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2012年3月5日月曜日

「熱海の夜」




「思案橋ブルース」「ギターを持った渡り鳥」「ブルーシャトウ」「網走番街地」「赤色エレジー」「自動車ショー歌」「女の操」「女の道」・・・「熱海の夜」と続く。

三月二日夜の熱海、旅館の名は「立花」。
そこのカラオケルームでのザ・ヒットパレードだ。
平均年齢六十歳と少し、五人の男が熱唱し合った、金曜日の熱海はひんやりと寒く街はひっそりとしていた。
早咲きの梅も桜も未だ観光客を喜ばす事が出来ない。寒さのせいらしい。

3.11以後すっかり宴会がなくなったという。
尾崎紅葉の名作“金色夜叉”、貫一とお宮で有名な“お宮の松”のところにあった大きな旅館が消えて無くなっていた。
たしか“ツルヤホテル”であった。以前社員旅行で来た時はウンザリする程人が居たのを覚えている。

人生の半分を共にし、苦楽を味わってきた友達との夜は、お宮が目を眩ましたと貫一が怒り、足蹴りをした原因となったダイヤモンドやお金より価値があったのだ。復讐の鬼と化した貫一はやがて高利貸しになる。

鯖の干物一枚、鰺二枚、烏賊一杯、粒雲丹一瓶をお土産に買って帰った。親友ほどいい味はない

2012年3月2日金曜日

「矛と盾」




アフリカのカメルーンという国に「バカ族」という原住民がいる。

バカにしないで欲しい。ホントの話。
このバカ族はほんの少し前までお金というのを持たずに暮らしていた。
狩猟してきた動物や食物はみんな平等に分配しあう。実に平和的であった。争う事もなく生きて来たのだ。

そこにお金をというのが入り込んで来たのだ。
このお金ほど争いを生み、人と人を分断するものはない。
バカ族の中のお利口さんは木の実やカカオの身を売る事をしはじめた。

そして得たお金で更にカカオを生み出しはじめた。今迄平等に分配していた生活に格差が生まれはじめた。
お金を知らなかった子供達はお金があればお菓子を買える事を知った。
そして大人になったら大きなカカオ畑を持って家を建てたいという様になった。

木の実を売って得たお金で石鹸を買えるようになった。
妻は喜ぶ初めての石鹸の香りと泡に。世の中右も左も、天も地も、金、金、金だ。
やがて地球の人口は90億を超し、100億人を目指す。地球上の環境は全て消えて行く。
そして動物も果実も食料も生き物も全てを食べ尽くして行く。イナゴの大群が全ての稲穂を一瞬にして食べ尽くす様に。

少子高齢化の日本には中国、アジア、アフリカ人がドンドン入って来る、そうでないと産業や商業は成り立たない。
金という魔物を生んだ人間達は金という魔物に殺される運命に直面する。
ホームレスでさえ餓死などしない世の中で小さな子供がお腹を空っぽにして餓死していた。

ご近所もお隣も知ってか知らんぷりか無関心であった。これからきっと無関心社会は進化し広がって行く。日本には向こう三軒両隣という助け合いの心があった。今は金にしか関心はない、ああ無情だ。バカ族がこれからどうなるか心配でならない。

2012年3月1日木曜日

「俗悪なモノ」



テレビという媒体は最も凶悪な武器となる。

特にワイドショーというのは最悪だ。
何処のチャンネルもひたすらオセロの中島知子と女占い師(霊能者)でてんこ盛りだ。
ついこの間まで仲間だった中島知子の不幸をこれでもか、ここまでやるかと身も心もズタズタにする。
もし中島知子が自殺でもしたらどうすんだといいたい。

オセロゲームは一瞬にして黒から白に、白が黒にすっかり変わってしまうが、テレビというのも一瞬にしてヒーローを傷だらけにし、スターをボロボロにしてしまう。日本には武士の情とか惻隠の情というのがあった。
困っている人、弱っている人には手心を与えようという美意識なのだ。アホ、バカ達がストーカーよりしつこく調べまくる。何を食ってようが、どんなソファーに座ってようが、路上でキスしていようが、ホテルにしけ込もうが、ホモだろうがゲイだろうが同性愛だろうが、不倫だろうがいずれ本人達がケジメをつけなければならないのだから勝手だろっていいたい。

