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2010年3月10日水曜日

人間市場 冷雨市


ずーっと目をつぶってそのまま起きない状態を医学的に「死」という。

代々幡斎場の朝は激しい冷雨。友人の意志は見事だった。
葬儀無用(ささやかな送る会)、坊さん読経無用、位牌無用、親族は息子三人のみ(実姉と本妻は来ない)、後は友人が四十人ほどの通夜であった。
遺影は無く、数枚のスナップ写真のみ。満開の桜の木やたくさん花がお棺を囲んでいる。
ビールと日本酒とお寿司だけ。小さな部屋で二時間でお終い。

翌日は十一時から火葬のみ、二十人程が集まる。ホテルに泊まっていた私を待っていたのは渋滞と交通規制として雨、又雨。
東京マラソンが原因であった。ホテルからタクシーに乗って幡ヶ谷を目指すがあちこちが規制中、新宿近辺は入れない。どこから集まったのか雨合羽や奇想天外な格好をした人、人、人。今日は決して怒るまいとタクシーの中で目をずっと閉じて今は亡き友との思い出を追う。

運転手さん幾つと訊ねると六十八歳ですと応える。直葬って知ってると言うと今向かってますと応える。違うよ、直行と間違っていない「直葬」だよ。
知りませんなんですか。どこ出身なの?香川です。何でまた東京に?向こうじゃ全然食べて行けないんですよ。

そうなんだ、この間四国四県の事で面白い事知ったよ。知ってますよ、金が入ったら高知人は酒を飲む、愛媛人は買い物をする、徳島人は商売を始める、香川人は貯金をするっていうのでしょ。そうそう運転手さん香川人だから平均貯蓄1650万なんだ。よして下さいよ貯金なんてゼロ、無しです。あれば女房子供を置いて右も左も判らない東京に来ませんよ。福岡と大阪にもいたんですが全然駄目でした。
何といっても東京には人が多いですからね、それにしても凄い人ですね、時間大丈夫ですか。今のところはね。寒いのにこんな雨の中余程走ることが好きなんでしょうね。

先ほど言った直葬ってなんですか産地直送ですか。
違う違う、この頃はね多くなっているんだ。親族や親しい友人だけで送る会をしてそこで次の日に火葬する。坊さんも来ないんだ。
えー、坊さんが来ないお葬式なんてあるんですか。そう、だから坊さんも最近は丸儲けとは行かないんだ。立派な戒名付けてウン百万円、ウン十万円とはいかないんだよ。元々値段なんてあってない様なもんだからね。俺も死んだら直葬って決めてんだよ。

本当は山ん中に埋めてくれるのが一番の理想なんだ、昔の土葬だな、土に還りたいからね。家にいるとさ、よく電話がかかってくるんだよ、お墓もう決めましたとか、嫌だねああいう電話、この間中年おばさんが同じ事聞いてきたから、ああ、お墓沢山持っているよ安く売ってやろうかって言ったら、ご冗談をでも本当ですかなんて言っていたよ。

十時までには着きたいけど間に合うかな。頑張ってみます、ラジオでもつけますか、チリで大地震日本にも津波が来るって言ってましたよ。そうか、あっあそこのコンビニに寄ってくれる、コーヒーと新聞買うから何かお茶でも飲む。いいですいいですよ。
こんな雨の中走ったら死人が出るんじゃないかな、俺素人のマラソンランナーって好きじゃないんだ、なんか貧乏たらしくて格好よくないしな。外人は格好いいけど。日本人はスポーツウエアが似合わないんだよな、胴長短足だから。

皇居の周りなんか中高年の溜まり場だよ。なにしろ金は使いたくない、長生きはしたい、淋しいから人に会いたい、で集まって来るんだ走るだけだからスポーツ予算は少ないしな。バックパックにタオル、ポカリスエット、ミカン1個、ゆで玉子1個、おにぎり2個、ランニングシューズでいいんだから、まあ〜後はあの世に向かっていかに早く走るかだ、中高年のランニングなんて筋肉は少々付いても体にとってはよくないんだよ、科学的にも証明されているからね。長生きしたけりゃ家の周りを二、三十分散歩すればいいんだ。

お客さん、着きました。虎ノ門のホテルから1980円、十時十八分でした。
我が友はバイク野郎でエライ格好のいい男だったのです。

2010年3月9日火曜日

人間市場 ゴルファー市


ビール缶(350ml)のカロリーは平均約150キロカロリー、コンビニで売っている梅干しのおにぎり一個分である。
アルコールは体内で水と炭酸ガスに分解されるか、汗や尿として排泄されてしまうからカロリー源としては残らない。実際にカロリー源となるのはビールでは大麦、清酒なら米、ワインなら葡萄のエキスによるものだ。その量は少なく、ビールも清酒も公表されている4分の1ほど。アルコール飲料は、本来低カロリーといえる。

お酒を飲むと太るとすれば長時間座ったまま動かず一緒に食べる料理のせいだという。ビール腹について、メタボリック症候群が注目されるようになり、ウエストの引き締め効果を謳った民間療法が多い。しかし、科学的に検証した研究から、ウエストだけがスマートになる方法は存在しないという事が判ってきた。
ウエストは体重と並行して増減しているに過ぎない。もしビールの様にお腹が出て来たら単に太っただけという事だ。

お腹が出てくる理由がもう一つある。年を取るにつれ、腹部の筋肉などが緩んでくる。その為一層、お腹が目立ってしまう。お酒を飲むだけで太ったり、お腹が出たりする事はない。何かのせいにする前に食べ過ぎない事、ほどよい運動をする事だと。

