空の上から地上を見る。海があり、山があり、森があり、川が流れている。都市の上空に行くと、開放されていたココロがザワザワとする。灰色のビル群は、墓場の墓石のように林立している。母親がよく言っていた言葉を思い出す。亡き父親が家の数だけ何かしらの問題を抱えているんだと。大きな家に住む家には、大きな問題がある。フツーに働いている者たちは大きな家に住むことはできない。言い方は悪いが、何かしら悪いことをしていなければ、大きな家に住むことはできない。それは、ヒトの生き血を吸うようなことであったり、恩人、知人、友人を裏切ることであったり、法の網目をすり抜けるようなことである。漁村にはボスがいて、農村には大地主がいる。山の中、森の中には山林王という王様がいる。大工場地帯には労働者を束ねる、組合の長や、それを操る大資本家がいる。私たち小さな会社は地ベタにはいつくばり、歯をくいしばって生きている。人間には二つの不幸があるという。一つは金があるという不幸。もう一つは金のない不幸だ。格言に“死して美田をのこすべからず”というのがある。なまじ多くの財産を持っていたために、一族一家が遺産をめぐって骨肉の争いをする。運よく遺産を手にした者は、自らが汗水たらして手にした金でないので、使い方を知らず、ある者は破滅するために使い、ある者はもっと増やそうとする。人間の生き方の基本は、“清く、貧しく、美しく”だという。コインとかお札には、なんで裏表があるのだろうか。空の上からふとそう思った。人間という動物は、ほぼ全員裏表がある。なければ化け物だ。男と女が奇跡的に出会い、結婚して夫婦となる。男も女もいくつかの秘められしものがある。美男子でスポーツマン、理想の人だと思っていた男は、イボ痔であり、イビキや歯ぎしりが酷く、枕はヨダレで臭い。そして幻滅の日々を送る。靴を脱ぐと足も臭いのだ。美女でみんなの羨望の的だったのが、洗濯は苦手で、料理ができない、やたらとネットでブランド物を買う。魚の食べ方を見ているとゾッとする。取り柄といえば、見た目が美人だけ。背中や腰にトクホンやサロンパスを貼って、衣服でごまかす。トイレ掃除なんて嫌だといって、トイレ救急隊を呼ぶ。空の上でそんな話を聞いたことを思い出す。コインになんで裏表があるのかが分からないのだ。暑さで脳内がイカレたのかもしれない。空の上から見ると、日本の住民の多くは、山のふもとに集落をつくって生活している。山と川と海と共に生きている。当然のように、雨、風、地震には弱い。この列島の宿命なのだ。毎年のように梅雨の終りに、集中豪雨が襲う。山は崩れ落ち、川は氾濫し家を流す。政治の基本とは「治山治水」である。それが現在では政治家とは裏金づくりの職業となっている。我が身最優先、選挙とは就職活動なりとなっている。木曜日の東海道線は人身事故の影響で、私は戸塚駅で停車する中にいた。この事故の場合は胸の中で手を合わせ、静かな気持ちで車内にいることができる。列車内のスピーカーがイカレていたので、車内放送がよく聞きとれない。そんな中でも平然とメークアップしている女性が、私の視界の中にいた。マツ毛を必死にアップさせていた。何やってんだよ、どうやってもブスはブスだよと思った。「歩いても 歩いても」という2008年の映画を見た。上映時以来二度目である。是枝裕和監督の映画だ。その中で嫁が姑に向って、明日は30度を超えるほど暑くなるようですよと言った。15年前はそんなかんじだったのだ。長兄が死んで15年目、墓参りに泊りがけで夫の実家に来ていた。わずか一泊だが嫁と姑の関係は、コインの裏表のようである。嫁の顔は笑っているが、心の中には刃が光っている。姑のひと言ひと言が、気に障るのだ。金曜日の六時頃、渋谷PARCOに行った。巨匠井上嗣也さんが、渋谷PARCO創立50周年記念のためのポスターやサイネージを制作した作品を見るためだ。去る日、PARCOの宣伝を仕切っていた後輩と、井上さんの三人で食事をした。青森県出身の後輩が新人で入社して来た時、私は会社員だったのだ。とにかく極めつけの善人であったので、日本を代表するトップクリエイターたちは、彼の頼みに応じていい作品を生み、やがてPARCO文化となった。大病を克服して生気ハツラツとしていた。抗癌剤治療や放射線治療をやり遂げて、新品の人間をになっていた。現在、私の周囲には大病と闘っている人が多いので、勇気をもらった。亡き大親友ならたちどころに何故コインに裏表があるのがを教えてくれるだろう。先月20日命日の26日の前に仕事仲間だった人間と献杯をした。スコットランドの蒸留所に行き、念願のスコッチウイスキーのシングルモルトをショットグラスに入れて、ニコッと笑っている写真を飾って。もう11年が経っている。私は無駄に歳を食い、世の中はユメもチボーもなくなっている。日曜日は愚妻と高校野球の試合を見に行くことにした。少年たちが、私に何よりの力を与えてくれるのだ。ずっと裏街道を歩いて来た我が身には、真夏の球場の“太陽がいっぱい”がうれしいのだ。それにしても「井上嗣也」さんと高弟「稲垣 純」さんのPARCOの作品は圧倒的であった。巨大な眼のアップのビジュアルは何を見ているのだろうか。人間社会の裏と表だろうか。それともやがて来る未来社会の表と裏だろうか巨眼の中には灰色の月がポツンと浮かんでいた。守屋 浩の“月のエレジー”を口ずさんだ。♪~ 月が僕を見てる そうだ月に頼もう 逃げた恋を呼んで来て……。よく見ると月はコインのようなのだ。
(文中敬称略)
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