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2023年12月12日火曜日

つれづれ雑草「リステリン」

山のように嫌な事があり、荒波のように困難は押し寄せ、救い難き政治家が悪業を行なっている。テレビでは大谷、大谷、大谷。1000億円の契約金かと大騒ぎ。号外まで出るという今日この頃。大谷翔平選手は日本人にとって誇り高き稀有な選手だが、第三次戦争前夜ともいわれている世界情勢の中で、もっと、もっと報じる事があるはずだ。国の悪事はこういう騒ぎの影で着々と進めて行く。三年間にわたるコロナ禍で、私たちの状況は激変した。数多くの恩人、知人、友人は旅立ってしまった。又今も酷い後遺症に悩まされている友人も多い。一つの仕事をもらったうれしさに、携帯に向って何度も何度もありがとうございましたと、頭を下げる業界人の姿を見ると、切なくなるのだ。いやまてよ、それは自分かもしれない。金もうけの話をしないで酒を飲める良き友は、殆んどあの世に旅立ってしまった。夢とロマンを語ってくれた先輩たちもいなくなった。つまんねえ、まったくつまんねえといいつつ、“銀だこ”というたこ焼き屋の横を通る。タコハイボールを飲む客で満員だ。会社の同僚たちだろう。男6対女性4位の比率だ。酒を飲んでキャーキャー大声を出してバカ笑いする女性は、ほぼ不美人だ。それでも飲んでいる男は、あわよくば今夜はと狙っている。たこ焼きのソースと、カツオ節の味がたっぷり残っている、口と口でキスを交わすのだ。そしてその先へと進み人生を失う。ギョーザのケースも、焼肉のケースも、ヤキトリやジャージャーメンのケースも同じだ。“臭い仲”というのは、ほぼ後悔をする。なんでマスク、マスクとうるさい人間が、ニンニクの臭いたっぷりの仲で、キスするのだろうか。映画の仮編集を終えた十二月九日(土)の夜の赤坂、通称ヤッカン通り(ヤクザと韓国料理店が多い)のアチコチで、酔って抱き合う男女を見た。あ~嫌だ嫌だと思いつつ、頼み事がある人に、会うために先に向う。ポン引き(客引き)の男が、そこかしこにいる。さすがに私には声をかけない。柄が悪いからだろう。あるいは同業と思われているのかもしれない。日本人よ冷静に考えよ、今パー券、パー券、裏金、キックバック、16文キックの話がどっと出ているが、この裏に読売新聞とアメリカのCIA(つまりアメリカ国)が深くからんでいる。読売の創業者は正力松太郎、内務官僚のボスだった。それ故、時の政権の裏の仕事を秘かに行う。グズという仇名を持つ岸田文雄にいら立っている。アメリカはイスラエルから手を引けない。ウクライナへの支援もままならなくなった。日本というサイフの中からもっと、もっと金をしぼりとりたい。すべてにグズな岸田文雄は使えない存在なのだ。ビートたけしの映画“首”ではないが、岸田文雄は首と判断された。財務省が絵を描いている。その財務省ベッタリの麻生太郎を首切り役にした。中国+ロシア、インドの台頭、核をアメリカ本土に着弾させる能力を持った北朝鮮。ユダヤ資本に牛耳られているアメリカは、日本人が貯め込んだタンス預金1000兆円が欲しいのだ。郵政民営化でガッポリ稼いだように。財務省はアメリカの戦費をかき集めるために、増税、増税のペースを急ぐこととなる。グズグズしているなと。本来検察のリークは、朝日新聞がいの一番であったが、今回、読売にリークしたのには深い意味がある。あ~嫌だ嫌だ。だが乱は人を生み出すという。きっと政界は再編成となる。だがしかしアメリカの子分であることに変わりはない。“専守防衛”から反撃能力へ、戦争オタクといわれる“石破茂”がやけに明るい。前総理大臣“菅 義偉”が、競輪用語でいえば、“大まくりを打つ”(後方から一気にアタマになる)を仕掛けるだろう。小泉、河野ラインを先頭に使って、石破に一着を取らせるのだ。石破大嫌いの麻生太郎は悩ましい。しかし政界の一寸先は闇だ。ドサクサの中で伊集院 静がこの世を去った。無類の競輪好き、博打好きであった。自から無頼派といっていた。無頼とは頼るもの無き人間のことだ。銀座で女性にモテた作家は“故吉行淳之介”がいちばんといわれてたが、伊集院 静も吉行に負けずモテたという。故夏目雅子と時間を共にしていた、逗子の“なぎさホテル”は無くなってしまった。お洒落なホテルだった。今の世は死んだ者は、二・三日で忘れられる。ヒジョーニカナシイ、ワスレナイデチョーダイ! と故財津一郎さんは言っているだろう。そして、テレビCMをやっている葬儀屋さんには十分気をつけてチョーダイと。とにかく次から次にこうしたほうがと値が上っていく。終いにはケンカになるという。板橋にまっ正直な葬儀屋さんがある。恩人であり友人でもある。その人を紹介する。ところでオ~タニさん、ぜひ日本の映画界に出資をお願いします。そうしたら号外をバンバン私が配ります。そんなこんなで400字のリングは今年の最終回、今後どうするかを考えます。サバイバルゲームが待っている。こんな映画を見た。すっかり倦怠期に入っている夫婦が、その夜久々にベットでとなる。二人は洗面所に行って、リステリンでうがいをする。妻役はニコール・キッドマンだった。みなさんよいお年を迎えてください。
文中敬称略)






