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2020年8月4日火曜日

第83話「私は逆境」

私は「逆境」である。この世に生を受け、ものごころがついた頃から、私は逆境である。それ故逆境に打ち勝った人とか、ずっと逆境にいる人に共感する。日曜日は、「泣けた泣けた、こらえ切れず泣けた」元大関照ノ富士が、平幕番付どんじりで優勝した。モンゴル出身である。入門以来強いのなんのと勝ちまくり、十両から幕内、そして三役、大関へと一気に駆け上がり、すぐにでも横綱かと言われた。怪力無双で相手力士をつり上げた。横綱白鵬の全盛期であったが、照ノ富士時代が来ることを疑わなかった。しかし大関といっても二十三歳の若者である。相撲の怖さを忘れ慢心し、増長した。そしてその慢心が相撲の神様を怒らせた。ある一番で相手力士をつり上げ、つり落としを仕掛けた。その時相手力士の体重が照ノ富士の両ヒザにのしかかった。ガクッとして、ボキッとして、グシャッとなった。力士にとって両ヒザは命に等しい。多くの有望力士が横綱を目前にしてヒザを痛め脱落して行った。又、両ヒザを痛めて大関から関脇、小結、幕内、十両、幕下、そして序二段まで番付を落として再起し、幕内優勝をした例は江戸時代からない。照ノ富士は糖尿病と肝炎にもなっていた。正に身も心もボロボロになり、力士の命である体は再起不能に近い状態だった。引退したいと親方に何度も言ったが、元横綱旭富士の伊勢ヶ濱親方夫婦や知人友人がもう一度やってみろと励ました。優勝力士インタビューで、あの頃はイケイケだった。目をうるませながら、親方やおかみさん、励ましつづけてくれた人に感謝していた。二十八歳になった元大関は新大関も破りその実力を見せつけた。私逆境は努力をしてきたことが実ったと言う姿に泣いたのだ。努力しない人間が報われることはない。悪事を働いている人間が報われるのが、世の中だがそれは違う。株への投資や相場で富を得てもそれは仮りの姿、必らず地獄が待っている。照ノ富士の両ヒザには白くて大きくてぶ厚いサポーターが巻いてある。今度つり落としをしたら、相撲の神様は許さないだろう。楽して勝とうとする力士が大成した例はない。私逆境がいつも気にしている、茅ヶ崎出身の力士、服部桜は今場所も全敗だった。入門以来2勝しかしていない。100敗より先は勘定しないことにしている。番付表のいちばん下にいる。いずれ会ってみたいと思っている、アコガレの力士だ。二日の日曜日朝八時三十分プレイボール、小(四)の孫の試合だ。野球場に愚妻と行き検温をし、消毒をし、名前、住所年令を書き球場に入った。孫ははじめてピッチャーで先発する。公式戦なので審判も三人、記録員もいる。試合時間は七十分、一回に5点入ったら相手チームと交代するルールだ。孫は私らの顔を見ると大きく手を振った。息子は助監督である。孫の先発はみんなでミーティングして決めたと言った。空は青くグリーンに囲まれたグラウンドは整備されている。プレイボールと同時に、ボールばかり、時々入るストライクをボカン、ボカンと打たれる。エラーもあり、5点が入り、そこでストップ。相手チームと攻守交代。こうしないと少年野球は終らない。一回裏一点返す。二回は少し落ちついたのかストライクが入り一点で終えた。そして三回表、又、ボール、ボールでランナーを出しつづけ、監督がピッチャー交代を告げた。孫は逆境に強い(?)ので、交代してショートに行っても元気一杯だった。とにかく野球が大好きなのだ。その夜食事を一緒にすると、あ~楽しかったと言った。試合は結局コールド敗けであった。ネット裏に来ていた知り合いの市会議員が、二回はよかった、何度か投げて行けばよくなりますよと言った。この議員は少年野球の監督をしていた。私はいつも逆境の中にいるが、少年たちの一生懸命ボールを追う姿に、何よりの勇気をもらうのだ。今、全国民がコロナ禍による大逆境の中にいる。バカヤロー負けてたまるかだ。伊勢ヶ濱親方は常日頃、歩けるうちはケガではないと言っているとか。



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