江戸時代、将軍家武芸指南役は、柳生家だった。その柳生家に今も残る「家訓」がある。それは意外にも、ビジネスマンへの処世訓みたいであった。(一)小才は、縁に合って、縁に気づかず。(二)中才は、縁に気づいて、縁を生かさず。(三)大才は、袖すり合った縁をも生かす。この三つであった。現在世界中がブロック社会となり、人と人が出会って、時間を共にすることが難しくなっている。過日、海岸にいたらキンキンキラキラの着物を着た若い女の娘が、三人、五人と、江の島をバックに、友だちと撮影会をやっていた。そうか成人式かと思った。その側で七、八人がバーベキューをしていた。子どもたちはハシャイでいた。和服の女の娘の周辺に、ウインナーソーセージとか、牛肉、鳥肉、タマネギ、マイタケなどをジュージュー焼く臭いが着物と白いふさふさのショールに染み込んでいた。三人の女の娘が、私が立っている木製の踊り場のところに来た。三人とも白いマスクをしていた。私がマスクをしていると、みんな美人に見えるね、と言ったら、えっ、やだぁ、ギャハハハと和風ではない笑い声を発した。マスクを外してみてと言ったら、ヤダ、ヤダ、絶対ヤダと言って離れて行った。おいしそうだねバーベキュー、ウインナーソーセージは赤いのじゃないとダメだよと言ったら、人工着色だからダメよと言った。三十代の二人の男性はきっとパパさんだろう。一緒に食べませんか、ビールどうぞと言った。海の側はこんなことはフツーである。はじめて出会ったサーファーたちが、バーベキューに参加したりする。私はありがとうね、でも今日はいいから楽しんでと言って、そこから歩き出した。観光用の地曳き網の船はずっと陸上げ状態だ。知り合いの漁師が、コロナ、コロナでやってらんねえ、昼間からスナックでカラオケばかりだよ、と言っていたのを思い出した。海岸の砂の上を歩いて、一人の釣り人のところに行った。ルアーで投げ釣りをしている人に、何か釣れましたかと聞くと、六十代の上品な釣人は、カレイが一匹と言って、白いクーラーボックスを開けて見せてくれた。オッいい型をしているカレイが、ペタッとボックスの下にへばりついていた。30メートルから50メートル投げるだけで、意外な大物が釣れると言った。私はいっとき投げ釣りをしていたが、五十肩痛が進行、思い切り投げると側頭と首筋が猛烈に引きつるようにもなり、投げてはイテ、イテ、イテテとうずくまってしまった。でもってせっかくいい竿とリールを、平塚の鍼の達人&釣りの名人からプレゼントでもらったが、新品のままである。上州屋という釣り道具屋さんが、情報を発信しているとかを聞いた。どこで、何が、どんなルアーでと。私は以前仕事をたくさんさせてもらっていた自称釣り名人が、今度船で葉山沖に出て、大物釣りをやりましょう。渋谷の上州屋に行ってください、リールを頼んでおきましたからと言った。もう一人行く人は、広告代理店の本物の釣り名人だった。上州屋に行くと、E・ヘミングウェイが名作“老人と海”で釣った、大物クラス(500ポンドもOK)用のPENNのリールだった。値段を聞いたらビックリ仰天した。代理店の人に言ったら、え~と言った。(当然自分で払った)で、葉山沖に行った時、釣れたのは水深250メートル位にいた、顔付きの悪いシマガツオとか言う誰も食べない30センチ位の魚二匹だけ。そのリールは一度しか使っていない。置き物として、私の仕事場の机の下にある。釣りは人の縁と同じで、魚に縁のある人はよく釣って、縁のない人はあまり釣れない。私はあまり縁がない。犬はリードを持った瞬間に、この人は本当は犬好きではないと分かるらしい。私は愛犬家のつもりだったが、飼い犬にしょっちゅう咬まれた。縁がなかったのだろうか。それでも、一頭は十三年、一頭は十六年ビミョーな関係をつづけた。愚妻はガブリ、ガブリ咬まれても、決して怒らなかった。私は消毒液を持って渡したのだが、そんな愚妻が不気味に感じた。