(新潟大学教授 岡田正彦)中年太りとは貫禄が出たという事と思えばいい、むしろ六十代を過ぎ七十代になった人間が痩せ細り尚かつ息をゼイゼイしながら走り又は歩き、アジの干物やメザシの様になり、スーツのウエストはダブダブとなっている、その方が余程問題だ。
長生きの為などと思っている人がいたら余計な事はするな、あなたの人生そんなに長くないのだから。長生きしたければ目的を持ち、よく学び、よく行動をしなさいと言いたい。

オネーサンお酒お替わりね、それと串カツ二本、鶏の唐揚げ、それとヤキトリ三本、それと枝豆と冷や奴、ししゃもよろしく。とりあえず(あくまでもとりあえず)がスタートだ。(あるお客さん)私はシンプルにグラスビールと板わさと湘南しらす入りおひたしのみ。
オバサーン、ビール大でよろしく、それと天ぷらの盛り合わせね、後から鴨せいろそばよろしくね。年の頃は七十前後だ。友人であろう仲間とゴルフの帰り(湘南シーサイド)お店はその側のしらすが売りの店。
しらすが売りならしらすだけにしろと言ったらそれならお店は潰れますだと、なるほど正確な分析だと思う。

あそこはさぁ〜やっぱり横の出すんじゃないの、あの距離でOKくれないのはお前嫌な性格だな、当たり前だよ握ってんだから。
お前バンカーから二度ホームランした時目が潤んでたぜ。潤んでなんかいないよ砂が目に入ったんだよ。それにしても前の組の中にいい女がいたね。一緒の恰幅のいい老人、あれはきっとかなりの人だな。堅気の女かな、そうだなシックなウエアだったしキャリーバックもいい色だった。
平日に二人で羨ましいね全く。俺たちなんか割引サービス券だもんな、ワッハハハ。
あいつが来ないと淋しいな、仕方ないよ、胃を3分の2取ったのだから。
負けず嫌いだからドライバーが飛ばないのが悔しいんじゃないの。チョコレート払いたくないだろうしな、ワッハハハ。すいませんお姉さん、ネーチャン焼酎ロックで氷は多めにね、だってさ。
今日の若い方のキャディ大学のゴルフ部だって、みんなが帰ってから暗い中練習するらしいよ、陽に灼けてカッコいいよな。四人共足を放り出しながら。

連れの女性が言いました、私ああいう美意識の無い人たち苦手なんです、嫌いなんですと怒っていました。
昔ゴルフをよくやっている頃、自分もきっとあんな感じだったんだろうな。桑原桑原だ。三人とも見事な程ビール腹ではなく老人腹でした。私から見てもよく飲み、よく食べてました。あっ、一番太った男の枝豆が飛び出して隣の席の人に当たったみたいだ。
茅ヶ崎市柳島海岸近くの人気店にてです。

ゴルフ好きの方々、ゴルフは紳士のスポーツである事を決して忘れずに。


2010年3月8日月曜日

人間市場 童話市

赤いハマナスが狂い咲く。
北の国のずっとずっと外れの島の事です。昔ある国がたくさんの爆弾を落としその穴がやがて沼となりました。人々は天から降って来た物がつくったので天沼といいました。その沼は冬になると厚い氷が張りました。

春から秋になると色とりどりの鳥たちが集まりました。遥か遠くからも鳥たちは来ました。その沼のほとりに小さな鳥の学校がありました。
この学校は生まれてから六十五歳までいなければなりません。六十五歳になると命を卒業するのです。その鳥の学校に一羽の美しい鳥がいました。

少年鳥たちはその美しい鳥の関心を得ようと近づきました。美しい鳥はそんな少年鳥たちにクッククックとノドを鳴らしました。少年鳥たちは自分に関心があるのだと思い自分勝手に喜びました。先輩鳥たちはそんな少年鳥たちを囲んでは羽根を抜いたりしていじめました。
ある風の強い日、十四歳という一羽の少年鳥が遠く貧しい島からやって来ました。その少年鳥はとても乱暴鳥でした。何度も何度も仲間と諍いを起こしました。弱い鳥をいじめる先輩鳥たちをやっつけました。

美しい鳥はそれを見ていて一度自分の美しい羽根を抜いて渡しました。ほんの少し茶化したのです。美しい鳥には取り巻く鳥がたくさんいてそんな事をするときっといい気になるわよと言って笑いました。
十六歳になった時、乱暴鳥は追放される事になりました。自分の身に憶えがないのに罪を着せられたのです。ある密告鳥が美しい鳥に美しい羽根をもらった事に嫉妬したのです。
追放されて行く時、乱暴鳥は美しい鳥を探したのですが美しい鳥はすっかり忘れていました。先輩鳥に気を奪われていたのです。乱暴鳥はそれから悪い鳥たちしか居ない島に行き、ますます乱暴鳥になっていきました。

でも夜になると必ず美しい羽根を見つめていました。
島が吹き飛ばされそうな北風の日も、島が真っ白の小高い山の様になる雪の日も、稲妻が光り狂う日も夜になると美しい羽根を見つめていました。島から島へ乱暴鳥は飛ばされて行きました。すっかり年を取った乱暴鳥は木から木へと飛ぶ事も出来なくなっていました。
少年鳥の頃は乱暴鳥であったが歳を重ねる度に島の鳥たちを不幸から救ってあげていきました。

