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2018年7月24日火曜日

「大暑の日のこと」

ゴロゴロ、ごろごろ天井を見て、うがいらしき男の背中にゴツンと当たったら、男はゴクンとうがいしていたものを飲み込んで、キョトンと私の顔を見た。32・3歳と思われるメガネをかけた細身の男であった。新橋発午後11時25分の国府津行きに乗車するために、ひとまずトイレに行っておくべしと思い改装中のトイレに入った。いい匂いがするトイレなどは駅にはない。当然この時間になると酔客が多い。男は何をしていたかと言えば、歯を磨いていた。たまに見かける風景だが、清潔と不潔感が口の中に一緒になっていて、すこぶるキモチが悪い。男は熱心に歯を磨いていたので、後を通る私には気がつかない。でゴツンとぶつかってやった。男は自前の紙コップを手にしていた。ゴクンと飲んだまた熱心に磨き始めた。私は階段を登り、入線してきた国府津行きに乗車した。 昨夜知人後、と会っていた。お土産に国産のクラフトジンを渡した。今、ジンが静かなブームになっているのだ。列車の中で日経新聞の夕刊を広げると、丁度そのブームについて書いてあった。私はジントニックが好きなので、よく仕上げに一杯それを飲む。日経の記事は大きく一面の4分の3を割いていた。口の中がジンによって、キレイに洗われる。トイレの中で歯を磨くより、ジントニックで消毒した方が清潔になる気がする。昼のことエラソーで大声でウルセイ、酔ったオヤジがそば屋でカレーうどんをアツアツと食べていたから、このオヤジいつもウルセイと思っていたのでゴツンとぶつかってやった。二階のトイレの入口の席であった。暑い夏こそカレーうどんに七味をババッとふりかけて食べんのがいいんだと言っていた。ゴツン。アヂアヂアヂーとなり、口の中に入れていた黄色いうどんを、ナハナハ、ナハと“せんだみつお”みたいになり、目に涙をためて口から出した。水をゴクッと飲んだ、誰れだぶつかったのはと言っているのが、階段を降りていく私に聞こえた。顔なじみの男の店員が、うしろを向き腹をかかえていた。ウルセイオヤジは元警察官だった。しばらく刑事をしていたらしいが、店の中を留置場と間違えているように、我が者顔であった。アツアツのカレーうどん、それも太めのやつを一度ノド元位まで飲み込み中にゴンとやられると、ほぼ100%泣きが入る。おそば屋さんでいちばん敬意と注意が必要なのはカレーうどんだ。それ故白いエプロン等が用意される。猛暑は、昨日二十四節気の大暑を迎えた。小説「異邦人」の主人公は、ただ太陽がまぶしかったからと人を殺したが、猛暑、熱暑、そして熱波となると何人殺されるかわからない。気をつけるべしだ。午後3時頃、抹茶白玉あずき氷800円を着物美人が食べていた。ずい分と涼しくなった。うなじにうっすらと汗が浮き、その汗でアイシャドウが乱れていたがそれはそれでいい風情であった。私も今年はじめて食した。オバサンが近寄って来て、どうですか涼しくなるでしょうと言ったから、ツブアンが多すぎるし、白玉も大きすぎると嫌味を言った。オバサンはせっかくサービスしたのにとボヤいた。一人でいる時は離れていてチョーダイ、もっとピアノ売ってチョーダイ、タケモトピアノの財津一郎なのだ。私の脳内は相当に熱に犯されている。クルクルパー&アジャパーとなっているのだ。新橋駅トイレ内の男もきっと猛暑で、トイレを自分の家の洗面所と、間違えたのだろう(?)。列車内で大先輩に頼まれた、会津出身の版画家、故「斎藤清」の個展への案内状のアイディアをぶ厚い画集を読みながら考えた。文化功労者で、生誕110年。ある一作の中の、ある赤い色を見て、パッとある言葉が浮かんだ。混迷を極めるこの世の中を救う言葉だ。その文字は活版屋さんに行って、活字を使う。会津は亡き友の故郷である。ガ然アタマが冴えて来た。と言ってもたかが知れたアタマだが。