犬だってストレスがたまってんのよ、仕方ないわよと言っていた。子どもたちは猛犬に触れるのを恐れた。愛は見破られる。犬は頭がいいから、嫌、嫌散歩している私を許さなかったのだ。愛犬学の専門家の友人に教えられると、私は犬にとってすこぶる迷惑な人間であった。犬と人間の出会いも縁なのだろうか、それとも愛の学習か。海辺にあるサイクリングロードでは、愛犬家たちが朝な夕なに仲良く散歩している。一月が終り、二月となる。コロナ禍はいつ終わるのか、誰も知らない。いよいよ縁遠い関係ではなくなって来た。縁とは合性である。もとは縁の近かったロシアとウクライナが、もめている。「戦争と平和」人類の永遠のテーマだ。「ウイルスと人類」も同じ。政権の支持率アップには、戦争がいちばんである。イギリスのジョンソン&フランスのマクロン&アメリカのバイデン&ロシアのプーチン。
2022年1月29日土曜日
2022年1月22日土曜日
つれづれ雑草「赤いリンゴ」
とある刑務所で二十歳の成人式があった。一人の男が仮名で語った。少年の頃から非行ばかりしていた。両親はいない。幼い頃から施設で育った。十六歳の時好きな女の子ができ一緒に暮らし始めた。日雇いのような仕事で食いつないできた。十八歳の時、籍を入れ正式に結婚した。妻のお腹の中には子が宿っていた。稼がねばならないと飲食店に店員として入った。しかしコロナ、コロナで店は開けたり閉めたりだった。そしてその店は閉めたままになった。突然言われて失業した。どこかに入らねばと焦った。いっそ半グレかヤクザ者にと思ったが、生まれて来る子の事を思うと、正業につきたかった。そんな時ある工事関係の仕事の広告が目に入り面接に行った。社長はいい人でとりあえず採用してくれた。十人位の会社だがみんないい人だった。しっかりがんばれば、正社員になり健康保険もつく、妻はよろこんだ。ある日の夜、会社でみんなと酒を飲んだ。トイレに行こうと思って事務机の横を通ると、経理の人の机の上に一万円札が見えた。酒に酔っていたが、やはり小さな頃からの悪いクセが出てしまった。一万円札は七枚あった。気がつくとポケットに入れてしまっていた。何喰わぬ顔で酒を飲んでいたら、大きな声がした。ここに置いていた金がない。先輩の男は真っ赤な顔して、お前さっきトイレに行った時、盗んだだろうと言った。盗んではないと言ったが、先輩は殴って来た。非行ばかりしていた悪いクセがここでも出て、先輩の顔や腹を何度も殴ってしまった。怪我が大きく救急車が呼ばれた。そしてパトカーも来た。手錠をかけられ連行された。結局暴行傷害罪で一年半の刑となった。妻は身重の体で近所の洋品店にパートに行っていたが、コロナでお客さんが全然来なくなって閉店して失業した。刑務所内で二十歳になった。所内の背広とネクタイ、それにYシャツ、靴下と靴を用意してくれた。講堂内には三十人近くいた。突然名を呼ばれ二十歳の夢をと言われた。緊張で何も言えなかった。早く出たいですと言ったら、みんなが笑った。こんな話の中にもコロナがある。誰れの言っている事を信じていいのかが分からない。かつての日本軍のように、命令系統がバラバラだから、尾身茂なる人間は、大好きな麻雀を徹夜でやり過ぎたのか、今頃になってステイホームなんか意味がない、“人流より人数だ”なんて言い始めた。腹を切れ、腹をと思った。テレビに出て来るのは、毎度お馴じみの医師会か医師たち、余程ヒマなのかまい日出演できる。本当に始末が悪い。政府や報道機関のいいなりだ。もうおマエ達の顔は見たくないと、声を大にして言いたい。恥を知れ恥をと言いたい。私たちのような芸を売る仕事は、いいダンナ(クライアント)からお座敷の声がかからないと、踊るに踊れない。裏社会では勝負することを“踊る”などと言う。芸人は芸で戦うしかない。小さな庭の空池に、一個100円で買って来たリンゴを4分割にして放り投げる。すぐに小さな鳥が来てリンゴをつつく。次にもう少し大きい鳥が来ると、小さな鳥は逃げる。