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2019年10月7日月曜日

「タロウのバカ」の先

私の名は三郎(サブロウ)である。“サブロウのバカ”と言えば、その通りバカヤローであって、映画などにはなれない。「タロウのバカ」という映画を先日テアトル新宿で観た。封切って1週間と少し、観客動員数のベスト10に入っていない。1位はドタバタの作り手三谷幸喜監督の「記憶にございません!」だ。「タロウのバカ」は上映後、賛否両論あるようだが、いい作品だからこそ賛否は出る。ドタバタに賛否は出ない。出るのはドタバタの“ドタバタ度”が強いかどうかぐらいである。つまり“ヒマつぶし”になったかどうかだ。「タロウのバカ」は近年観た、ドキュメンタリー映画を別にすれば、間違いなくNo1だと思った。大森立嗣監督作品である。父麿赤兒、弟大森南朋の芸術家族だ。人間性の外側と、内側の外れにいる人間をいつも題材にしている。一歩間違った人間と、一歩間違いそうな人間だ。それはあと一歩できっと、人生という劇場から退場させられる人間たちの危うい関係だ。「タロウのバカ」の主人公は三人の少年だ。その中の一人タロウは、夫のいない母親の育児放棄によって名もなく、一度も学校に通っていない。二人の仲間から、名がないので「タロウ」と呼ばれている。主役はオーディションで選ばれた。この作品が第一作目の出演だ。タロウはきっと中学生だろう。いつも行く遊び場で知り合った二人の少年は高校生だ。菅田将暉と仲野太賀が実にいい。とくに菅田将暉は、天才的である。スタンリー・キューブロックの名作「時計じかけのオレンジ」に出てくる、主人公のアナーキーな暴力発力を持っている。思春期を楽しむ、その楽しみ方が、野球やサッカー や初恋の味なのではない。大人たちの世界の生んだ、デタラメな世界の中で少年たちは生きている。大人たちの壊れてしまった心では、もはや救いようがない。行き場もない、やり場もない。不条理と理不尽、不公平を正すことも大人たちはしない。アナーキーな生活をしている三人の少年、宗教に救いを求めるタロウの母、タロウには戸籍すらない。大きな鉄の橋、蛇のような高速道路。遠くに大都会が見える空き地が遊び場だ。そこが三人のユートピアであった。少年たちはアナーキストでありダダイストであった。自由こそ青春だ。権力や決まりは関係ない。すでにこの国が無法地帯となっていることを、この映画は見せる。嘘八百の大人たちの決めた社会は、正しいのかどうかと突きつける。ある日ふとしたきっかけで少年たちは一丁の拳銃を手に入れる。権力を持てなかった少年たちに、拳銃という殺傷力を持つ権力が手に入った。タロウのバカがそのトリガー(引き金)を引くとき、引く相手とは。思春期の少年たちの刹那的な輝き、何者でもない“タロウ”という怪物。壊れゆく世界。大森立嗣監督は最高の代表作を生んだ。私サブロウは、タロウにもなれず、一丁の拳銃も手にできず、悩みつづけている。これほど虚無観を持ち、この先の社会を暗示する青春映画はない。アナーキスト、ダダイスト、ニヒリズムの時代になる。三谷幸喜監督の「記憶にございません!」も、現代社会の持つ不条理への、アナーキズムの表現であったのかも知れない。笑っている場合じゃないよとの逆提案なのだろう。もしあなたが今、拳銃を手にしたら、誰にその銃口を向けるだろうか。 