2018年7月19日木曜日

「愛した相手は」

人間は猛暑の中の猛暑にいると、思わず頭が変になったのではと思う記事に、目を奪われる。信じられないことだ。ある夕刊紙コラムのタイトルは、「もぎたて海外仰天ニュース」見出しは「大変です。隣人が愛犬を犯しています」いいですか、愛人を犯しているのではなく、中型犬なのです。テキサス州中部マクレナン郡の警察に通報が入り、駆けつけると、「大変です。隣人が愛犬を犯しています」と言った。隣人は27歳、犬と獣姦をしていたのだ。オスは犬の雑種。この男は抵抗なく逮捕され、保釈金8000ドル(約80万円)を払って留置所から出た。公判で有罪になった場合は、量刑は最長で2年とか。 テキサス州では2017年に、獣姦禁止法が成立していたのだが、この男が初めての対象者となった。法が出来るということは、何度もあったからなのだろう。猛暑の中くれぐれも愛犬を持っている人には気をつけてほしい。人間は動物であるのだから。



2018年7月18日水曜日

「ピース・ニッポン」



7月14日、天才中野裕之監督の新作が封切られた。製作8年圧倒的な迫力と美しさで描く全国47都道府県の息を飲むような絶景だ。ナビゲーターは、小泉今日子さんと東出昌大さん。中野裕之監督は、美しい国日本を決して諦めず、献身的に、そして誇りを持って、ピースな日本を撮り続け、気の遠くなる時間をかけて作り上げた。汚れちまった心を洗ってくれる映画だ。そして、涙を流すだろう。♪〜うさぎ追いしかの山、小ぶな釣りしかの川・・・。みなさんぜひ、知人、友人を誘って観に行って欲しいと願う。タイトルデザインは日本の宝、葛西薫さんだ。

2018年7月17日火曜日

「少年たちと、 W 杯」

7月15日(日)午後1時半、試合開始、場所は保土ヶ谷34サーティ フォースタジアム、夏の高校野球県大会2回戦、横浜商業対横浜隼人。スタジアムは超満員で外野の芝生のところまで解放していた。猛暑。アタマクラクラ、顔面はトリのカラアゲ状態になった。アツアツのパリパリ。試合はホームランが2本も出て、点を取って取られてのシーソーゲーム。そして私が応援するY校こと横浜商業が9対6で逆転勝ちした。試合時間3時間余り(フツーは2時間位)黒い学ランを着た応援団、女子ブラスバンド、キリンのストロング缶、タカラの缶チューハイ、サントリーのウイスキーハイボール缶等を飲んで熱狂的に応援する老人 OB たち、俺東京の信用金庫に就職決まったのと、言いながら大声援の OB たち。少年たちはグランドに礼をし、相手チーム、そして応援団に礼をする。猛暑の中少年たちは輝いていた。そのグラウンドの隣には軟式グラウンド、元少年野球男児たち(オジサンたち)の草野球の試合、と言ってもみんないい体をして、凄い球を投げ、そしてすごい打球を打つ。体も大きい。きっと野球青年だったのだ。2回戦に勝っただけだが、まるで優勝したみたいな大騒ぎだった。スポーツはいい。午後12時キックオフでサッカー W杯 、クロアチア VS フランスだ。私は断然クロアチア応援する。人口わずか400万人の国(もとユーゴスラビア)私はモドリッチという身長174 cm 位の選手が大好きなのだ。サッカーの試合では、よく献身的という言葉が出る。又、選手は国の誇りをかけて戦うという。残念ながらこのW 杯で一番サイテーだったのが日本だ。負けているチームが逃げ回るという、今回のW 杯の全64試合の中でサイテーの試合を歴史に残した。国の恥であった。W 杯の MVP (最高の選手)は敗者の国の代表選手モドリッチであった。クロアチアは延長戦を多くして、他のチームより一試合分多く戦い、しかも優勝したフランスより1日休みが少ない。だが小さなモドリッチは疲労がありありだったが、冷静沈着でありつづけた。 MVP はフツーは優勝チームから選ばれるが、 FIFA はモドリッチを選び出した。優勝するまでに1ヶ月で7試合勝たねばならない。日本は優勝を目指すのでなく、いつまでもNO.16を目指すという情けないチームであった。各国が言う誇りもなく、 傷だらけでも出場して一緒に戦う献身性の欠片もない。勝つためにやるのが試合だ。 プロとしての在り方を改めてW杯に出場した一流のプロたちに教わった。勝者に迫った、敗者たちに栄光あれだ。