その次にもっと大きい鳥が来ると、その鳥は逃げる。最後にもっと、もっと大きな鳥が来る。結局いちばん大きな鳥が、いちばんたくさんリンゴを食べてしまう。一般社会と同じだ。私はそっと身を隠してそんな風景を見ている。愚妻が鳥がたくさん来て、フンをいっぱいするから、リンゴをやらないでと言うが、私はフンと言って無視をしている。あと二ヶ月もすれば鳥たちはピタッと来なくなる。土に落ちたフンは土を育てる。どこぞに落ちたフンもやがて乾き、風に乗って運ばれ土を育てる。大都会にはツバメもスズメも姿がない。カラスさえも姿が少なくなった。銀座を歩いていると、あったはずの名店がいくつも店を閉めている。又、やけに貼り紙が多い。読めば殆どが、閉店をしますの予告だ。遠く離れたトンガでドカアーンと大爆発があった。夜中に映画を見ていたら、私のガラケーが、大きな音を出し津波警報を何度も出した。日本国がドーンと救援金を出すと思っていたら、出したのはわずか一億円程度だった。安倍晋三、菅義偉、二人の総理大臣がコロナ対策で、てんやわんやした。元凶は尾身茂たちのでたらめだ。このままだと岸田文雄総理も、てんやわんやになってしまう。そういえば、むかし“獅子てんや・瀬戸わんや”という漫才コンビがいたが、とても面白かった。今の政府のてんやわんやは、すこぶる面白くない。何故もっと科学的な人たちでチームをつくらないのかと思う。生物学者、人類学者、人間行動学者、考古学者、歴史学者、物理学者、民俗学者など、政府のいいなりにならない、お金を欲しがらない在野の人々を集結して、10年先、50年先、100年先までを見据えなければならない。とり急ぎ、尾身茂一派を退場させよ。マイナスオーラを発散しすぎだ。刑務所で成人式を迎え、やがて世に出る若者は、親子三人で幸せにやって行けるだろうか。私たちも今サバイバルゲームの中にいる。体が許す限り、踊るだけ、踊ってやる。(文中敬称略)
2022年1月15日土曜日
つれづれ雑草「文化後進国」
その地には、決して無くならないものがある。例えば北海道なら“阿寒湖”これがないとアカン。青森“三内丸山遺跡”、秋田“きりたんぽ”、岩手“一関常堅寺”(ご住職夫婦がいい)、山形“さくらんぼ園”、宮城“松島”、福島“鶴ヶ城”、新潟“魚沼コシヒカリ”、栃木“那須高原”、茨城“日光国立公園”、群馬“下仁田ネギ”、千葉“銚子港”、埼玉“佐野ラーメン”、長野“千曲川”、山梨“ぶどう園”、神奈川“とんかつ大関と紅がらのそば”(地元なので二つ)、富山“ホタルイカ”、静岡“富士山”(山梨にも有)、石川“兼六園”、愛知“名古屋城”、福井“越前ガニ”、岐阜“郡上八幡”、滋賀“琵琶湖”、三重“志摩半島”、奈良“奈良漬”、和歌山“紀の川”、京都“嵐山”、大阪“通天閣”、兵庫“神戸牛コロッケ”、鳥取“砂丘”、島根“出雲大社”、岡山“林源十郎商店”(社長が熱い)、広島“原爆ドーム”、山口“松下村塾”、香川“さぬきうどん”、徳島“室戸岬”、愛媛“道後温泉”、高知“明神のカツオ”、福岡“屋台村”、大分“宇佐神社”、熊本“熊本城”、宮崎“日南海岸”、佐賀“嬉野茶”、長崎“ちゃんぽん”、鹿児島“桜島”、沖縄“ホテル・フォールームス”(親友が経営している)。私は仕事のおかげで日本全県に行っている。そのおかげで全県に一人は知り合いがいる。マグロの漁師、トド漁の射撃名人、お寺のご住職、陶芸家、考古学者、染職作家、和紙づくりの達人、メガネ職人、左官の天才、切り絵の名人、木工づくりの変人、マタギの頭領などなど多種多様の人たちと交流している。さて、東京の話だが、東京といえば神田の“岩波ホール”だ。神田は日本中の探究の徒とか、学究の徒が古書店に来る。知の倉庫の街だ。一月十四日の新聞に「岩波ホールが七月に閉館する」という記事があった。その背景は、観客層が高齢化して、若者たちがパソコンやスマホで映画を見るようになり、これ以上経営が成り立たない。