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2012年2月16日木曜日

「0点」


読売新聞夕刊より

読売新聞夕刊より


東京ゲートブリッジ開通。
誰が設計したのか極めて不細工な形だ。

2月13日(月)読売の夕刊を見るとその開通した斜めの右下にGDP年率2.3%減の折れ線グラフが載っている。よく見るとまるでゲートブリッジと同じ様だ。
左右対称にこの折れ線グラフを配すとそれは決定的な程似ているではないか。

全く縁起の悪い不景気の象徴の様な橋の開通である。
きっと名ばかりのコンペティションを行い筋書き通り発注を決めたのであろう。
写真には富士山がクッキリ写っている。日本のシンボルが見届ける落ち目な橋の形なのだ。

日本の橋は造る度にお粗末な形となって来た。
曲線を取り入れると予算がかかるのか、みなおしなべて直線的でギスギスとしている。
橋の設計家の心もきっとギザギザハートなのだろうか。

折角富士山を望む事が出来るのならその富士山と一体となったまるで絵の様な美しいラインを生んでほしかったのだ。葛飾北斎ならどんなゲートブリッジを生み出したであろうか。
私の採点ではほぼ0点の作品だ。

2012年2月15日水曜日

「佐渡と靴」


※写真はイメージです


佐渡島といえばまず金山を思い出すはずだ。
次には流刑、島送りだ。そして美空ひばりの名曲「佐渡情話」だ。

深夜一人で聞くと体中に人を恋する想いが寄せては返す、波の様に伝わって来る。
つい一杯、又、一杯となる。酒は旨い、ひばりはもっと上手い。

その佐渡に震度5強の地震が来た。
小さなホテルの一室、手を伸ばせば何もかも操作出来る部屋に泊まり込んでいた。
部屋に入りTVのスイッチを探す。どか雪が降り注ぐ中、地面が揺れた様だ。

その瞬間私はある女性を思い出した。
その女性は新橋の靴磨きの人、SLのある場外馬券場の側でずっと昔から来る日も来る日も(休曜日以外は)ひたすら人の差し出す靴を磨いている。
隣には言葉がよく喋れない中年の男性がいる。バックスキンの靴はこの男性に磨いてもらう。

女性は一度NHKでドキュメント取材された。
夫を早くに亡くし靴を磨いて子供達を育て上げた。
一度義姉の葬儀(法事かもしれない)に佐渡に帰った時、佐渡の夜空はこんなにも美しかったかと初めて思ったといっていた。ずっと靴ばかり見ていて空を見上げる事がなかったと。
東京の空は見るに値しないと。

今日もおばさんはずっと靴を磨いている。
トキドキお世話になる。話をすると凄いインテリでユーモアがあり話が上手であった。
1回五百円。恐れ多い女性だ。年の頃は7578位だろうか。


2012年2月14日火曜日

「岩波大嫌い」




それをいったら終わりだよ」といったのはフーテンの寅さんだった。

我が社はコネのある人しか入社させません。
と、予め宣言した企業が出版界の名門岩波書店だ。
確かに大手から中小企業迄コネクションは有力な採用基準になる。
始めから入社させる事のない真剣な若者と面接するのは苦痛以外何物でもないだろう、だがしかしそれをいったら終わりなのだ。

「あーもしもし頭取かね、いや〜いつもすまんが知人の娘さんでね、とてもいい娘なんですよ」と電話口で喋っているのはある大物代議士だ。初めてその個人事務所に打合せに行くとことさら熱心に話を続ける。
そして、いや〜いろいろ大変でねなんていってコンビニのサンドイッチかなんかムシャムシャ食べる。

後でその代議士の知人に聞くと、あれはいつもの手なんだよ、初めてくる人間に自分を大きく見せる為に演じるんだ。
相手は頭取、会長、社長、教授、先生と使い分けるんだとか?どうりでクサイ芝居に見えた訳だ。
だがしかし何人かは本当に入れているはずだ。

岩波書店の言い草を聞くときっと文部科学省とかのコネで新入社員が決まっている訳だ。
バカヤロー、学生さんをナメんなよといいたい。出版人の矜持は何処へ捨てたかといいたい。
もう岩波は読まない。(元々難しいから読んでネェーけんど)

2012年2月13日月曜日

「行為のススメ」




1192年鎌倉幕府成立、この頃の人口は約760万人。 
1603年江戸幕府成立の頃約1200万人。 
1868年明治維新が起きた頃、約3400万人、そして2000年には約13000万人。
130年で9000万人以上増加した事になる。

が、2004年をピークに日本の人口は減り始めた。
出生年率を1.26とすると2100年頃には約4800万人位になってしまう。 
1.06とするとなんと約3800万人。その内約40%が65歳以上の高齢者となっているのだ。

