子供の頃東京都杉並区天沼三丁目に住んでいた。
2階建ての家に叔父夫婦と下宿人の人が住んでいた。三畳の離れには職人さんが居た。
我が家が全盛期の頃はこの離れにお手伝いさんが住み込んでいたそうだ。
私は全盛期を知らない。ただ庭は80坪位あってかなり広かった。
そこにヤギ2頭、ニワトリ4羽、蜂の入ったたくさんの箱、季節になると叔父夫婦が花畑に連れて行く。
遠心機で分離させそして蜂蜜となる。それをナメナメして育った。
犬が一頭、猫一匹、瓢箪池は空き地だった。鳩が40〜50羽早朝の運動の為飛ばす。
家族七人(父は既にあの世に逝っていた)+下宿人一人+職人+叔父夫婦二人、合計十一人の思いがあった。
それはニワトリの生む玉子である。当時玉子は貴重であった。例えば朝ニワトリ小屋の前で生むのをじっと待つ。ニワトリはほぼ規則正しく座りこんで玉子を一個ずつ生む。おっ、生んだ!それを手にするとブヨブヨしている。
台所に行き椅子に座りじっと固くなるのを待つ、その間鰹節をカンナで削る。残りご飯を茶碗におしゃもじで入れる。
玉子が固くなったら一個はゆで玉子、一個はかけご飯、一個は目玉焼きにそして一個は母親の為にとっておく。一ヶ月に一度はこの特権があった。末っ子だったから。
ゆで玉子は玉子の半分のちょっと下まで煮立ちお湯が下がったらOK。
目玉焼きは小さなフライパンでとろ火にしてお皿で蓋をする、黄身が固い方が好きだ。
冷たいご飯に玉子を割って落とし、鰹節をまぶしぐいぐい掻き混ぜる。ご飯粒が全て黄色になるまで玉子と鰹節の香りがいい。その上にコウナゴをまぶすと出来上がり。
ゆで玉子をコツンと割る、冷たい水に浸けて置いた方が剥きやすい。ゆで玉子は出だしの割り方で良くむけるか割れ割れになって取り返しのつかない事になる、身を滅ぼす(この時はガックリする)私は今でもゆで玉子がうまくむけない日は、あーあ今日はあんまりいい事ないかもと思ってしまう。
それほど重大な儀式なのである。卓袱台に座り玉子かけご飯のおかずが目玉焼きとゆで玉子となる。
未だにこれ以上の贅沢な食事を私は知らない。この世の終わりの食事はこれと同じと決めている。
玉子一個で兄弟喧嘩をしていた時代の方が明るく楽しかった気がする。ヤギのお乳を搾って作ったチーズの美味しさといったら未だ忘れない。食パンに蜂蜜をタップリつけたパン程素晴らしい味はない。
何回か蜂に刺されても許しちゃったものだ。
私もそろそろシンプルライフに戻らなければならない。
冷めたご飯と玉子一個、鰹節があればいいのだ。素焼きの茶碗、竹の箸がいい。
後は一畳の寝るスペースさえあればよしだ。味噌汁の具がいる時はどこかの畑に行って放射能がたっぷり汚染された野菜をいただいて来るとする。えっしょうゆとみそはどうするって、それはお隣から時々施していただくのだ。
デザートのスイカは畑からかっぱらって来ればいい(ただしドロボーと言われて追いかけられる)
追記、玉子かけご飯は炊きたて熱々のご飯では駄目、玉子がご飯の熱で固まってしまうから。
玉子かけご飯が売りのおしゃれなお店に入ったら熱々ご飯で作っていた。当然失格である。
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