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2012年6月26日火曜日

「高倉健命」




人間は一年経つと等しく何をとるか。
そうです、一歳、歳をとるのです。

高倉健(八十歳)の主演映画「あなたへ」の試写会を電通本社(14F)にある映画館のような試写室で観させてもらった。ソトコト編集長小黒一三さんからお誘いを頂いたのだ。
八十歳になってもさすがに健さんの存在感は何ともいえない味わいがあった。

白い丸首のTシャツは相変わらず似合う、それにコットンのシャツ、襟を立てたジャンパー目出し帽、独特の歩き方、背筋をビシッと伸ばしていた。映画を愛する一人の大スターの生き様があった。
私たち世代はオールナイトシネマで唐獅子牡丹、網走番外地を観て意気揚々と映画館を出た。
 「死んでもらいます」の決め言葉を背負って。

明け方みんなでラーメンをすすった。
この頃六十歳で定年になって、ただ無為に過ごしている人々が多い。
しっかり年金をもらって海を散歩し、山を歩き、川に釣り糸をたれ、テニスコートや公園で汗を流す。
時間がある、ヒマがある、年金もある。

ただ夢も野心も野望もロマンもない。生産性がない人々が何をしたらいいか分からないなどという。
勤め人だった頃はさしても仲良くなかった夫婦が公園にゴッソリ集合し、子供の遠足の様に東海道線にズラリと座っている。

夫婦二人共、目に輝きはなく、体からは生気がない、ただ時間が経つのを目的に箱根や大雄山、丹沢や江ノ島の灯台、鎌倉を目指す。

最近ある雑誌で、妻に先立たれた男の心のアリバイを探す事に苦心しているという記事があった。
作家城山三郎は「君はもういないんだね」という本を遺して逝った。評論家江藤惇は妻を追うように自死した。
ジョージ秋山という漫画家は未だ心の中が“浮遊雲”の様だという。
存在だけが世のためにならないエセジャーナリスト田原総一朗は妻に先立たれて我を失ったというが、ずっと妻を裏切る事をしていた。

夫に先立たれた妻たちはすっかりせいせいしたのか、皆さん目はキラキラ輝きすこぶる元気で、今日はあそこに行って美味しいものを食べよう。明日みんなで芝居に行こう。次の週からはあの温泉に行こうなんて前向きなのだ。

高倉健はきっと長い長いロケの中で死んだってかまいやしない、それが映画屋だと思ってカメラの前に立っていたのだろう。人生と戦わない男、夢を追わない男、ただ健康第一などといっている男たちは一日も早く消えた方が世のため妻のためだ。

私の敬愛してやまない師匠、知人、友人たちは夢を追いたくても追えない身となりながらもベッドの上で愛読の書を辛い姿勢で読んでいる。


高倉健が車の中で妻に書き遺してもらった料理のレシピを片手にひじきを作るシーンは心に染みた。
私は結婚して四十三年台所で料理を作った事などない。台所に男は入るなといわれたからだ。勿論ひじきなど作れない。

八月二十五日東宝系で大公開だ。
世の老人よ、戦う健さんに拍手をだ。
唐獅子牡丹は流れないが。

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