2023年11月24日金曜日

つれづれ雑草「雨の朝にて」

長~い間、太田胃酸い~い薬ですと言ってたが、ズルーイ薬となっている。分量がかなり減っている。布製のガムテープは、丸々と太かったが、バウムクーヘンみたいになっている。ティッシュペーパーの箱は枚数が減らされて薄形になっている。老舗ブランドのかっぱえびせんや、ポテトチップスは、袋はパンパンだが中身は半減している。スーパーの刺身は薄切りにされてヘラヘラとなり、大根のつまをてんこ盛して見た目を海鮮盛に見せている。世の中は何もかもが実質値上げとなっている。ザ・ケンジヤないわよね、マツタク、ズルイ、セコイ、スクナイ。星乃珈琲店内、私が小さなテーブルでシコシコと雑文を書いているうしろのテーブルで、女性三人がスーパー、コンビニ、さらに長い歴史を持つブランドへの悪口雑言。アレモヘッタ、コレモヘッタ、ヘッタヘッタで腹減ったと、どこぞで買ってきた助六寿司のパックをパクッと開けた。これ見てよ太巻きが細巻きに、おいなりさんがこいなりさんになっていると、見せている。何よ、ガリがたった三枚じゃないと言う。店の近所に幼稚園があるので迎えに来ているらしい。一人はワニのような顔で、一人はニワトリのようで、一人は黒い金魚みたいであった。声が大きく、笑い声は不気味であった。何だかオカルトチックになったので店を出た。顔はトイレに行った時に、マジマジと見た。ウルセイナと言いそうだったが、同感することもありそっとスルーした。過日、新幹線の車内で見た女性は三十五・六歳であった。ZARAの紙のバックと、シャネルの小さな白い紙バックを空席の横に置いていた。手には本麒麟の赤い缶ビール。つまみに“とびっこのくん製”と、ナッツの袋入り。これが臭いのなんので、顔をマジマジと見た。相手も私をドキッと見た。誰れかに似ているなと思った。そうだ京都へ行こうじゃなくて、そうだ時々行くラーメン店の奥さんだ、と思うとあの奥さんはいつもハキハキしていて、かんじいいもんなと思った。勿論別人だが世の中には、二人ソックリな人がいるという法則があったはずだ。オット見ると、どこぞの車両から連れの男が来て、紙袋をどけて座った。同じ会社の人のようだ。えっ何! 電球の球を取りかえる時に、椅子から落ちて大怪我をしたの、そんな会話が聞こえた。女性は赤い本麒麟をグイ、グイと飲みこんだ。CMの定番のセリフ、プハァーウマイ! は言わなかった。それじゃ行っても会えないわけ! と強く言った。女性の方が上司らしい。私も切れた電球の球をとりかる時に、グラグラして何度か落ちそうになったので、この頃は行なっていない。ということは家の中のことは何もやってない。実に使いものにならない存在なのだ。うどんを食べ終って、どんぶり位自分で下げれるでしょ、と怒気を放っ声がした。入ってくるものが減りつづけ、出ていくものが値上げラッシュで増えたせいか、殺気を感じる。この季節家に帰ると、一枚、二枚、三枚とかつて仕事を一緒にした人や、お世話になった人の奥さんからの葉書が来る。夫が旅立ったので……、との一枚だ。毎年思うのだが圧倒的に奥さんからのが多い。やはり男より女性の方が生命力が強いのだ。男は絶対女性を敵に回してはいけない。勝つ見込みはない。テメェ~、ナメンジャネーヨ、若いホストに1千万近く突っ込んだ、若い女性がカッターでホストを斬って、叫んでいるニュースを見て、ドキュメンタリー番組で見た、ある女性医師のことを思い出した。エルメスのバックに何故か700万の札束(銀行の帯付)をブッ込んで、お目当ての店に行き、一晩で700万を使い、明け方新宿の街から去って行く。時々ある地方からやって来る。ホストに入れ込んで風俗へ売られ、やがてアジアの国に売られ、臓器まで売られて行くケースを知っている。有名な事件があった。ある地のホスト界のボスが、後輩のホストたちに殺され、薬品を使って溶かされた。バスタブかなんかの中に、金歯だか銀歯が残っていた。ノルマ、ノルマを達成できないホストに、やりたい放題のヤキを入れたりしていたらしい。ホスト狂いをする女性に同情する声は少ない。行く方が悪いのだと思われるのだ。でも、シャンパンタワーで背負わされた借金を懸命に働いて完済して、しっかり立ち直り、幸せをつかんだケースも知っている。バカバカしさに早く気づき、強く生きる意志があったからだろう。夜の世界はちょっとやそっとでは学べない。入学は簡単だが、卒業は厳しい。そして学費は高いのだ。私の親愛なる友は、夜の歌舞伎町を知り尽くしている。困っている人は紹介する。場合によっては相談に乗ってくれるはずだ。現在十一月十七日金曜日、朝九時三十九分十六秒、外はどしゃ降りの雨だ。各局、朝の番組でエンゼルスの大谷選手がMVPを獲得したと報じている。生まれながら、才能と体力と知力に恵まれた選手が、人一倍努力をした結果だ。興味は800億円近いという契約金を何に使うかだ。ぜひ日本の映画界に投資してほしいと願う。それよりも若くして戦力外通告されて、これから妻子をどう養って行くか、途方に暮れている選手たちに、負けるな、人生はこれからだぞと声援を送る。“勝者には何もやるな、すでに勝利を手にしているのだから”、そんなことを、確かE・ヘミングウェイが書いていた。徳川幕府を倒したのは、関ヶ原の合戦で負けた、薩長土肥が中心だった。私もリングの上に立って、ファイテングポーズは失わない。バカはバカなりのケジメを求めて。◎前回倉敷の“ナマコ壁”を“マナコ壁”と書いてしまい、間違いを指摘された。この場にて修正する。(文中敬称略)