ある嵐の日、一羽の女鳥が舞い込んで来ました。その女鳥はあの天沼の鳥でした。美味しい食べ物と水をあげながらあの美しい鳥はどうして居るだろうかと訊ねました。あの美しい鳥なら名門の鳥と一緒になり三羽の子をもうけ幸福にしていると聞いたのです。
夜美しい羽根を見ながら今日までの月日を数えました。もう六十三歳になっているはずだ、自分と同じだから。あの島の学校では六十五歳でこの世から卒業しあの世へ飛んで消えて行くという掟がある。

どうしても、もう一度あの美しい鳥に会ってあの世に飛んで行きたい。その夜から来る日も来る日も同じ事を考えていた。
しかし体は急速に衰えて行きました。島にある一本だけの梅の木にポツンポツン白い花が咲くのを合図にして年老い鳥は島を飛び立ったのです。
だがやはり思った様に風に乗る事が出来ない、必死に上を目指すが思うように行かない、何度も海に落ち体を濡らしました。
波に揉まれながら美しい羽根を握りしめて持ち何とか風を起こしてくれと願った時、大きな竜巻が起き一気に上に昇ったのです。
年老い鳥は最後の力を振り絞って飛んだのです。きっともう一度会うんだと思って。青空の中に真っ白いまるで人間の耳朶の様な雲が見えてきたのです。きっとあの雲を越えればあの島のはずだ。雲はどんどん近づき大きな壁となりました。あっと思った時年老い鳥は雲に思い切り当たったのです。

羽根がバラバラになってしまいました。何もかももう見えなくなり体も冷たくなり年老い鳥は激しい波の上で息を絶えました。濃い鉛色になった海に虹色の美しい羽根が浮かんでは消えていました。

美しい鳥は親子水入らずで吊り橋の上で遊んでいると娘鳥にいわれたのです。母鳥様の大きな羽根が抜けて飛んでいきましたよと。
その日から天沼にあった水が引き始め渇きヒビ割れたのです。そのヒビに大きな美しい羽根が刺さっていたのです。あの吊り橋は落ちて無くなりました。

美しい鳥は決して死ぬ事が無くなり永遠に天沼の学校で生き続けたと伝えられているのです。ある旅鳥が言いました。二つの美しい羽根が大きなまるで人間の耳朶の様な白い雲に二つの美しい羽根が重なり合って刺さって居たのを旅の途中で見たと。

息を絶えた乱暴鳥は中空の中にいました。あの美しい鳥と巡り逢う事がきっと出来る。ずっとずっと雲の上から見守ってあげよう、何か不幸が起きたらきっと、きっと、そう思っている内に体中の羽根が強い風にさらさら一羽根一羽根とちぎれていました。

あっ、お母様空を見て凄い羽根の嵐よと美しい鳥の娘鳥は言った。美しい鳥はそれがあの乱暴鳥の羽根たちとは気付かずにその日の食べ物を用意していたのです。

2010年3月5日金曜日

人間市場 怒られ市

怒られ上手という言葉があります。

豊臣秀吉と明智光秀の差は、織田信長から怒りをぶつけられた時の目つきや態度にあったという歴史家がいます。
例えばコラッ猿って怒ると猿はひたすら平伏してヘヘェ〜と頭をこすりつけた様です。逆に光秀は文武両道に秀でたプライドの固まりの様な男。オイ、キンカン頭(アダ名です)何だコレは!と扇子で広くなった額をぶたれた時、ムッとして信長を睨み付けたと言います(本当の事は誰も見ていませんが)。

勘の鋭い信長は光秀に対し、コノヤローきっとオレの事を憎んだなと思いそれ以来イジメにイジメ、そして領地を捨てて中国攻めに向かえ、領地は勝った所をやると命令したのです。又、信長は光秀の実力と人脈と教養を恐れたからともいいます。

社長と部下、上司と部下、部下と後輩も同じです、取引先とも同じ。今トヨタの社長が謝罪の旅をしています。悲愴感が漂っています。人に謝罪するなんて生まれてこの方一度も無い筈ですから。あれだけの大会社の社長が仲間内とはいえボロボロ涙を流し、鼻水を流してはいけません。悔し涙は一人で流すのです(武士の美学です)。

人の前でも怒っていい者、プライドが高いとか、気に病む者は人には見えない所で怒るのです。ムッとする、耳たぶが赤くなる、目付が鋭くなり睨みつける、バカヤローやってらんねえよみたいな態度を取る、そんなに信用出来ないなら自分でやって下さいよなんて言ってフテくされる。仕事が人一倍出来ないくせにプライドの高い人に多いです。
会社にとってはいずれいらない男となるのです。役に立てないしお客さんからあの人は直ぐにムッとなるので来させないでとなるのです。

会社をやっていくのは、人の個性を見つけて伸ばす、そして独立させ外に出してあげる、一人になると自分で食べて行かねばなりません。決してムッとしないのです。だから見極めてやって機会を与える、これが本当の愛情なんです。

夫婦も又同じ、亭主が怒ると可愛い気なくムッとした顔をして部屋に入る。部屋が無い時は外に出て行く。自分の欠点をバッチリ言われると余計にヒステリックになり、返す刀で亭主の日頃の行状や言われたくないハゲ、デブ、クサイ、本当に変わり果てたわねなんて平気で言う。君こそ、なんて言った途端に人を傷つけないで、サイテーよなんて総攻撃。(ちなみに私の愚妻は無視の固まりです)

