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2011年3月14日月曜日

お見舞い

このたび「東北地方太平洋沖地震」により、被災されたみなさまには心よりお見舞い申し上げます。


ブログは暫くお休みをいただきます。



2011年3月10日木曜日

湘南の嵐便り 「悪魔を見た」


キリストの示した七つの大罪。
1.大食、2.強欲、3.怠惰、4.色欲、5.高慢、6.嫉妬、7.憤怒がある。
その全てをうちに秘め更に1.大久保清、2.宮崎勤、3.宅間守、4.加藤智大、5.西口彰を加えた悪魔の様な人間に愛する家族や愛する恋人をバラバラにされたらあなたはどうする。

相手は悪魔そのものである。人間の中には大なり小なり悪魔性は潜んでいる。
だがしかし理性というオートロックで悪魔性を封じ込めている。

その罪と罰は法律という武器で悪魔を制す。しかし相手がその理性を遙かに超える復讐性を持つ野獣性を持ったらどうなるか。又、人間には見えない凶暴な野性が潜んでいる。

チワワやミニチュアダックスフンドもその昔は狼であった。
その人を愛する度合いは復讐心に比例している。どんなにいい格好していても自分の目の前で愛する女性が恥辱されるのを見て腰を抜かしてただじっとしている者が多い。
否殆どといっていい。


愛する人に命を掛けられないのだ。
そして相手は絶望し、失望して突然の復讐に向かう。



一本の映画を観た。韓国映画の「悪魔を見た」である。正にこの世にこんな人間がいるのか(実は何人もいる)という男と純粋に家族を愛し婚約者を愛していた男の復習劇である。
単なる残忍なものでない。その中に人間の持っているキリストの七つの大罪が込められている。

それは悪魔という人間と、人間という人間の果てしなき戦い。狩人と野獣とのデスマッチといえる。人間社会は生き残りをかけた狩りの現場なのだ。つくづく男はタフで賢くそして強くなければならないと思った。「暴力は最後の理性だ」という哲人の言葉を思い出した。


さて、自分に最後の理性はあるかと問えば、あっても花粉症で目はくちゅくちゅで痒過ぎる。鼻水は壊れた水道の蛇口の様に出る。クシャミは連発だ。コンタックの飲み過ぎで胃はムカムカ、不眠症で体はダルダル、チキショウと階段を駆け上がったら足がつって階段につんのめった。

その夜両足がつって更に眠れなかった。これじゃ愛する者達を守ってやれない。
最後の理性なんて発揮できる筈もない。
仕方なく布団の上に座り3㎏のダンベルで腕を鍛えたがどれだけ効果があるやら分からない、若さは遠くなりにけりだ。


韓国映画には復讐物の名作が多いので何本か紹介する。
「復讐は最高の健康法」という。皆さん理性と体を鍛えて下さい。


2011年3月9日水曜日

湘南の嵐便り 「先生の自主退学」

こんなヤクザな私にも一人二人はまっとうに悩む後輩もいるのです。

その男は今、都内でかなり有名な女学校の校長をしています。
あと二年で定年とか。


その男の悩みを聞くとこれはもうポルノです。
後輩が一瞬でも理性を失えばもうアウト、立派なスキャンダルです。

卒業まであとわずか、もう毛もなくなった男にメールがバンバン入るそうです。
「校長大好き、ホテルどぉ?」
「校長ずっと好きでした。オッパイ吸わせる」
「校長とラブラブ即OK
「校長にパンティ全部あげる」
「校長と夜明けのコーヒー飲みたい」
とかもう後輩はAKB48の中に一人放り込まれ若い女性独特の生暖かい臭いの中で息も絶え絶え萌え萌え状態なのです。


気が付くといい年をして思わず手が自分の息子をしごいている。
隣に寝ている奥さんからあなたゴソゴソと何しているの?なんて言われてドギマギして手を休める。
女子高生※写真はイメージです
あーあ俺に鉄の意志が有ればと思うが溜まったものは出さねばならない。
翌朝生徒達からいきなりメールのラッシュ。
「校長、私の事想ってくれたでしょう」とか「奥さんと仲良くね」とかあろう事か裸で風呂に(当たり前か)入っている写メールとか。自分がいけない事をしているとかを写メールしてくる。

後輩の頭の中は58歳にして絶命状態。携帯恐怖症、メール恐怖症、出校拒否症などとなってしまった。真面目故に病人と化してしまったのだ。


世に女子中学生、女子高校生ほど恐いものはないといいます。何しろ凄すぎるのです。
特に超有名校ほど酷いといいます。生徒もきっとイイ子ぶっているのにストレスが溜まっているのでしょう。一歩先何が起きるか見当もつきません。

