ページ

2012年6月28日木曜日

「山から新茶」




今年もやってきました、日本一の新茶。
私が初めて仲人をした夫婦(社内結婚)がつくった新茶だ。

夫は元コピーライターで妻は元デザイナー。
都会生活は僕達に向いていないと二人合わせて年収一千万(当時)以上を放棄して三十年位前、浜松から車で二時間半もかかる春野町という山の中に住むことになった。
お化けが出そうな古民家を二人で修復し、川から水を引き、薪を割りそれでご飯を炊き料理を作った。
五右衛門風呂も勿論薪である。

みんなで盛大な送別会をした。贈り物は金のスコップだった。
私は挨拶でこういった。毎日仕事が終わったら一緒に飲んだ。十二時前に終わる事はまず一日もないので、早くても午前二時とか三時だった。それから朝日新聞本社近くにあった赤テントで飲み、それから六本木で夜が明けるまで飲んだ。
銀座で、赤坂で、私といつも一緒だった。
だから二ヶ月もすれば寒さに耐えきれず、夜の銀座・赤坂・六本木が恋しくなり帰って来ると言った。
ところが二ヶ月はおろか、一年、二年、三年、いつまで経っても帰ってこない。

やがて地元の新聞や東京のテレビで紹介され始めた。
生来明るく、優しく、何事にも前向きで人に愛される男。
山の中の風習が色濃く残る集落の中に溶け込みリーダーとなっていった。
養豚をし自分達でハムを作って送ってくれた。畑を耕し野菜を作った。椎茸栽培にも挑戦した。
 家の前には鶏やチャボやヤギなどを飼って動物園にした。

夏になると川にキャンプに来る人たちが入園料10円を払って連れてきた子供たちを楽しませた。
何にでも挑戦する夫婦はキャンプ場に自分たちでログハウスを建ててしまった。そこにバーベキュー場を作った。
お客さんが沢山訪れる様になった。

電話で話すと決まって「とうもとさ〜ん会いたいよ、来てけれ一緒に飲みてぇーだよ」といった。
息子が生まれ、娘が二人生まれた。三人を立派に育て成人させ娘二人を結婚させた。
全てに前向き、陽気夫婦なのだ。私は拙著の中で「夫婦鏡は山の中」と書いた。

六月二十二日(金)夜遅くに家に帰ると「新茶が届いているわよ」と愚妻がいった。
先日の台風で春野町はバケツをひっくり返した様な大雨が降っていた。テレビでそれを知っていたので直ぐに電話した。「もしもし俺だ」というと気持ちよさそうな一杯気分で「あーとうもうもとさーん、来てけれ、会いていだよ〜」といった。

男と男はこの言葉だけで十分「分かってるよ」といった。
「新茶ありがとうな」と御礼をいった。自分達の茶畑でつくった新茶だ。
ラベルには奥さんのデザイン画が書いてあり言葉がそえてある。これ以上の「茶の味」はない。
かつて岡倉天心が「茶の味」という名著を残したが、岡倉天心に味わってもらいたい銘茶だ。

土砂が崩れ美しい川が濁流となったといった。
長男が近々ペルー人の娘さんと結婚するという。インターネット上でペルーの人々と会っているらしい。
必ず行くからな、あの美しい川で釣り糸を垂らしてハヤやヤマメを釣りたいものだ。
都会を離れた人間はとに角目が澄んでいる、声が澄んでいる。
山の中には樹があり、木があり、気に満ちている。都会には緑もなく石塔の様なビルだけが林立している。

0 件のコメント: