「徳久広司」が歌う“北へ帰ろう”というのが好きだ。特に真冬に聞くといい。♪~ 北へ帰ろう 思い出抱いて 北へ帰ろう 星降る夜に 愛しき人よ 別れても 心はひとつ 離れまい……。ギターの弾き語りで歌うのを深夜に聞くと、しみじみすることこの上ない、名曲である。人は傷つき破れると北へ帰る。南に帰るでは歌謡曲にならない。北へ行けば、温かい人の体温が冷えた心を癒してくれるのだ。倉本聰の「北の国から」というドラマの名作も北海道が舞台だから成立した。雪深き大地や山野の中で耐えて春を待つ。一昨日、昨日10年に一度の寒さと、天気予報で教えられたので、10年に一度の厚着をして銀座に出た。スポーツ用のヒートテックの上にもう一枚釣りに行く時のヒートテック、ハイネックのシャツ、その上に厚手のセーター、その上にジャケット。それとマフラーにオーバーコート。スパッツの上に、厚手のズボン。山登り用の靴下であった。重くてふり返ることもままならない。そして重いテーマの話し合いが始まった。三方丸く治める役は私の仕事だが、難問はすぐに解決しない。その日の夜に“北へ帰ろう”を聞くと、北へ行きたくなる。少々の悩み苦しみの時は、南へ行くとよい。長嶋ジャイアンツがメークドラマで優勝した時、辰吉丈一郎と薬師寺保栄が世界タイトルマッチをしていた時、阪神淡路大地震があった時、オウムの事件があった時、私は「うつ」のど真ん中にあった。沖縄に有名なセラピストがいるという記事を読んで、その人を訪ねに行った。会社の同僚がついてきてくれた。やっとこ探してその人に会うと、相談を求めている人たちが、そこかしこで順番待ちをしていると言う。更に相談料は一時間で10万円だと言った。フツーの時なら、バカヤロー人の弱身につけこみやがってと怒鳴っているだろうが、うつな私は“ハカヤローメ”と思う位のチカラしかなかった。沖縄で“フォールーム”という四部屋だけのステキなホテルを経営している、友人の笑顔に会った時に心は救われた。相談料はゼロだ。アロハシャツにバミューダ姿の友人の笑顔は最高のセラピー、ハッピー、オッパッピーであった。北は帰るところで、南は行くところだ。10年に一度の猛烈な雪を見て、愚妻に秋田湯沢の縁者に電話をと言うと、“どってこっちゃない。いつものことだ”と平気であったとか、旭川の友人は“全然大丈夫フツー”とサラッという。北国の人々は強いのだった。時代劇を見ていると、関八州という言葉がでてくる。関東の事だ。武蔵、相模、上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、上総(かずさ)、下総(しもふさ)、安房(あわ)、常陸の八州だ。これを取り締まるのが八州廻りだ。関東一円で“畜生働き”(人を殺して金品を奪う盗っ人)故池波正太郎原作の大ロングセラー「鬼平犯科帳」でそう表現している。血も涙もない人非人たちだ。義賊は人を殺したりしない。大金持ちから盗んで貧乏人に分け与える。(盗賊に違いはないが)凶状持ちという奴がいる。スネに傷を持つおたずね者だ。私は一度、遠洋漁業の船に乗る仕事があって乗船して、カメラマンにあれ撮って、あそこから撮ってとやっていたら、写真を撮るなと怒鳴られてカメラを海に投げられた。顔が出たらマズイ凶状持ちが多かったのだ。(今は分からない)マグロの遠洋などは9ヶ月近く帰って来ない。途中あちこちの港に寄港するのだとか言った。凶状持ちの中にはそこで逃亡したりする者も出るらしい。今、日本中を騒がしている、畜生働きの悪党たちに指令を出しているのは、フィリピンにいるとか、「火付盗賊改」の鬼の平蔵こと、長谷川平蔵がいればと思う。90歳の老婆を撲殺するなんて、悪党たちでさえ、あんまりにも酷いと思っているだろう。(思ってネェかな)岸田文雄政権はパペット政権である。広島出身で公家集団といわれた、ハト派の宏池会で育ち出世して、総理大臣となった。しかし戦国乱世を生き抜いた武将たちのような、戦略も戦術も持ち合わせていない。事実上の総理大臣は、官房副長官の木原誠二だ。