芸能人とかいう人達は余程我慢強いのかどんなくだらない質問や俗悪な行為にもグッと我慢する。
一人位フザケンナとレポーターをボコボコにするとか、半殺しにするとかして芸能界ハイ、サヨナラという人間が出て欲しい。

私が若い頃、勤めていた会社でこんな事があった。
口うるさい上司が私生活や恋愛の事までネチネチ毎日いっていた。
ある日の午後、又ネチネチが始まった時、バカヤローと大声を発して上司を殴り、倒れた体に馬乗りになりボコボコにした。上司のアゴは割れて完全気絶、そしててめえの顔なんか見たくねえといって辞表をたたきつけてすっぱり辞めてしまった(その人は誰でしょう)。

その間誰も止める人はなし、女子社員は給湯室で拍手をしていた。
その内私もああだ、こうだといっているからやられるかもしれない。但し私は必ず反撃をする習性を持っている。
その上司は反撃する事が出来なかった。病院送りになってしまったからだ。

中島知子よ、人は悩み多き生き物なのだ。
占いだろうが、風水だろうが、おみくじだろうが頼れるものは頼ればいいんだ。
そして落ちるところまで落ちて又頑張ればいいんだ。何かひと言歴史的な言葉や歴史的行動を残せば又オセロゲームの様に一気にスターになるのだ。そんな安直な世の中なんだ。占い師の首玉でもわしずかみにして持って出てくりゃいいんだよ。井上陽水の歌でも唄いながら。

2012年2月29日水曜日

「さようなら原田芳雄さん」

 


映画界の栄誉ブルーリボン賞が先日発表となった。
どの作品にも、どの役者さんにも敬意を表したいが、アカデミー賞の作品群と比べるとやはり現在の日本映画界の低迷を感じずにはいられない。

100歳目前の新藤兼人監督は私の最も尊敬している人だ。
「裸の島」「鬼婆」等は圧倒的作品だ。ブルーリボン監督賞の「一枚のハガキ」本人自身がきっと、この100歳の俺がなんでだと思っているのではと思う。

新藤兼人への敬意の形としたらそれは誤りだと思う。
新藤兼人は日本の映画界にしっかりせよと怒っているのだ。

竹野内豊の主演男優賞は「太平洋の奇跡」という作品。
一枚の赤紙で戦争に行かされた人の運命と過酷な戦場で部下の命を守ろうとした一人の指揮官の話だ。
何かこの頃戦争へのきな臭さがぷんぷんとする。
何で中学生に武道を必須とするのだろうか。

伊勢谷友介の助演男優賞は本物のボクサー以上の減量苦へのご褒美といえる。
彼は芸大出身であり様々な廃材を使い家具などを造りその売上をボランティアに使っているという。
かなり見上げた役者といえる。

その昔役者馬鹿という愛してやまない人たちがいた。
飲み、打ち、買うを徹底的に行わない、やがてスッテンテンのスッカラカンになってしまうのだ。
すっかり役者馬鹿がいなくなった。

敬愛していた原田芳雄さんが最後に遺した「大鹿村騒動記」はとても良かった。
そして原田芳雄さんは皆に愛されながらあの世へ逝った。松田優作と再会して一杯飲んでいるだろう。

作品賞は園子温監督の「冷たい熱帯魚」であった。“でんでん”の凄い、恐い演技は特筆ものであった。
園子温は人の目を見てしゃべらない、酒が入らないとしゃべれないという。人間の裏側を全身に染み込ませた様な園子温監督がこの頃一人勝ちだ。余程母親へのトラウマがあるのだろうか、女性への疑いがあるのだろうか。

私は今短編前3作の手直しと、新作一本を作りたいと思いバカバカしい止めとけという声と戦っている。
バカは死んでも治らない。

2012年2月28日火曜日

「灰とダイアモンド」




自民党総裁の谷垣禎一という人はいよいよ政治的センスというか歴史観がない。
まず何故政権交代が起きたか、何故不況が続くのか、何故1000兆円もの借金ができたか、何故少子高齢化になったか、何故日本に夥しい数の基地があり沖縄問題が永遠に片付かないか、何故大阪橋下市長あたりに人気が集中しはじめたか等の諸問題の源流を見れば全ては自民党支配から発生している事なのだ。