2019年10月4日金曜日

「旅は道連れ」

フランスであった話ですけどね。仕事で出張中の会社員が、ちょっと女性と遊んでホテルでSEXをした。が、不幸にも腹上死してしまった。日本であれば「何をやってるんだバカ者め」と言われるだろうが、そこは性の国フランスのこと、ちゃんと事故(?)による保険がいただけたとか。物知りの人と旅をして仕事をしていると実に楽しい。ホテルで眠れなくて、朝まで世界陸上ドーハ大会を見ていた。で、なんで日本人は陸上競技はダメなんだろうね。痛々しいほど下位を走ったり、跳んだりしているもんね。物知りは言った。それは日本人が農耕民族でヌルヌルした地でスベッたりしないように“スリ足”なんですよ。雪国の人はスリ足でスベラず、しかも早く歩くでしょ。狩猟民族は食べ物を追うために、スリ足では生きていけない。筋肉のDNAが違う。柔道とか、空手とか、相撲とか、レスリングなど、スリ足が基本なのは強いんですよ。陸上でも競歩で金メダルをとったけど、競歩はスリ足の極みですからね。マラソンが強いのは、ガマン強い飛脚のDNAですね。柔道の寝技が強いのは、日本人は畳文化で、男と女性が日々くんずほぐれずをしていたDNAですよ。外国人はベット文化だから、日本人みたいなことをしていたらベットから落ちてしまいますからね。話がホントかどうかは、定かではない。女子砲丸投げを見ていて、その驚異的体型に目を奪われる。ドラム缶にゴッツイ筋肉を持つ、両手両足をつけて顔と頭をのっけたようであり、ウギャーと砲丸を投げる。日本の選手は姿も見えない。しかし、日本人と同じような顔をした、中国人が一位であった。怪力怪女は、見応え十分である。オッパイも筋肉化している。ひょっとして金メダルかもと注目している。とても恐いが、とても凄い。ハンマー投げも同じ。私の体のメンテナンスをしてくれている、鍼灸の達人は佐賀県内でも、有名な(?)円盤投げの選手だった。で、円盤投げをしっかり見ている。実に奥深いようだ。自己と闘う哲学を必要として、その上科学的でないと円盤は遠くへ行かない。他のスポーツも同じ。個人競技は自分がライバルなのだ。「人間皆苦」という言葉があるが、人生は過酷な個人競技である。「長距離ランナーの孤独」という名作を基にした名画があった。一着で走って来たランナーがゴールテープのところでとった行動に、この世へのメッセージがあった。物知りが言った。「この頃『死後離婚』というのが多いのですよ。ある住職の話ですがね。死んだら、絶対同じ墓に入りたくないという女性の遺言で、お寺業界では死後離婚と言うらしいんです」「分かるね、その話」。私は深く納得したのであった。結婚という旅は道連れではないのだ。昨日夜「マリア・カラス」という映画を陸上の合い間に見た。史上最高の歌姫の人生は、53歳で死ぬまで歌と愛と、結婚と別れ、そして「天上天下唯我独尊」であった。ギリシャの海運王オナシスとの再婚と別れは、ドラマチックであった。歌姫は言う。「『マリア・カラス』は二人いるのよ。“マリア”という一人と“カラス”という一人が」。国王が劇場に来ても、声の調子が悪いとオペラすべて中止するという絶大な歌声と美しさを持っていた。しかしマリア・カラスも「長距離ランナーの孤独」の主人公であった。午前一時、テレビを見ると十種競技の中の円盤投げで、日本の右代選手がすばらしい記録を出した。人間は「苦愛」に満ちている。いつものグラスに氷をコロンコロンと入れた。




2019年10月3日木曜日

「川は流れてない」

寿しの「伝八」で、海鮮丼を食べた。と言えば、あっ! そうでオシマイ。仙台在住の写真家「佐藤活視」さんと一緒に。その場所は東日本大震災で、大津波で何もかも失った場所に建てられたプレハブ小屋の店と言えば、少し興味を持ってくれるだろうか。その近辺はホタテ2枚、3枚、4枚と注文すれば、水中にある棚を引き上げ、そこから活き活きしたホタテを、注文された数だけ取り出して焼いて食べる名所で、スラリ、ズラリと出店が並ぶ「繁盛の地」だった。観光客は大勢並んで、焼きたてのホタテにしょうゆをかけて食べた。ウマイ! のは当然であった(私は今は、ホタテが食べれない体質になってしまった)。仙台から硯で有名な「雄勝」に行き、現在の「女川」周辺を佐藤さんが車で案内してくれた。3年程前は何もしてなかったが、今は防潮堤の工事現場で、走っても走っても工事現場の中であった。クレーン車や、大・中・小のバックホーがあり、シャベルカーばかりであった。防潮堤は、ピクリとも動かない静かな北上川と、まったくミスマッチである。住んでいた人々はいない。みんな高い所に新居を建てていた。その地を去った人々も多い。灰色のコンクリートは、分厚くて高さは10メートルぐらいだろうか。「北上川夜曲」で有名な川と、人々が高い所で生活をしている所を分断していて、異様なものである。小一時間車で走っても、建設現場でありつづけた。人手不足なのだろうか、建築関係の人よりガードマンのほうが多く感じる。人が乗っていない建機ばかりだ。あの「大川小学校」の側にあって、大津波で破壊され一気に流された大鉄橋は再現されていた。大川小学校にはかつてのように人はまったく来ていない。ポツネンとしてあった。今年は暑かったので山林はたっぷりとした緑色であった。空はこれ以上なく青く、リアス式海岸につづく北上川は無言の禅僧のように、黙して語らずであり、点々とアンカーを下ろした小船がゆらりとも動かない。白くて細長い鳥だけがちょっと飛んでは、水面に波紋を生んだ。写真家の佐藤さんは、夜中何人かの霊を見て、なぜか若い女性の霊と、ディープキスをしたと言った。仙台で100年の歴史を持つ笹氣出版の井上英子編集長から、紹介された山の頂上にあるホテルを目指した。そこは広大な庭園があり、自然石が絶妙に配置され、松島の数々はもちろん、大津波が発生した原点(震源地が見えるので有名)を見下ろせる。雀崎にある美しく広い桃源郷ホテルは、大津波後、営業していない。ただし、ここで震災を悼む、ライブコンサートのPVをつくりたいと私が言えば、井上編集長が「OKをもらってあげるわよ」と言ってくれた。庭師のおじさんがまい日営業していない庭園の、芝生やたくさんの木々の手入れをしている。広大な魚鱗のような、逆光の海は息を飲み込み、そのまま死んでしまうほど美しい。「祈りの塔」を久々に見て感動した。赤々とした“曼珠沙華”の花が咲き、塔を際立たせていた。浅葉克己さんデザインのマークが祈りつづけていた。倍賞千恵子さんにお願いして植えた、桜の木は太く立派に成長していた。今度は桜の季節に来ることを「祈りの塔」と桜の木に約束した。寿し「伝八」の店内にはたくさんのサインの色紙が貼ってあった。震災の取材に来た有名女子アナや、レポーターのが多かった。6月8日から上映開始の映画のチラシが貼ってあった。雄勝でロケをした作品であった。今、注目の監督「白石和彌」の「凪待ち」という作品であった(この頃当り外れが多い)。海鮮丼はこれでもかと言うほど旨かった。きっとあの小泉進次郎大臣もきっと来るだろう。すっかり言語不明なタドタドしい男になってしまって、人気は急降下している。「川は流れない」が、大不況の津波が流れて来ている。石巻の岩ガキは絶品だった。大きいのを2個食べた。夜、腹ペコで帰宅して食べた「ペヤングソースやきそば」。非常食であったが、ヒジョーに旨かった。
 