極めてデンジャラスです、女子高は。後輩は辞表を出して退校しました。

どうにも写メールのワイセツに耐えられなかったのです。
今は携帯もパソコンも一切使わず心穏やかに過ごしていますがやはり若い性の鮮烈な映像が夜な夜な浮かぶそうです。

2011年3月8日火曜日

湘南の嵐便り 「肩書きなんて」

私が大好きな作家に若くして亡くなった「中島敦」がいる。
その中でも名作「山月記」は最高作といえる。

話を思い切り要約すると二人の優秀な若者がいた。
共に日本でいえば司法試験か国家公務員第一種(中国では科挙)に受かった人間である。しかし二人の人生は大きく変わり一人は挫折し姿を消す。

何年か経った後、エリートとなった一人が部下を連れ山の中に入る。そこには凶暴な虎が出ると言われ山の中には入るなと言われる。しかし男は山の中に分け入って行く。
と、竹林の中に虎の気配がする。それを感じ男は虎に向かい君は○▲君ではないかと尋ねる。
虎は悲しい声で「そうだ僕だ、変わり果てた僕だ」と言う。ライバルとの競争に負けた事を恥じ虎になり夜な夜な吠吠するのだという。二度と会わない事を約束し虎は竹林の中に消える。
同じような話で藤沢周平の名作「三屋清左衛門残日録」というい役職を離れた一人の武士の日記の様な物語がある。その中にとてもいい一話がある、「零落」という。
ある日雨が降る。清左衛門は雨宿りのつもりである長屋の一つに雨を凌いでいると、中から雨で大変でしょう中に入って雨を凌いでいってはと声を掛けてくる。

その武士はかつて清左衛門と甲乙付けがたいと言われた人物であった。
しかし、今はすっかり老人の様に落泊していた。お互いについた家老が主流と反主流に別れた結果だ。武士は二度と会うまいと言って別れる(かなり雑な要約である)一方は老後をのんびり豊に過ごし、一方は傘張り老人の様になり心はすさんでいる。

何故こんな事を書いたかといえば3月3日朝日新聞の夕刊に3月は不眠からくる鬱病、そして自殺が一番多いと書いてあった。その中にサラリーマンの自殺動向について左遷、リストラ、格下げが三大要因と書いてあったからだ。
人生は終わってみないと本当の勝負は分からない。
肩書きがなんだ、ポストがなんだ、肩たたきが何だといいたい。そんな事で時速200㎞の電車に飛び込んでバラバラになるといいたい。悔しいけど参ったと言わない限り勝負には負けてない、虎になる事もない、二度と来てくれるなと雨戸を閉める事もない。
何もかも愛せば必ずいい芽が出る事がある。
肩書きなんてつまらないプライドの象徴にすぎない。時が来れば必ずよくなる。

サラリーマン諸君よもっと図々しく会社を利用すべきだ。
山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」を読むといい。
たかだか社長だ、専務だ、常務だ、部長だ、課長だなんて命懸けのもんじゃない。
会社の命令が嫌ならケツまくって一人で社長になればいいだけだ。

「鶏口牛後」というではないか。牛の後にノコノコついていくニワトリにならなきゃいいんだ。
「志」をたてて。
アホに負けてたまるかとね・・・。
人間やれば必ず出来る。
肩書きなんて名刺屋さんに行けばいくらでも付けてくれる「代表取締役社長兼専務取締役統轄本部長兼人事部長」とかいくらでも。

2011年3月7日月曜日

湘南の嵐便り 「新しいファッション」

3月3日桃の節句、所は西武池袋線中村橋駅斜め前、店の名は強いショック或いは深い感動で忘れました。時間は午後12時30分と少し。


私と私のデスクの女性とあるレストランに入った。12時頃の事だ。
ステーキ&ハンバーグの店に、その日はメンズデーとかで生ビールの小さいのがサービスについていた。食後人と会うのでお酒はNOである。


二人ともハンバーグ&ハーフカレーを頼んだ。食後にコーヒーを。
店内には私達二人の他おじさん二人。


さてこの内の一人のおじさんに我々は人生の何もかも、過去も現在も未来も今後生きてゆく志さえも失った。私達より先に入っていたおじさん70代位、テーブルから上半身しか見えない。何かたどたどしい手つきでステーキランチ風を食べていた。

中々な柄のチェックシャツがオシャレを感じさせた。
私達が食事を半分終えた頃、おじさんは伝票を持って立ち上がり私達の目に現れた。


ギャギャギャな、なんというファッション。下半身はジーンズだが何故か赤ちゃんのオムツの様な形にカットしてあり、しかもすき間だらけ、中はノーパン。白髪がビッシリついたコブクロやイケブクロ、いやお稲荷さんが丸出しではないか。


