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2012年6月12日火曜日

「ある戦友」

青木ご夫妻




俺さ、トーチャン(こういう人も多い)と初めて会った時、なんだいこの生意気で嫌な奴は、絶対仕事なんか出すものかと思った、といわれた。

その人は青木勤氏(67
武蔵野美大を出た後大手広告代理店に入り、小さな体に闘志をみなぎらせ、ファイトを全面に出しグイグイ頭角を表し、やがてクリエイティブ制作部門の頂点を極めた。

広告業界は士農工商代理店そのまた下のプロダクションという。
私はそのプロダクションの経営を始めていた。泣く子とスポンサーには勝てない。
大手広告代理店は何から何までスポンサー、クライアント、お得意のために対応する。
その代わり競合プレゼンテーションに勝利すれば何億、何十億、何百億のアカウント(仕事)が任される。

小さなプロダクションにとって代理店との取引窓口が出来る事は何よりの力こぶとなる。
それ故代理店のクリエイティブ制作局長にはプロダクションが日参する。
今から37,8年前、業界の大先輩望田市郎さんから、私が制作局長をやっていた処を紹介するから行ってみなよと言われた。

その大先輩はCM界で大ヒットを飛ばしていた業界の大物。
真野響子さんを起用した「カティサーク」というスコッチの仕事をご一緒させてもらっていた。
で、その代理店のロビーで初対面、私はジーンズにアロハ、それに手ぶら(44歳まで鞄とか手帳とかは一切持たなかった)一日何個も打合せやオリエンテーションがあってもメモを取らずやって来た。

記憶力だけは自信があった。電話帳も勿論持たなかった。
青木勤氏と仕事をする様になった時、「メモはしないの」とか「ちゃんと分かった」とか「ホントに大丈夫なの」とかよくいわれた。初対面は悪印象であったが、ある大きな仕事を一緒にする事となり、その仕事が決まった。

私は人に好かれる為の手段は一切しない(挨拶はちゃんとするが)。
ただプロとして全身全霊をかけ、えっ、ここまでやってくれたのという仕事をする。
その結果がいい付き合いになると思っていたから。


六月六日午後三時過ぎ、東京銀座並木通りにある名門画廊「並木画廊」に青木勤氏を訪ねた。
代理店引退後引っ張られて入っていた日本の最大手の通信会社系代理店の取締役制作局長の任を無事終えて四年目を迎えていた。青木勤氏は水彩画の名手、定年後二年目に初めての個展を大成功させ、今度が二度目であった。
いつも可愛い奥さんと二人で迎えてくれた。一週間開催の最終日であった。
32点の素晴らしい絵は既に27点赤い印がついていた。
男と男、共に戦ってきた仲はガッチリ握手すれば全て通じる。

私の会社の30周年パーティーを今は時事通信社本社となった銀座東急ホテルで行った。
その時わたしはこう挨拶した。この会場に私と初めて会った時、なんて嫌な奴、生意気な奴、仕事なんかするもんかといった人が来てくれています。今その人とは最も仲良く、ご家族共にお付き合いしている。
又、あらゆる仕事を共に戦い、共に勝利をモノにしてきたと。又、悔しい思い、死ぬ程辛い思いもしてきたと。
人間と人間の良好な関係は全てをさらけ出さなければならない。
お上手、お世辞、ヨイショ!八方美人、日和見からは生まれない。
大量の血が流れる事は一緒に血を流さなければ信頼関係は生まれない。

青木勤氏は今回イギリスを描いた。次はベルギーに行くといった。
ちなみに青木勤氏は戦いがゴチャゴチャ、グチャグチャになればなる程その力を異常に発揮する。

私はこう呼んだ、ベトナム戦争の将軍“グエンカオキにちなんで“グエンアオキと。
あの頃は365日、毎日がベトナム戦争の様であった。4
5歳の時大先輩との打合せに遅刻してしまった。これからスケジュール手帳を持ちなさいと叱られた。
今はすっかり手帳を頼りにしている。oh!脳!脳は使わないと、夢を追わないとその力がどんどんトンズラしていく。去る者は追わず主義だが、今や去った後の脳内は砂漠の如きものとなっていく。

2012年6月11日月曜日

「どうなっちゃったのか」




どうやって殴られたのですか、こうやってです。
そんな事でこんな怪我をしないだろ、え。コノヤローとか、コロスゾとか、シメるぞとかいいながらこうやって殴ったんじゃねえのか、オイ、しっかりべしゃれ(しゃべれ)。
いえ、違います。私がこうして、こうしたら、ガァーンとこうして来たんです。
そんじゃ何も訴える事はねえだろう、ただのケンカだろうが。このボンクラが。
ボンクラはないでしょお巡りさん。
俺たちはよぉー事件になんなきゃ成績になんねえんだよ。もっとしっかり殴られろこのボンクラが。