2023年11月12日日曜日

つれづれ雑草「倉敷とアナキストの妻」

岡山県倉敷市に美観地区という場所がある。この地区をみんな、みんなが大切にしている。派手な看板やネオンサインもない。高い建物もない。そこに林源十郎商店という、ステキな施設がある。ずっと昔は漢方薬店であったらしい。一人の熱血漢が次々と新しいことに挑戦し発展させている。“めをみはる”とはを実感する。男の名は「辻 信行」さんだ。10年ほど前にそこでアートディレクターをしていた女性に紹介された。女性は何年か私たちの会社の仲間であったのだが、ご主人が岡山出身で、その地で仕事をしていたため結婚後、岡山での生活となった。ご主人は下戸、女性は土佐出身でかなり飲める。今回は辻 信行さんより、「一棟貸の宿」をオープンしたので、ぜひ来てくださいと招待状を頂いた。丁度湯布院に同様の宿を建てているオーナーから、諸々アドバイスを求められていたので、仕事仲間と三人で取材に行った。かつては大きな病院であったとか、旧土屋邸をリニューアルをしたのであった。古きを残しつつ新しさと絶妙の調和をさせる。これが見事に大成功であった。美観地区とも調和するこの宿には、女中さんはいない。屋号の看板もない。「土屋」という小さな表札のみ、いくつかの箱庭には、腕のいい植木職人さんの細やかなセンスが生きている。座布団もない。テレビもない。座椅子はなく、上質な椅子がいくつもある。茶受けなどもない。ビックリするほど香り高いヒノキのお風呂が大小ある。料理は自分たちで作るか、外で食す。朝は隣接するカフェレストランで、八時から利用できる。私たちが泊る前日には、倉敷の“菊寿司”(そのおいしさはNo1だと思う)が出張してくれて来て、対面式のキッチンで握ってくれたとのことであった。(ウラヤマシイ)基本は自分たちで選んだ店に行って食す。つまり食事は出ない。自分の歯磨きだけ持って来てと言われた。何があるかといえば山ほどある。窓からは爽やかな風が汚れた胸を洗ってくれる。差し込むやわらかな美しい光が、ささぐれだった心をおだやかにしてくれる。雨戸や鉄のトビラなどはない。マナコ壁の美観地区と対話するような気分を縁側で味わえる。高瀬舟が川をゆく、2名、4名、10名と、三種類に区分けされる仕組みとなっている。私たちには全部を使わせてくれた。風と光、小さな置物まで、辻 信行さんのセンスが生きている。スバラシイ寝室なので、ペッタンコの床生活者の私には、豪華なベットと寝具がもったいなかった。一棟貸の宿は全国で生まれている。後継者のいない旧店舗や、1000万戸ともいわれる空家の利用だ。調理場もなく女中さんたちスタッフもないので、静かなること山の如しだ。人手不足の時代、こういうコンセプトを持った「宿」が増えるだろう。辻 信行さんは、酒津の“川辺のレストラン”とか、ジャムや焼菓子も作っている。それも自分たちの仕事場の中で、(旧屋敷をリニューアル)外にはサウナもあり、きれいな水風呂もある。実にオープンで、ユニークな仕事場だ。川辺のレストランは名所となっており、今度ピザの釜を造った。90秒でおいしく焼ける。釜の石組みも多色の石をつくり、一つひとつが鮮やかに存在している。究極の地方創生を行なっている。料金はフツーであるので、ぜひ行ってチョーダイ。バリアフリーなのでご心配は無用だ。裸足で畳の感触、窓から見る夜空は絶妙である。久々に本でも読むかと、瀬戸内晴美(出版時)の「美は乱調にあり」を持参したのだが、宿の美は実に整調であった。私は今アナキスト大杉 栄の妻で二十八歳で憲兵隊の甘粕正彦大尉に、殺され井戸に投げ捨てられた大杉 栄、甥の六歳橘宗一(道連れ)、そして妻の伊藤野枝のことに興味を持っている。ダダイストであった辻潤とのW結婚、大杉 栄が情人であった神近市子に刺された、有名な葉山の“日蔭茶屋事件”十年間に七人もの子を産んだ伊藤野枝の生命力、その血みどろの人生に、大正時代の熱愛を感じる。「平塚らいてう」の同人誌に詩作を送っていた伊藤野枝、すこぶる魅力がある容姿。大正時代の作家は血気盛んであった。神近市子は後に社会運動のリーダーとなった。熱情熱愛の行き先は殺す、殺されるか、あるいは自裁するか。芥川龍之介も、火野葦平も、ただなんとなくの不安でと死んだ。大正時代は15年間であったが、最も文学的で、劇場型の時代であった。作家は死んでこそその名を残した。令和の現在そのようなドラマタイズされたものは皆無であり、作家は不作揃いだ。伊藤野枝の子たちは今も生きている。(何人かは分からない)現在日曜日の朝六時三十四分、テレビのニュースで、藤井聡太八冠が竜王戦で勝って、インタビューを受けている姿があった。彼が強いのか、他が弱いのか。ボソボソ何を言っているのか分からない。私は彼に生身の人間性を感じない。彼にぜひ血みどろの女性関係(男関係もある)を経験してほしいと願う。つまり“人間になってほしいのだ”そうでないと、サイボーグ的で終ってしまう。お手本は囲碁の天才、「故藤沢秀行」だ。藤井聡太のライバルが言った。“彼は人間を拒否している”と。人生は乱調にありだ。(文中敬称略)