生まれて初めて見る。上は真冬ファッション、下は真夏ファッションしかも一歩間違えれば公然わいせつに近い露出ファッション。


私の連れのデスクの子は写真を撮りながらも笑いがこらえられない。
友人にさかんに写メールを送っている。もう笑いが止まらない。ハンバーグとカレーの味の違いも分からない。お互いに思い出して笑い、もうどうしようもない。

あの辺りでもしおじさんを知っている人が居たら是非教えて下さい。
パパスの上半身にジーンズのオムツみたいなオジサンです。きっとただ者ではない筈です。心から平伏し尊敬すべきファッションセンスです。

その後練馬美術館で展覧会を観て館長のご紹介の染色家のご夫婦にお会いしてお願いしていた作品を見て大感動したのですが、どうしてもあのジーンズのオムツが頭から離れず参った一日でした。

2011年3月4日金曜日

湘南の嵐便り 「とんずら」


とんずらという言葉があります。人に黙って逃げてしまう事です。

三ヶ月前27歳の若者が面接を経て研修入社しました。
私達は三ヶ月間お茶出しから行儀作法、そして仕事を色々体験させ三ヶ月後に正社員にするかどうか本人と幹部が話し合い取り決めます。


一番大切なのは本人の意志。自分にはキツイ、シンドイ、向いていない、嫌だとなればその席で自分の意見を言えばそれでいいんです。中々いい子で、美顔でした。

毎日二つ三つ年上の彼女が作ってくれるお弁当と魔法瓶にお味噌汁を持って来ていました。なにしろお客さんの出入りが激しいのでお茶だコーヒーだ水だお菓子だと大変だったのでしょう。

婚約をしており近々入籍の予定であったとか。
ただ、3回給料が振り込まれてからとんずらはいけません。27歳にもなってメールで上司に「僕はやっていけません」ではいけません。会社に顔も出さずでは社会人として失格です。大人になりきっていないのです。



電話番号もメールアドレスも全て変更した様です。
こんな厳しい時代に新人を採用し、入社を本人の希望で一ヶ月待ってあげてからの事でした。これが草食系なのでしょうか。とても悲しい可哀相な男のです。

我々の会社は毎日深夜になってしまいます。心から仕事が好きでないとやっていけません。今どこにいるかは分かりませんが本人がもしこの一文を読んだら今のままではきっと彼女にとんずらされてしまう、又世の中の人々から社会から見捨てられてしまう。

ビシッと体に力を入れて気合いを入れ直す事だ。美顔だったので新宿二丁目の方が向いているかもと言ったら本人はまんざらでもない顔をしていました。
男を辞めて女性になれば幸せになるかもしれません。


後で知ったのですが以前は板前修業をチョットしていたとか。
当然そこからもとんずらした様です。調査不足、面接の失敗でした。


さらば若者逃亡者よ。

2011年3月3日木曜日

湘南の嵐便り 「一回忌に想う」


過日親友の一回忌を終えた



別に坊さんを呼んで特別な事はしない。
西麻布の納骨堂に私と会社の社長と行くと友人と親友の愛する人だった女性、そしてずっとアシスタントをしていた女性が二人来ていた。


本妻や息子三人は来ていない。実姉も来てはいない。
182㎝、体重85㎏あった男が20㎝位の仏像の中に入っている。
その日は二人命日らしく、白く小さなスクリーンに二人の名が出ていた。
暖かい日であった。午後十二時、お焼香をした。


つくづく人間の命とは、と思った。
誰も自分で選んでこの世に生を受けた者はいない。生も選べず死も選べない。
朝起きたら息をしていない人もいれば、何年もただ息だけをしている人もいる。

大学病院※写真はイメージです
ある高名な大学教授が言った。権力者やお金持ち程「癌」を告知すると同時に豹変しジタバタすると。検査入院として入って来た時は虚勢を張り堂々たるものであるという。
まあよろしくよろしくという具合に、ところが告知しカンファレンスで手術の説明などすると一流を集めろ、金に糸目はつけない、あの薬、あの温泉、あの、あのと大騒ぎになるそうである。

病院※写真はイメージです

命まで金で買えると思っているのだろう。駆けつけた会社の人間に八つ当たりするわ、不可能な命令をするわ、海外の病院を見つけろと言い出すわ、もう灰神楽みっともない事この上なしとなるらしい。