岩波ホールのようなミニシアターは良質な作品、小さな国の作品、政治的に揺れていてやっと作れた作品、文学、哲学、反戦、宗教や性についてとかを追った作品。非暴力や人間の暴力性を、徹底的に追求した骨太の映画を世に問う場所であった。あなたが肉マンを買いにいって買ったら、肉が入っていなかった。ラーメンを食べに行ったら、チャーシューが入っていなかった。おでん屋さんに行ったら、カラシがなかった。吉野家の牛丼を食べに行ったら、紅しょうがなかった。その時はあなたはきっと心を乱すだろう。私ならきっとオリヤー何してんだと怒るだろう。カレーライスに福神漬(赤いのがいい)は、絶対の関係なのと同じだ。東京・神田神保町・岩波ホール。1968年に開館した岩波ホールは、日本のミニシアターの巨星だった。良心の館であったのだ。私の密かな理想の死に方は、岩波ホールで映画を見ながらであった。一人ポツンいちばん前の席で。バカヤローなこの文化後進国は、韓国の10分の1しか文化予算を使わずに、どうでもいいことに莫大な金を使う。神田“神保町”とは、文字通り、さまざまな神の意志を保つところなのだ。文部大臣の顔が浮かばない、文化庁の長官は見たこともない。それ位軽量な扱いをしているのが、この国の政治文化なのだ。7月までに未だ時間がある。閉館反対! 俺がパトロンになる。そんな経済人を見てみたい。例えば渋沢敬三のような人物を。日本の民俗学者たちのパトロンになって、柳田国男や宮本常一を育てた。渋沢敬三は第一等の人物だ。神田には、古書店、岩波ホール、そしてカレーライス、これはいわば“日本国憲法”なのだ。責任者を呼んで来い! だ。私から映画を取ったらタンメンから野菜を抜いたスープメンみたいな、人間になってしまう。新作映画にトライしているのだが、イメージがふくらみすぎて、ふくらんだ夢が破裂しそうだ。コロナ禍の正確な情報が分からない。“聞く力”を言う総理大臣は、このところ美食三昧だ。誰の話を聞いてんのだ。しっかりしろ! といいたい。ネットフリックス配信の“新聞記者”を昨夜から今朝まで一気に見た。第一話から第六話まで(約六時間)、米倉涼子が実によかった。ハイヒールを履いていない、ファッションは地味、顔もそれなりのメイクであった。日本の資金ではとても作れない、鋭く深く内閣官房の闇を追っていた。政治はオドロオドロだ。私たちは監視されている。本日の朝七時〇三分、お雑煮を作ってもらった。でも、オモチは抜いてもらった。つまりトリ肉野菜汁だ。これから身内の納骨のために出発する。コーヒーを一杯、そういえば、“クリープを入れないコーヒーなんて”そんなCMがあった。岩波ホールのない神田なんて。立ち上がれ江戸っ子よ。(文中敬称略)
2022年1月7日金曜日
つれづれ雑草「寅年」
令和四年400字のリングが鳴った。年末年始はひたすら修行僧の如く映画を見た。私の心情は葉隠と同じで、“一日一死”朝起きたらそこに死有りの気持ちでやって来た。“俺たちに明日はない”という映画があったが、俺には明日はない。だから今日やることは今日やるのだ。明日という字は、明るい日と書くのね、なんてヒット曲があったが、世の中にすっかり明るい日はなくなってしまった。大晦日の楽しみであった、総合格闘技の試合も強い外国人がコロナ禍で来日できずマッチメイクがメタメタになった。現役の日本人vs引退していた日本人の試合などで、中継時間が一時間以上も残ってしまった。会場に行った人は、金返せであったろう。現在世界のプロスポーツのマネーランキングのトップは、総合格闘家UFCのチャンピオンだ。全盛期のタイガー・ウッズをも超える。年収約197億円。人間は残酷を好む動物で、人と人がボコボコ殴り合い、ビシバシ蹴り合い、ギューギュー首や関節を絞め合い、血みどろになるのを見て興奮する。いっそどちらかが死んでしまったら大拍手なのだ。一人のスターは、少年院を出て、喧嘩番長となり格闘家になった。