2018年7月13日金曜日

「カジノは・・・」

大雨、大水害で気分は沈没する。ズルイ話、イケナイ話、看護師のコワイ話、セコイ話は山ほどあり、太っ腹の話は、ナイナイづくし。銀座は猛暑の中、まるで中華人民共和国状態。いろんなアジア人の中を、スイマセン通らせてとニッポン人。ギャンブル中毒症防止法などという珍妙な法案が出るアホな話、立てばパチンコ、座ればマージャン、歩く姿は馬券買いと言われた。ギャンブル中毒と大麻、マリファナ、シャブ中は死ぬほどの決意がないと治らない。カジノにひと度入り浸り始めたら、死ぬほど好きな女を売り飛ばしてでもカジノに通う。私は10代で競輪、競馬、競艇、花札、ドボン、チンチロリン、マージャン、パチンコ、スマートボール、ラッキーボール、クルマのナンバーまで金をかけた。いろんな博打場に行った。著名人、有名人、芸能人全般、スポーツ選手全般。その恋人、愛人、金ヅルのオバサン&オジサン。毎夜そんな場で、人間の沈む姿を、本にしたら何冊分も書けるほど見てきた。鉄の意志を持った私(?)は、19歳でマージャン以外スッパリ止めた。マージャンはしばらくやったが、仕事が少し増えてきた頃からやる時間がなくなった。博打場では本当に、自分の女を金のかわりにする男はいくらでもいた。売られた女はアッチコッチに売られて行ったり、金貸しに抱かれて自ら命を絶った。タイやフィリピン、甲府の穴切りとか、吉原に沈んでいった。その数、数知れず。まず浮かび上がることはない。カジノとは金を溶かす場である。 シロウトが勝つことは最終的にない。勝てば“ハイダシ”と言って若い衆が誘いに来る。つまり勝った分をハイ出すまで誘いに来る。どこまでも、いつまでも。14、15、16、17、18と徹底的にまい日バクチをしたおかげで(?)20歳前に全て飽きてしまった。全然メンドクサクなってしまった。他にもっと好きなことができたからだ。それがデザインだった。トータルで見ると私はバクチで損は全然していない。むしろそれで食べていた。借金がないからスパッと止められた。(相当のヒトに迷惑はかけた)バクチの世界では、金がスッテンテンになることを、“ハイナシ”と言う。カジノが日本に生まれると、“ハイナシ”の人間がワンサカと出るだろう。ひとつウレシイ話があった。何故か信濃毎日新聞に大きく出ていた。 我が街茅ヶ崎の「服部桜」が2勝目をあげた。通算2勝111敗1休。2勝目をあげた事は、朝8時半過ぎであったという。次は勝ち越しを目指すと語っている。身長176センチ、体重80 キロ 19歳である。私はこういう若者が大好きである。両目が開いた(2勝した)しっかり先を見ていつかは大関、横綱だ。カジノにはいいことがある。世界中の男のいいファッション、女性のいいファッションに出会えることだ。決して“モーケ”ようと思わないで楽しむには映画みたいでいい。「007カジノロワイヤル」だな。 カジノに通い続けると最終的には2勝111敗位で終わる。


