで帰るのだと言った。
そうか確か福井県は社長さんが多いのだ。
「殺人の才能」を見終わり、福井の夜を思い出した。

将来ピアニストになりたいと言う美しい少女がイジメによって自殺した。
学校や教育長たちは、デジャブ→いつものパターンで責任逃れをしていた。
許せない人間たちだ。気が付かなかった、知らなかった、報告を受けていなかった。
怒る両親はもう調査なんか止めてと言った。
美しい少女のご両親の中にもきっと殺しの才能はある。

目には目を、一度は許してもいいだろうと思った。
バカな教師たち、教育長たち。ホモサピエンスにはあらゆる種族を滅ぼして来た殺人のDNAがある。あなたにもそのDNAがあり殺しの才能がある。

今日は六月一日衣替えの日、才能を替える日だ。
我が子を殺された親には特権を与えるべきだ。

2017年5月31日水曜日

「非常食三段活用」


このところ東海道線の列車内でオッ、ヨヨッという人間を見かけなかったが、昨夜十時だから二十二時ちょい過ぎの小田原行きで非常食の男と出会った。

三十四、五才位だろうか。
かなり混んでいたグリーン車の後ろから四番目の窓際に座っていた。
窓のところにサントリー角ハイボールロング缶があった。
私が座るとギョロっと顔を飛ばした(ガンをつける)生意気なとお互いに思ったのだろう。空いている席はない。
新橋から乗ったのだがもしかしてこの若者とモメるかなと思った。
私が動くたびに顔をチラッと動かした。ウットウシイなと思った。

品川駅から人が乗って来て私の横に初老の男が立った。パッコンと音がした。
何!と窓際の男を見ると、乾パンの缶詰をプルトップで開けていた。
プーンとなつかしい乾パンの臭いがした。角ハイボールをグビッと飲むと乾パンをパキッ、ポキッ、ボリボリと食べ始めた。つま味が乾パンなのだ。

これが結構ウルサイ、ウルセイ、ウルセインダヨォの気になる三段活用となる。
食べるたびに乾パンの粉が床に落ちる。時々缶ごと口にして数個を一気に食べる。
角ハイボールを飲むのと同じ姿で乾パンを口に入れるのだ。
何だいこの若いのはと思った。

パコンと小さな音がした。やはりプルトップで缶詰を開けた。
“真いか煮付”の缶詰だった。プーンといかの臭いがした。
円筒を4分割にした円形平体の形の中にいかが輪切りにされ、その中にゲソ(足)が入っている。私はいか大好き、思わず目が行ってしまった。
いかは、クサイ、クサイゾ、クサインダヨォの三段活用となった。

乾パンといかの缶詰、ローソクとか懐中電灯を持っていたら、非常事態だなと思った。新聞を読んでいた私のヒジに男の体が触れた。
ムカッとしたら、かわいい声でスイマセンと言った。
顔をよく見ると小池徹平にそっくりの童顔だった。
乾パンといかウマイと聞いたら、食べますかと言った。
いらない、いらないよと言った。

列車は無言の乗客をしこたま乗せて川崎駅に着いた。
一人も降りず、三、四人が乗って来た。
乾パンを食べる乾いた音と、いか煮付缶のアナーキーな臭いが、列車の後部を支配していた。横浜駅を出ると男はスマホを出してケタケタと笑っていた。
気がつくと横に立っていた初老の男は前方の席に座っていた。
まてよオレはあの男よりきっといくつか年が上だなと思った。

家に帰ったら備蓄の乾パンを食べようと思った。
ついでにノザキのコンビーフも。きっといい夜になる。
ヤバイ、ヤベエゾ、ヤバインダヨの非常食三段活用だ。

2017年5月30日火曜日

「乱命」




中国の読み物といえば三国志が読み継がれて来ている。
中でも諸葛孔明と劉備玄徳との関係が有名である。
三国志とは「魏」の曹操、「蜀」の劉備、「呉」の孫権とが、中国は三分にして覇権を争った。

中学生の頃に要約されたのを読み、後年ちゃんとした歴史本を何年もかけて読んだ。読書は学力が無いので苦手であり遅読である。
特に中国の歴史は名前を覚えるのがひと苦労だ。

昨夜NHK Eテレで「100分de名著」三国志(終)再/劉備の仁、孔明の智。
というのを25分間やっていた。
肉野菜炒め、ポテトサラダ、レバーの煮込み、ひじき、生たらこの焼いたもの、ブリの塩焼き、海苔、そして浅利の味噌汁で遅い夕食を食べながら見た。

「乱命」という有名な言葉を聞いてむかし読んだのを思い出した。
劉備玄徳が死に際し軍師孔明に遺した言葉である。
自分が死んだ後、息子劉禅が乱命→正常でない命令、間違えた命令、国を乱すような命令を出したならしっかりケジメをつけてくれと。
孔明はそれを見届ける前に戦いの陣中で死ぬ。

G7→グレートセブンと言っても超大国中国とロシアが入っていなければ最早グレートではない。インドとパキスタンも核を持っている大国だ。
北朝鮮を最重要として絶対に守れと言い遺したのは故毛沢東である。
北朝鮮を口唇に例えた。中国大陸と韓国、日本との間の口唇に置き換えたのだ。
日米韓の中国への侵入を守るために、いざという時は口唇を閉じて守り通せと。
周恩来から代々の国家主席に受け継がれて来ている。