軽く見てはいけない、人事や政策、事務方担当の官房副長官とは、霞ヶ関にいる800人ともいわれる高級官僚にとって最高の出世ポストなのだ。(殆どが東大法卒)岸田文雄はその振付で動いている。アメリカの命令をすべて飲み込んでいる。かつて日本は神の国、天皇陛下の国といわれたが、敗戦以後アメリカ陛下の国であり、その振付で動いている。パペットとは操り人形のことである。このままでは我々は、アメリカと岸田文雄、麻生太郎一派に殺される。どうする日本だ。NHKの「どうする家康」が歴代大河ドラマの視聴率ワーストワンに向っている。このままだと“ヒトケタ”になるだろう。どうする、どうする、この世はどうするの重いテーマでてんこ盛りだ。私自身どうする、どうするだらけの中にいる。「漂泊の詩人」種田山頭火の詩に、こんな一句がある。「生死の中の雪ふりしきる」豪雪に負けない、北国の人と徳久広司(作詞、作曲)が歌う「北へ帰ろう」を歌いたい。小林旭の「北帰行」も名曲だ。チクショウ負けてたまるかだ。(文中敬称略)
2023年1月29日日曜日
2023年1月22日日曜日
つれづれ雑草「岡山弁では」
「木曾路はすべて山の中である」こんな書き出しの本があった。今、この世はみんな値上げの中にある。又、値上げしないが内容量を減らす中にもある。昨年末12月30日東京の多摩墓地にお墓参りに行った。くしゃみと鼻水の酷い中であった。クルマを運転してくれた息子も私と同様に酷いアレルギーであった。いつも花とお線香を買う仏花店に入った。プードル犬が三匹狂ったように吠えかかる。でも短い尾っぽをブルブルふっているのはお客が来たぞとよろこんでいたのかも知れない。私は一年に三度は必ずお墓に参る。お彼岸に一度、十一月の命日(父と母二人共十一月没)、そして一年の終り(長兄が入って三人となった)だ。お花とお線香を買う。プードルが吠える。店の女主人(五十歳位)は、西部劇の二丁拳銃のように、革のベルトにごっついハサミ入れを装着している。とにかくこの女主人の声は高くて大きい。いつもそんなにでかい声でなくても聞こえるよと言うのだが、犬の吠える声に負けないために声が大きくなってしまったのかと思う。お線香を四つ頼むと、アレッずい分と細く短くなっている。なんだか小さくなってないと言うと、判りました、実は長さを3センチ短くして、本数も少しだけ減らしたんですよと言った。アッそうなの実質値上げだね、花もワンセット1980円になっているから半年で180円値上げだねと言った。犬は吠えつづけ、女主人は声高にすいません、すいませんを連発する。バケツに水を入れ、ホウキを一本借りる。これは無料のままでいいのと、くしゃみしながら言う。もちろんタダです、タダですよと笑って言う。時々行く東京のとんかつ屋さんで、ノンアルコールビールを頼む。以前は小皿にいっぱいのグリンピースがおつまみで出たのだが、今は小さなしょうゆ皿に10粒ほどであった。黄色く着色されたたくあんが好きで以前はとんかつに五枚ついてきたが、三枚になっている。ポテトチップスは中身がかなり減り、(私はあまり食べない)亀田製菓の柿の種からピーナツの数が減ったと息子や孫たちが言う。なんだか悲しいほどセコイ世の中になっている。あれもこれも、あそこもここも、値上げ値上げに対抗策を練っている。新聞の定期購読者が急速に減っていると公表された。(日本新聞協会)5年連続200万部超減。1000万部を豪語していた読売は657万部、朝日が390万部、毎日184万部、日経164万部、産経98万部であった。全盛期のおよそ半分になっている。実際は押し紙(販売店への押し売り)があるのでこの8掛けか7掛けだとか。インターネットの台頭で新聞を読むのは老人で、若者は読まない。一月元旦新聞を広げどんな広告が出ているかを楽しみにめくる。かつて正月の広告は、私たち広告屋にとって腕の見せ所であった。五月六月頃に各メーカーの宣伝部から代理店が招集され、あのライバル会社よりいい広告を作ってほしい、で数社のコンペで決めたい。なんてオリエンがある。代理店さんから必ず勝ってくれと仕事を受ける。