2018年7月11日水曜日

「静かに、静かに。」

都内最大規模を誇る物流施設の竣工のお手伝いを経験させてもらった。物流新時代へと大進化を遂げている。物流施設の中を見る機会があった。そこは人間ドラマの劇場であった。物流施設の中には“お酒を飲む”場所以外は殆どあった。郵便局、コンビニ、病院、お風呂、食堂、理容室、マッサージ機、テレビルーム、一人部屋、二段ベッドが一つある部屋、二つある部屋、カプセルルーム。個人で借りている部屋には個人の名札、何年も借りている人がいる。会社部屋も借りているところにはいろんな会社名、○△運送、○□運輸、○□配送などさまざまだ。女性の姿は殆どない。男社会である。パパさん、お父さん、おじさんたちタフな男の人たちが全国からあらゆる物品を運んでくる。男たちはとにかく疲れている。少しでも眠りたい。静かに、静かにと言われた。テレビがあっても見る人はいない。アイマスクをして仮眠する。ベッドルームの布団は自分のを持ち込むために、、出て行ったあとは何もない。木のベッドと小さな荷物入れ。会話ない、笑い声もない。言い争いもない。ひたすら静かであった。この施設に行き来するドライバーたちには、 家族ある人、恋人のある人、いろんな人生を抱えている人たちがひたすら荷物を運ぶ。私はこの施設を見た日から、運送する運転手さんに敬意を持った。来るはずの荷物が遅れても、 あるいは電話が入り次の日になると言われても、いいですよ、よろしくお疲れさんと言うようになった。仕事場の側に、トラックが仮眠のため停めてあって、タクシーを停めるのに不都合であっても、どうぞゆっくりとと思うようになった。すぐ側にヤマト運輸があるのだが、やっぱり心の中でお疲れさんと言うようになった。睡眠不足、過重労働で大きな事故がよく起きるが、施設を見てからニュースに接するたびに、アイマスクをしている屈強な男たちを思い出した。 Amazon の登場で少しでも早く届ける競争になった。産地直送が盛んになった。とれたての魚をすぐ食卓にというが、実は魚はとれたてより1日置いた方が味はいい。モーモー鳴いていた牛、ブーブー言っていた豚、人間はそれをブチ殺し、イキイキ出来立てのハムやソーセージとして売る。肉も産直でと高価格で売る。肉は日を置いてギリギリで食した方が旨いのだが、早さを競う。一本のボールペン、一のゲーム、一冊の本もアイマスクで仮眠をする人たちが運ぶ。時あたかもお中元の季節。繁忙期である。私は配送するトラックに向かって、お疲れさんと静かに声をかける。運送の世界は人生劇場である。もっと早く見ておけばよかった。近々ある施設が竣工する。近代的設備が整っている。だが、静かに、静かには変わらないだろう。 寝ている人最優先なのだ。