と、その後ガガガァーン、バババアンとお巡りさんを壁に押しつけパンチを入れる。
公妨、公妨(公務執行妨害)で逮捕だ。
何いってんだよ、ひとの事ボンクラボンクラいいやがって。

ある夜の交番での事。私が丁度そこを通りかかり見物した。交番の中で起きた小事件です。やがてパトカー二台、酔っ払った会社員風のおじさんはパトカーの乗客となったのです。

後日聞くところによると、その際パトカーを思い切り蹴ってヘコませたので器物損壊罪、お巡りさんは殴られ唇を切って全治三日で暴行罪、何て事はない、殴られて交番に訴え出たのに自分がパトカーへ。そして十日間は留置所暮らしです。

いや、ずーっとずーっと、もしかしたら一生出てこれないかもしれません。
冤罪はこうした後、生まれたりするのです。お前○△事件の手配書の男にソックリだな、血液型もAB型か、珍しいな。六月八日夜、目の前を通り去って行くパトカーを見ながらふと、数々の冤罪を思い出したのです。

2012年6月8日金曜日

「芸術の裏」




歌劇の生みの親ジャコモ・プッチーニの映画を借りて来て見た。
「プッチーニの愛人」という題名であった。映像はまるで中世絵画のように重厚かつ壮重であった。

物語は「西部の娘」という歌劇を創作中のプッチーニ、その妻、その娘、船着き場兼酒場の女、そして召使いの娘が生む物語。とある日、召使いの娘はプッチーニの娘の秘事を思いがけず見てしまう。
プッチーニの娘は、もうたっぷり肉がついた母親は嫉妬の炎をメラメラと燃やす。
そして親娘で執念深く召使いの娘を追い込んでいく。

プッチーニの愛人とは実は船着き場兼酒場の女であった。
湖の隅にある小さな家の中で娘は悩み苦しむ。そして服毒自殺をする。イエスキリスト像がクローズアップする。(自殺は許されるのか?)
召使いの娘は一通の遺言を残していた。それには私が死んだら検死をしてほしいと書いてあった。
 その検死の結果は、召使いの娘は純潔であった。 

82分の歌劇と名画を見る様な作品であった。TSUTAYAの新作コーナーにある。
歴史に残る名曲、名画、名作小説、そして歌劇などには必ず秘められた悲劇があるものだ。
虚と実を、創造力と創作意欲を、ミキサーの中に入れてハチミツやミルクなどと共にミキシングして生まれてきた。
映画の字幕に「純潔」という二文字が見えた時、ああ日本語の中にこんなにも美しい響きをもつ文字があったのかと思った。

50代までに結婚を一度もしていないという男性が五人に一人もいるという新聞記事を読んだ。
こういう人は何て表現したらいいのだろうか。純潔ではあまりに切ない気がする。

頑張れ男よ、いかなる女性(レズ以外は)も君たちの出現を待っている。
私の大好きなファッションブランド、YSのヨウジヤマモトこそ山本耀司がいっていた。
「人生は女」「ファッションは女」だと。今YS青山店でヨージの絵画展をやっている。ヨージのない人はぜひ。

「その日から」



私が未だ子供だった頃、こんな夜があった。
父を亡くし貧しい家であった。母は外に出て働いていた。

家に帰って電気をつけるのが末っ子の私の役目であった。
暗くなるまで働いている母が電気の点いていない暗い家に帰ったら可哀相だと思いどんなに楽しく遊んでいても暗くなると家に帰り電気をつけた。

ある日いくらヒモを引っ張っても電気が点かない。
そこに長兄が帰ってきた。おかしいな、停電かなといってロウソクをつけてくれた。
やがて姉たちが帰りロウソクは一本増えた。隣の家は電気が点いているわよといった。漏電でもしているのかと兄はいった。

そこに母が帰ってきた。
真っ暗な中でローソクを囲んでいる私たちを見て「アラッ、電気代を払ってなかったから元を切られたわ」といった。
長兄と二人自転車で電力会社に電気代を払いに行った。家に帰ると家は電気が点いて明るくなっていた。
東京電力が大嫌いになった日であった。