できることなら、広告賞を獲りたいといわれる。これに勝ち、約束通り広告賞を獲ると、その後、業界で生き残って行くためのチカラとなった。しかしここ数年、すっかり正月の新聞広告は見るべき作品がなくなった。不作つづきというか、各メーカーが新聞広告への制作予算を減らし、とりあえず出しておけばの付き合い広告ばかりとなった。SNSの時代となり、広告屋は、活躍の場をどんどんと無くした。そんな中で一社だけ気合いの入っている会社がある。一月五日今年もやっぱりやってくれた。それは「宝島社」という出版社の見開き30段というメッセージ広告だ。唯一無二の存在感だ。毎年、目を覚ましてくれる。ハイヒールを履いた“中尾ミエ”さんが怪し気なポーズをしているメインビジュアルがドーンと全面にあった。3500万人いると言われる団塊の世代に、ずっとヒール(悪役)であってくれと訴求する。ハイヒールとヒールが見事に共鳴している。どでかいキャッチフレーズの下のボディコピーは、セコイ、チンマイ、コロナでシボンでしまった世の中で、もう一度バブリーになれよと訴えているようだった。3500万人がもっと金を使えば世の中のためになるぜよと。中尾ミエさんのファッションは、バブル全盛期の姿であった。世の中減っているものばかりの中で、増えている事がある。それは通り魔的殺人、ネットで仲間を集めた強盗殺人。ネットで知り合った男と女の殺人事件。老人や女性を狙った情容赦のない殺人事件、ストーカー殺人などだ。私たちは殺意と殺意の中でからくも生きている。あした殺されるかも知れないし、あした殺人犯になっているかも知れない。13歳の少女が親を殺す時代だ。故松本清張原作で5歳の子に殺意はあるかをテーマにした映画があった。夫を亡くした女性に5歳の男の子がいた。ある日バスの中で同窓生だった男と偶然一緒になる。そして二人は接近し、男はオモチャを持ったりして、未亡人の友人宅に通いはじめる。5歳の男の子はある物を手に持って、男と女の動物的行為を感じている。(ストーリーの記憶は定かではない)映画では男役が加藤剛、女役は岩下志麻であった。題名は確か「影の車」だったと思う。ある賢者は教える。“犬には肉を与えるな、狼になるから、人には力を与えるな、獣になるから”と。今、5歳の子でもスマホを使いこなしている。きっと見てはイケナイ映像も見ている。私の生地、岡山弁ではこうゆうことを、“ボッコーキョーテイ”という。どえらく恐ろしいということである。(文中敬称略)
2023年1月14日土曜日
つれづれ雑草「オワリノ、ハジマリ」
2023年1月4日午前三時十八分二十七秒、400字のリングのゴングを鳴らす。昨年12月30日「日本レコード大賞」を受賞したのが「SEKAI NO OWARI」という4人のグループ(女性一人)であった。受賞曲は“Habit”という曲である。♪~ 君たちったら何でもかんでも 分類、区別、ジャンル分けしたがる……持ってるヤツとモテないやつとか……自分で自分を分類するなよ 壊して見せろよ……終わりじゃないと信じたいけど……。若者たちは歌い踊る。自分はみんなオリジナルなんだよと。一年の終りが“セカイノオワリ”か、コロナでうんざりだらけの時代を象徴しているではないかと思った。その時、私はダンボール箱に入っている、古いアルバムとか本、古い置物などを整理していた。一年に一度もそーゆーことをしないのだが、諸事情があって、狭い部屋の中にダンボール箱がたくさんあった。心を鬼にして捨てましょうと言われたが、50年近い仕事仲間との思い出の品は捨てられなかった。心を仏にして家に送ってもらっていた。小さなテレビをつけていたが見るべきものがない。私はある年酷いアレルギー性鼻炎になって、検査したところ、(一)ハウスダスト、(二)ブタクサ、(三)何かの花(特定できない)であった。マスクをせずに箱の中から物を出していたら、鼻の中がムズムズしてきて、ファックションとクシャミ一発! それからはもうクシャミ、鼻水の終りなき攻撃にあった。