2018年7月10日火曜日

「防災学を義務教育に」

人間の命とは、その大切さを大自然は教える。戦争により何百万、何千万人殺しても、英雄と言われる者共が歴史にその名を残す。タイの洞窟の中にいる13人の少年の命を守るために、人はありとあらゆる努力をする。梅雨は例年より3週間も早く終わったと気象庁が宣言したと思ったら、とんでもない間違いで、未曾有の大雨による大災害が起きた。私が生まれた地である所の名がニュースで続々と出る。岡山、倉敷、矢掛、 小田川、高梁川、そして真備町などである。戦争を生き抜き、やがて極楽へと向かうことができたであろう90代の人々が泥の中で死ぬ、川に流されて死ぬ、岩などの下敷きになって死ぬ。つまり泥地獄の中で生を失ったのである。毎年、毎年繰り返される大惨事である。国を治めるとは、治山、治水をすることと同義である。地球の温暖化が急速に進んでいるのに、世界の為政者は無為無策、ひたすら地球を痛めつけている。名ばかりの世界集会は自国優先であり、砂漠に水を撒く程度でお茶を濁す。空から見れば誰でも分かる。この国は海に囲まれ、列島のほとんどは山々と森林である。人々は山と海、河川の側に家を建てて住んでいる。ひとたび大雨が降れば山が崩れるのは、毎年証明されている。だが人々は他に住む場所がない。ならば国家が人々を守る策を練り上げて、何より優先して守らねばならない。森林は守られていない。間伐をしないから大雨となれば、無数の流木を生む。無駄な原発を作る予算、アメリカの粗大ゴミのような軍用機や武器の買い上げ予算、何に使われているのか分からない、莫大な ODA 資金。それらを治山、治水に当てれば防げるところは防げる。 E コマースやアマゾンが発達して、ものを頼めば翌日に着く時代、日本中にコンビニがあるにもかかわらず。毎年災害のたびに、水がない、食べ物がない、トイレがない、停電でまっ暗闇、ローソクと懐中電灯、手巻きラジオが頼りということを繰り返す。日本の歴史とは災害の歴史であると言っても過言ではない。防災グッズはいくらでもある。しかしいざという時にはない。なぜかを国家国民で考えねばならない。行動を起こさねばならない。自分には関係ない。山の側でも河川の側にも暮らしてない。火山だって近くない。大変だななどとビール片手にテレビを見ながら、他人事を言っている者共には、大地震という自然の怒りが来るだろう。やるべきことをやる。持つべき物は持つ。買うべき物は買う。災害に学ばない国は滅ぶだろう。“汝の隣人を愛せ”と言うが、いざという時に頼りになるのはご近所さまだ。ふだんからごあいさつ位はしよう。使い捨てトイレの“ポイレット”すぐに組み立てられる“ダンボールのトイレ”私がお世話になっている会社で販売している。避難先の体育館で人々は言う。水がない。トイレが詰まって流れない。汚い、臭い、恥ずかしい。我慢も限界だと。人間どんな恐怖の中でも、出るものは出る。国家は防災のために出すものは出せだ。たった一枚のビニール、たった一枚のダンボールでも人間は防災に役立つ知恵がある。日本は義務教育の中に「防災学」を入れるべしが、私の持論である。
http://www.health-assist.jp/SHOP/toilet002.html

2018年7月4日水曜日

「神のシナリオか」

サッカーW杯、日本 vs ベルギー戦の結果を見て、やはり神はいるのではと思った。第一戦コロンビア戦ではいきなり相手が反則退場、相手は10人となった。日本人はラッキーと喜んだ。結果は2対1で日本がやっと勝った。第二戦はセネガル戦、2対2の引き分け。第三戦はポーランド戦0対1で負けていた。ライバルのセネガルが1点取れば、日本はベスト18 強に残れない。遠く離れたスタジアム同士の情報戦である。反則カードは日本4枚セネガル6枚。0対1で試合を終えれば、フェアプレイシステム(知らなかった)で日本が勝ちあがれる。相手はすでに18強に残れない。そこで日本の代表監督がとった指示は、徹底的にアッチ向いてホイ、コッチ向いてホイ、つまり戦うことを放棄させたのだ。サッカーの残り10分は死闘になる。観客はブーイングの嵐であった。サムライニッポンなんて言っていたが、刀も槍も捨てたサムライであった。私は見ていて恥ずかしかったし、相手に失礼だと思った。アッチ向いてホイに相手は付き合わない。なぜなら勝負に関係ないからだ。もしセネガルがラストに一点入れて、 日本が18強に進めなかったら、サッカーW杯史上最も最低の戦い方をしたチームとしてその汚名を残したであろう。翌日のスポーツ新聞の見出しには、戦略的勝利とか、西野朗監督の逃げの作戦をこれでもかと賛辞した。私は怒った。何事にも結果オーライのこの国のスポーツジャーナリズムにうんざりしたからだ。たとえひとりでも私はとことん最後まで正々堂々と戦って勝ちをとりに行って欲しかった。逃げまくる作戦は、これからサッカーを目指す少年少女たちに、悪い影響を与えてしまうからだ。ツキとラッキーとで逃げて勝ち残った、日本チームに神は残酷な結果をちゃんと用意した。強豪ベルギーから2点を取った時は、日本人は勝利を80〜90%以上確信しただろう。が、神はツキとラッキーと逃げまくったチームに、これがサッカーだを教えた。2対0になり 狂喜乱舞を、あっという間に悲鳴と絶叫とどん底の落胆を用意した。ベルギーは、怒涛の攻撃を繰り返し、あっという間に3点を入れて逆転した。逃げまくったことへのペナルティであった。何事にも結果オーライの国をマザマザと神は、蹴倒した。正々堂々としていなかった罪と罰だと。一生懸命がんばったなんてプロとしては当たり前、何も同情する必要もない。「武士道は死ぬこととみつけたり」はじめの一戦に10人対11人になった時、神はこの結末を周到に用意していたのだろう。日本のサッカーは、さして進歩していない。まずは体力と迫力、ゴールへのあくなき執念を持たねばならない。一位になってこそ賞賛がある。4年後は、絶対優勝だ。