2023年11月5日日曜日

休筆のお知らせ

芸を売るために、数日間、旅に出るので休筆致します。

急に涼しくなってきたので、皆様、ご自愛ください。

2023年10月28日土曜日

つれづれ雑草「ザ・ホエール」

ヒッジョーニカナシイ。ピアノ売ってチョーダイ、もっともっとタケモット。近頃このCMが流れないなと思っていたら、私がヒッジョーニ大好きな、財津一郎さんがこの世を去ってしまった。“ヤメテチョーダイ”と右手で左の耳をかきじゃくるギャグや“ヒジョーニキビシイ”というギャグも大好きだった。舞台の役者としても、俳優としてもいい味を出していた。享年89歳、この世の中に大貢献をした。今の世はヒジョーニキビシイ、ヒジョーニ熊が出る。人類が熊たちの生き場所を奪ってしまったからだ。親熊は子熊の空腹を満たすために、人類が生活している所に出没する。ヤメテチョーダイと熊たちは思っているだろう。どんぐりや栗の実など木の実類を主食にしていた熊は、牛や鹿、豚などを食べる肉食獣となっている。日本は世界一の山林国家なのに何故こんなことになってしまったのだろうか。山には山の掟があり、海には海の掟があった。里にも里の掟があった。人類はすべての掟を破ってしまった。一つ、二つ、三つと頼まれた、仕事らしきものがあり、歩いて、歩いて、歩きつづけていた。その中である博物館を見て来た。小学生になったように楽しかった。マンモスや象の骨体。マッコウクジラの巨大なチンボコ。虫メガネでやっと見れる極小の昆虫類。石器時代の人間の創意工夫、大好きな縄文時代の創造物。弥生時代の刀剣もあった。縄文時代は戰がなく、弥生時代から領地の奪い合いが始まったことが分かる。稲作農業が生まれ、米や麦などの穀物類が主食となったからだ。太い木を尖った石の破片でくりぬき丸太舟を造り、巨大クジラを、木の先につけた尖った石を、木の蔦でくくりつけただけの道具で、飛びつき、突き殺す。集団で行ない、平等に分け合って空腹を満たした。私はこんな時代に生まれたかった。しかし私は何も造ることができないので、食うだけで、ヒッジョーニバカにされただろう。博物館ですっかり小学生になった夜、「ザ・ホエール」という映画を見た。妻がいて、16歳になる娘がいる一人の男は、体重が240k近くになっている。ソファーに座りひたすら食べる。フライドチキン、宅配ピザ、マヨネーズたっぷりのサンドウィッチ、チョコレート類。男は大学生に文学や詩を教えている。当然インターネットで。かつての恋人だった人間のお姉さんが医師で訪問医療に来てくれる。男は妻と娘と別居している。男には講師で稼いだお金が15万ドルほどある。妻はそれを狙っている。学業不振で8歳の時に自分を捨てた男(父)を、デブのバカと罵る。宿題のエッセイを自分に代わって書けと命じる。男の恋人は、男であった。つまり主人公はバイセクシャルだった。パートナーが死んでしまったショックで、大食漢となり始めてしまった。映画は訪問に来た医師の女性が血圧を計り、上が238、下が140近いからすぐ入院しないと、一週間内にうっ血性心不全で死ぬという。その一週間を描いている。器具を使わないと一人で歩くこともできない。何をするにも長い棒が必要なのだ。年齢はきっと40歳位だろうか、男が娘のエッセイのために選んだのは、「白鯨」だった。文学者であり、詩人の男は娘のために、モビィ・ディック(白鯨)を殺すことに命をかける。片足の船長エイハブのことを書く。240k近い男を演じた役者は、アカデミー賞とゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。ハリウッドのこういう映画は抜群にいい。ミッキー・ロークが主演した映画「レスラー」を思い出した。老いぼれたプロレスラーと、別居している年頃の娘との物語り、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。ブルース・スプリングスティーンの主題歌がヒッジョーニgoodだった。財津一郎さんサヨウナラ、たくさんの笑いをありがとう。この頃すっかり笑うことが少なくなった。この世はヒジョーニキビシイ。もっと、もっとそうなるのだ。オドロクほど進化しない、ヒジョーニワンパターンの国会中継を見ていて、この国の終末を感じた。日本国のGDPはついに第4位となった。すぐにインドに抜かれる。平均年収は韓国に抜かれた。私はこれから群馬、岡山、九州へと足を運ぶ。ニュービジネスを生むための仕事のために。アイディアは座っていては出て来ない。私の先生は、歩く巨人といわれた、民俗学者「宮本常一」さんである。イスラエルとハマスの戦争は、ユダヤ資本が世界を支配している限り永遠に終ることはない。山口組と一和会の戦争のようにはならない。ロシアとウクライナも同じだ。地球上の争いごとはすべてユダヤ資本が仕切って、儲けるのだ。地球の闇の中に姿を沈めている。“ザ・ホエール”は、戦争太りするユダヤ資本家だ。戦争をヤメテチョーダイ(文中敬称略)