そして人気ユーチューバーにもなり、登録者数は200万人以上となり、年収10億円を稼いでいると言う。会社も8社やっているとか。路上で殴り合い、蹴り合いをすれば、暴行傷害で少年院か刑務所送りだが、リングの上ではすべてが許され(ルールはある)勝ち続ければ大金が入るのだ。年末に行なわれた紅白歌合戦などという、時代外れのNHKの看板番組の視聴率が、34%位だったとか。かつては80%を超え、70%台を普通にとっていたが、この頃は40%台をウロウロ、結果、大惨敗といえる。おそらくNHKをはじめ外注先の何人かが、どこぞに飛ばされるか、閑職に追われ座敷牢生活となるだろう。私はいつ見たか思いだせないほど見ていないが、ある映画のシーンの中で見た。倉本聡脚本、故降旗康男監督、木村大作撮影という名コンビ、故高倉健主役である。何度も見たのだが、年をまたいで映画監督を志す18歳の若者に見せた。舞台は真冬の北海道だ。倉本聡は冬が得意だ。それと手紙だ。北海道警の刑事である高倉健が、増毛駅前にある“桐子”と書かれた赤提灯の店に入る。雪は深く静かだ。客はいない、カウンターだけの客。座ると左奥に小さなテレビがあり、そこに紅白歌合戦が流れている。桐子という和服の女が、お銚子の酒をつぎながら言う。私この歌大好きなの、♪~ お酒はぬるめの 燗がいい 肴はあぶった イカでいい 女は無口な ひとがいい……。故阿久悠の作詞による、名曲「舟唄」と、倉本聡の言葉とがしみじみと行き交う。女はポツンと言う。年の瀬になると、札幌ススキノのホステスさんの自殺が増えるのを知っている(?) どんな男もこの頃になると、自分の家に帰ってしまうからね。と、まあこんなやりとりが交わされる。この映画「駅 STATION」が上映された頃の紅白歌合戦は視聴率は74.9%だった。645年は大化の改新と中学時代に教った。2022年は“退化の怪新”の年となるだろう。文明は進化し、人間は退化する。コミュ症人間が大繁殖し、人と人の間は、人______間位に広がる。あいさつもできない。ハガキ一枚が書けない関係となる。進化論のダーウィンもまったくついていけないほど人類が退化する。つまるところマスクをした類人猿に帰って行くのだ。北朝鮮が冬の花火のようにミサイルを発射した。でもって私は確信した。目の前に映る金正恩は影武者であると。よく見ると、ビミョーに違うところがある。激太りした糖尿病の人間が、顔色ツヤツヤに激ヤセしたという例は、皆無に等しい。おそらく妹とその一派が実権を持ったのだろう。人間のクローン化などは、カップラーメンをつくる位にカンタンらしい。2日と3日箱根駅伝のランナーに声援を送った。監督が乗っている大きなボックスカーから、いいぞ、いいぞ、ここでお前は男になるんだ、ここでお前は神になれるんだ。そんな大声が聞こえた。コロナ禍の第六波がやはり来た。経済団体の賀詞交歓のパーティのニュースを見た。企業名は知っていても、大将の名は知らぬ人ばかりだ。天下国家を語る人間は一人もいない。今年は寅年。“フーテンの寅さん”の年だ。寅さんは旅先から葉書を出す名人であった。昨年、私は身内、恩人、身内、師匠、友人、身内と、春先きから年末まで不幸の連続だった。そのため、喪中の葉書が間に合わなかった。年賀状をいただいた方々に、心よりお詫びを申し上げる。この場をかりて、皆々様にとって幸多き年でありますようにとお祈りする。体調専一に。労働者諸君、今日も元気に働いているかい。寅さんの声がする。あ~嫌だ嫌だ、初代おいちゃんの声もある。私は最終ラウンドまでファイティングポーズをとりつづける。場末の芸人としてもっと芸を磨いて行く。人生の勝負はマイッタといったらそれで敗けとなる。虎は死んで皮を残す。“人は一代、名は末代”という。一日一日この言葉を大切に生きる。時には鬼にもなり、時には仏になって行く。(文中敬称略)
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