そんな中で見るべきものがないから、YouTubeで音楽でもとなった。安全地帯の玉置浩二とポルノグラフィティの岡野昭仁がNHKの番組で“サウダージ”を合唱したのを見た。♪~ 私は私と はぐれる訳にはいかないから いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よぉ~!。これは何度見ても聴いてもスバラシイ。プロとプロの対決だ。ちなみに演歌以外で、プロが選ぶスゴイ歌手は、男では玉置浩二、女性では中森明菜とか。私も同感であるが、それぞれみんないい。みんな個性があっていい。若いってことはいいなと、エレファントカシマシの宮本浩次とかNovelbright、竹原ピストルなどを見て聴く、鼻水をたらし、クシャミを連発して。次の朝起きたら声が出ない。口の中がカラカラに乾いている。アレなんだこりゃとなった。クシャミと鼻水でどんづまりになって、口を開けて眠ったからだ。で、31日から今日まで完全になってはいない。ガラガラ声なので、コロナと間違われてしまう。かかりつけの先生が正月休みを終り開院した日、手紙を書いて愚妻に持っていってもらった。自分で行くと患者さんたちにコロナと思われるからだ。点鼻薬と一週間分の薬を処方してもらった。さすがにスバラシイ、症状はミルミル改善した。今は少しグズグズしているだけだ。私のお世話になっている四十代の人たちが次々コロナに感染している。いきなり症状が悪化するらしい。ノドが痛くて水も飲めない、肺に影がある、熱が止まらない食欲もないと、やっとこさっとこの声で電話をくれた。政府からの圧力でコロナの感染情報は怪しいものとなっている。ウイルスvsニンゲンとの闘いはまだまだ続く。“セカイノオワリ”になるかも知れない。“サウダーヂ”という映画があった。山梨県の工事現場で働く外国人労働者たちを扱った秀作であった。帰りたくても帰れない外国人労働者は、必死に働いて仕送りする。その姿に心打たれた。ユニクロという私の大嫌いなブランド(パンツだけ買ってやる、ヨゴシてやるから)が、大幅に給料を上げるとトップニュースになっている。バカヤロー途上の国の人たちに、安い賃金で作らせた品を安い価格で売ってシコタマ儲けて、高額所得者番付十位の中に創業者の柳井一族が三人も入っている。そんなに給料上げられるなら、まずは商品の値上げをするなと言いたい。貧しい人々にもっと寄附しろと言いたい。上げたくても上げられない、我々中小零細企業にとって、大迷惑な話である。とことん安い値段にしてからの話だろう。愚かな国会議員たちに一人一億円近い維持費がかかっている。しかし者共はどこまでもセコイ。現在この国は幕末のように、アメリカの武器弾薬在庫一掃セールの市場となっている。教科書から坂本龍馬の名が消えたのは、武器商人であったからだろう。アメリカ、イギリス、フランス、プロイセン、スペイン、これらの国は幕府へ、薩摩や長州をはじめ各藩へ武器を売りまくった。どっちが勝っても、負けても損はしないというシタタカさで。国の将来を見すえている人物がいないのが今の日本である。♪~ 日本人は日本人からはぐれる訳にはいかないから どうしたらいいの 来い心よォ~。なんて気分だ。“汝、中庸たれ”と言う教えがある。かつて“ファジー(曖昧)”という言葉が流行った。ヒトは一人ひとり個性がある。区別、分類なんてできない。“Habitもそれぞれだから、又、ファジーな時代になる始まりを、SEKAI NO OWARI“セカイノオワリ”が歌っている、そんな気がしている。ファックション、ヤバイ誰かが私の噂話をしているようだ。それにしてもテレビはどーしたんだと言いたい。NHKの大河ドラマ「どうする家康」は、歴代ワースト2位–のスタートであった。もうハッチャメチャな第一話であった。どうするNHK! そのNHKをぶっ壊すを公約にしているNHK党の議員、ガーシーこと東谷義和議員が、フケている(逃げている)ドバイから帰国して、任意聴取を受けるとか。どうするアノヒト、コノヒト。“オワリノ、ハジマリ”になるだろう。(文中敬称略)