2012年6月6日水曜日

「俺でも泣く」




新藤兼人監督百歳がその生涯を終えた。
 反戦、反骨、反体制を貫いた稀有の映画人であった。
映画人としてはすでに何をか語らんである。

はじめて「裸の島」を観たのは確か東京都内を走る中央線荻窪駅近くにある“新東宝であったと思う。
座席は石の長椅子であった。五人位が一緒に座れる。夏は通路に氷などが置かれた。真冬には練炭を七輪に入れたオジサンがいた。広いが暗く、寒く、臭い。

十五歳の頃だった。
当時新東宝はヒット作を連発していた。荻窪には大映、東映、日活、東宝、そして外国映画のスター座が勢揃いしていた。十四歳の時「第五福竜丸」を観て原爆の恐さを知った。小学生の頃だったか「綴り方教室」を学校教育の一つとして観た。
これ程涙があるのかという位泣いた。同じ位泣いたのは松本清張原作「砂の器」だ。野村芳太郎監督の名作だ。新宿ミラノ座の通路で泣いて、泣いて、泣きじゃくった。

また同じ位泣いたのは愛犬が目の前で車にはねられた時だ。
あまりに泣く私を見て愚妻は、「あなたも泣くのね」なんていいやがった。
男は人前で泣くんじゃネエなんていっていたのだが。

片親で育ち父親を知らない私は、母と子、父と子の映画は涙の泉となってしまう。
だから泣きそうな映画は必ず一人で行く。三益愛子主演の「日本の母」これも泣けた。
長男やその嫁、長女やその夫などに冷たくされた母親はとある施設の前でバッタリと倒れる、大雪の日に。やがて思想犯(だったと思う)で入獄していた末っ子が帰ってきて、兄姉をなじる。
「バカ、バカ、バカヤロー、お母さんは僕がちゃんと見る、お前たちとはもう縁切りだ。」と、ソウダ、ソウダ(末っ子は確か宇津井健だった?)ともう涙、涙だ。
 あれも、これも新東宝は涙の歴史。新宿ミラノ座は涙の大洪水の場であった。

さて「裸の島」である。全編セリフなし。
友達と観に行っていて、おい、映写機が壊れてんじゃないの、声が聞こえないよ。それでも殿山泰司と乙羽信子はただひたすら働く。オイ、オイ、声が聞こえないよ、という。お前ちょっと映写室行ってこいよ。手に持った酢昆布とあんずを食べてもいつもの味がしない。酢昆布の白い粉が学生服のズボンに白い点と線を作る。

私がいつか自分の手で映画を作りたい、そう決意したのがこの「裸の島」であった。館内が明るくなった。
側にいたオジサンにこの映画壊れていなかった、声が出なかったけどと聞けば、オジサン、これはセリフのない映画なんだよと教えてくれた。なんでだかよく分からないがいい映画なんだという事は分かった。
今でもよくこの「裸の島」を観る。きっと生ある限り見続けるだろう。百歳の宝物に合掌。
ここ数年で観た映画で泣いたのは、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」だ。これも母と子の物語だ。それ以来一本もない。

2012年6月5日火曜日

「見た事がない」




街をのんびり歩いている時、外人さんが近づいてきて「正義」について語ろう。なんて言われたら、さあ、どうする。
「正義」なんてこの国にあったのかと、ふと我に返らずにおえない。突然の大テーマにドギマギするはずだ。

ハーバード大学のある教授がこの「正義」について評判を呼んでいるというディスカッションDVDの資料を訳あって見た。それは熱気に満ちたものであったが、なんとも“胡散臭いものであった。

A君、君の考えはどうかな、なるほど。それではB君はどうだろう、なるほどそういう考えもある。
ではC君はどうかな、フムフムなるほど。それではA君とB君の意見を足して、C君で割ったらどうだろうかみたいに。

教授は片手をポケットに突っ込んで動物園の熊の様に右に左に動き回り、時に身振り手振りで盛り上げる。
この光景は何かに似ているぞと思った。そうだ、投資セミナーかなんかで会場に人を集め洗脳していくあのシーンだ。
教授は決して自分の意見はいわない、結論もいわない。「正義」について結論なんてある訳がないのだから。

一人を殺せば殺人だが百万人を殺せば英雄だといって歴史は革命家を賞賛してきた。
世界史も日本史もそうして作られてきたのだ。そもそも「正義」などという代物は玉虫色、見方によってその色は様々に変化する。ハーバードの教授は「正義」という形のないものをプロダクト化して、きっとしこたまの報酬や印税を手にしているのだろう。アメリカ人はやたらとジャスティス「正義」をいうがその「正義」の裏にコンフィデンシャル「疑惑」が隠されている。

