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2011年7月20日水曜日

「レソワイナ→それはない」



ヤクザ者の世界ではそれはないをレソワイナという。

その夜八時二十五分、外は台風6号の影響で不快指数100%気分であった。

銀座砂場というおそば屋さんに一人で入った。

グラスビールを二杯と天盛りを頼んだ。車海老一本、穴子半身、ししとう二ヶ、椎茸一ヶである。

合計2300円を支払う時随分待たされた。イライラして前に詰まっている50代位の会社員風のオッサンに言った。早くしろと、オッサン達は7人であった。

伝票を見ながら俺はモツ煮と枝豆とビールと冷やしたぬき、俺は板わさと天盛りともり一枚、俺はカツ煮とおでんとざる一枚とか、それぞれ払っていくのである。オバチャン達じゃあるまいしと思った。


若い女の子なら微笑ましい。不良やヤクザ者の世界で絶対有り得ないのが割り勘である。

天と地が引っくり返っても有り得ない。又、自分が誘った店の勘定を人に払わせるとか、自分が飲んだ物、食べた物だけを支払う等という事は太陽が西から昇っても有り得ない。

ヤクザ者は恥をかけない。例え女房を質に入れても、惚れた女を売ってでも支払う金を作らねばならない。


あいつは器量があるとか、あの人は器量人だという事は金の離れが格好いいか悪いかで決まる。当然器量のある人にはいい若い衆が集まる。


汗で毛が頭にへばり付き、残り少なくなった頭からアルコールが蒸し上がっている。

多分二時間以上は居座っていたのだろう。

会社員はいいね、割り勘有りだからなんて事は思わない。

私は割り勘で酒を飲む人生だったらとっくに死んでいるだろう。


「なんでいつも貴方が全部支払うの、一番年下なのに」と一緒になった頃愚妻が言っていたのを思い出した。バカヤロー俺は男だぞ、割り勘で酒が飲めるか、そんな俺の姿を見たいのかと言ったら黙ってしまったが、何格好つけてんのよと言っている風でもあった。オイ、手前バーゲンや丸井の服着てんじゃねぇ、高久か三峰位にしろ。ヤクザ者はなぁ気取りも器量の内なんだよと怒っていたヤクザ者を思い出した。


待たされている4,5分に色々思い出した。ある有名な武闘派の親分がいた。

札幌で自分の若い者が二人殺された。若頭は直ぐに返しをするために親分に金の準備を頼んだ。親分は言った、何であんな小僧たちの為に大事な金を使わないといけねえんだと。その親分はその後若頭以下若い者に引退しないと命をとると言われて引退し堅気になった。ケチでチンケな親分として汚名を残し今もひっそりと預金通帳を抱いて生きているらしい。


命と金、仁義と金、筋と金、恥と金、女と金、全ては割り勘では済まされない。

私はヤクザ者でなく堅気であるが生涯一度も割り勘はなしで生きている。


会社員達7人の合計は21,200円であった。それぞれが払って行った。会社員の一人当たりの一ヶ月のお小遣いは平均38,000円であるという数字を思い出した。それにしても蒸し暑い夜であった。


この頃のヤクザ者はカードを格好良く切るが私はずっと「オント」つまりヨロシクでやっている、いわゆるツケである。初めて入ったところでもここへヨロシクでやっている。

最も安い飲み屋は別だが、何格好つけてんのよと言われても仕方ない。

それしか知らないのだから。


もうすぐ年金暮らしか、どうすんべえかと悩みは深い。


この夜私の大好きな役者「原田芳雄」が死んだ。

骨と皮になって、あの松田優作が兄と慕った誰からにも愛される希な芸能人であった。原田芳雄の家の忘年会は芸能界一の賑わいで有名でありそこに居る佇まいは人徳の生き姿であった。この人にかつてナレーションを頼んだ事がある。私の敬愛する仲畑貴志氏の言葉であった。「ごちゃごちゃした時は、原点に返れ」であった。


男の中の男は原点に帰って行ってしまった。

バックミュージックはトムウェイツのブルースだろうか。

あんな姿で逝くなんてレソワイナだ。

合掌。

「朝は鯉の滝登り」


深夜の国道1号線、お客さんよく暗い車の中で文字が読めますねと運転手さんに言われた。

全然大丈夫だよと応えた。私は週刊文春を読んでいて腹をかかえて笑っていた。

「ハングオーバー」という映画が上映されている。その映画は酒を飲みすぎて泥酔の末にとんでもない事をやらかしてしまう男達の物語だ。


酒好きなら誰でもひとつやふたつの武勇伝が有るはずだ。

週刊文春にその例がのっていたので一部紹介する。


「朝起きると、自宅の犬小屋で犬を枕にして寝ていた」(39・女・自営)