2018年6月28日木曜日

「どんな手の平返しか」

日本人の最も得意技は、「手の平返し」だ。ついこの間まで、サッカーW杯に出場する選手、特に私が大嫌いな(一緒に酒を飲みたくないタイプ)本田圭佑は、粗大ゴミのような存在だった。走れない、動けない、パスを取られる、自分が入れたがる。チームワークを乱す。ヒマを持て余しているネット住民は、ここまで書き込むかとやっていたらしい。今世界中が、このネット住民の書き込みに影響される。何しろ USA の大統領がツイッターで世界中を。瀬戸てんや、わんや(故漫才コンビ大ファンだった)状態になる。てんやわんやの影響は、 USA の金ヅルであり、属国、占領国である日本が一番影響を受けて、てんや、わんやとなる。非主体性国家であるからだ。現在ネット上は勿論、大マスコミ、中マスコミ、小マスコミも、本田さんゴメンなさい。本田はやっぱり持っている。本田、ホンダ、ドーダになっている。手の平返しである。どのテレビにも、もう忘れていたような元サッカー日本代表選手が出ずっぱりである。西野監督がいかにスゴイかを延々と流す。救世主、マイアミの奇跡(もう忘れている)を流し、その能力の高さを、滝のように流す。そんなに優秀だったら、何もギャラの高い外国人監督に頼み込むことはなかったではないか、手の平返しである。見ていて気恥ずかしくなるが、私はテレビたれ流し派なので、否応なし目と耳から情報が入る。優勝候補の筆頭、世界ランク1位のドイツに日本と同じ最下位に近い韓国が2対0で勝った。昨夜旨いキムチを食べた(私のささやかな夕食)今日は韓国が勝つぞと言った。この間日本国内の政治、経済はハチャメチャで、新幹線内では残忍な殺しがあり、震度6くらいの地震がグラグラと起き続けている。日本の大企業の多くが日本銀行が筆頭株主になっている。見るに耐えないわずか45分間の党首討論、たくさんの党がわずかな時間に党首を投入し、ヌカに釘でついにはもうこんな討論役目は終わったと、手の平返しをされている。日本国政治史上、今ほど最低の野党はなかったのではと思う。セクト主義と、政党助成金のせいである。選挙制度を手の平返しにする必要がある。地方銀行の見本と言われてきた「スルガ銀行」は、これ以上ないデタラメ経営、世界の外交からすっかり無視(金だけ出せばいい)されているリーダーは、支持率が上がるという珍現象モリもカケも殆ど影響しない。今はもうソーメン、冷麦の季節に。国民はすぐ手の平を返すことを知っている。
(文中敬称略)