戦争資本主義の国では勝てば全てが「正義」なのだ。
古来より口舌の徒が、世の中を悲惨な目に遭わせてきたのだ。
もしハーバードの教授と私が「正義」について一対一で論争したら、私は絶対に負けないだろう。
これが「正義」だというのを見た人がいたら教えてほしいものだ。

これが私の「主義」だというものや、これが俺の「仁義」だというのは見た事がある。
「正義」という言葉が広く世の中に出て来ると悪い事が起きる。
何処の誰だか知らないが、正義の味方月光仮面はテレビで見た事がある。

「盗っ人の目」



尾崎士郎の人生劇場の主題歌。
“やると思えばどこまでやるさ、それが男の生きる道といってちゃんとやる人が好きです。その逆にやるとも思わない、やる気も起きない、能書き、言い訳、弁解のてんこ盛りの人はお付き合いはゴメンです。
人の不幸は自分の不幸だと思い、弱き者に手を差し出す人には心から尊敬です。
その逆に人の不幸は蜜の味とばかりに酒を飲む輩はどついたるねんです。


だがまてよ、私は今日も能書きを言ってまった。
言い訳を歳のせいにしてしまった。弁解をしてしまった。
しまった、しまった、シマッタだ。

世の中又、始まった。年金未納問題の時の様に。
お前ガッツリ稼いでいるのに生活保護をおっかさんにはネエだろう、エッ、オイッ、次長課長、キングコングよ。あ〜嫌だ、嫌だ。

大事件じゃあるまいし、もう少し報道の仕方があるだろうと思う。
昨日、人を笑わせてくれた芸人が、まるで殺人犯の様に扱われている。


あ〜嫌だ。菅直人だ、枝野だなんていう奴がシラ、シラ、シラーと能書き、言い訳、弁解している。あろう事か開き直っているではないか。
一度ばっかり話を聞いてハイ終わり、儀式終了。
一度ばっかり政権持たしたら飛んでも八分、歩いて五分。お前の命はあと一分だ。

だから言ったじゃないの、私が会った政治家のなかで最低最悪の政治家は菅直人だって。
何しろ人の顔見て話さない人間にロクな奴はいない。それと目がキョロキョロ泳ぐ奴。警察用語では盗っ人の目といい、ヤクザ者の世界ではキョトッテル目という。

気をつけましょうそういう人に。
お笑い芸人が泣いている姿なんて見たくない。ビートたけしが売り出しの頃いっていた。
よく売れなくなった夢を見てうなされると。

頑張れ次長課長よ、次は部長社長になればいいんだ。
精一杯応援するよ、おかあちゃんは大切にするんだよ。

2012年5月31日木曜日

「アンビリーバブル」




ファイト一発!といえば、およその人はリポビタンDのCMを連想するでしょう。
では、密教一発!といえば何を連想するでしょう?

お釈迦様、ネパール、カトマンズ、密教曼荼羅、空海を連想した人は大正解の人です。
構想広大、行動絶大、国々説得空前絶後の一大事を成し遂げた友人がいます。
なにしろ70m×50mの世界最大の曼荼羅を原画を基にパッチワークで作り上げたのです。
一片一片のパーツを多くの国々の人々が分業し、一針一針その糸に願いを込めて作り見事に合体させてしまったのです。

気の遠くなる様な事。そんなバカなという人、ウソー、ホントー、スゴイワ、スゲェー、ウヒャー、ブヒャー、ドヒャーと言語表現不能の大絶叫となったのです。国王ビックリ、大統領あんぐり、首相アンビリーバブルとなったのです。

人類の恒久平和を願ってこの途方もない事をしたのが親友片桐靖忠さん(元広告代理店クリエイティブディレクター)。
530日夜、銀座のお寿司屋さんでもう一人の親友、電通の坂口浩規さん(以前片桐さんと同じ会社)とこの快挙を世界に広げようと乾杯したのです。私と友人二人は長い付き合い、一年に一度は会って一杯やるのです。

三人の共通の思い出は「駅前留学NOVA」の事。かつて無名だったNOVAを一夜にして有名にした思い出の仕事です。
「あのね、むかし東宝の映画で駅前シリーズっていうのがあったの知ってる?森繁久弥とか伴淳三郎とか三木のり平とかフランキー堺とかが出ていた映画、駅前旅館とか、駅前満貫とかあったでしょ?今あるNOVAの教室は調べたらみんな駅前じゃないの、であるからにして駅前○×とか駅前□△とか、そう、それ駅前留学なんてどう!?」と私が言えば打合せの面々・・・・?いいかもですよ。
そこで片桐さん、いい、いい、いいですよ、次に決断の人坂口さん・・・・面白い、いきましょ、それで勝てます絶対にいけます。