2019年10月1日火曜日

「『石見多恵』(いわみ)社長という作品」

「アスルメンディ×エネコ」。スペインバスク地方の3つ星レストランのシェフの名前である。この名を冠したレストランが「エネコ東京」だ。場所は六本木のとある路地の中心、閑静な場所にある。ここを経営している(株)プリオコーポレーション代表取締役社長松井研三氏の経歴がユニークだ。1947年群馬県伊勢崎市生まれ。専修大学卒業後、1970年、叔父が経営する(株)大村に入社、まず婚礼事業に携わる。以後、新しいスタイルの結婚式場を次々に提案。1983年に(株)プリオパレス、現(株)プリオコーポレーションを設立。ヨーロッパバスクスタイルの本物のウエディングを実現していく。現在、群馬、栃木、埼玉、東京、長野に11の式場、東京にレストラン3店舗、ドレスショップ1店舗と幅広く事業展開、2017年9月、六本木にスペインの3つ星レストラン・バスクビストロ(エネコ東京)をオープンさせた。先日、このレストランにロケハンをかねて、ある女性編集長と、ある高級品メーカーの事業部長と行った。そのきっかけは、過日軽井沢の“大賀ホール”で行った、オペラコンサートの後のパーティ会場でのことだ。軽井沢の林の中、ステキな結婚式場では丁度一組がウエディングを行っていた。その式場横に、シャレたレストランがあり、そこに大賀ホールで美声を披露した四人の女性とピアニストの女性とともに、友人、知人、取材の人たちが、ステージ用のお化粧落とした五人を囲んでいた。私はそこである商品の、サンプリングのプレゼンテーションをさせてもらった。そのとき、これ以上はないほどテキパキと指示を出しながら、自らもひとときも休むことなく動く女性がいた。これほど感じのいい女性はいなかった。笑顔が今売り出し中のプロゴルファー渋野日向子選手のように、明るくステキだった。この話は前にも書いたと思う。東京に帰り、早速アポイントをとり、ご多忙の中、小一時間八重洲の本社でお会いいただいた。女性はレストラン&ウエディングスの取締役社長であった。そのキャリアがすごい、入社してから何の縁故もなく実力で、オーナーの目に止まって社長にまでなったのだ。応接に出て来た「石見多恵」社長は、やはりニコニコと笑い、親しみやすく、これ以上なく感じ良かった(詳しくは調べてください)。三人で向かったのだが、「いいわよね」「いいですね」と言い合ったので、六本木の「エネコ東京」に行くこととなった。ウエディングスペースから、ウエイティングバー、そしてメインレストラン。すべて自然環境でできていて、オシャレで工夫に満ちている。スタッフはしっかり教育されていてすばらしい。料理は一つひとつがデザインの作品みたいであった。料金はリーズナブルで予想していたより、はるかにフツーであった。料理はもちろんおいしいが、そのレイアウトと入れ物とその上、その中にある数々の小さめの品々に楽しくなる。エコロジカルでエスプリがある。日本の懐石料理のような緊張感もある。私のフトコロではリーズナブルと言ってもなかなか行けないが、美人とか知性的なヒト、とくにエコロジストを誘うと、あなたの申し込みに心を動かしてくれるかもしれない。なんと言っても「石見多恵」(いわみ)社長が最高作品だ。私は今日仙台に行く。岩手の常堅寺の「後藤泰彦」住職ご夫婦、地元の名物編集長「井上英子」さん、それとカメラマン佐藤浩視さんと、牡鹿半島という店で会う。本当はここに鉄の作家、小谷中清さんと退社した、敏腕女史がいればベストメンバーなのだ。「祈りの塔」を作れたのは、この女史のおかげである。その塔の側に植栽した「倍賞千恵子」さんの桜の木の成長も見に行く。


