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2012年11月26日月曜日

「出よジャーナリストよ」




この頃よく思う。
筑紫哲也というTVジャーナリストがいた事を。

報道のTBSといわれた時期があった。
彼はその顔であった。異論反論オブジェクションというコーナーは良かった。
少なくとも局内の権力の中でギリギリその命をかけてジャーナリストたらんとしていた。

時事通信の田崎史郎氏という蛤がしゃべっている様な、政治の予想屋の様が、あっちこっちのTV局に出てはアレコレ予想をし悦に入ったりしている。
 その姿を見るとジャーナリズムの滅亡を見る。
その他にも後藤謙次氏(元毎日)、田勢康弘氏(元日経)、岩見隆夫氏(元毎日)がどんよりと、まったりと、また日和っては予想屋となる。

私の夢は新聞記者だった。ジャーナリストに憧れていた。
その夢は遊びに没頭し浅学を極め、実現する事とならなかったがその精神だけは持ち続けたいと今も心の片隅で思っている。健全なジャーナリズムが育たない国に未来はない。

政治アナリスト伊藤惇夫氏を見る度気分が滅入るのは私だけだろうか。
思想信条のなさがその姿に出ている。永田町のアナ話をリストアップするからアナリストなのだろうか。真っ当なジャーナリストはTVなどに安易に出ないのだろう。
メンバーはいつも同じメンツだ。

つけ麺、タンメン、ラーメン、ジャージャー麺、ワンタン麺。
このメンメンたちはそれぞれ意地もプライドもあり堂々としたメンメンだが。
前記したメンメンには凛とした姿勢はまるで感じられない。

国が乱れる時、それを増長させるのは決まってエセ学識者、エセジャーナリスト、エセエコノミスト、エセアナリストたちだ。
無責任な人間のいう事は話半分、そのまた半分位で接する事が肝心と思う。




2012年11月22日木曜日

「勤労感謝」


※写真はイメージです


白鷺城といえば日本の名城中の名城である。

私は東京と中野区にある都立鷺宮高校に通っていた時期があった。
私にとって鷺(さぎ)は思いで深い文字の響きを感じる。

一方で詐欺という二文字がある。
詐は言を作るから出来たのだろうか。
欺は言葉がかけているから出来たのであろうか。

 オレオレ詐欺とか振込詐欺が横行し、その額1120日現在で238億円以上だという。
日本の法律は詐欺に対して刑が軽すぎる。

法律家のある人は騙すのは悪いが、騙されるのも悪いんだと言い放つ。
欲深い人間を詐欺師は電話の話し方ひとつで見抜くのだ。
携帯の人たちは証拠が残るので相手にしない。
固定電話の人たち、つまり老人がターゲットなのだ。
4億円以上振り込んだ人もいる。よくもまあ持っていたものだと思う。

東京駅八重洲口に証券会社の株価を表示するボードがある。
晩秋の夜風を浴び鼻水をすすりながらジッと立ち止まっている老人がいた。
 オジイサンそんなにお金を増やしたいのと聞いたら、見ているだけなんよ、もうスッテンテンだ。株が上がっているのに詐欺師に騙されて株を買う金も無くなったんだチキショウ。

そういう老人の体は寒さのせいか、グヤジー気持ちのせいかガタガタと震えていた。
私は寒さのせいで身震いした。

明日23日は勤労感謝の日だ。
お金はコツコツ働いた分だけでありがたいもの、それに感謝すべしだ。

2012年11月21日水曜日

「オイ、雲よ」




その雲の形はまるでいつか見た胃カメラで撮影した自分の胃袋の様であった。
その雲は次々と変形し、やがて胎児の様になっていった。

雲に常形なしという。
同じ雲が二度とない様に、人生に同じ日はない。

正岡子規は「秋の雲は砂の如く、冬の雲は鉛の如く」と書いていた。
「雲は天才である」と書いた石川啄木は借金の天才であり、嘘つきの天才であったという。

1121日早朝の雲はやがて赤みを帯はじめやがて血達磨の如くなっていった。
不摂生と不規則が正しい規則の様な生活を重ね重ねして来た。

闇雲に生きて来た人生にケジメをつける歳にもなって来た
赤い胃袋の様になった雲に語りかけた。オイ俺の胃袋、お前には随分無理をかけたな、よくがんばってくれたありがとうよと。