この間私の友人はあんまり大きな声で怒鳴られた時、奥さんの義歯が外れて飛び出して金具の部分が目ん玉に当たり失明寸前になりました。
ブーたれる、フテくされる、人の身内の悪口を言う、出世をしないとか給料が安いとか言いながら自分は金遣いが荒い、似合いもしない服や靴を買う、カードを切りまくる、どんどん怒っていいんです。どこにそんな金があるんだと。

三つ指ついてすいませんでした、ゴメンナサイ、許して、反省してますと言ってホロホロ涙を流したらその日だけ限定で抱いてあげて下さい。どう抱くかはお任せします。
どんなに辛くても一度だけと思って、目をつぶって、鼻をつまんで、歯を食い縛って(義歯を外してもらって)。これが俺の運命なんだと言い聞かせて。決して泣いたりはしないで下さい。直ぐつけ上がりますから。やっぱりワタシを愛してるんだなんてね。
怒り甲斐が悪い相手なんです。(痴人の愛です)

2010年3月4日木曜日

人間市場 モス市

四歳と五歳の孫たちの頭の中は見てみたい程面白い。

例えば、ご声援ありがとうございましたは→五千円ありがとうに。
お気持ちだけですは→気持ちっていうお餅食べたいからチョーダイとか。
会社が倒産したは→会社にお父さんがいるのとか。
セクハラって→どんなハラーしてんのとか。
マグロって赤いのに→なんでマグロなのとか。
マンジュウは一個しか食べなくてもマンジュウなのとか。
サンドイッチは、何で一度だけなのに→サンドなのとか。
遠くからバイクで来るのに、なんで→おそば屋さんて言うのとか。
フーフ、ふうふといっているのになんで→冷たい冷たいと今日来た人は言うのとか。二人の孫と三人で話をしていると次から次に答えにくい問題が出る。
お菓子っておいしいのになんで→おかしいのなんて追加される。

パパママは友人の結婚式でいない、バァバァは鎌倉へ、でグランパは一日二人のお相手。なんでなんでの質問はモスバーガーでの事。
なんでモスっていうの、なんでハンバーガーっていうの、チキンタッタってなんで立ってないのとか。慣れないグランパはもうてんてこ舞い。なんでなんでとこっちが世の中に聞きたい事ばかりだが孫が相手じゃ仕方なし。

番号札持って待ってて下さいと言われテーブルに。怒っちゃ駄目と心に言い聞かせる。
出掛けに孫の前では絶対大人しくしてねと言われていたからだ。何しろ自分では何も出来ない子供みたいなんだから。一杯子供がいるが、ウチの孫が一番美男美女って、天才なんてよその人もそう思ってるんだろうな。
あの女子高生たち、あのオバさんたちアゴが外れそうなのを食べている。あっオジイチャン、ケチャップでシャツが真っ赤だ。からしもいっぱい付いてしまった。

目の前は江ノ島海岸だ。
モスが終わったら孫より自分の方が好きな江ノ島水族館へ、アシカのショー、シャチにエサをあげるショータイムだ。あの高足蟹のやつまだじっと動かずにいるんだろうか。
オオサンショウウオはまだずっとあの穴の中でじっとしてるんだろうか。
アジの大群はサラリーマンの大群みたいに忙しく動き回ってるんだろうか。

なんで魚は魚で人間は人間なんだ。逆に魚たちの方が人間たちを見てアンタたち何みてんの余程暇なのね、なんて思っているんじゃないのかな。
オッ来た来たハンバーガー、そう言えばいつか肉屋にいた男がこんな事言っていたな。
粗挽き合い挽きという肉は馬肉との合わせの事ですからねと。
そう言えばハルウララちゃんどこへ言ったのかな、まさかハンバーガーになっていないだろうな。この間寿司屋で食べた馬刺しの握りは旨かったな。

ゆっくりたべるんだよ、もっと椅子を前に出しなさい、なんて比較的のどかな自分を楽しんでいたらウルサイ集団が入って来ました。
中国人観光客です。春慶節の休みとかでいるわ、いるわ大行列、のどかな気分は突然リングの上のボクサーの様になってきました。ちゃんとルールを守って並ばない、一度に色んな人がオーダーをする。空いている席を喧嘩越しに奪い合う。
ハンパーカ、ハンパーカの大合唱大会の始まりです。今世界はこの国抜きには語れない、米国も日本の景気もこの国次第なのだから。一つ空いていた私の隣の席に来々軒のオヤジの様な人が断りもなしに座った。

ニーハオ位言えってんだよと思ったが、今日ばかりはそうはいかない。我慢ガマンだ。

2010年3月3日水曜日

人間市場 恐竜市

恐竜期は一瞬にして終わったという。
巨大な隕石が地球に落ち一気に温度が下がり絶滅した。
誰も体験した人はいないから一つの学説である。およそ巨大なものは一瞬にして崩壊する。

トヨタ自動車という恐竜がいる、乾いたタオルでも絞りに絞る経営をして来た。確かに日本の車社会の歴史はトヨタが作って来た。
はじめカローラ、次にマークⅡそしていつかはクラウンにと人生の階段に例えられた。
課長、部長、そして役員にという図式だ。

空飛ぶ恐竜日本航空が2月19日株価一円で48年の歴史に幕を閉じた、墜落である。トヨタは拡大経営、下請け、イジメ、一族経営のツケが回って来ている事に気付いていなかった。あるトヨタ関係者は、トヨタは「鬱」製造会社だと言っていた。