こんな感じで始まった長〜い関係なのです。
曼荼羅の話は尽きる事なし。片桐さんは近々タイの国王にお会いするとか。
この国の政治はダラダラしてるが、曼荼羅は前へと進むのです。

2012年5月30日水曜日

「点火せよ」


絶望ありて、希望あり。
苦痛ありて、快楽あり。
出会いありて、別離あり。
裏切りありて、献身あり。
興隆ありて、衰亡あり。
男ありて、女あり。
破壊ありて、再生あり。
残忍ありて、慈愛あり。
一日ありて三六五日あり。
一時間ありて、二十四時間あり。
一秒ありて、一分あり。

革命、宗教、宿命、戦争、親子、兄弟、姉妹、血脈、血族。
人間の条件とは。
 これは全て映画作りの題材である。

カンヌ国際映画祭が終わった。
今年も我が国の映画は評価されなかった。
別にカンヌが全てではないが、世界中の映画人はカンヌ、ベネチア、ベルリンを目指す。原作も読んでいない。
脚本も読んでいない。でも金になりそうだから金を出す。そんな資金提供者に神様、仏様といって手を合わせ平伏する。
マンガが売れているんだから映画も売れるだろう。本が売れたのだから映画も売れるだろう。
そんなこんなしている内に我が国の映画はその光彩を失ってしまった。

勿論、骨太の映画人、根性者の映画人、感性鋭い映画人も数多くいる。
だがそういう映画屋魂の芯に火を付け、炎とし、燃焼させている人のフィールドは極めて狭くなっている。
私は決して諦めないで行こうぜと声を大にしたい。世は正に平安朝時代のごとき混迷の極みだ。

今こそ映画人を目指す若者よ思いを形にせよだ。
使い捨てカメラでもいい、目の前の出来事を写し、残し、言葉をつけ、音をつけよだ。
例え一秒でも十秒でも映画は映画なのだから。

日本一短い文学といわれたのがある。
 一人の作家が一人の編集者に出した一文だ。
それは「本は、売れたか」早口で言えば一秒ほどだ。

よし十秒位の短編映画を作ってみよう。これならきっと自前でできる。

2012年5月29日火曜日

「雪が溶けたら何になる」


ポールさん


国はどこから滅びるか?そんな話をランチをしながらした。

フランス人のヴァイオリニスト、ポール・ラザー氏とその奥さん。
奥さんは日本人でダンスの先生である(すこぶる知的美人)。

私はいいました。情操教育をしない国は滅びると。今、この国では芸術家たちが不遇な状況にある。
画家、書家、陶芸家、彫刻家、音楽家、映像作家、バレリーナ、タップダンサー。
およそ芸術家というジャンルの人が苦境の中にいる。
少子化の中で子供たちに情操教育をさせない親が増えている。
勉強、勉強。少しでもいい学校に入れるために。国は芸術家育成のための補助金を次々削減している。
子供たちは勉強の合間にゲームをする。
子供達の感性が育たない国に明日はない。

私のお絵描き教室の先生がこぼした。生徒が全然いなくなって教室を閉じたよと。かつては40人以上いたのだが。
こんな記事を読んだ事を思い出した。
ある東北の学校の子供に先生が問題を出した。理科の初歩中の初歩だから小学校1年生か2年生だろうか。
雪が溶けたら何になりますか?一人の生徒が答えた。ハイ、水になります。よくできました。
一人の生徒が答えました。ハイ、春になります。先生は…。
もう一人の生徒が答えました。ハイ、おとうがけえって来る。先生は…。

あなたが先生ならどう答えるでしょう。果たして正解とは。
青い空、白い雲を見ても何も感じない子。流れる川、咲き誇る花々を見ても何も感じない子。

「お父さん、お母さん、ヴァイオリンを習いたいのだけど」と子が言えば、ヴァイオリンなんか習ってどうするの?そんなお金なんか家にはないわ、とつれなく返事をする。
 そんなお母さんは、エステに通い、ジムでエアロビし、通販で高価なやせ薬などをたんまり買い込む。

うんざりする様な人間たちがテレビの食べログで知った店に行列をしている。
銀座コリドー街に「美登利」というお寿司屋がある。朝の八時過ぎからランチのお寿司を食べるために並んでいる。
きっとお父ちゃんは、マックか吉野家なか卯など、はたまた立ち食い蕎麦かであろう。
親たる者はたとえ一食を減らしてでも子供に情操教育をだ。ドレミは全ての始まりなのだ。