「サークルの飲み会で論争、そこで豚足があるのに豚手が無いのはおかしいと」(24・女・学生)

「目が覚めたら知らないラブホで下着を着けてない。ことを済ませた後だった様だ。ホテルの代金がテーブルの上に置かれており『いい夢見てねー』と置き手紙。どこの誰だか、幾つ位の人か全く記憶にないまま現在に至る」(45・女・パート)

「寝ている幼稚園の子をトイレと間違いおしっこをかけた」(47・男・無職)

「気が付いたら、左半身血だらけで右半身が打撲、どうやら道で車に引かれたようだった。夜中の三時にパトカーで送ってもらった」(43・男・自営)


とまあ紹介したのは実はほんの可愛い一部分。

どちらかというと男はやはり飲んで、暴れて、リバース(吐いて)知らない人にお金をばらまいてというパターンが多く、女性は飲んだらラブホで上司と同僚と部下と同窓生と先輩と、又見知らぬ人と間違いを起こすケースが多い様だ。


ベロベロ、グデングデンに酔ってベッドの中に大・小をおもらしして婚約を破棄された女性も知っている。ダンナの連れ子で19歳と間違いを起こしおなかに赤ちゃんが出来てしまった32歳女性を知っている。酒は涙かため息かというが気狂い水ともいう。

これから暑い暑い犯罪的に暑い夏、体につける衣類もとかく薄く露出も増えがち、「飲んだら脱ぐな、脱ぐなら飲むな」です。


サマータイムの導入が増えて四時頃からもう飲み始めている会社員が沢山います。

この人たちは朝から夕方までは前の日のお酒でほとんど働きの悪い連中です。

焼き鳥二本に冷奴、ウーロンハイにモロキュウとなるとモロに元気が沸いて来て別人の様にイキイキとするのです。


会社の悪口、上司の悪口、会社内の出来ちゃった話、自分の自慢話と毎度同じパターンで時間を進めます、そんな時、すみませんそこの席空いてますかと三人の女性、どうぞどうぞと席を空ける(マッテマシタと心ウキウキ)そして次の朝とんでもない事が起きるのです。恐いですよ気狂い水は、人生の設計図なんかたった一晩で破り捨てられるのです。


「いや〜だあなた誰、誰なの?私何で裸なの?いやだここどこ?何で私の裸が大きな鏡に写っているの?いやだ、なんでベッドがグルグル回るの?いや〜何したの訴えてやる〜」なんて事になるんです、しかしこの場合法律的には同罪なのです。