2019年9月30日月曜日

「カレーパンとカフェラテ」

犯人が分かった。前回、小庭の池の中の金魚(鯉みたい)が食べられた。そのショックを書いた。その夜犯人を午前3時半頃、お隣のご夫婦が発見してくれた。金属の屋根の上で、何か爪をかく音がうるさい。何だろうと思い懐中電灯で使って照らすと、ギョ、ギョ、ギョ。両目を大きく見開いて光る目、立ち上がり両手で金魚をムシャムシャ食べている「アライグマ」がいたのだ。ビックリして懐中電灯をコイツめみたいに動かしても、まったく動じず食べつづけていたらしい。大変ご迷惑をおかけしたので私は事情を聞きに、おうかがいし、玄関先で、ご主人から詳しくご説明を受けた。「本当にいたんです。『アライグマ』が。もしかしたら、あと一匹いたかも」とご主人は言った。小さなアライグマは見た目はかわいいが、大きくなったものは、怒るともの凄く狂暴になるらしい(獰猛とも言う)。咬まれると狂犬病になることもあるとか。市役所の駆除係に電話をしたら、仕掛けの鉄系網の箱を取りに来るように。そこにアライグマの好む物を入れて入ったら、保健所が取りに行きますからと。十分に気をつけてください。きっとどこかの空き家とか、人家の屋根裏とかに住んでいて、夫婦、親子で移動する。夜行性なので明るいうちは行動しない。天敵がいないので全然物おじをしないとか。あのかわいい“ラスカルちゃん”(仕事ではお世話になっている)とどうしてもイメージが合致しない。ペットのうちはかわいいが、大きくなると手に負えない。人間も動物も同じだなと思った。今、私は大いに悩んでいる。一匹だけ生き残った金魚をどうするか(?) きっと、また来るからどこか川に放ってあげるか、どこかの池に入れてあげるか。大きな池を持っている“うなぎ屋さん”に頼むか、それとも一匹でさびしそうにしている姿を見て暮らすか、エサが3本残っているから、それをあげ終わったら行動するか、などと悩んでいる。9月25日午前3時半の惨劇は、かなり生々しいシーンだったようだ。9月25日は大先輩の告別式の日であった。敬愛していた人と。愛情を込めた生き物との別れの日だった。忘れ得ぬ日となった。ラグビーW杯で日本が世界ランク2位のアイルランドに勝った。私はライブで見ていたが、ニッポン、ニッポンと言うのだが、選手の半分ぐらいは屈強な外国人であった(日本国籍を持つ)。これが昔のように全員日本人だったら、どうなっていただろうと思った。日本はすでに移民の国である。東京駅9番10番ホームに“NEWDAYS”という店がある。3人のアルバイトさんがいる。左から女性(ヘ)さん、真ん中の女性(ヒ)さん。右に男性(カ)さんだった。3人ともに若い。しょっちゅうメンバーは変われるので、よく胸章の文字を見る。かつて「ア」「イ」「ウ」とか、「カ」「キ」「ク」とか「オ」「ナ」「ラ」さんというのもあった。テキパキと実によく働く。昨日午後1時から、平塚にある須賀公園球場に少年野球の試合を応援しに行った。アロハを着た私は少し異質だった。試合時間は70分と決まっている。ダブルヘッダーだった。須賀公園に来るとき、一級河川があった。金魚のケイコちゃんを、そこに放ってあげようと心に決めた。ラグビーW杯のせいで、世界陸上もプロ野球も全然盛り上がらない。織田裕二のあの裏返った声も聞こえない。日本のプロ野球を支えているのが、外国人ばかりなのが気になっている。ボールが飛びすぎてホームランの大量生産だ。関西電力では、原発誘致で大量のワイロを生んでいた。ワイロを保管していて、「返しました」と言う珍問答。これが通るのが日本である。少年野球にも厳しいルールがあるのに。一塁を守っていた少年が「お腹が痛い」と言った。選手交代かと思ったら、審判がトイレに行かせてあげた。その間試合は中断。そしてスッキリした少年が一塁に戻って試合は再開した。こんなオリジナルルールは気持ちいい。みんなで拍手した。「アンデルセン」で買ったカレーパンをアイスカフェラテを飲みながら食べ応援をした。気分が少し晴れたのは、少年の風だ。(文中敬称略)