ある日の朝刊に民主党の党内対立は民主党の“宿痾”だと発言していたが、何をいっているのかといいたい。
賢者は歴史に学び愚者は今しか見ないという。過去の反省が出来ない人間に国の政治など任せられない。

自民党の政治とは党内抗争の歴史そのものだったのだ。
もはや自民党一党支配の政治に戻るという事はないだろう。
森だ、町村だ、古賀だ、伊吹だ、加藤だ、安倍だ等というシーラカンスか三葉虫の様な自民党政治の化石から何も生まれない。

若いリーダーよ、自らの体制を破壊せよだ。アンジェイワイダの名作「灰とダイアモンド」にこういうセリフがあったと記憶している。「革命は灰の中からしか生まれない」自民党の中にもダイアモンドはいる

2012年2月27日月曜日

「面白い言葉」


ようこそデニーズへ、入るとようこそデニーズへと若い女性が言った。

その日の午後、週刊朝日とサンデー毎日を持っていざランチ。
デミグラスハンバーグ&目玉焼き&ライス(これはかなりイケル)席はガラガラだったので陽の差し込む窓際へ座る。

パラパラと週刊朝日をめくるとオッという文字が入った。
これが何とも面白い。コラムニストはあの課長島耕作の弘兼憲史氏であった。

「パプアニューギニア」これが「パパは牛乳屋」。
音韻連想といって耳から入ると何やら似ている言葉、その中に傑作があった。
「春高楼の花の宴」は「回鍋肉(ホイコーロー)で腹が変」となり、「井の中の蛙(カワズ)大海を知らず」は「胃の中のオカズ、大概はシラス」となる。又、「驕る平家は久しからず」は「劣る性器は兆しあらず」となる。
これは65才の人からの投稿であった(すっかりダメになったらしい)。

おかしくて声を出して読む。
最後の作を読んでいると若い女性がデミグラスハンバーグ目玉焼きのせ&ライスを持って立っている。
君、この面白さわかるといってよせばいいのに、又声を出し読んだ。
若い女性はキッと睨み、すいません分かりませんと言われました。

2012年2月24日金曜日

「胸の谷間」




林真須美、木嶋佳苗。
ふっくら、ほっこら、ポッチャリ、大きな胸の谷間。
話し上手、ご愛嬌上手。
見栄っ張りで虚飾性が大、コンプレックスが強く絶えず人の視線を欲しがる。
金の為には人の命などは、一皿のカレーライス、一個の練炭位にしか思わない。


一人は死刑囚となったが、未だ無罪を主張している(そうかもしれない。決定的証拠がない)一人は詐欺は認めても殺人は認めていない(物的証拠がない)。

金は有る、しかし前途不安の後期高齢者にとって、たわわな胸の谷間は幼き頃の母の乳なのだろう。モテない、不器用、もう一度老人に春を、一日中メールを送るそんな悲しい男にとって口八手、手八丁、体八丁の存在は赤児の如く取り扱いが簡単であったのだろうかと思わずいられない。

「ユーロスペース」という映画館がある。
とても良質な作品を上映するがここに行く時は誤解を生む危険性がある。
その日、その映画館に向かって一人歩いていると、ポッチャリした派手な造作の中年女性とハンナリシンミリした75歳位のカップルがラブホテルの中に消えて行った。
アッチ、コッチでまあドッチでもいいのですが、快楽と死は背中合わせ。
命には十分気をつけて下さいと思うのです。

2012年2月23日木曜日

「スケベの素」




二月二十日(月)日刊スポーツ朝刊第十八面。

わずか13㎝×25㎝の中に世の中が見える。「スケベで不良が長生きする」という記事には、性欲が強い程、ガンや化学物質など生命を脅かすリスクから守る免疫力が強いらしい。イギリスの学者が調べたらしい。