お金の無い人はシンプルである。先生、何とぞよろしく。
これ以上息子や娘、家族に迷惑をかけたくないのでとなる。


世は皮肉でありもう駄目と思ったお金の無い人は劇的な手術に成功し見事に治り、まあ死ぬ事はないだろうと思った大金持ちは癌があっちこっちに癒着し手術不可能、開腹して直ぐに閉じ、その後暫くして人生を終えた。

癒着しまくって生きてきた人生への戒めだったのだろうか。

私は愚妻と共に尊厳死協会に入っている。
抗癌剤治療、終末治療拒否、緩和ホスピスで誰に知るともなし静かに消えて行きたい。

幸い秋田湯沢で義兄、義姉がそんな病院をしている。秋田の象潟の海を見ながら骨と皮になって海風に吹かれて消えて行く。「海に出て、木枯らし帰るとこ無し」の心境だ。
岩盤浴※写真はイメージです

決してお金を持ってはいけない、ジタバタするから。
我が友も実に見事な終わり方だった。


一年は早いものだ。

今日は弥生一日、昨日ジャンボ飛行機の命日となった。繁栄のシンボルであった。もう一つのシンボル、鶴丸は甦った。

2011年3月2日水曜日

湘南の嵐便り 「福住楼」

週末より旅友と打合せがあり箱根塔の沢の老舗旅館「福住楼」の投宿していた。

かねてより「福住楼」には一度行ってみたかった。
かつては福沢諭吉の常宿でありその後夏目漱石、島崎藤村などの文士や坂東妻三郎も常宿にしていた箱根屈指の名門である。


が、とにかく古いのである。建物は大工の技の限りを尽くし、障子、襖、壁紙に至るまで職人の技が息づいている。文化財として登録されているので簡単には直せない。
杉の太い木を輪切りににした大丸風呂は絶品である。


仲居さんにここが一番早川の流れがよく見えるという「桜一」という部屋に通された。
十畳と四畳半の化粧部屋、細工を凝らした障子を開けると見事な太い猿滑りの木、その向こうに早川の急流が逞しい川の音を生んでいる。

小窓の前に小さな文机、そこに原稿用紙と筆記具、座椅子を置くと何やら文士の姿が浮かんでくる。部屋中に隙間風が入ってくる。暖房は力強い音と振動を生むでっかいガスファンヒーターだ。浅草出身52歳という仲居さんが丁寧の上にも丁寧に対応してくれる。部屋にトイレと内風呂はない。
文士の姿が浮かんできます
何処までも明治時代なのだ。旅友と久々に文学、政治、経済、芸術、人物、未来談議をする。何しろ博覧強記の人なのですこぶる勉強になる。


次の日は雨風強く真冬模様と天気予報、来たときは小春日和であった。


品位がない今時の温泉の様に食い倒れみたいな暴力的品数がこれでもかとは出ない。
一品一品に想いが込められている、丁度いい品数であり絶品のおつけものとご飯を食べる。お銚子は二本ずつ。温泉に浸かった体にいい温度が染み込んでいる。
真心のこもった料理※HPより

このところゆっくり風呂に入る事もなく気ばかりが急いでいたのと心身がまったりぐったりし続けていたので名物杉の輪切りの大丸風呂は正に天国であった。
大丸風呂※HPより
その日は三組のお客さんが入っているとか、最近は外人さん夫婦が一日一組は来るとか。外人にとって日本家屋の体験には何よりの処である。

入口には「福住楼を守る会」の札がある。嵐山光三郎さんたちの名が連なる。
深夜岩風呂に入りに行くと、一人の白い肌の外人が女性がしなを作るポーズでお湯に浸かっている。その一物を見て巨大な白いチキータバナナの様で恐れをなした。
翌朝仲居さんからドイツ人だと聞いた。
旅友の作家、上季一郎氏
外は豪雨でありすき間風は寒いが、何かいい朝を久し振りに迎えた。
旅友は読書をしていた。投宿以来すでに三冊目だ。

2011年3月1日火曜日

湘南の嵐便り 「人事の春」

独裁者は最後の10分まで独裁者であろうとするという。
自らの貯め込んだ金銀財宝を節分の豆まきの様に民衆に蒔けばいいと思っているのだ。
cc

スターリン、ムッソリーニ、ヒトラー、チャウシェスク、毛沢東、フセイン等々、そしてインターネット革命という指導者なき革命は燎原の火の如く世界中を走り始めた。
「逆化価値現象」という考え方を年頭に掲げた私の予想を遙かに超えた早さでそれが起きている。

「弱者が強者」を襲う、「富ある者が貧者」にひれ伏す。「形なきものが形あるもの」を壊す。
やがてこの火の海は中国、北朝鮮を焼き尽くすだろう。その早さは想像を超える。インターネット社会の凄さだ。
プラハの春の一風景
かつてプラハの春はラジオで民衆が繋がったという。
又、ベトナムではベトコンが地下道で繋がって大国アメリカに勝った。
今やボタン一つを押しただけで世界は繋がってしまう。伝書鳩や軍用犬を使い秘密文書を送っていた時代とは違う。

リビア、スーダン、サウジ、バーレーン、石油という金銀財宝を持っていた国は次々と民主化に向かうだろう。

藤原道長
かつて権勢を誇った藤原道長は欠ける事なき満月はないといい、又平清盛は平家にあらずんば人にあらずと思った。増長した人間は手に負けない者なのである。

そして必ず弱者、貧者と見下ろしていた者により滅ぼされる。
歴史上滅ばなかった王朝や帝国は一つもない。今なお生きながらえているものは象徴としてだけである。

この季節大会社では人事、人事、人事である。まさか俺があいつの下にとか、まさか俺が、まさか俺が、まさか俺がの声がアチコチで上がる。
嬉し涙、悔し涙、無念の歯ぎしりである。
小判鮫の様について離れず・・・
つくづくある大会社に勤めていた友人の言葉を思い出した。
とにかく仕事は適当にしてひたすら出世しそうな親分を捜す、その嗅覚こそが一番であると、そしてこの人と見つけたらとにかく朝な夕な小判鮫の様について離れず影の様に寄り添うのである。並はずれた才能ある人はかえって親分にとって危険人物となり一つ、二つの失敗を楯に追放されてしまう。

十を成功させても一の失敗の方が問題なのである。

毎年毎春それが繰り返される大会社とは思いの外生き地獄なのである。
ブチ切れて辞める者もいる、泣いて命乞いをする者もいる、いつか戻って見返してやるという人もいる。
楠正成
春は右往左往である。大才能、大恩人が南の国に移った。
きっと楠正成の様に再び都に戻り天下を取る事を祈らずにはいられない。

2011年2月28日月曜日

湘南の嵐便り 「原武史教授」

皇居
長い間恩人であり友人でもある人のお孫さんが慶應の幼稚舎という所に入ったという話を知った。入園するために塾に通わせたそうである。
両親は当然大喜び、ジジババちゃんも大喜びであると思う。

大人の喜びが子の喜びとイコールであるという事は約束されないがぜひ医学部に入り命を助ける医師になるとか(慶應の医学部は医者達もその研究熱心さを認める)法学部に入り堕落した検察庁を正すとか、売名主義になった弁護士達を正すとかを可能にする司法試験に挑戦して欲しい。

私は全く教育ブランドとか一貫教育とかに興味がない、徹底的な雑草主義者である。

原武史先生
先日こんな一文に出会った。原武史という鉄道オタク(鉄ちゃん)の政治学者は中・高と慶應であったが大学は早稲田に行ったという。
デコイチ
何故か慶應になじめなかった。原先生は東久留米の団地住まいであった。
友人達は田園調布とか等々力とか松濤とかの高級住宅住まい、遊びに行くと家は広いしお手伝いさんがいたりお母さんは品のいい綺麗な人、お姉さんも同じ。

滝山団地住まいの原先生はすっかりコンプレックスの塊になり大学への推薦辞退書を出した。この届けを出さないと慶應大学生になってしまう、それは恐怖であった原先生は早稲田を卒業後東大の政治学科に進んだ。
中央線は自殺者がおおいらしいです
鉄道オタクである原先生が何故中央線に自殺者が多いかについて興味ある考察をしていた。

中央線は東京と高尾を結んでいる。元々東京駅は天皇が利用する玄関駅として作られたいわば東京駅は皇居と繋がっている、天皇を中心とする「生」の世界なんですと。

それに対して高尾には武蔵陵墓地というのがあって、大正天皇・貞明皇后陵・昭和天皇・香淳皇后陵四人が葬られているいわば「死」の世界なのだと。
だから中央線は生と死の世界を結び突き進んでいるのだ。
天皇陵

(えー私はずっと中央線の荻窪に住んでいたが当時自殺者なんてあまりいなかった気がする。当時は今の高尾を浅川と言っていた。)原先生の考察が正しいとなると上りより下りの方が飛び込む人が多いという事になる。JRは何か手を打って欲しい。


友人のお孫さんがJRに将来入って偉い人になり中央線から人の命を守ってくれるといいななどと思ったりしている。なにしろ陸の王者KEIOなのだから。王たる者は民を守らねばならない。心から期待を込めてお願いをしたい。