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2012年6月28日木曜日

「スターがいた」


六月某日、その日の中野サンプラザはギッシリ超満員だった。
その数二千人位だろうか。我々四人はステージから六列目であった。

中野サンプラザはその昔陸軍中野学校(スパイ養成所)があり戦後は警察学校であった。
中野にあった高校に一年程通っていた私は学校をサボってはその警察学校の通り向の喫茶店に友人といた。
時々パーン、パーンと拳銃の練習の音がした。

「おい、アキラの新しい映画観たか、主題歌聞いたか、もう覚えたか」が挨拶代わりだった。
当時は日活全盛時代であった。タフガイ石原裕次郎はもう“神であった。劇中に歌われる主題歌は観た日に覚えた。
日活には十代、二十代の若者が押し寄せ扉も開いたまま、映写室から観ている猛者もいた。

第一回目は朝九時半頃始まる。
とうぜんその何時間も前から長者の列となる。
入場!となると学生服や鞄を手にどっと入り込み、どけよ、どけどけと進み空席に服を投げ、鞄を投げ、時には靴を投げてそこは俺の席だと皆争うのだ。みんな学校をサボって来ているのだ。男も女も入り交じり大混乱となる。

膝の上にはノートブック、手には鉛筆が必携だ。
大人達の煙草の煙で館内は灰色となりそれを切り裂く様に映写機からの灯りがスクリーンに向かう。
白い光の帯がタフガイ石原裕次郎を映し出す。

“おれは待ってるぜ“風速四十メートル“赤いハンカチ流れる歌の詞を必死にノートに書き写す。
タフガイの次のスターがマイトガイこと小林旭だ。脳天から発する高音が中・高生の全身を突き抜ける。
映画のストーリーなんて問題外、何しろ都会のキャバレーに突然バンダナを首に巻きカウボーイハットを被りギターを抱えてマイトガイは主題歌を歌いながら唐突に現れるのだ。

みんな必死にノートに歌詞を書く。
勉強のためになんかノートを買う奴はタフガイやマイトガイに会う資格はないのだ。
“赤い夕陽が燃え落ちて〜と始まる。学校に行く予定はないが、タフガイとマイトガイを観るスケジュール予定はバッチリなのだ。誰が先に覚えるかが大事なのだ。

「何?観てないだと」となり話について行けないのだ。
“ダンチョネ節“ツーレロ節“北帰行ノートはタフガイの歌詞をマイトガイの歌詞で真っ黒となる。
喫茶店で声を出して歌い合う。神社に行って大声で歌うのだ。

中野サンプラザに登場したのはマイトガイ小林旭と八代亜紀。二人のジョイントコンサートだった。
何故に行ったかは聞くだけ無用だ。そこに歌があるからだ。“夜がまた、来る。思い出連れて。
俺を泣かせに足音もなく。何を今更淋しかないが、街の灯りが、今日も今日も点るよ〜”いいね、さすらいだぜ。“お酒は温めの燗がいい、肴は炙ったイカでいい〜”ときて“しみじみ飲めばしみじみとぉ〜思い出だけが行きすぎる〜”と続く。

阿久悠はやっぱり大天才だなとしみじみ舟唄を聞く。
二人の大スターはピッカピッカに輝いていた。遠い昔との違いがある。
私は学生服ではなく、ノートと鉛筆を持っていない。タフガイがいない事だ。


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