トヨタに関係した業者の中に夥しい「鬱」の人が生まれるという。
勿論社員はもっと多いという。そのトヨタにリコールという隕石が落ちた。始めは小さな石ころ位に思っていたのが甘かった。商売の基本が忘れられていた。
ある役員が運転している人の感覚の問題ではないか、車には問題がない深くブレーキを踏み込めば問題ない、この一人の阿呆な役員の姿にこそ現在のトヨタの惨状があった。

創業者の正統の血筋の新社長にいい城代家老が付いていなかった。茶坊主人事のツケであろうボンボン社長は大のF1好き飛ばす事に生き甲斐を求めていた(耳に痛い事を言う人間も飛ばした)、即ちあんまりブレーキ系統に関心がなかった。歴史はそれを作った者によって滅ぼすという事実に当てはめれるとトヨタは豊田一族によって滅びるという事になる。
ホンダはそれが判っていており本田宗一郎は見事に一族の血の支配をさせなかった。自信も判断ミスが起きない内に第一線から身を退いた。今のホンダは本田ではない。もうバタバタのワンマン親父を知る者も少ない。

愛知県名古屋市は日本の独立国という。極めて特殊な県だ。信長、秀吉、家康を製造したからとプライドが高い。友人が名古屋に転勤になって取引先に行ったら単身でないでしょうね、お墓はもう買いましたかと、真顔で言われたという。つまりこの地に骨を埋めるつもりでしょうねという事なのだ。

新聞は中日新聞、中日スポーツ、野球は中日ドラゴンズ、あの読売ですら大苦戦した。一説には東京への反抗心の固まりだと学者さんは言う。
結婚する花嫁は透明な荷台の中に嫁入り道具を入れて見せて回る、離婚すると見せて回った物はソックリ持って帰る。

一銭の無駄使いもしない、口から出す息でも倹約するという冗談もある。名古屋商人、近江商人、佐賀商人が通った跡はペンペン草も生えないと言われて来た。反面地場産業が育って強い。旨い味、凄い技術、革新のアイデア、気が付けば名古屋産である。ハカシモアルデヨオー等とコテコテの名古屋弁と付き合うとかなり言語感覚の調子が外れる。

ある民俗学者の県民性分析によると、閉鎖的、秘密主義、権力志向、中央への反発が強い。一番の特技は責任を人になすりつける。自己を弁護する自慢体質とか。この度のトヨタ経営陣の不始末を見ると見事にヘボだと思っていた学者の説が当たっているではないか。トヨタの社長の目はどんより輝きを失った、顔はパサパサになって来た、表情が「鬱」ぽくなって来た。しかし米国の公聴会でいい訳をしまくるのだろうか。先日、後輩が五年間トヨタの担当を終えて東京へ帰って来て電話をくれた。後輩のひと言を紹介する。「鬱にならず無事生きて帰って来ました」だった。

もう一つJALという恐竜は完全に政治家と組合の利権にされ滅びた。
巨像が食いつぶされ身売りされたのだ。これからも次々と恐竜たちが滅びて行く。
私などは蟻ん子の様な物、はなから滅びているから失うものは何もない。戦い続けて戦場の露と消え去るのだ。

その昔大きい事は良い事だと言ったが今はその逆、大きいところ程危ないのだ。
少数にして精鋭なるところが生き残って行く。
百貨店は三十五貨店位にしないと終わってしまい、安売り電気屋さんに取って替わられる。大好きな銀座が秋葉原になる日はそう遠くない、バッタ屋の街になる、中国人がワタシヒャクマンカッタヨ、オカネタクサンアルノコトヨ、カッテモカッテモオカネヘラナイヨ、チュウコクセカイイチノコトヨなどとワンタンとシュウマイを食べながらウルセイ事、ミャーミャー猫の集団だ。中国という恐竜もいずれオワルノコトヨ。インディアンウソツカナイ、中国人みんなサボル、ウソツク、SEXバカリ。

中国は七面鳥、頭のトサカだけ赤い共産主義で全身は資本主義だと言った人がいる。人口13億人とも15億人とも18億人とも言う。計測不能、一人っ子政策だから二人目から隠しちゃう。広すぎて全然判らない国、大盛チャショウワンタンメン、トッピングに海苔、モヤシ、メンマ、ネギ、ニンニク、もうゴッタゴッタなのだ。
追伸:元朝青龍が夢の中でこう言ってました。トヨタの黒星の決まり手は「つるし上げ」と。
古来より日本の武士はひと前で「つるし上げ」されるを恥として、又、弁明を恥とした。今回の問題は現社長の前の責任者、奥田会長、張社長でもある。
もしトヨタを守るのであればこのご両人が公聴会の始まる前に見事腹を切って果てる、責任は我々にあると一筆したためそうすればトヨタは守れる。豊田一族はどうか判らないが。

若き織田信長を諫めるために腹を切った守り役、平手政秀の様に。
信長の生涯で泣いたのはただ一度、平手政秀の死を知った時だけと伝えられている。
手柄は自分、失敗の責任は部下へ。この国の滅びよう問題はここ一点にある。武士道の国は無士道の国となった。

2010年3月2日火曜日

人間市場 ババタリアン市


2月21日(日)寒さが去り一気に春の暖かさとなった。

原作を読んでいた映画を見落としていたのが国府津のシネコンで上映してるので観に行った。東海道線の中が老人達で一杯だった。六十歳から七十五歳位が主役である。
小さなリュックサック、サイドにペットボトル、スポーツウエアにキャラバンシューズが定番のスタイルである。