2023年10月13日金曜日

つれづれ雑草「コスモスと枯木のバラ」

「ご自由に持っていってください。」と書かれた一枚の紙が駐車場脇に貼ってある。その下には大きなバケツに入った、秋桜「コスモス」の花が何本も入っている。なんでこんな色が生まれるのだろうかと、植物界の不思議に敬服する。核戦争が起きて地球上の生き物が消滅しても、植物界とゴキブリ界は生き残るらしい。近所のコンビニにスポーツ紙を買いに行く途中でコスモスの花を見た。家に帰ると愚妻がすでにそのコスモスを何本も手に入れていた。花瓶に挿されたコスモスがあった。きれいでしょと言ったから、◯◯さんの家の駐車場にあったのだろうと言った。そうよと応えた。柿とかイチジクとか、キンカンとかをよく持って帰る。私は春に咲く桜よりも、秋に咲くコスモスのほうが好きである。コスモスは咲く場所を選ばない。路傍の花でもある。茎の部分は絡み合い、捻り合う。それはまるで抜き差しならない、男と女の関係のように、死ぬまで解れない。春の桜は散るのが覚悟みたいな戦争を連想する。桜の花の下には死体が埋っていると買いた小説家がいた。そういえば新橋駅SL広場のところによく出ていた右翼の街宣車はどこへ行ったのだろうか。あまりの暑さに活動を控えていたのだろうか。街宣車が同期の桜を流している後に、シュークリームで有名な“HIROTA”ヒロタがある。右翼とシュークリームは、シュールな関係で嫌いではない。(映像的に)この一週間は新作映画の撮影のために、山の頂上から、山の下にある滝まで、腰痛ベルトを装着してがんばった。もともとは修験者が歩んだところなので、岩やら石やら木の根などが山道にあり、汝修業行せよと足腰を痛める。映画についてはいずれ詳細を書く。山の人々がみんな応援してくれた。映画好き20数名がごっそり機材を運んだ。柳田國男の“遠野物語”ではないが、真夜中の山の中には、超常現象的なものを感じる。私は雨よ降るなと念力をかける。で、山の撮影中は思い通りの良い天気であった。山を下り私の地元茅ヶ崎の野球場のシーンを撮り、東京蔵前の地下スタジオ(音響が大きいので)で最終カット。監督のOKの声と共に、拍手拍手ヤッターである。みんなで記念撮影、息子が車で応援しに来てくれたので家に向う。腹が減ったなとなり、家の近所の中華ソバ店へ。12時閉店なので約30分、二人でカタヤキソバとギョーザ一皿を分け合って食べた。なんともいえない疲労感と達成感が、闘志をかりたてる。で、次の日は一日中雨であった。私にはまだ運があるぞ。長い間ロケで雨に降られたことのないツキが残っていた。50年以上傘というものを買ったことがない。一日中雨の日、一日中ゴロンゴロンしていた。両足がひきつりあわてて芍薬甘草湯を服用した。イノシシカレー、熊カレー、コンニャクの刺身、山わさびなどを食す。これがヒジョーニ旨い。そして起きてからは、お世話になった方々に、礼状、礼状、また礼状を書く。(これが重要)ファンドに出資してくれたありがたき方々には、一人ひとり会ってお礼を言う。(これからの最重要)自主映画づくりとは、頭を下げることでもある。北島三郎の歌に、「与作」というのがあるが、私の場合は「遺作」である。♪~ トントントン、トントントンと、与作は藁を打つが、私はドンドンドン、ドンドンドンとご迷惑を打つ。ヤクザ者を志すならこの一曲を知らぬ者はいない。この頃明け方にこれを聞く。31歳で殺された北海道のヤクザ、荏原哲夫通称“雁来のバラ”又、“枯木のバラ”ともいう。この伝説のヤクザを歌ったのが、「484のブルース」だ。484とは札幌刑務所の番地、雁来町に生まれた。♪~ 義理や人情に あこがれた 十九はたちが 花だった ここはその名も 雁来町 いきつく所は 承知の上で ままよこの道 おれは行く……。北海道中のヤクザを震え上がらせた雁来のバラは、当然のように銃弾を浴びた。数人に襲われてスミス&ウェッソン45口径で撃たれた時、海老のように飛び上がった。トドメを刺しに行くと、笑っていたと言う。ずっと昔の話だが、今も語り継がれている。私はバカな自分のことをこの曲を聞きながら想っている。目の前に小さな花瓶がある。濃紅なコスモス、妖しげな桃色のコスモスが、私をじっと見つづけている。人生は、くんずほぐれず、修羅の道だ。(文中敬称略)









