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2023年7月3日月曜日

つれづれ雑草「怪物」

「警視庁物語」全24作を8日間で見た。昭和三十五年頃東映の人気シリーズであった。当時は他の映画との二本立であった。一本長くても90分位であった。「警視庁物語」はほぼ60分である。刑事ものの映画やテレビ番組の原型はこの映画シリーズにあったといってもいい。当時はいまと違って肖像権などはほとんどないから、街の中だろうと、野球場、競艇、競馬場などでも、撮影は撮り放題であったようだ。つまり多くのエキストラを起用する必要がない。むしろ映ってしまった人が、オレ映画に映ってしまったよと、自慢していた。カメラアングルは制限がないのでリアリティが違う。東京の街に高いビルはまだ少ない。タクシーの初乗りが70円であった。ルノーの小型タクシーが数多くあった。昆虫みたいな形のルノーに乗って親友と高校に通っていた。それが見つかって母親が学校から呼び出されて、停学処分になったりしたが、アタマを使って、ルノーで通った。刑事たちは黒塗りトヨタの大型車であった。警視庁物語を見れば今も行なわれている捜査方法が分かる。いわば刑事ドラマのヴァイブル的作品であった。後に高名になる監督が何人も手掛けていて、東映全盛時代の礎となった。今の刑事ものがつまんないのはリアリティがないからだ。デカ(刑事)やブン屋(新聞記者)は、みんなバンバン煙草を喫う。黒いダイヤル電話が、何台もあってジャンジャン鳴る。店屋物を運ぶラーメン屋さんや、日本ソバ屋の店員さんが、ラーメンやもりそば、かつ丼などを何度も運んで来る。これが白黒の画面の中で実にウマソーなのだ。一軒一軒への地取り、聞き込みが基本だ。刑事は現場100回という。何事も解決への元は現場にある。捜査一課の物語だから起きる事件は、“殺人”である。事件の多くは現代社会とそう違いはない。金銭目当てが主であり、そこに愛人がからむ。“事件の影に女あり”と、いまでは差別用語となるが、そのからみが多い。犯人となった人間の原因は貧困、差別、両親の堕落、子どもの頃からの生活環境が生む。不良少年、不良少女。空腹で愛情に飢えた子たちは、悪さを重ね成長しながら立派な悪人になる。そして事件は起きるべくして起きる。格差社会はいつの世も変わらない。落ちるところまで落ちた男と女は、傷をなめ合い、事件を打つしか道がないようになる。警視庁物語の事件と現代の事件との違いがある。今の世は溜ったストレスを目の前の者に発散する。自分が生んだ赤ちゃんを、自分を生んでくれた母親を、老い先短かい老人たち。兄弟姉妹が骨肉の争いの末に殺し合う。しまいには誰れでもいいからとか、死刑になりたいからなどと言って弱い者に刃を向ける。警視庁物語の中には、こんな事件はなかった。貧しさの中でも、ギリギリ人間としてやってはいけない事が少しは分かっていたのだろう。SNS全盛時代の事件は、何が起きるか起きてみないと分からない。「怪物」という映画を観た。是枝裕和監督作品、坂元裕二脚本がカンヌで脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した。愚妻と共に観にいったのだが、私よりも愚妻の方がよく映画を理解していた。いつもなら、“マアネエ”とか“ツマンナイ”とか、“キライヨ”などのひと言で表わすのだが、いい映画よ“怪物は大人たち”“学校の先生たち”なのよ。子どもたちは、頼りにする大人がいなくて、などと語っていた。子どもがかわいそうだな、が共通見解だった。かつてはいつか見ていろよ、不良からヤクザになって、きっと立派な親分になるんだとアブナイ夢を語る時代もあった。今では反社会人とされて堅気になりたくてもなれない。ヤクザ者の子どもには何ら悪いところはない。夢も希望もあるはずだ。ある年、高校で一年間一緒だった男が、クラス会があるから一度来いよと言って来たことがある。やだよと言ったが、一度だけでもと言われた。16歳が45歳位になっていた。30人以上が新宿のタカノフルーツパーラーに集まっていた。私は一次会は九時までとあったが、八時半頃に行った。幹事は内緒にしていたようで一斉にオ、オ、オ~となった。私がどうなっていたか、みんなの意見を集約すると、(一)ヤクザになっている。(二)死んでいる。(三)刑務所の中にいるであった。私に退学処分を課した担任も来ていて、ひたすら私にあの時はすまなかった。僕にチカラがなかった。君がしてないことは分かっていたんだ。すまん、すまんと言った。グラスを持つ手がガタガタ震えていた。先生全然気にしなくていいよ、かえってよかったと思っているからと言った。校長とか教頭の立場重視、教師と教師の責任のなすりつけ合い。きっと今でも日本国中の学校で起きているだろう。その後、何度かクラス会の通知が来たが行ってない。ブルブルと震える文字で何度か手紙をくれた担任は亡くなったようだ。みんなと別れ二人きりになった、高校時代の恋人(?)は、医師の娘だったが、確か筋萎縮性側索硬化症(ALS)で亡くなった。家までクルマで送って行って、元気でな、と別れ際握手をした時、その手が氷のように冷たかった。問題児もいい大人たちと出会えば、何んとか生きていける。私は提案する。厚生労働省に「更生庁」をつくって、堅気になりたい人間とか、足を洗った人間やその家族が生きてゆけるようにすることを。(文中敬称略)







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