国府津でどっと降りた。何でこんなに老人達が多いのかと知った。(私もその老人の一人、映画は千円で観れる)曽我の梅林が見頃なのだとタクシーの運転手に聞いた。
河津桜が満開だとも聞いた。私は人間の集団が大の苦手である。特にババタリアンの集団に出会うと情緒が不安定になる。クサイ、ダサイ、ウルサイからだ。

小田原シネコンコロナに着くとそこはもう異次元の世界であった。
入ると直ぐにUFOキャッチャー、右にはスーパー銭湯。その隣にはボーリング場、どこに映画館があるか判らない。ズラ〜と人の列。ガキがウルサイ。
何事だと思うとグルグル回して赤い玉がコトンと落ちる、くじ引きだ。二階から一階の入り口まで並ぶ位だから余程いい景品が貰えるのだろうと思い聞いてみると、何だい食事のサービス券(五百円相当)みたいなのが当たるという。
切ない悲しい行列であった。当然行列の主役はババタリアンと老人達である。


名古屋のパチンコ屋が始めはパチンコ店として経営してたらしい。
オープン当時は大変な賑わいだったが、パチンコやパチスロの射幸性が強い爆裂機が禁じられ一発何十万も儲ける事が出来なくなったのだという。
それでもってパチンコ屋さんはスペースの活用を考え現在の混然バラバラとなり国府津のコロナ(太陽)となった。
名古屋人とはとんかつとキャベツをそのままご飯に乗せ味噌をかけてしまったり、長い鰻を短く四角く切ってご飯と混ぜ混ぜしちゃう等という神をも恐れぬ大胆不敵な事をしてしまう。

それ故コロナもとんでもない空間となる。ボーリングのピンが弾ける音を聞きながらお湯に浸かり、体から湯気を出しながら映画を観る。イタリアンの横にうどんがあり、その横に何でもありのレストランがあり、その前にはチョコパフェその横にハンバーガーともう頭がこんがらがってしまう。(正確ではないかもしれない)

やっとこさ映画館を見つけていざホットドック(マスタード&ケチャップ)アイスコーヒーを買う。フライドポテトを揚げてもらっている間に、映画の題名を言ってチケットを買う。何だか悪い胸騒ぎ、全然人が並んでいない。一時二十分上映開始だ。オーイ上映開始だぞと声は出さないが心では叫んだ。

142席の中には何と二人しか観客がいなかったのだ。きっと予告編が終わったら頃にどっと入って来るだろうと思ったが全くその気配なし。とうとう二人だけで見終わった。
それ故全然盛り上がらない。映画はやっぱり観客が一杯がいいのだ。
国府津の人々には悪いが全然アカデミックでない所だ。

映画の題名は言わない方がいいと決めた。ホットドックもホットでなくクールだったし。映画も全く原作に負けてるし、森山直太朗の主題歌が暗くて、甲高くてたった二人には息苦しかった。
あ〜あついてない日曜日の前半だと思いつつ、国府津の駅に行くとオバチャン、オジチャンの群れだ。切符を買うのに一苦労、さっさと買えよと思わず口に出す。列車に乗るとそこは梅や桜見物の宴会の延長戦。

イカの薫製の臭いがプ〜ン、ホタテの薫製、笹カマボコ、亀田の柿の種、ポテトチップス、ポンキッキ、カラムーチョ、なんたる臭い、ワンカップ、ビール、発泡酒、焼酎水割り、ハイボール。とにかくよく喋り、よく飲み、よく食べる。
熱海から、小田原から、乗って来ていたのです。そこに国府津からの乗客が合流もう頭がクラクラ。臭いに敏感体質な者としては耐え難きです。

四人の客が平塚で降りました。座席にはさきイカが何本も、タコの薫製が何匹も座っていました。ちゃんと掃除して降りろっていうんだよ、まったく。

2010年3月1日月曜日

人間市場 ロンリコ市

頭の痛い思い出ほど忘れない。

銀座コリドー街に一軒のクラブがある。
一見何の事はない、入ると直ぐ左に大きなグランドピアノ、正面に半円状のボックスがあり、奥にカウンターがある。このクラブにはテレビ、芸能、スポーツ等各界の親玉がくる。
この店に来れる様になればそれはかなりの事。何故ならそれはこの店が日活のスターが大好きな店であった事、歴史は夜作られる、歴史はこの店で作られた。

大スターの趣味は(ヨット以外で)美空ひばりさんと同じカラオケ。この店にはカラオケがないのでピアノに合わせて歌を唄うではないですか。
この店の下に仲宗根美樹の店があった。いつもヘベレケ腰抜け状態「病葉は今日も流れる街の谷川は流れる」の人です。

何度か友人と行きました。ある日、次の日はグアム島へという夜がありました。私は若者を一人連れてきました。(今はフランスで画家として成功しています)まあ、飲んで飲んで喋って騒いで真夜中にそろそろ仕上げと生きましょうよと兄にい(こう呼ばれてました)と名物プロデューサー、アタシらに忠誠心を表す為にこうやってと言って革靴を脱ぐ。
こん中に酒を入れて一気をし回し飲む、仕上げはロンリコ(75度)で一気です。
別名“コテン”です。みんな二、三杯飲んだら“コテン”ですから。

大スターはグイグイでしたよ。で私の若者、じゃ僕は私のためにロンリコ飲みますと言いショットグラスにロンリコを注いでもらう。
女の子たちはそれから何が起きるか判っている。
私とプロデューサー、広告代理店の友人、そして若者、よ〜しと一杯グイ、ウワァ〜来る、体中に猛烈な熱が走る。二杯、三杯、四杯、その後は一切記憶なし。