2023年10月7日土曜日

休筆のお知らせ

 本日、出張のため休筆致します。

急に涼しくなってきたので、皆様、ご自愛ください。



2023年10月1日日曜日

つれづれ雑草「髪切る前に」

誰れもまだ手にしていない新聞と、何人かが読んだあとの新聞とでは、同じ記事でも鮮度が違う。いつも行く床屋さんのソファーの前のテーブルには、スポーツ紙の報知新聞と、朝日新聞が置いてある。朝九時に行けば新しい新聞紙があり、午後や夕方に行くと、シワシワとなった新聞紙となる。報知新聞は読売系なのだが、きっと気をつかっているのだろう。昨日午後床屋さんに行った。その前に制作している映画の、あるシーンで使用したい施設の使用許可をとるために、尽力してくれた知人の元市議会議長に御礼のごあいさつをした。市営の施設なので役所への手続きが多々ある。床屋さんには先客が一人いた。三人ほど座れるソファーに、ヨッコラショと座る。若い頃はドーンと座った。全身が岩のようにガチガチになっていたのを、平塚の鍼灸の達人、マッサージも達人に来てもらって、鍼を刺してもらい、グイグイ体をほぐしてもらった。達人はこれはもう工事ですという。私の肉体はアスファルトになっている。報知の一面には現在フランスで開催中のW杯ラグビーの記事、サモア戦でトライをしたリーチマイケルのどでかい顔があった。私は早朝3時45分からしっかりと見た。NHKで再放送があるのを知っていたが、結果が分かっていたらツマラナイのだ。スポーツはやはり実況に限る。先日大相撲の千秋楽で、大関貴景勝と前頭どんじりの熱海富士の優勝決定戦があった。双方11勝4敗、20歳か21歳の前頭と、大関の対戦を楽しみにしていたが、勝負はあっけなかった。私は見ていて、汚ねぇ~ぞ大関と叫んだ。前頭がどーんと出ていったら、大関は逃げてしまった。いくら休場明け、心身共にボロボロでも、貴景勝がまさか逃げるとは思わなかった。翌日の新聞ではきっと叩かれると思ったが、協会のトップも、横綱審議会のメンバーも、苦しい中よくやったと語っていた。そりゃないだろうと思った。私はガーンとぶつかって貴景勝が負けてもよくやったという。上位の者が下位の者の挑戦から逃げてはいけない。W杯ラグビーで日本勝つ、ベスト8、ベスト4を目指すと、でっかく書いてあるのだが素直にはよろこべない。日本のチームの半分近くが外国人の助っ人さんたちだ。日本に帰化して日本人になった選手もいる。試合前日本人と外国人さんが君が代を歌っているのを見て、日本人選手がまだ世界レベルになっていない。何人かはいるが数は少ないと思った。いつか15人全員が日本人で戦っている姿を見たいが、その頃、私はあの世からの応援となっているだろう。大リーグで大谷選手が奇跡的活躍をしている。床屋さんの新聞を見て、やっぱり吉田正尚選手でも、大リーグはキツイのかと思った。ムキムキの筋肉で、日本では並ぶ者なきといわれる吉田選手が2打席凡退のあと、3打席目に代打を送られた。日本では吉田に代打なんて考えられないのだ。総理大臣にはいくらでも代打、代打を出すが、スケールが小さい者ばかりだ。吉田正尚を持ってしても体力がキツイのだろう。私は何がいいたいのかというと、貧富の差をなくして、幼少年期から栄養のある食生活をできるようにすべしである。勉強ができなくても、体力に才能があれば、その才能に投資すべしだ。国の予算を地方に割り振り、もっともっと助成しなければならない。新聞には伝統ある大相撲の入門基準が廃止されたとあった。今のままでは“おすもうさん”になる若者がいなくなってしまうからだ。例えが悪いがヤクザ者の世界には、一人親方という人間も多い。つまり子分がいない親分ということである。大相撲の親方になるには、“親方株”という数限られた高額の株を手にしなければならない。弟子がいなくなり廃業する親方もいる(株を売って)。体力に自信があれば誰れでも入門できる。ジャニーズ問題でメディアは大騒動、ずっとバックレ(しらばくれてた)てたツケが大洪水となった。サントリーの新浪剛史社長(経済同友会会長)が、知っていながら知らないそぶりの社長(東山紀之)は考えられない。国際的問題であると語っていた。帝国とか王国で滅亡しなかったのは歴史上ない。解体しかないだろう。そして次はアソコとかアソコ、ヒソヒソ話が広がっている。麻生太郎に呼び捨てにされて“がん”よばわりされた、公明党の代表山口邦津男、石井啓一、北側一雄などは、国土交通大臣の椅子が余程オイシイのか、ムニャムニャと応えている。例えが悪いが、ヤクザ者の世界では、親分が呼び捨てにされたら、言った者の命はとられるだろう。つまりプライドゼロだ。気がつけばインボイス制度などの増税が始まる。マイナンバーは大迷惑、ラチ問題はラチがあかない。北朝鮮に何度か交渉しているようだが、シカトされている。東大法卒の悪魔たちは弱者イジメをつづけている。さて、伸びた髪をカットしてもらうことにした。秋は近いようでまだ遠い。そういえばこんなサラリーマン川柳があった。「あの世では お願いだから 声かけないで」。深夜から朝にかけて、取り寄せてもらった、アンドレイ・タルコフスキーの自伝的名作映画「鏡」と、ベルナルド・ベルトルッチの名作「暗殺の森」の完全版を見た。詩的、哲学的、宗教的、暗示的、叙情的、叙事的、圧倒的であった。「言葉は半端なもの」とタルコフスキーは表現した。建築美、都会美、装飾美、教会美、群像美、暗殺美。「買い物は女同士、支払いは男」という洒落たセリフが53年前のパリで交わされていた。(文中敬称略)