この数字が何を意味するのかは明白だ。全ての産業がお終いになってしまうのだ。
どこもかしこもガーラガラ、スッカラカンになっているのだ。元々日本の人口は国土に比べて多すぎたのだ。
戦争ばかりやっていたので子孫を残すためにひたすら子供作りをした結果なのだ。
戦争状態になると人間の動物本能が働き子孫を残すために女性の卵子はバンバン生まれ、又、男の精子は生死をかけて健気な受精の旅をするらしい。

国を守るためには若者達が行動しないといけない。どんどん結婚をしないといけない。更に行為をしないといけない。
そして元気な赤ちゃんを頑張って産まないといけない。古来より1人では食えないが2人になれば食えるというではないか。結婚こそあらゆる産業を守ってくれるのだ。

こらーそこの若いの、1人で何をやってんだ、この意気地無し。

2012年2月10日金曜日

「猫と脱腸」


※写真はイメージです


猫は何で走るのか、本来猫はお皿の上の魚をパクッとクワえて走り去る時位しか走らない。
美人の膝の上にのんびりと座り、我が輩は猫であるとイバッテいるのだ。

ところが「猫ひろし」は大きな夢、ロンドンオリンピックに向かって走る、走る、走るのだニャー。2時間31分を切ればオリンピックへ行けるかもという。
カンボジアに国籍を移し遂に2時間3026秒でクリアした。
なんとも頼もしい猫であった。金メダルも夢ではない。

かつてキャットフードのCMを制作した事がある。
袋入りのドライタイプと缶詰だ。今と違ってCGのない時代、スタジオの中でジーッとお猫様が美味しそうに食べるのを待つ。一日、二日、三日。
とにかく大の大人が固唾を飲んでお猫様を見続ける。

なかなか上手くいかないのだ。
オッ食べたと思えばドライタイプの山がボロボロ崩れてNG。
オッヤッターと思えばウェットタイプの缶詰に口を入れすぎでNGとなる。

ともかく撮影で一番手こずるのは、猫や犬や鳥などの生き物と赤ちゃんだ。
赤ちゃんは三人位をスタンバイしてスタッフ全員がサツエイデチュヨ、タノンマチュヨ、コンヤモカエレナイデチューと赤ちゃん言葉になるのだ。

と、ここまで列車の中で書きながらひと休み、夕刊紙をパラパラと見ると何!あの玉置浩二がダチョーンと脱腸(鼠径ヘルニア)の手術をしていたとか。
レコーディング中、気合いを入れ過ぎて腸が飛び出てしまったらしい。
精力絶倫を語るミュージシャンとしては何とも絞らない話ではと、玉置浩二支持者としてはダチョーンなのであった。(当然日刊ゲンダイ)

2012年2月9日木曜日

「鴨と鴨」




私の仕事場の直ぐ側に長寿庵というお蕎麦屋がある。
そこの「鴨せいろ」は大人気、ウルトラ人気で昼はいつも満杯。それを楽しむためによく行く。

「鴨」といえば「鴨長明」といえば「方丈記」だ。
有名な「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」原稿用紙にしてわずか25枚ほどの中に今我々がどう生きるかの心があると、福島県三春町にある福聚寺の第三十五世住職にして芥川賞作家の「玄侑宗久」さんが方丈記を訳し、「無常という力」という本にして新潮社から出版した。
方丈記とは五畳程の広さ、天上まで2メートルほどの住まいの中で書いた日本三大随筆の一つ。他に「徒然草」「枕草子」だ。

最上の味の鴨せいろをすするが如く、名言が河の流れの様に一行一行極上の味で入ってくる。
故あってその玄侑宗久さんに会いたいと願い新作二作を読んだのだ。

この全長123頁の言葉の河には大学一個分以上のいい教えが書いてある。
重大な危険から身を守るには住む場所は小さい方がいいのだ。
ヤドカリでいいのだ。魚は水に飽きず、鳥は林に飽きずとか。なるほどザ・ワールドなのだ。

是非ご一読をオススメしたい。(1100円)

2012年2月8日水曜日

「働け」



まったり、ぐったり、ひっそり、しみじみ、どんより、着ている服は黒、灰色、茶色系。

顔に艶なく、髪は手入れ無し、靴に輝き無く口から言葉はない。
コンクリートの中の喫煙コーナーにはヤニの臭いと煙が彷徨っている。

手には競馬や競輪の予想紙やスポーツ新聞、赤鉛筆とチューハイや第三のビール、これが定番だ。ボクシングの聖地、水道橋の後楽園ホールに試合を見に行く。

その時その下にある場外馬券売場の光景だ。
光景といっても光は決して差し込まない。体から闘志も熱気も感じない。
人生のリングの上で戦う意欲を失っている。この頃会社員風が多いのは当然だろう、リストラされた人間には必ずリストラされなかった人間との違いがある。