2019年9月27日金曜日

「犯人は?」

朝6時25分、カーテンを開け、硝子戸開けて、さあ金魚ちゃん(と言っても体長20センチぐらいに成長して鯉みたい)にエサをと行動したら、ウギャと思った。沓脱ぎの細長い石の上に、頭部を食べられた金魚の姿。池をみると8匹いたはずの赤い金魚がいない。ずっと以前にも同じことが2度あった。犯人は分からなかった。7、8年前、平塚の七夕祭りの金魚すくいで子どもたちが持ち帰って来た。そのときは数センチであった。以来ずっと、愛情をかけて育てていたら、りっぱな鯉みたいになっていた。今年の夏の猛暑で12匹のうち4匹が死んでしまい、小庭の隅にお墓をつくってやった。オ〜イ! 起きろ、また金魚が消えたぞと、上の階で寝ている愚妻に言ったが、さしたる反応はなし。きっと熟睡していたのだ。以前、神隠しのように1匹残らず消えたときから、もう金魚はヤメテ、ブキミだからと言っていた。それ以来、池には太い竹で、水面の半分以上かくしていた。よく見ると、竹の上に金魚のウロコが生々しくへばりついている。右隅の方に水を流すところがあるのだが、そこにもウロコがあった。池の中をよく見ると1匹が生き残っていた。恐怖心が残っているのか、ジッとして動かない。チクショウかわいそうにと思いながら、再び上の階に向かって、「オ〜イ、小さなシャベルは」と大声を出すと、「何よ」などとネボケながら、物入れからシャベルを出して来た。「キモチ悪い。だから言ったじゃない」などと言った。私は池の側の土を掘り、頭のない金魚を手にして埋めてやり、2本のお線香を立てた。私は3時頃まで映画を見ていたので、それから6時の間の出来事だ。7時59分、庭師の人に電話した。「それはサギですよ、サギ」と言った。以前から犯人説はイロイロあった。鎌倉の故義兄はタヌキだと言った。長く通ってくれていた故庭師は、「サ、サ、サギですよ。ダンナ、サギはひと飲みですよ」と言った。立派な錦鯉を何匹も池の中に泳がせている、藤沢のうなぎ屋さん(うな平)のご主人も「サギですよ」と言った。確かに海の側なのでいくつか川があり、サギがたくさんいる。以前の時、「夜中に撮影する装置をつけましょう」と言われたが、「何が写し出されるかキモチ悪いからイヤ」と反対された。ご近所の人は、カラスとかハクビシン、トンビではとか、野良猫説を言った。「う〜ん、小さな庭にある3メートル程の池に、空からサギが飛んで来るか、鳥なら羽根ぐらい落ちているんじゃないの」と言った。羽根はまったくない。それに今度は食べ残しがある。飲み込んでない。ウロコがいっぱいある。赤い金魚全匹に名前をつけていた。「あ〜あ、チクショウ、そうだ物知りの鍼灸の先生に聞いてみよう」と思い電話した。先生は明快に、それは「アライグマですよ」と言った。「何! アライグマ(?)」。先生は言った。「鎌倉に住む私の患者さんの家では、錦鯉をパクパク食べられましたよ。防御用のネットを食いちぎって池の中に入って」「え! そうなの、アライグマなんているの」と聞けば、「この頃、異常繁殖して、市から駆除していいとの許可まで出ている」と言った。ペットとして飼っていたのを自然に帰してあげようと、鎌倉山あたりで起きたことが、すごい繁殖力を持つ、アライグマを大量に生み出し、それが藤沢、辻堂、茅ヶ崎、平塚と東海道線みたいに移動しているらしい。アライグマの資料を読むと、サギ、ハクビシン、タヌキ、猫、カラス、トンビなどの説より、いやにリアリティがあった。私が今の家に引っ越して来たときは、周辺は小さな山がたくさんあった。山の香りが残っているのだろうか。昨夜、帰宅して池を見ると、赤い金魚が1匹悲しそうに泳いでいた。日曜日、川に放流してやろうと思ったが、サギのエジキになるかとも思った。「夜中の撮影をするか」と言えば「キモチ悪い」と言う。傷心の私は思案に思案を重ねている。みなさんはこんな経験がありますか(?) アライグマを見たことありますか。金魚は鬼のようになって生きている。私の身代わりになってくれたのかもしれない。犯人は私の天敵である。アライグマには、天敵がいないらしい。
小庭の池