2023年9月24日日曜日

つれづれ雑草「大ヒット上映中」

「友遠方より来たる」ではないが秋がついに来た。ホトホト体にダメージを与えた狂暑、猛暑、酷暑の日々だった。科学者によれば、2030年頃に地球はダウン寸前のボクサーのようになるという。北極の氷が溶けてその水が陸を襲う。そんな夕刊の記事を読んでいる私の隣りの席で、ロールキャベツ弁当を食べている47、8歳の女性がいた。時間は9時少し前、女性はきっと駅ナカの食品売場で、20%、30%引きの弁当を買ったのだろう。パックの中に太いロールキャベツが二本、野菜煮と共にある。ビニール袋をせわしそうに開くところを見ると、かなり空腹だったのだろう。俳優の室井滋さんによく似ている。太いロールキャベツには楊子が一本づつ刺さっている。ごはんにはゴマ塩がふりかかっている。濃いベージュのワンピースが、陽に灼けすぎた肌のように見える。あ~嫌だ嫌だ。会社なんて大嫌いだとその姿から感じる。楊子を一本抜いて、ロールキャベツに憎しみを込めて、ブツリ、ブツリと刺す。口元が動いている。あのバカ男、あのバカ女めと言っているように、ロールキャベツに刺す。キャベツはかなり厚い。グルグルさせると、やっとこさ肉が現われる。憎い気持ちと肉への食欲が弁当内で闘争する。同じ会社の仕事仲間の女性に、男を寝取られた。この夜最後のベッドを共にした。だらしなく寝込んでいる男に、馬乗りになりアイスピックで、ブスッ、ブスッと刺している。男の体がロールキャベツと私の中でシンクロする。女性は爽健美茶のペットボトルで茶を飲みながら、もう一本の楊子を抜き取った。一本目の楊子は、ごま塩ごはんの上に突き刺してある。ニンジン、イモ、ブロッコリーには割り箸を突き刺す。ロールキャベツと人間の体をオーバーラップさせた。映像が再び浮かぶ、キャベツが赤い血で染まっていく。ロールキャベツはグルグルに巻かれた布団に中に入っている肉は男だ。5分位のショートムービーになるなと思った。食品売場は、閉店間際になると安売りが始まる。私は“助六弁当”が好きなので時々買って帰る。私なりに意地があるので値引きされたものは買わない。ガキの頃、母親が働いて帰り疲れ切った体でも、大きな太巻きと、おいなりさんを作って、遠足の弁当を作ってくれた思い出がある。玉子焼きやかんぴょう、桃色のでんぷんがおいしかった。油揚げを甘く味付けして、二つに切って、半分づつに酢メシのまぜごはんを入れてくれた。ロールキャベツも一年に一度か二度作ってくれた。人間はいきなり大人にはならない。ヒトそれぞれに子どもの頃のお弁当の思い出はあるだろう。子どもの頃のロールキャベツは、楊子で刺したりしなかった。食べてノドに刺さるからだ。煮込んだカンピョウでしばってくれていた。品川から乗った列車は沼津行だった。辻堂駅で乗客が線路に落ちたとかで、しばらく停車しますと車内放送があった。私と私の隣りの女性は、戸塚駅でじっと列車が動き出すのを待った。北極海の氷がどれだけ人類を救ってくれていたのか、もう手遅れかも知れないが、まだ間に合うかも知れない。お弁当をしっかり食べ終えた女性は、満腹で憎しみがうすれたのか、目を閉じて首をガクッと落としていた。私は家で待っている孫に小さな声で、今戸塚なんだ辻堂駅でヒトが落ちたらしいと言った。孫は映画のシナリオを読んでほしいんだと言った。次の日の朝には帰るから待っているよと言った。私とは“映画の友”である。来年卒業なので仲間たちと映画づくりをしているのだ。友遠方より来たるの友とは、21歳になる孫であった。20分程遅くれて辻堂駅に着いた。息子と孫が車で迎えに来てくれていた。ホームは静かであった。厄(ヤク)な女と、シャブ(麻薬)と映画には手を出してはいけない、と言い伝えられている。厄な女とは厄病神みたいな女性のこと、ロールキャベツに刺さった楊子の扱い方でほぼわかる。映画は博打の中でいちばん勝ち目のない勝負。一人前のヒモにならないと、一人前の監督にはなれないといわれている。惚れた男の“ゲージュツ”のために、体を売ってでも尽くす。お客さんのいない小さな映画館、ヒモの映画監督を支えつづけた、神様のような女性と二人で、出来上がった「ゲージュツ」を見に映画館に行く。厚い扉の向うでは映画館主がつぶやく。駄目だこりゃ大ゴケだ。仕方ないからすぐ他の映画にしよう。そもそも題名がイケナイ、「ロールキャベツの女」だなんて。あの監督はもう終りだな、オッそれでもお客さんが、7、8人来たよ。大ヒット上映中にするか。列車の中でそんなつまらないことをボーとしたアタマの中で考えていた。きっと暑さがつづいたせいだろう。