お金にルーズ、時間にルーズ、約束にルーズ、女性にルーズ、又家族や友人、親からも見放されている。闇金やサラ金を渡り歩き汗をかかずして1000円を100000円にとか。10000円を1000000円にと一発を狙ってコンクリートの階段にぺったりと座っているのだ。

働ける五体を持っているのに何故働かないのだ。
ギャンブルのコツはやらないことが絶対に負けない唯一の方法だ。しかしかつて競輪場で聞いたジャンジャンジャンの鐘の音は今でも忘れられない最高のパーカッションだ。

2012年2月7日火曜日

「ヒマつぶし」


写真はイメージです


招請教授、客員教授、専任教授、臨床教授、特任教授等々世の中に教授が溢れている。

で、この人達は何をしているかといえば殆ど名ばかり、肩書きばかりの人が多いのだ。
一年に一度か二度講義するだけでほぼOKなのだ。

学生達が減り学校に魅力がなくなっている昨今。
ケーキの上にちょこんとのっている赤いイチゴみたいな目を引く色合いが必要なのだ。

当然熱心な○×教授や□△教授も多い(ごく少数だが)我々の業界でもめっきり仕事がなくなると自分の出身校などに行って自分を売り込むのだ。何しろヒマなのだから。

「オイ、あいつ大学の客員教授になったってよ」「そうかそうだろうな、あいつはイバル、タカル、手を出す?セコイ、ネタム、グチル、とことん人を利用してきたからな」「今も人の会社に居座っているらしい、タダで」こんな人が教授だなんていって教壇に立つ。被害者は学生さん達でたまったもんじゃない。

壊れたテープの様に過去の成功話を繰り返す(ヒマつぶしに)。
私に教授の話が来たことがあるのかだと、よしてくれ俺はそれ程馬鹿でもヒマでもないのだ。

2012年2月6日月曜日

「食い尽くされるな」




イーグルスの「ホテルカリフォルニア」のライブ盤を聴いたのは1976年だ。 
AIWAのラジカセのポスターの撮影でLAのズマビーチにいた。

こんなフレーズが歌詞カードにあった。
「ようこそホテルカルフォルニアへ、ここはいい人ばかりです・・・。ここにはいつでも入れますがチェックアウトは出来ません・・・・給仕長にピンクのシャンパンを頼んだ・・・。1969年以来ここには酒(精神)は置いてありません」と。

この曲はベトナム戦争が終わりアメリカは物質文明の中に奥深く入った頃を歌っている。
酒、ドラッグ、SEX、暴力、精神の荒廃、人間性の衰退。

イーグルスのサウンドはズマビーチ風の中で全身に染み込んだ。
今、ニッポンは長引く経済戦争から来る重度の疲弊、格差社会での諦め、希望無き無力感、脱力感の中にいる。
精神の置き場所がなくなっているのだ。放射能への強い懐疑、予告された大地震への恐怖。

チェックアウトの出来ないホテルの中にいるのだ。
非常口に行く事さえ出来ない。ホール&オーツの名曲に「マンイーター」というのがある。
その曲のキーワードは「食い尽くされるぞ」だ。

ダリルホール&ジョンオーツは全米NO.1からどん底へ、そして又、NO.1へと落差を繰り返した。
日本国の我々は無能な権力者に食い尽くされたそうだ。増税、増税でイキがゼイゼイする。
怒りを表さないといけない。

エジプトの春は1人の若いラッパーのメッセージから始まった。
命懸けのラップであったのだ。大地に桜は咲いても心の中に満開の花は咲かない。
しかしネバーギブアップだ。深夜イーグルス、ホール&オーツ、クイーンを聴いている。



2012年2月3日金曜日

「あきらめが肝心」

 


「タニタ」体脂肪計の大手メーカーである。
この会社の社員食堂のレシピ本が400万部を超えたらしい。
書店に行くと学食、病院食、ダイエット食などのレシピ本がブームを呼びコーナーが作られている。
ブームは直ぐ終わる、コンニャクもキャベツも。読者の殆どは若い女性かあきらめの悪い中高年の女性だ。
目的は勿論ダイエットだ。
若い人はともかく、506070代の女性が必死になってダイエットに励む姿は痛々しい。

ハッキリいって今更間に合わないよといいたい人が多い。
丸大ハムの様な体になってからウィンナーになるのは難しい。

こんな学説がある、中高年になっての粗食ダイエットは万病の素、つまりカロリー恐さに動物性タンパク質を減らすと体の代謝が落ち、かえって肥満になるらしい。疲れやすい、冷え性、肌荒れにも。

あたしダイエット中なのといって、和食中心、ご飯におひたし、お豆腐にアジの開き。
でもゴマ系ふりかけをかけまくるとまるで効果無し(ゴマは油だから)。
ちなみに沖縄系女優、特に黒木メイサは超肉食のみとか。