2019年9月26日木曜日

「小さなオルゴール」

♪ 遠き別れに 耐えかねて この高殿に のぼるかな 悲しむなかれ 我が友よ 旅の衣を ととのえよ ♪(惜別の唄) 人間は出会ったときから別れに向かって生きて行く。共に飲み、笑い、怒り、食し、愛し合い月日という目盛りを重ねる。人間の生涯で親友というべき人間が、一人でもつくられたなら、それはいい人生だと言う。それほど心を許し、信じ合い、助け合う。“親友”を得るのは難しい。先輩も同じである。生涯命をかけて付き合う先輩に出会うことも、親友と同じで難しい。幼年から少年になり、青年を経て大人になり、長じて年配者から老人になるまでに、一人、二人、三人と失望し、絶望して「サヨナラだけが人生だ」ということになる。これは人間に生まれた宿命である。私は親友を失い、そして先輩を失った。友は62歳、先輩は79歳であった。9月25日幼年時代から、可愛がってくれた中学時代の先輩を見送った。初代東急文化村社長「田中珍彦(ウズヒコ)」さんだ。野球部の先輩だったので、会えば直立してごあいさつをした。父はかの右翼玄洋社の「頭山満」の流れを持つ思想家であった。兄上は「武蔵野美術大学」を苦労して創設した人である。武蔵美の校史として、田中珍彦さんがインタビューに応えている別冊がある。長いもみあげと大きな声、誰よりオシャレなファッションセンス。ステキな生き方。音楽を愛し、オペラを愛した。生涯お金には無頓着であった。東急グループの総帥だった故五島昇さんから、“もみあげ”と呼ばれていた。石井好子事務所から、東急エージェンシーに途中入社、そして、東急文化村創設の役をまかされた。ある日電話があり、「オイ、赤坂のふぐ屋に来てくれ、頼みがある」「ハイ!」とばかりに夜、会った。そこで文化村のプランを聞き、ポスターやらカタログや蜷川幸雄さんを起用した全面広告などをまかせてくれた。柿落に門外不出と言われたワーグナーのバイロイト祝祭楽団、総勢約240名を飛行機数便に分けて、日本に呼んでしまった。世界的奇跡の事だった。詳しくは、伝説の編集長「小黒一三」さんが経営する「木楽舎」発行の「珍しい日記」をぜひ読んでいただきたい。快男児の躍動と男のロマンが見えるはずだ。この場を借りて小黒一三さんと編集者の方に心より御礼申し上げる。告別式の出棺のとき、小さなオルゴールを回しながら、一人の女性が美しい歌声で先輩を送ってくれた。生涯の大親友だと言っていた歌手の「森山良子」さんだった。私の心の中に底なしの井戸のような穴が空いている。