「うあ〜あなたの背中になんで鯉の滝上りの絵が描いてあるの?何で小指がないの?お願いどうなってるのお母さ〜ん」

この女性がその後どうなったかは想像通りです。

2011年7月14日木曜日

「あなたは何を売る屋」

八百屋さんは野菜を売る。肉屋さんは肉を売る。魚屋さんは魚を売ると決まっている。

ならば永田屋は何を売るかといえば嘘八百と裏切りと寝返りを主に政治を売る。

国民のみんながこんな大変な国難の時に永田屋は何をやっているんだと怒るが、そこがこの国民のおめでたい処だと思う。決して怒り続けない。

何故なら電機メーカーはこんな時でも新商品を生む事を考え、お菓子メーカー、ゲームメーカー、飲料メーカー、食品メーカーも自動車メーカーも然りである。


政治メーカーは政局を作るのである、それが仕事であるからなのだ。

大化の改新以来政治とは権力闘争であり人間と人間の習性のぶつかり合う当然の姿なのである。


スポーツにはルールがありそれを犯せば反則となり、失格となり出場停止などのペナルティがある。

しかし政争にはルールも信義も筋道も仁義もない。

あるのはただ権力と利権の中心に近づく為に手段を選ばない何でも有りの世界なのだ。

ケンカにルールはない、刃物を使おうが拳銃を使おうが丸太を使おうが木刀やチェーンを使おうが勝てばいいのだから。ケンカにキレイも汚いも無い


日本人は政治のリアルな姿、権力闘争という人間の習性をもっと知って貰う必要がある。

様々な会社内でも一年中権力争いをしている。自分達の隣で人間がどんな悲惨な目にあっていても、自分が部長になるか局

長になるかはたまた誰が役員や社長になるかの方が関心が高いのである。

そのために組織の中には永田屋人間もいれば技術屋的人間や営業屋的人間、総務や広報的人間がいる。

誰が創ったかしらないがこの人間という生き物は極めて非情であり無情であり薄情かつ無原則で厄介な生き物なのだ。


永田屋の若ダンナ後藤田正純なる男が六本木のバーで女性の乳を揉みディープキスを重ね、あろう事か議員宿舎に女性を泊めている。本来なら鋭く政治を断罪しなければならない大新聞や大マスコミの中心人物は官邸費による接待漬けで古漬けの漬物の如しとなっている。

真面目に取材し記事にした勇気あるスクープは上層部に握り潰されてしまう。

「やってられねー」とわめいたのは福島原発の吉田さんという骨のある所長だ。


水野真紀さんという女優がいる、古い話だが二度一緒にイタリアにロケに行ったことがある。イタリア人とフレンチキスをするシーンがあったが気持ちよく?引き受けてくれたとてもいい性格のいい女優さんであった。そのダンナが六本木でベタベタしている。


「気持ち悪い、もうやってられない」といっている姿が目に浮かぶ。

美人が本気で怒ると恐い。この世は「やってられね〜」が多いが生き抜くためにやる事はやらねばならないのだ。生きていくためにはそれぞれの分野でそれぞれのやり方で目の前の相手の器量と度量と人間的センスと生き様を見抜く力を持たねばならない。花のお江戸は嘘八百八町だから。

被災地の映像風景にある芥川賞作家が(私はファンです)哲学的、宗教的、教育的、極めて難解な文学的言葉をつけていたが何か虚しくミスマッチだ。所詮は「言の葉」でしかないのだろう。

映像があまりに凄絶過ぎてさすがの大作家のボキャブラリーも追い付いていかない。



ここに一つのおにぎりがある。ずっと仲良い友達、知人、先輩の四人がいる。もう何日も空腹に耐えている。そして遂に一つのおにぎりに対して血みどろの争いが始まる。そこにはルールも何もない。最後には人が人を食う「ヒカリゴケ」の世界それが人の世なのだ。人間は動物だから。

さて誰が生き残るのか。

五味川純平の「人間の条件」と同じ状況なのだ。大岡昇平の「野火」もまた同じだ。

永遠のテーマなのだ「人間と空腹」は。

自分は何を売りにするかをよく考えたくましくないと生き残ってはいけない。


「モテル、モテない」

ある調査、丸の内OL100人に聞く。

結婚相手の理想の職業は、1位,会社員、2位,公務員。

初めてのデートは1,映画館、2公園。

初めてのキスの後に言って欲しい言葉は、1,好きだよ、2,ずっとこのままいたい。

初めてのプレゼントで一番うれしいのは1,指輪、2,カバン。

初めて交合する場所1,彼の部屋、2,海辺のホテル。

初めての食事は1,フレンチ、2,イタリアン。

年収の希望は、400万以上。


初めてデートした時気にして見るところ、1,靴が汚れているか、2,爪を切っているか。

いちばん男の色気を感じるのは「指」だとか。


とまあ何だか面倒な事だ。20代で彼女がいない男が70%以上だというではないか。若いうちに遊んでおかないと人間修行不足で人を使う立場には立てない。また、大きな仕事を成すことは出来ない。



明治維新を行った男達はみんな遊び人であった。坂本龍馬、高杉晋作、伊藤博文、井上馨などは差しずめ四天王だ。男にモテない男はまず女性にはモテない。

女性の母性本能はちょっと不良がいいらしい。私の様なすっごい不良は一部の理性的持ち主か、男に尽くすことが生き甲斐の堕落論的生き方の女性か、私が付いていてあげないとどうしようもないというマリア様的な女性しか近づいてくれない。


信じる者は救われたいと思っている。アーメン、ソーメン、冷ソーメンとオヤジギャグを小さな池の鯉に向かって話しかけている。おい、なんでこの頃の若者は遊ばないんだ。


吉原にお気に入りの女性が出来て会社に出て来ないとか、新宿にゾッコンの女性が出来てサラ金地獄で人質にされているとか、錦糸町に命をかけたい程の女性が出来て博打に手を出しついにイカサマが露見して足腰立たなくなって入院しているとか。20代の内にそんな得難い経験をしてほしい。


現代絵画のカリスマ、故今井俊満は72歳で亡くなるまでに世界数十カ国の女性と関係を持ったという。

常日頃、私は一日の内8時間はSEXをし、8時間絵を描き、8時間は寝たという。

愛し合った女性の数およそ5千人。ドエライ先生だ。


精力絶倫、前人未踏、腰痛撃退、絵なんてものは早く描く事が先生の心情、ピカソもビックリの先生。

フランスの文化勲章をもらってしまった。今も日本の若い女性に抜群の人気を誇っている。



オカネ下さ〜い。絵を買って下さ〜い。おねがいで〜す。先生の息子、アレクサンドル今井画伯の日常挨拶語、あの三国連太郎さんは人と会ったら必ずオカネを貸してくれよといったとか(今は分からない)何しろモテモテであったからオカネが必要だったのだろう。


モテル男は歩くモーテルという位火宅の人である。与謝野鉄幹などは横綱級だ。

そんな亭主を持ちながら十一人の子供を育てその間「君死に給うことなかれ」とか「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君」なんていい詞を書きまくった。もの凄い夫婦だ。


若者よ遊ぶ金なら私が一生懸命働いて少しは貸してあげる(出世したら返してね)ドンドン来てくれる事を待つ。


君たちがこれからニッポンをつくるのだ。

2011年7月12日火曜日

「日本四大悪女誕生」

「あんた泣いてんのね、だから言ったじゃないの」と歌ったのは落下傘スカートを広げていた大歌手「松山恵子」、

歌の名は「お別れ電話」だ。



いま日本中が菅直人と菅伸子という夫婦総理にむちゃくちゃにされている。

この夫婦は一昔前なら許されない従兄弟同士の近親夫婦なのだ。いにしえの頃から夫婦とは赤の他人、偶然出会った仲であった。それが証拠にかつてはお見合い結婚の方が多かった。菅夫婦は従兄弟同士という血の近い同血夫婦なのだ。

だから普通の感覚では計り知れない絆で結ばれている。


人の顔を見ない男、目が泳いでいる(裏業界ではキョトった目で盗っ人の目といわれる)人と話すことができない、決断できない、立っては外に出て怒鳴り、喚き散らし、戻ってきては人が話しているのに2台の携帯を見たりいじったりする。


私が会った政治家の中で最悪NO.1の男だ。

そんな男に700人もいる政治家が首を落とせない。仙谷由人、岡田克也、枝野幸男、玄葉光一郎、野田佳彦、前原誠司らはすっかりサジを投げられ、ナメられ、コケにされ自分達の子分である蓮舫、松本龍(親分なし)、馬淵澄夫、長妻昭たちが次々と破門にされたのに解散が恐いと沈黙している。全くケンカ下手だ。


菅は大嫌いだったはずの官僚にすっかり腑抜けにされいまやホモと化した阿久津幸彦、寺田学、加藤公一の3人の話しか聞かない。そして最後は悪妻の命令に従うという訳だ。(浮気がバレて以来頭が上がらない。)


日本三大悪女と言えば日野富子、北条政子、淀殿であったが後世に菅伸子が加わり四大悪女となるであろう。

九州電力のヤラセメールなどは大相撲の八百長と同じで当たり前、調査会社ほどいい加減な会社はない。又、タウンミーティングや世論調査等はみんないい加減、ほとんどヤラセだ。仕出し屋がガヤと言われる人間をインターネットで雇いヤラセるのだ。信じる者は救われないのだ。3千億集めた義援金は未だ20数%しか被災地に届いていない。

私の125,000円を返せといいたい。


いつの間にか電気予報や放射能予報が当たり前になっている。会社は暑いがスタッフはじっと我慢している。私一人がガンガン冷房をなんて言ってシラーとされている。結局9500円と5000円の扇風機を2台買った。

こうなると天誅を下す者をと思ったりするがテロリストたちもすっかり暑さでヘバっている。こうなりゃ私がと思うがアチコチ痛い。全くダラしない始末だ。若かりし頃は錆びにナイフでも人は殺せるなんていっていたのに。