所は成田の全日空ホテル、部屋のベルが鳴る明け方5時頃、ロビーにお客さんが忘れ物をお持ちですと言う。頭は割れそうに痛くガンガンを通り越してキリで突き刺され除夜の鐘で殴られる様。若者は隣のベットの下で吐くだけ吐いて死んでいる。
何とか下まで降りてグアムに行く為のバッグを受け取る。全てお店に忘れて来ていたのです。(届けて暮れた人は本当に親切な人なのです)

その後も一切記憶なし、気がつくとグアムの空港。熱い、ジトっと凄い湿気。
足許を見るとなんと全日空ホテルのマークの入った白い薄っぺらな草履。
バッグの中に脱いだ靴、アルコール臭い。そうか靴の中に酒入れて飲んだんだ。
若者はもう全然使い物にならない、キモチワルイ、アタマイタイ、見れば片足が裸足で片足がインターコンチネンタルのスリッパだ。ボー然と立っていると、ハ〜イと現地のコーディネーター、間違いなくこの二、三日が自分と若者の命日になるのだと思った。

それから十数時間後すっかり復活、私と若者とみんなは楽しい酒を飲んでました。若者は出す物は出し絶好調、当然私の名を呼び捨てです。お前エラソーにしてんじゃねぇよなんて(酒グセよくないのです)。
頭に来たからよし、ロンリコあるか、あったら持って来い、ロンリコで一気だと言ったら若者は逃げ出し、泣き出したのです。

お願いです、それだけは勘弁して下さい、他の事なら何でもしますからと。赤坂の行きつけの店で、仲間に素っ裸にされローソクをたらされてムチで打たれるとBVDのパンツの一部分が大きく盛り上がるのです。一度パンツのまま赤坂の街を逃げ回りました。月日は流れ今やパリの大画家です。

馬鹿になれない男は私の所にいられなかったのです。私は本当の馬鹿になってしまいました。
パリに行ってもう一度ロンリコを飲ませたいのです大先生に。

2010年2月28日日曜日

人間市場 さげまん市

亡き伊丹十三が「あげまん」という映画を作った。
文字通りその女性と出会い一緒になりどんどん運気上昇して成功者となる。これが「あげまん」二人して上手くいったね等と話ながらアツアツの肉まんに唐辛子とソースをかけて食べ合う。


一方その女性と出会い一緒になったばかりに次々と問題が起き、疫病神の様になるのが「さげまん」と論理的かつ実証的に証明されている。
私の好きなムコ殿こと藤田まことが死んだ。必殺仕事人中村主水は彼にしか演じられない。渥美清のフーテンの寅に匹敵する役であった。

「あげまん」と「さげまん」は、東京神楽坂は五十番の肉まんと神戸の豚まん位の差しかないが結果は大きく違う。中華街には「ニセまん」がある、中国人の女性には要注意せよだ。とんでもなく美しい中に奈落が隠されている。例えば藤田まことは妻の事業失敗で30億以上の借金を抱えたという。上昇気運は一気に萎み奈落の底へと向かった。
大病を次から次へと発病した。借金のストレスが必殺仕事人を必殺へと導いた。
憎しみを晴らすべき相手が妻では手をかける訳にはいかない。ジャンボ尾崎も又、妻の事業失敗を自らの放漫経営で高度一万メートルから一気に奈落へ墜落し炎上した。クラブを杖替りにしてゴルフ場をトボトボ歩く姿は見ていて悲しくなる。ジャンボとチョンボがその坐骨神経病の後ろ姿に沁み出る。

ちょいと見た目に自信があり、自分は頭がいいと錯覚し銀行屋や金貸し屋にチヤホヤヨイショされると頭に上り、ゴルフ等に接待され帰りにカラオケを歌い温泉マークのホテル等で叫声を上げ、すっかり骨抜きにされる。残りは使用済みのティッシュペーパーと借用書ばかり。

何故ゴルフ場のまわりに温泉マークのホテルが多いかは単純にして明快である。
銀行マンだと思った男の背中に立派な刺青がなんて事は日常茶飯事なのである。毎日日本中で行われている。オイ、お前最近よくゴルフ行くな、服装がやけに派手になったな、あたりの会話ならいいが。オイ、このマッチは何だ、ホテルじゃないか誰と何時行ったんだ、バチーン、バカーンとなるともう危ない。
よく男は石橋を叩いても渡らないが、女性は石橋が見えなくなるという。特にある年を越えて性の悦楽の虜になった女性はつるべ落としとなる。

藤田まこと、ジャンボ尾崎の奥さんは決してそんな事は無い筈であると思うが。自己破産が続出しているその原因は酒、女、博打と相場は決まっている。恐怖の三つ巴だ。女の次に男も入り、博打の中に投資が含まれて来た。五つ巴となった。中国の故事に「雌鶏が時を告げれば国滅ぶ」家庭も又同じである。

一番最強の結果を一つ紹介する。ある一人の経営者の自慢は妻であった。酒を飲むと妻自慢、美人、高学歴、高キャリア、ピアノ、バレエ、茶道、香道、料理、暮れの第九の合唱、幼稚園、小学校の父母会の仕切り屋等、何をやらしてもリーダーなんだと言う。酒の席で一番嫌われるのが身内の自慢、特に妻と子供の自慢だ。何で俺が金払ってテメエのバシタ(妻の事)やガキの自慢話を聞かなイカンのや、このドアホと凄く品の無い展開になる。