2019年9月24日火曜日

「内臓のような雲」

秋分の日。晴天午後5時頃、強風の中、近所の海岸に出る。暗雲、黒雲とあかね雲が混在する。砂が目に入るので、海辺までは出なかった。荒々しい波の中、サーファーが何人かいた。自転車か50ccのバイクで来ているサーファーは地元の人間だ。男はともかく女性サーファーは体の灼け方が美しくない。特に細身の女性は“ゴボウ”のようだ。近所のセブンイレブンの駐車場の片隅にある、水道を使って体を洗っていた。男二人、女性一人。男は60歳前後、上半身は裸である。美しくない。女性はウェットスーツの肩の部分を外していた。側に3軒サーフショップがある。潮と塩で焼いた肌は、小麦色でなく、お味噌色だ。朝、久々に少年野球を応援に行った。試合時間は70分で、3回で終わり、7対6で応援するチームが勝った。ギョーザがおいしいので有名な店、ジャンボのご主人が息子さんの応援に来ていた。ご主人は甲子園球児であった。コンニチワ、イヤー、コンニチワと言葉を交わす。無気力で目に輝きがなく、努力せず、ヤル気を出さず、なんとか楽して人生をと思っている。ヒマを持て余している、定年後の人々。定番のように図書館通いの人が多い。海岸でバンカーショットの練習をしている人々を見ると、ゴルフをする資格なしと思うほど、ビンボーたらしい。一個50円ぐらいで買ったロストボールで練習している。私は傷心であった。少年の頃よりもっとも敬愛する、カッコイイ大先輩が19日亡くなった。ご家族の意志で名は伏す。強風の中、妙に美術的でグロテスクな雲は、人間の体を切り刻んだときの内臓のようであった。グニョグニョとしていて、何種類かの血の色であった。夕陽がそれと共に沈んでいく。先輩の内臓もきっとこんなかんじになっていたのだろうと思った。いかなる美男美女も、“九相図”のように、目玉はなくなりやがて皮も肉も、鼻も内臓もなくなり、骨だけになる。顔はドクロとなる。人生とはそのドクロになるための月日のことである。無常と言うのだが「死は一睡の夢」である。私は無常観が好きである。どんな偉い人や、凄い人や、良い人や悪い人も、ドクロになった顔を想像する。海から生まれて、土になる。骸骨になる。先輩、いつか私も行くから、あの世とやらでまた先輩の大好きな“うなぎ”を食べましょうと、海に向かって行った。ずっと思っている二人を道連れにしてやりたい、裏切り者と恩知らずのヤローがいる。黒くて、赤い雲の中その顔が目に浮かんだ。チンケなヤローだが、私は許せない。二人とも金に汚い奴だ。荒々しい海は人間の心も荒々しくする。山に登ると人を赦したくなる。なぜだろうか。大きな黒いカラスが何羽もいて、海岸に打ち上げられた乾いた魚を突っついている。少年たちが必死に転がるボールを追っている姿に、先輩と野球をやった日がたくさん思い出された。この人ほどかっこいい人生を送った人はいない。私はこれから鬼になり、仏となって人生の落とし前をつけて行かねばならない。人間は一人で生まれて、一人で終わる。誰もが逃れられない、掟である。いつものグラスにスコッチを入れ、ドライフルーツを食べながら別れに涙した。外はすっかり明るくなっていた。
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2019年9月20日金曜日

「斬と明太子」

ある軍事評論家がこんなことを言っていた。同じ人数、同じ武器で闘ったら、世界で一番強いのは日本人(日本兵)だろう。次に死を恐れぬ韓国人兵。個人の殺傷能力は北朝鮮兵だ。日常的に刀を腰に差して歩いていたのは日本の武士たちだ。欧米人はサーベルや銃を持って歩いていた。刀と刀が触れただけで、殺し合ったのは日本人ぐらいだろう。つまり日本人ほど「血」を好む人種は、どこかの奥地で生き続けている、ヒトたちぐらいしか比べようがない。生麦事件というのがある。島津久光一行の行列に英国人がシカトをして通った。綱淵謙錠著作の「乱」によると、その斬劇はすさまじい。当時日本人の標準的体型は、150〜160センチほどだ。その武士が持つ刀は長くてヒジョーに重い。相当に鍛錬していない、ほとんど大地を切ったり、自らの足を切ってしまう。一人でバッタバタと斬れるものではない。人をブッタ斬ると、内臓は飛び出し、血は吹き出る。骨は露出し、その激痛のために屈強な武士も、のたうち回って血の海の中で死ぬ。近代戦争も戦国時代と同じで、日本兵が白兵戦で刀だけを持ち突撃すると、相手はその狂気と残忍さに恐怖を受けつけられた。やがて、それが特攻隊の自爆攻撃となった。欧米軍は「LIVE→生きろ」が命令であり、日本軍の生きて帰るな「死ね」とは、宗教感がまったく違う。我々日本人の中に、実は、狂気のDNA、人殺しのDNAが脈々と生きている。渋谷のセンター街でナンパばっかりしている若者も、いざとなれば一変して人殺し集団となるDNAを持っている。昨日深夜、塚本晋也監督の、カンヌへの出品作(受賞は逃した)「斬、(ざん、)」という映画を見た。ずっとレンタル開始を待っていた。80分の作品であり、塚本晋也は主演を兼ねている。他に池松壮亮と蒼井優他、綱淵謙錠の名作の「斬」は首切り浅右衛門の話であった。日本最後の首切り刑は「高橋お伝」であり、その死体の標本は東大の医学部にある。そう書いてあった。山田浅右衛門一族は、首切りの功として、死体の肝臓を手に入れることを許され、それを薬剤として売って財を成した。「斬、(ざん、)」の時代考証、美術、衣装はリアリティがある。よく時代劇にキラキラ美しいサムライが出るが、そんなことはありえない。みんな薄汚れていただろう。クリーニングのない時代に、相当位の高い人間以外はありえない。「斬、(ざん、)」はリアリズムを徹底的に追求していた。映画の主題が何であったかが、不明快であったのが残念だ。北辰一刀流の使い手、汚れに汚れた剣の達人を塚本晋也はよく演じていた。池松壮亮と蒼井優はやはりいい役者だ。南海キャンディーズのピンクメガネの山里が、蒼井優を抱いている姿をイメージしたが、上手に浮かばなかった(ホントかしらと思った)。情の深い女を演じたら、蒼井優はNO1だろう。室町時代の頃は武士と言われず“悪党”と言われた。日本人に武器を持たせたら極めてマズイ。防衛大臣が変人というのは、不幸中の不幸である。ほぼ自腹で映画を製作する。映画界の根性者、塚本晋也監督に、いつものグラスで乾杯した。昼間あまりいい日ではなかった。深夜、酒のつまみを明太子を少し焼いたのにした。それと焼き海苔。現在一日一合、水割り一杯か二杯を心がけている。人生は“斬”と同じで実に痛いものである。
(文中敬称略)