中国は北朝鮮を守るためならどんな手段でも使う。
ロシアは損することは絶対にしないので、中国とは絶対に離れない。
朝鮮戦争でも北朝鮮は負けなかった。
この戦争は実は終結をしてなく、今でも休戦協定状態である。

G7で乱命を乱発して孤立してしまったのはトランプ大統領の米国であり、更に孤立化してしまったのが日本国という事になる。
万事ビジネス感覚のトランプ大統領は平気で日本を見放すだろう。
仁も義も智もない。日本国でも乱命が乱発されている。

日経新聞の最新のデジタル内閣支持率はなんと26%位だ。
病的とも言える嘘つき国家となった。だが北朝鮮がミサイルを乱発すれば支持率は上がり、海外でテロが起きればテロ準備共謀罪が支持されるという運気に乗ったものであったが、運は尽きる。一度潮目が変わった政治の流れはもう止められない。
今上天皇まで敵に回しているのだから。どいつもこいつもどうしようもない。
でも仕方ないと全身で乱命を支えて来た。代貸しに見放された時、命脈は尽きる。

ある雑誌社の記者がいよいよ面白くなると言った。
それは三国志となる自民党か、三国志となった山口組か、自民党VS小池百合子氏VS無党派の三国志か。
ハシッコイヤメ検弁護士若狭勝氏は副知事を目指して自民党に進退伺いを出した。
バンバン茶番が始まる。乱命(ご意向)が乱発されるだろう。
ある調査によると42%の無党派層の内、自民党支持は2割でしかない。

2017年5月29日月曜日

「カタツムリ」




パトリシア・ハイスミス(1921~1995)「見知らぬ乗客」や「太陽がいっぱい」などの作者でサスペンスが得意であった。ハイスミスは人付き合いが苦手で孤独だった。
小説を書くのは強迫観念のようなもので、仕事をしていないと苦しくなった。
現実の生活は仕事すなわち想像の世界にしかいない、インスピレーションに事欠くことはなかった。ネズミがオルガズムを感じるようにアイデアが湧いて来たそうである(本人の日記より)。

ハイスミスは午前中に三、四時間執筆した。
ベッド上に座り、タバコと灰皿、マッチ、コーヒーの入ったマグカップ、ドーナツと砂糖を盛った皿などをまわりに置いた。まるで胎児のような姿勢で書いたという。
執筆を始める前には強い酒を飲んだ。
それは躁状態にまで高まったエネルギーを抑制するためだった。
毎日ウォッカを大量に飲んだ(その日飲む分量を決めていたが)、チェーンスモーカーでもあった。
食べ物には無頓着で、アメリカ製ベーコンと目玉焼きとシリアルだけであったようだ。
人前で緊張するたちで、動物好き、特に猫とカタツムリに特別な愛着を感じた。

ある魚市場で二匹のカタツムリが奇妙な形でからみあったのを見てからだった。
ついには三百匹のカタツムリを庭で飼った。
レタス一個と百匹のカタツムリを入れた巨大なハンドバッグを持ってバーなどに現れた。百匹のカタツムリは彼女の夜のお供とのことであった。
フランスへ引越す時、生きたカタツムリの持ち込みが禁止されていたため、十匹近いカタツムリを左右の乳房の下に隠して何度も国境を往復したという(天才たちの日課/メイソン・カリー著 金原瑞人/石田文子訳より抜粋)。

昨日家の前にある公園のアジサイの葉の上に小さなカタツムリ(デンデン虫)が二匹いた。先日雨が降ったせいだろうか、わりと日隠にあるアジサイの葉はしっとりとしていた。手に取ろうとしたら必死に葉っぱに吸い付いていたので止めた。
カタツムリというと、パトリシア・ハイスミスを思い出すのだ。
デンデン虫というと、むかしいたお笑い芸人“大宮でん助”と、昨今名優の誉れ高い役者“でんでん”を思い出す。フランスで一度カタツムリ→エスカルゴ料理を食べたが私にはイマイチであった。緑の葉の上の極小のカタツムリは一つのアートのようであった。
ここに露雨でも降ればいいんだがなと思った。

家に戻りペットボトルを持って再びカタツムリのところに行き、口に含んだ水をプゥーと霧のようにしてかけた。
緑の葉が一段と鮮やかになり、カタツムリ二匹は心なしか身動き気持ちいいと言っているようだった。冬物の服やオーバーコート、セーターにシャツ、マフラー等をクリーニング店に持って行った。自転車一台はパンクし、一台は空気が抜けていたので二往復して運んだ。

どれほどの梅雨が来るのだろうか、六月一日衣替えは近い。
五月三十一日が誕生日の有能な友人がいる。実に区切りのいい日に生まれたものだ。

人生は急ぐことはない、カタツムリのように焦らずにジワジワと進むのがいいと思う。
カタツムリに霧を吹いていたら、小さな虹ができた。自然の色は美しい。
「雨に唄えば」という曲を思い出した。
梅雨が明けたらパトリシア・ハイスミスの「太陽がいっぱい」の季節だ。
午前四時四十八分十二秒、いつものグラスにジンを入れた。