玉川上水で心中した太宰治は無理心中に引きずり込まれたという説がある。
川の土手にその跡が残っていたとある。何回も心中をした太宰治はあの頃作家への手応えを感じていたからだ。相手に俺は生きたい、生きたいと言ったのかもしれない。
そんなに生きたいの、文学の方が私よりいいのね、私を愛していないのね。などという修羅場があったのかもしれない。降りしきる雨で増水した玉川上水は深い「さげまん」で浮かぶ事は無かった。

現在日経新聞の名物コラム、私の履歴書にジャンボ尾崎のライバルであった青木功がその半世記を載せている。赤いシャツに白いズボン、頭は短髪、シャンメエ、シャンメエと言っていた男は、一人の女性との出会いで世界のエ・オ・キとなり名誉あるゴルフの殿堂入りまでした。こちらは特上の「あげまん」であった。頭は長髪、ファッションはシックになり一度はベストドレッサーに選ばれ千葉訛りの英語を話す、ヘ〜イ、ジャックなんて。
ライバルジャンボ尾崎の借金はあまりにジャンボ過ぎた様だ。
ゴルフの季節が始まった。

2010年2月27日土曜日

人間市場 文学賞市

2月20日の朝刊に作家、五木寛之氏直木賞の選考委員辞退とあった。

その原因は直木賞を受賞した佐々木譲氏の作品の選評の中について過ちがあった。
「破顔」という表現についてその表現が作品の中になかったのに、その「破顔」について選評してしまった。文藝春秋は我々のミスで五木寛之氏にはその責がないと言う。五木寛之氏は思い違いをした、一行たりともミスがあれば辞退をしなければいけないと格好いい事を言っている。はからずもこの国の文学賞がいかにいい加減かを物語った。

想像するに五木氏は佐々木氏の本文を読んでいない。出版社の五木氏担当が間違って書いたのだろう。
今の文学賞はまず売り出したい作家に出版社が目を付ける。作品よりも作家の成り立ちが重要となる。元広告マン、凄い不美人、元自衛官、元労働者、元住職、元無頼人、元警察官、元不良教師、元借金魔、この元が大切なのである。
文章力、構成力、展開力等は二の次、三の次。どうしたら本が売れるかが重要なのだ。芥川賞、直木賞は文藝春秋を起こした故菊地寛が雑誌を売る宣伝のために作ったという賞(本人が言っているのだから)それでもかつてはそれなりの作家志望がレベルの高い作品を書いていた。
あの太宰治が芥川賞を下さいお願いしますと選考委員に手紙を出しまくっていたのだから。
文藝春秋が仕切って割り振る、編集者たちが自分たちがざっと読んで候補作を作り、更に談合らしき事をし、数点に絞りその内容をダイジェストに書き、ここがへそという部分を選考委員に渡す。委員は銀座かなんかで一杯飲んでホテルか自宅か愛人宅かなんかでチラッと読んで、ちょいと朱を入れて編集者に渡す。
そして○○ちゃんこっちおいでなんて事になる。真正直な作家は選考委員を辞退する。
この頃ベストセラー本は出ない、プロットはほぼ編集者が作る。人気作家は出版社と編集者のパペットなのだ。文章は書けるが着想力のない人。
着想力はあるが文章がかけない人。それが補完しあって文学賞が一丁上がりとなる。村上春樹は芥川賞も直木賞も受賞してないから、184の中でこの仕組みを書いていた。(腹いせかもしれないが)


友人がある本を出版社から出す事になった。
原稿を編集者に渡すと後日見る影もなく真っ赤になって渡された。ヒドイじゃないかこんなに朱を入れてと怒って私の処に来た、あまりにヒドイですよねと。編集者にどうなの?と聞くと、編集者は応えた、あの文章の方がヒドイのだと私に言った。両方から話しを聞いたから間違いないだろう。
口述筆記とは作家先生が喋るのを編集者が書く。スポーツ選手や芸能人の本はゴーストライターが書く、一本幾らで。大ベストセラーになってもゴーストライターには印税は入らない。友人のゴーストライターはあまりに自分が書いた(?)作品が売れに売れたが、その割に銀座で酒も飲めない。喋った人間はチヤホヤまみれ、チクショウ、バカヤローと頭に来て酒を飲み塩豆を食べ過ぎ(大好きなのです)胃を痛め血を吐きぶっ倒れた。今酒は飲めない。
絵描きも又、大先生は弟子の描いたのにチョコチョコ手を入れてウン千万円、人気建築家でタチの悪いのは、優秀な弟子たち生徒たちが一心不乱、不眠不休で作った図面にチョコチョコっと口を出し手を入れてウン千万円。又は、いいアイデアをソックリ頂く。そうでもなければ10本も15本も同時進行出来ない。
全く世の中いい加減になってしまった。若い優秀な才能が出来の悪いよこしまな大人たちのために潰れていっているのが許せない。
出版社の編集者たちも一部の誠意ある人を別にして出版ブローカーとなってしまった。自費出版を応援しますなんて言って詐欺まがいな事をしている(大手出版社)。
三度酷い目に遭った。
まあ五木寛之氏の件は私が日々言っていた事が実証されて留飲を下げた。
出版不況は成るべくして成ったのだ。いい編集者を育てないといけないのだ。他の業界でも勇気を持って若い才能に機会を与える、そうしないと本当にこの国は才能の墓場になってしまう。
ちなみにプロの作家が一番欲しがるのは「野間文芸賞」である。こればかりは本人が書かなければいけないからだ。