そう言えばむかしパルコの広告でいい言葉があった、それは「ナイフで切ったように夏は終わった

果たして菅直人、伸子なる厚顔無恥な権力亡者同血夫婦をこの夏中にスパッと切る事ができるか。

それにしても官僚たちはズルく、シブとく、コスからく、セコク食えない東大法学部卒の串団子達だ。


政治とは「言葉なり」という。誰か一人歴史的名言を残して首をとりに行こう。

かつて秦の始皇帝の首をとりに行った刺客荊軻の様に。だがその荊軻は・・・・。


中国では大英雄なので調べてください。日本でいえば唐獅子牡丹の高倉健でしょうか。

名セリフは「死んでもらいます」だ。

「もしや、もやし」



新しい病原菌O-104のもとはドイツ産の「もやし」ではとの疑いがもたれた。

どいつが言い始めたかは判らないがドイツ産ではないらしい。

しかしこの「もしや、もやし」ではどうやら違ったらしい。


この世はこの「もしや、もやし」的疑いで成り立っている。人は人を信じず、人は人を疑うのである。

もしや浮気しているのでは、もしや裏切るのでは、もしや競馬の大穴を当てられるのでは(宝くじなども)もしや役員になれるのでは、もしやあの女性は自分に気があるのでは、「もしや、もやし」気が付けばもしやの如くとなっている。


この「もしや」にだって十分な言い訳はある。

同じ野菜市場から出荷されても、あるもやしは立派な鉄板焼き屋さんで大切に扱われ、ある「もやし」は冷やし中華の中でその存在を誇示している。だがある「もやし」は料理下手な奥さんのレバー炒めとなりクタクタになるまで炒められたり、豆板醤とジャンジャン混ぜられヒドイヒリヒリ感にさらされたりする。

もやしそばでは主役であったりするが、担々麺やタンメンに入れられると脇役に回り、長崎チャンポン等に入れられると完全にちゃらんぽらんな存在になってしまう。


もやしっ子といえばかなりネガティブな子であり、もしやと思えばかなり期待の星であったりする。

食生活が豊かになった現代ではもやしっ子は随分と少なくなった。


学校を出て新人として会社に入る始めの内は相手にもされないが、もしやの才能を発揮しだすと先輩はその才能に嫉妬し、何やかんやとイジメをしだすのだ。女性の嫉妬は悪い気持ちはしないが男の嫉妬ほど始末に負えないものはない。

特に男が女性に与える嫉妬心は犯罪的であったりする。

インターネットにはとんでもない映像が溢れかえっているらしい。

韓国の女優達はそれによって自殺したリするという。アイラブユー、ユーラブミー等といかがわしい事をしたりするとあっという間にその時の映像が世界中に出回ってしまう恐い話なのだ。


「もしや」と「もやし」ネットカフェは満杯、陰湿なパソコンマニアがあなたを狙っている。

タンメンの中のもやしの様に人民の海の中にいる。


先日まで渋谷東急文化村の入口の前のビジネスホテルの狭い一室に居た。

その奥は有名な円山町ラブホテル街、1階のちっぽけなイタリアンレストランで深夜一人でビールを飲んでいると窓越しに様々なカップルがホテル街に消えて行く。いかにも上司と部下風、いかにも教師と教え子風、いかにも不倫風、いかにも教授と編集者風、いかにも、いかにも、いかにもである。




東電OL殺人事件はこの円山町で起きた。昼は東京電力のキャリアウーマン(39歳)、夜は変身して客をひろう立ちんぼ、エリートの親に対する反抗であったというが本当の事は判らない。有罪、無罪を繰り返し結局無期懲役となったネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリは、今獄中にいる。「神様私はやっていない」のゴビンダの声が大きく法廷に響いたという。

両親が自分の娘に対し、「もしや」も「もやし」も感じなかったのである。


皆さんお気を付けて下さい。何!もしやだって!

