ページ

2012年6月5日火曜日

「見た事がない」




街をのんびり歩いている時、外人さんが近づいてきて「正義」について語ろう。なんて言われたら、さあ、どうする。
「正義」なんてこの国にあったのかと、ふと我に返らずにおえない。突然の大テーマにドギマギするはずだ。

ハーバード大学のある教授がこの「正義」について評判を呼んでいるというディスカッションDVDの資料を訳あって見た。それは熱気に満ちたものであったが、なんとも“胡散臭いものであった。

A君、君の考えはどうかな、なるほど。それではB君はどうだろう、なるほどそういう考えもある。
ではC君はどうかな、フムフムなるほど。それではA君とB君の意見を足して、C君で割ったらどうだろうかみたいに。

教授は片手をポケットに突っ込んで動物園の熊の様に右に左に動き回り、時に身振り手振りで盛り上げる。
この光景は何かに似ているぞと思った。そうだ、投資セミナーかなんかで会場に人を集め洗脳していくあのシーンだ。
教授は決して自分の意見はいわない、結論もいわない。「正義」について結論なんてある訳がないのだから。

一人を殺せば殺人だが百万人を殺せば英雄だといって歴史は革命家を賞賛してきた。
世界史も日本史もそうして作られてきたのだ。そもそも「正義」などという代物は玉虫色、見方によってその色は様々に変化する。ハーバードの教授は「正義」という形のないものをプロダクト化して、きっとしこたまの報酬や印税を手にしているのだろう。アメリカ人はやたらとジャスティス「正義」をいうがその「正義」の裏にコンフィデンシャル「疑惑」が隠されている。

戦争資本主義の国では勝てば全てが「正義」なのだ。
古来より口舌の徒が、世の中を悲惨な目に遭わせてきたのだ。
もしハーバードの教授と私が「正義」について一対一で論争したら、私は絶対に負けないだろう。
これが「正義」だというのを見た人がいたら教えてほしいものだ。

これが私の「主義」だというものや、これが俺の「仁義」だというのは見た事がある。
「正義」という言葉が広く世の中に出て来ると悪い事が起きる。
何処の誰だか知らないが、正義の味方月光仮面はテレビで見た事がある。

0 件のコメント: