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2018年6月27日水曜日

「6月26日のこと」

午後11時48分21秒、6月26日の日付の内に帰宅できた。私の大親友、大先生、大尊敬の故加藤雄一(通称加藤ちゃん)の命日である。七回忌となった。朝早く大磯の奥さんから花が届いたとの心を込めた電話があった。 25日仲間と献杯をした。24日茅ヶ崎駅前の果物屋さんに行き、リンゴとスモモを買った。800円であったので200円分何かをと言ったら、顔なじみの主人が大きなオレンジを2個どうぞと言った。伊豆稲取の友人から頂いたオレンジ、山形出身のお世話になっている会社オーナーと、会社社長、映画監督の方から頂いた。宝石のような美しい赤いサクランボをお盆にのせて、大親友の写真の前は果物屋さんみたいにきれいになった。愚妻が花を生けて置いた。朝奥さんの電話で、大親友の愛娘(長女)に、女の子が産まれたと聞いた。そうなのそれはよかったと言った。大親友の俳号は、「一鶏」である。大磯の家を改装して、奥さんが「一鶏」という名の食事処を作っている。陶芸にも詳しい大親友が、いい陶芸品や漆の品々を買い求めていたので、奥さんの手料理に合うはずだ。朝刊を取りにポストに行くと、 大親友の大先生である、故池波正太郎の高弟(一番弟子)針山亭こと 、佐藤隆介先生より葉書が来ていた。稀代の名文家である先生が白内障の手術をして、1日何回もの点滴に難儀をしていたが、やっと1日2回で済むことになった。近況報告との勿体なき葉書きであった。早速御祝をと思った。大親友と佐藤先生と私と3人で「忘憂」の会というのを年に2・3回行なって来た。「忘憂」 とは、「お酒」のことである。佐藤先生は名うての食通、オイ、コハゼの天ぷらだ、オイ、中華のナマコ煮だ、オイ、ふぐだ、とお下知が大親友に下ると、直ぐに私のところへという仕組みになっていた。「忘憂」の会は、天下国家の話から、食の話、酒と料理、映画に小説の話、民芸から書画骨董の話、各人物論と時を忘れる楽しい会であった。金にまつわる話は一切ご法度。佐藤大先生は、私の大先生の奥さんの食事処「一鶏」 に過日病身でありながら行ってくれて、葉書きを頂いた。「一鶏」なかなかよし、心配なし。と書かれていた。大親友を失った私は一途に働くことしか精神の安定が保てない。大磯の友の命日に、仕事仲間であり、私の会社でずっと頑張ってくれていた後輩の父君が亡くなって、故郷に向かっていると、新幹線の中で小さな声で言った。(車中とは思わず電話をした)私たち芸人は親の死に目に会えない。我々の業界は、きっと大地震、大火災、大災害が隣で起きていても、プレゼンに勝った、負けたとやっているだろう。直シ、直シ、やり直シを越えて行かねばならない。その原因は全て私にある。あちこちに迷惑をかけつづけるのだ。もしもし、加藤ちゃんと、ほぼ毎日電話をするか、会っていた。毎週土曜日には二人で同じ鍼灸院に行き、治療が終わると今日は、そばで、今日は魚で、今日は天ぷらでと時間を楽しんだ 。殿様キングスが唄う「なみだの操」とピンカラトリオ が唄う「女のみち」がいつもいつも分からなくなり電話をすると、「♪〜 あなたのために守り通した女の操ォ〜」と唄い、「私がささげたその人に あなただけよォとすがって泣いた・・・。」と 唄って教えてくれた。歌謡史に残る二大ヒット曲であった。親友のカラオケの持ち歌は、「思橋ブルース」であった。「♪〜 雨の降る夜は長崎の街・・・。」ヨオ〜 加藤ちゃんと掛け声をかけた。そして次は、「浪花恋しぐれ」であり、歌の途中に入るセリフ、「酒だ酒だ酒を持って来い」と加藤ちゃんは浪花節風に唄った。友よ、オレは今夜も思案ばかり、今夜も酒だ、酒だ、酒なのだ。但し、7年前よりすっかり酒量は減ったよ。

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