2011年7月8日金曜日

「無頼にあらず」


その日私は渋谷東急文化村の1階ギャラリー脇のラウンジにいた。

知人や友人や後輩と一緒であった。「昨日の情熱大陸みました?」と聞かれたので、「ああ、ホテルの一室で見たよ、伊集院静だろ」と答えた。


格好良かったですね無頼派はと後輩。

うちの女房達が格好良かったと友人が言う。私は応えた。何言ってるんだ、大体広告界では使い物にならなかったコピーライター上がりが小説を書いてその気になっているんだ。

例えば林真理子や石田衣良、山本一力等その数たっぷりだ。「無頼派」を名乗るにはちょっと役不足だ。織田作之助、壇一雄、坂口安吾、太宰治たちと比べようがない。


まず無頼派は「山の上ホテル」等の高級ホテルを定宿にしない。

まず無頼派はグリーン車に乗って女房の待つ家になんて帰らない。

まず無頼派は、君飲み代持ってるの?風俗代持ってるの?なんて優しい声を掛けない。

まず無頼派は何本もの連載原稿を抱えたり数多くの講演等をしない。


気になったのは麻雀大好きという割りにはその手捌き、牌のツモリ方が素人だ。

私のように麻雀で生計を立ていた。プロから見るとモーパイ(手で触っただけで判る)が出来てなくツモってチラッと牌を見る仕草は勝負に弱く、気の弱い打ち手がやる事だ。

無頼派を名乗るには、1.女性にたかって生きる、つまりヒモになる。

.あちらこちらに女性を作り火宅の人となる。

.人の金の事など気にしない(何しろ金が無いのだから)

.気の利いた家などにすまない。自分の名入りの原稿用紙などを使わない。

.美人芸能人などをナンパしない(金がかかる)

.毎日ファッション等に気を遣わない。


等々、無頼派は駄目な、どうしようもない、救いようのない、金もない、ないないづくしでないといけない。徹底的に堕落した男のみに与えられる名誉ある称号なのだ。

まだ未熟の徒、「本物の男」とはとか「大人の流儀」とかを書いて出版社のお先棒を担いでいては何おかいわんやだ。そもそも無頼派は「私は何故モテルのでしょう」等という様な最低な言葉を発しない。


何より無頼派は文章が上手くないといけない。もっともっと遊んで月謝を払わないと行けない。

すってんてんになるまで。一度や二度はヒモになった女性に刺される位でないと駄目なのだ。


同居した女性や家族、借金を踏み倒した友人知人、ツケを払わないお店に蛇喝の如く嫌われる。

だがしかし決定的には捨てられない何かがある。この「何か」が無頼派の魅力なのだ。残念ながら私は無頼的ではあったが遂に無頼派にはなれなかった。まるで役不足であったのだ。

何しろ人から奢ってもらったり、人から金を借りるのは大の苦手なのだから。(つまり見栄っ張りなだけ)


人から聞いた話だが伊集院静氏は大変な筆マメで手紙や礼状をしっかり書く男だと聞いた。それは時として巻紙?であったという。まてよならばやっぱり人たらし。モテルかも。

2011年7月7日木曜日

「節電の日に歌う人」

7月1日電力使用制限令開始の日、何処へ行っても節電だらけ、だがその節電の本当の意味はちゃんと説明されてないから分からない。こう節電すればこうなるのといってくれないからだ。



午後10時40分赤坂のクラブに久々に顔を出した。

わたしたち二人、店内は薄暗くマッタリ。十人座れるカウンターに60代前半のお客二人、半円のボックスに私達二人、二つの小さなボックスにお客さん一人、60代後半。ママ一人、背の高い女の子一人。モンペ+ブルマー風ファッションの若い子一人。



ボーイッシュな女の子だ。ビールを一杯飲み干すと突然聞き慣れた音楽だ。カウンター右の60代が歌う。

「美しき十代」三田明のヒット曲だ。節電と美しき十代、妙な気分だ。

で、次に「学園広場」舟木一夫だ。おじさんすっかり青春ど真ん中へ、以下西郷輝彦、橋幸夫、ホステスさんとデュエットで「いつでも夢を」と続く。その間を縫って私の斜め前のおじさんが心を込めて「釜山港へ帰ろう」ときたもんだ。パチパチと消えそうな線香花火の様な力ない拍手。で、次に「珍島物語」。アッチの人じゃないのとコッチの人に聞くとアッチの人じゃないけどアッチでの遊びが好きな人なんだと。ジャンジャジャジャーンとカウンター左の人、始まりました。名曲「奥飛騨慕情」次に背の高い女の子が五輪真弓の「恋人よ」あーあ頭が痛くなってきた。


この日一緒の男と難しい話を長くしていたので野口五郎のなんとかという歌を聞く頃には頭が完全に消灯してしまった。

何しろ節電の日の割りにはおじさんたちは週末十分充電していたのだ。


充電といえばあの事件から7ヶ月、暴力振りまくりの海老蔵が無罪放免で舞台に立って見得を切る。いよ!日本一とかさすが千両役者だとか。一方不良少年上がりのリオン君は恥をかかされた先輩のために懲役へ。名門の出と不良の出の違いとはいえ不条理ではないか。法は平等でないといけない、ケンカは両成敗と古来より決まっているのだから。