2023年9月21日木曜日

つれづれ雑草「東大卒の馬鹿者」

狂暑でアタマが狂ったのか、元々アタマが狂っているのか、その世界をやったらイケマセンという夢を追っている。先週末から今日まで、心から祈り念じることがあり休筆した。今の世は故鶴田浩二の歌ではないが、右を見ても、左を見ても、まっ暗闇じゃございませんかだ。こうして命長らえている我が身が不思議でならない。世のため人のためになる筈の恩人、友人、知人が次々とこの世を去って行く。もしかしてあの世のほうが生きがいがあるのではと思ってしまう。名は伏すがこの世を駄目にした人間が生きつづけている。が、もうすぐ地獄へ落ちるだろう。富める者をさらに富まし、貧しき者をさらにどん底にしたのだ。大企業は税金を支払わずガッポリ儲ける。あろうことかトヨタに補助金1500億円近く出すという。国家予算の4分の1近い売り上げのトヨタなのに。魚はアタマから腐るというが、国のアタマという東大法学部卒の官僚や政治家から腐っていく。勉強ばかりしていると馬鹿になるぞといわれるがその通りだ。勉強はできる“世間馬鹿”がこの国、この世を滅ぼす。利権と肩書きばかりを欲しがる悲しき人種だ。東大法学部卒のある官僚上りの政治家は、私にこう言った。東大とは法学部だけであり、教養学部や医学部、農学部など他の学科は東大じゃないんだと。野心の塊みたいな安い男を、私は鼻でせせら笑った。赤ワインをガブガブ飲んでいた。勿論勘定は私が払った。実に貧しい男だなと思った。昨日近況報告のDMが送られてきていた。そこには花火大会をみんなで見ました。トラクターに挑戦し畑を耕しました。ブドウ狩りを経験しました。そんなアホなことが写真入りで書いてあった。それを破ってゴミ箱に投げ入れた。オマエ何やってんだよと心の中でバカにしながら。「景徳山白峰寺動物愛護の会」から便りが届いた。10月1日ペットの法要がある知らせだ。毎年一度行なわれる。この寺に二匹の犬と、二匹の猫の魂を授けている。長引く不況のせいで空きが多くなっている。参加者は壱万円、何年か前ガラガラ廻すくじ引きがあった。くじ運の悪い私が一等賞をコロンと出した。賞品はVネックのニットのセーターだった。毎年(コロナ以前)ペット好きなゲストが来て、小箱の上に集りペット愛を語る。佐良直美とかビートきよし、参加者は80人位だった。ペットの名を書いた御塔婆が並ぶ。九官鳥やインコの◯◯ちゃんとか、金魚の◯◯とか、亀の◯◯、蛇の◯◯など多種にわたる。見て回ると結構面白い。クワガタまである。よくよく見ているとその名は銀座や赤坂のホステスさんの源氏名と重なる。ミミちゃんとか、ハナコちゃん、ケイちゃんとヨッコちゃんとか。クワガタのガタガタという名を憶えている。顔に大きなホクロのある演歌歌手“松原のぶえ”がゲストの日は忘れない。乗っていた箱が壊れてよろけて落ちたのだ。先日森達也監督の「福田村事件」を新宿のK'sシネマで観た。関東大震災の時、香川県から千葉県の福田村(現野田市)に行商に来ていた朝鮮人の人たちが、デマと流言、差別によって、自警団の人間や軍人たちによって、大人、子どもが惨殺された。この事件をドキュメンタリーを専門としていた森達也監督が劇映画として世に出した。小柄な軍人役の“水道橋博士”(タレントさん)が恐ろしい日本軍人役で秀逸だった。感情を抑えた静かな演出に好感を持った。惨殺、虐殺のシーンを生々しくしなかったことでより同調圧力の恐ろしさを感じた。久々に東出昌大が映画出演していた。彼は現在山の中の一軒家の軒下を借りテントを張って、一人そこで自給自足の生活をしている。5年前に狩猟の免許を取っており、鹿やイノシシなどを銃で仕止めて自分で解体している。又、道路でクルマにはねられて死んでしまったタヌキやハクビシンなども解体して食料としている。街に出て人を見ると、もしかして週刊誌の記者ではとか、スポーツ紙や女性誌の記者に見えてしまう。それが怖くて嫌で山の中に入ったと語っていた。SNSの時代は福田村事件の時と同じように恐ろしい。デマが拡散して人の命を次々に奪ってしまう。ネット住民は、軍服を着た水道橋博士のように凶暴なのだ。“バズル”という意味を最近知った。それは蜂が群れるとか蜂が集合するということらしい。私などはSNSの時代では無用の人間となっていく。まあ十分に生き過ぎた。尾崎士郎の人生劇場では、主人公の育成瓢吉の瓢太郎は、没落した身をピストルで弾く。義理と人情の男「吉良常」は、辰巳屋の大且郡立派な花火をあげましたねえと涙する。義理が廃ればこの世は闇なのだ。やがて人生劇場は青春編を経て、残俠編、愛欲編とつづいていく。尾崎士郎の自伝といわれる。実はこのところ不眠が酷く明け方に浪曲ばかり聴いている。今朝は広沢虎造の“国定忠治”赤城の山の物語だ。(文中敬称略)