スケベな人間は頭が柔らかい、図々しくて無責任、遊び心が人一倍強いから病気にも強いらしい。
又、総コレステロールは260/リットル以上ないと早死にするらしい。
コレステロールが減ると脳の神経細胞の働きがグッと悪くなり、スケベでなくなってしまうのだ。

「体液入り避妊具を知人の女性の車にかける」、福井県堺署の市職員44歳。
やってくれました、余程の事があったのか、単なる変態か、女性の車のノブ所に体液をかけてしまった。
間違いありませんと認めたとか。

「東洋経済編集長痴漢逮捕」日本を代表する経済誌の編集長46歳がJR京浜東北線の車内で20代と30代の女性会社員のお尻を触ってしまった。大森駅に突き出されてしまった。こちらは酒に酔っていて記憶にないと潔くないのだ。
この編集長、東京電力の再建に関しての問題点を追及していたとか。正義と痴漢との関係は紙一重なのだろう。

茅ヶ崎市に邸宅を構える72歳の会社の会長は、なんと新婚さんいらっしゃい、30歳位の美人女性には既にベビーが誕生、二人で仲良くベビーカーの姿は評判だ。勇気を与えてくれるではないかオッサン。

ただこのオッサンは私と同じ岡山県生まれ、少しばかり複雑な思いがするのだ。
まあとてもステキでスケベな東大卒という訳だ。グヤジー。

2012年2月22日水曜日

「穴のあるポッケ」




お金落ちましたよ、えっ俺?そうです私でした。

ジーンズのポッケに穴が開いて先ず一円玉、次に百円玉、その次に五十円玉と落としていったのです。銀座松屋のルイヴィトンのウィンドウの直ぐ横でした。

粋がって歩いていてとんだヘマであった。
小銭入れを持たず、いつもズボンのポッケが財布&カード入れであった。

私の知人に凄い男がいるのです。
いつも高価な札入れに五十万の札束がゴソッと入っているのです。
使った分だけ足していくのです。いつも五十万持っていないと落ち着かない、又、仕事柄(ヤクザではありませんが一見それ風です)現金を持っていないと仕切れないのです。夜の銀座はツケか現金が男の掟なのです。カード等は許されないのです(どうしてもの場合以外は)カードを切っているヤクザ者なんて見た事ないのです(いるかもな)。

私は五十万あれば短編映画を作ってしまいますから。
又、そんな大金を持っていません。
ポッケの中には現在五百円一ヶ、百円玉三ヶ、十円玉四ヶ、五円玉二ヶ、一円玉六ヶ、それとお札で一万六千円だけ。

2012年2月21日火曜日

「味のある一文字」



苺を贈っていただいた。
ピッタリ形が揃っている。近頃の温室栽培のものとは違うのだろう。大きく無骨で不揃いの苺である。
いかにも自然と共に生き抜いた苺だけが持つ誇りに満ちている。一口、二口、三口位要さないと食べきれない(四個分が一つになった大きさ)。極上の旨さである。

「長崎さちのか」と書いてある。
一パックに十個堂々として入っており食べる者にしっかり心して食べよと語りかける。

「苺」という文字を見る度に亡き母を思いだす。
「草冠に母」と書くからだろうか。雑草の逞しさと優しさに満ちていた母の愛を感じるのだ。
子供の頃、苺を食べる時、ガラスの中鉢の中に苺を五〜六個入れてスプーンの裏でよくつぶし牛乳を入れる、そして又よくつぶす。牛乳がうすい桃色になるとまずその桃色をすする。
そして形のなくなった苺と共にひと匙、ふた匙と食べる。兄弟六人であったから一人五個とすると六十個は必要だったわけだ。

苺は今は高級果実だがあの頃はそれ程でもなかった。
が、しかし貧乏な家庭には飛び切りのデザートであった。人間は漢字と言うのを本当に上手にこさえて来たと思う。
一文字を見ただけで楽しかった過去と会えるのだ。「苺」なんともいい文字でありませんか。一度苺を牛乳に浸してスプーンの裏でつぶしていたら何をしてるのかと不思議な目で見られたのです。久々に食べ応えのある苺に出会い嬉しかったのである。