どんだけ大金が動いたかは分からないが私はやっぱり海老蔵君とリオン君が一年くらい同じ房の中で生活して肩を組みながら「高校三年生」とか、「修学旅行」なんかを歌ってほしいと思うのだ。そして二人揃ってもう灰皿でテキーラなんか飲んでケンカするのは卒業しようと誓い合ってほしいと思うのだ。



海老蔵が堂々と見得を切る。その目の前に海老蔵が送ったチケットで来たリオン君がいる、目と目があう。緞帳が下がってくる。コレで一件落着だ。

2011年7月6日水曜日

「時給は6円位」

去る6月2日から8日まで渋谷、東急文化村で「あかるい鬱展」という企画展を行い多くの方々がご来場してくれました。

テレビを見たからという人、FMラジオを聞いたからという人、渋谷駅でポスターを見たという人。

新聞や雑誌を見たという人。

トイレに行こうと思って通りがかり「あかるい鬱展」とは何じゃい、ちょっと見てみるかと言う人(若い人たちが多かった)、

鬱で悩んでいる人、周りにいる人、かつて苦しんだ人、人、人、そのご家族やご友人達様々に鬱の今がありました。



1000冊作った図録は販売しなかったので多くの方々が是非にとノートに書いて有りました。

現在対応を考えています。私はあれがよかった、僕はあれだ、俺はあれ、あたしはあれよとそれぞれでした。9日間文化村入口前のビジネスホテルに泊まり込み、連日オープンからクローズまで会場におりました。取材もたくさん入りその対応をしている内にお世話になった方たちにキチンとした対応が出来ず申し訳なく思っております。

また、会いたかった人が知らない間に来てくれていて会えずに残念でした。


初日のレセプションは予定の3倍となりテンテコ舞で色々と不手際があり反省しきりです。

成功したか否かは私が決めることではないのですが、スタッフ一同全力を尽くしました、ただいまやっと事後処理の7〜8割を終え、ど、ど、ど、どっと疲れが出ています。

しかし充実した疲れでした。足、腰、肩、首は鉄板の様になっていました。

アチコチからもう一度開催出来ないかとの問い合わせがありましたが今はとても無理なのです。

信用金庫から少し借金でもしようかと思ったので、申し込むと貸付係の課長さんと担当の若い人がレセプションに来てカメラでパチパチ撮っていました。なんでも上司に報告するとの事でした。私は嘘を言ってない事が山ほどの超一流の人達を見て安心した様です。もう一回分借りるかもと言ったらとんでもない、いい加減にしてよと山妻に言われました。

生きていると夢ばかり追ってお金ばかりかかります、私があの世に行った時は決して鬱ではなく、この世では夢が追えないからです。世の悪人の誰を道連れにするかを夢見てます。「天誅」ではなく「夢誅」です。ちなみにジャーナリストの鋭いペンで書く体制批判は「筆誅」といったが今はこの国にまっとうなジャーナリストはいません。

本当にこの国は滅びるかもしれません。みんなお金儲けばかり考えているからです。

ちなみに刑務所に入ったホリエモンの労役の時給は6円位、いい勉強になるはずでホリエモンの「後の門」を掘る人は誰でしょうか。必ず洗礼を受けねばなりません。でも刑務所内では愛をお金で買う事ができます(お金のことをツルといいます)。ホリエモンはツルを山ほど持っているからきっと気持ちいい毎日を送れるはずです。

す。

2011年6月14日火曜日

御礼

6月2日から8日まで渋谷東急文化村ギャラリーに於いて開催しました「あかるい鬱展」を無事終える事が出来ました。

連日様々な人、人、人でした。

これからしばらくは事後処理に時間を取られます。ブログは7月1日より再開予定です。



それにしても「鬱」で悩む人のなんと多い事かを改めて知りました。

殆どの人が「鬱」って文字もこうして見るとあかるいね、楽しいね、素晴らしいねと言ってくれました。

教授、博士、カウンセリングの先生達もこれこそ本当の認知療法(自分で何か出来た事で自信を付けていく)の見本だと言ってくれました。


一人でも多くの方が何かを掴んでくれたとしたら「私はとてもあかるい気持ち」になれるのです。