2018年6月27日水曜日

「6月26日のこと」

午後11時48分21秒、6月26日の日付の内に帰宅できた。私の大親友、大先生、大尊敬の故加藤雄一(通称加藤ちゃん)の命日である。七回忌となった。朝早く大磯の奥さんから花が届いたとの心を込めた電話があった。 25日仲間と献杯をした。24日茅ヶ崎駅前の果物屋さんに行き、リンゴとスモモを買った。800円であったので200円分何かをと言ったら、顔なじみの主人が大きなオレンジを2個どうぞと言った。伊豆稲取の友人から頂いたオレンジ、山形出身のお世話になっている会社オーナーと、会社社長、映画監督の方から頂いた。宝石のような美しい赤いサクランボをお盆にのせて、大親友の写真の前は果物屋さんみたいにきれいになった。愚妻が花を生けて置いた。朝奥さんの電話で、大親友の愛娘(長女)に、女の子が産まれたと聞いた。そうなのそれはよかったと言った。大親友の俳号は、「一鶏」である。大磯の家を改装して、奥さんが「一鶏」という名の食事処を作っている。陶芸にも詳しい大親友が、いい陶芸品や漆の品々を買い求めていたので、奥さんの手料理に合うはずだ。朝刊を取りにポストに行くと、 大親友の大先生である、故池波正太郎の高弟(一番弟子)針山亭こと 、佐藤隆介先生より葉書が来ていた。稀代の名文家である先生が白内障の手術をして、1日何回もの点滴に難儀をしていたが、やっと1日2回で済むことになった。近況報告との勿体なき葉書きであった。早速御祝をと思った。大親友と佐藤先生と私と3人で「忘憂」の会というのを年に2・3回行なって来た。「忘憂」 とは、「お酒」のことである。佐藤先生は名うての食通、オイ、コハゼの天ぷらだ、オイ、中華のナマコ煮だ、オイ、ふぐだ、とお下知が大親友に下ると、直ぐに私のところへという仕組みになっていた。「忘憂」の会は、天下国家の話から、食の話、酒と料理、映画に小説の話、民芸から書画骨董の話、各人物論と時を忘れる楽しい会であった。金にまつわる話は一切ご法度。佐藤大先生は、私の大先生の奥さんの食事処「一鶏」 に過日病身でありながら行ってくれて、葉書きを頂いた。「一鶏」なかなかよし、心配なし。と書かれていた。大親友を失った私は一途に働くことしか精神の安定が保てない。大磯の友の命日に、仕事仲間であり、私の会社でずっと頑張ってくれていた後輩の父君が亡くなって、故郷に向かっていると、新幹線の中で小さな声で言った。(車中とは思わず電話をした)私たち芸人は親の死に目に会えない。我々の業界は、きっと大地震、大火災、大災害が隣で起きていても、プレゼンに勝った、負けたとやっているだろう。直シ、直シ、やり直シを越えて行かねばならない。その原因は全て私にある。あちこちに迷惑をかけつづけるのだ。もしもし、加藤ちゃんと、ほぼ毎日電話をするか、会っていた。毎週土曜日には二人で同じ鍼灸院に行き、治療が終わると今日は、そばで、今日は魚で、今日は天ぷらでと時間を楽しんだ 。殿様キングスが唄う「なみだの操」とピンカラトリオ が唄う「女のみち」がいつもいつも分からなくなり電話をすると、「♪〜 あなたのために守り通した女の操ォ〜」と唄い、「私がささげたその人に あなただけよォとすがって泣いた・・・。」と 唄って教えてくれた。歌謡史に残る二大ヒット曲であった。親友のカラオケの持ち歌は、「思橋ブルース」であった。「♪〜 雨の降る夜は長崎の街・・・。」ヨオ〜 加藤ちゃんと掛け声をかけた。そして次は、「浪花恋しぐれ」であり、歌の途中に入るセリフ、「酒だ酒だ酒を持って来い」と加藤ちゃんは浪花節風に唄った。友よ、オレは今夜も思案ばかり、今夜も酒だ、酒だ、酒なのだ。但し、7年前よりすっかり酒量は減ったよ。