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2019年9月19日木曜日

「付け焼き刃」

ブルーシートと言えば、雨、風をしのぐホームレスの人の家の色であった。今、千葉県で台風15号の被害にあった家々の屋根の上に、ブルーシートが張られている。あるいは、張るために落下死したり、張るための大工さんや、職人さんたちの不足で、ブルーシートが張ることができない。何でもお金さえあれば手に入る時代、スーパー、コンビニには捨てるほど、あらゆる品々がある時代。インターネットやスマホや携帯で何でも情報が入り、何でもすぐに宅配してくれる時代。ところが、何でもある時代は、実は何もない時代であることを証明する。地震や台風、洪水、火山は「災害列島」日本の宿命である。日本の歴史は災害の歴史でもある。だがしかし、日本国はイツマデモいつまでも、行政は予想外、学者たちは想定外、たて割り行政の責任のなすり合いだ。この日本国で大事な行政は、「防災省」を作ることであり、この大臣は総理大臣より強い決定権を、災害に対して持たせるべきだ。学者たちは研究、分析すれど何の責任を負うことはない。無責任者たち。自分の考えを言うだけだ。オレこそ正しいと。島国日本は電気と水と食料というインフラを失ったら何もできない。原発事故がもし、あと2、3起こったらアウトとなる。原油が輸入できなくなったら1年も持たずアウトとなる。「付け焼き刃」。すでに付け焼き刃がこの国の施政である。裏情報の収集や官庁人事ばかりやっている。闇の組織化した官邸は、問題が起きても他人事で“それは当たりません”“それは各省庁に指示を出しています”というワンパターンしか言わない。つまり自分たちの権力争いのほうが大事であって、台風が来ると分かっていても、ゴルフやフィットネスや閣僚人事を練るほうに時間を使う。災害などには気が回らないのだ。為政とは「治山治水」である。先進国で子どもへの教育予算比は最下位、東京大学は世界ランクでは40位前後、中国、シンガポールなどの下のまた、下である。個性ある才能をのばすことをせず、何事も過去問題がベースだからだ。何度も私は言いたい。日本国は幼少より始め、小・中・高と「防災」を必須科目にすべきなのだ。先人達の知恵を結集し、一家に一つ自家発電装置や、給水&給食のストック装置を持つべきなのだ。学問は使ってこそ学術だ。太陽光パネルの普及は義務づけ、予算をつけるのだ。原発のテロにあったら即ジ・エンドの国、大パニックとなる国なのだ。久々にパンが食べれてウレシイ、水が飲めてウレシイ、おにぎり食べれてウレシイ、仮設の風呂でも入れてウレシイと涙を流す人々。これが来年オリンピックを迎える「お・も・て・な・し」の国の現状だ。おもてなし→表なし、だが実情は、おもてなし→表なし→裏ばかり国家なのだ。小泉進次郎議員などはその代表で、すでに言うことがアヤフヤ、モグモグとなっている。閣外にいた姿はもう変形している。オール電化だ、SNS社会だ、IoT社会だと言っても、エネルギーがあり、電気、水道があっての話だ。ブルーシートを張るのは、非常に危険で難しい。日本は職人の国であった。大工さんの国であった。工事人夫さんの国であった。港湾労働者の国であった。農業、林業、漁業、第一次産業を復活させねばならない。国をあげて防災を学び、国をあげて職人さんたちを手厚く守らなければならないのだ。島国は国境線がない。それ故、呑気な政治がまかり通り、“防災を履き違えて”改憲再軍備だなどと言っている。この国に必要な政治は、バルカン、八方美人でいいのだ。政党間の垣根を外して、これからも、いくらでもある大災害に備えなければならない。近いうちに東海や大東京に大地震が来るのは間違いない。みんなで考えよう。自助、共助、公助について。
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