晩秋から初冬にかけての雲が一番好きだ。
今は未だいくつかの戦いの中にいるプロのはしくれとして命を注ぎ込む。
青い空に白い雲がぽっかり浮かんでいる人生などは望むものでない。

また今日が始まった。

2012年11月20日火曜日

「それぞれイロイロ」


※写真はイメージです

その夜私たちの隣りの席に、15人のお客が中華料理店に集まっていた。

さて、何を食べるかと一人一人考える。
中華料理店の女性スタッフがオーダーを取りにくる。
一人は肉たくさんチャーハンを。
一人は鉄鍋餃子と焼売と大ライスを。
一人は玉子スープと天津丼を。
一人はグラスビールと麻婆豆腐とザーサイと中ライスを。
一人は回鍋肉と小ライスと野菜スープを。
一人は海鮮具だくさん焼きそばを。
一人は赤ワイングラスとザーサイとパーコー麺を。
一人は海老チャーハンとワンタンネギ抜きを。
一人はグラスビールとかた焼きそばを。
一人は野菜たくさん平麺焼きそばを。
一人はフツーのラーメンと言ったら、ないよといわれじっと考え春巻き4本と春雨と小玉子スープを。
一人はチャーシューワンタン麺少し脂っこいを。
一人はレバニラ炒めライスとニラレバ炒めの違いを聞いて馬鹿にされてからジャージャー麺にした。
一人は中華丼に焼売をオーダーした。

この間約1時間、お店の若い中国女性は怒気をたっぷり含んでいった。
ニッポン人タクサンタクサンモータクサン。

お客さんたちは県会議員、市会議員、村長に村会議員たちであった。
リーダー格の議員はバラバラが一番イケナイ、一つになって頑張って下さい。

オッキャクサンみんなラーメンライスにしてくれたら早かったのにバラバラはイケナイヨ、ニッポンの政党みたいで。誰か一人怒ったのだ。

オイッ!オレが頼んだのはいつ出るんだこのヤロー腹ぺこなんだ!
な、なんとお下品な人たちでした。

2012年11月19日月曜日

「大学イモ」


※写真はイメージです 


私の家の前に小さな公園がある。
滑り台、ブランコ、木のベンチが二つある。
お日様がポカポカあたる日は小さなお子さんがお母さん、おばあちゃん、おじいちゃんに手を取られて集まって来る。トコトコ走る子、ヨチヨチ歩く子。

残念ながら私は幼い頃の公園での思い出はひとつもない。
父を早くに亡くし、母は一日中働きに出ていたからだ。
二歳の時から幼稚園に預けられていた。一枚の写真もない。

暗くなると母が幼稚園に迎えに来てくれた。
手と手を繋ぎ家まで母と歩く時間は何よりぬくもりのある時間であった。
貧乏であったが心は豊かであった。

寒い日今川焼きを買ってもらったり、大学イモを買ってもらった。
その味は生涯忘れないものである。
公園で遊んでいる親子を見るたび、この目茶苦茶になった国の将来を考えてしまう。

 1118日夜、橋下徹なる人間がテレビのインタビューで支離滅裂、理論分解、目茶苦茶な話をしていた。完全なる破綻気質だ。危険この上なし。
ああいえばこういう録。

縁日のテキ屋のお兄さんの口上とか競輪場の予想屋おじさんの口上を思い出した。
二万パーセント選挙に出ません!といっていたのに平気で出たのを忘れてはいけない。
コロコロ変わる“コロコロコミック”だ。二枚舌ならぬ二百枚舌だ。

利用する者はとことん利用してポイと捨てていく。
もし邪心を持って年長者の人々を使い捨てたとしたならその天罰は計り知れないものとなるはずだ。弁護士の初心にかえり弱者の側にたってほしい。一度小さな公園で日がな幼な子を見続けてほしい。国民をナメてかかるととんでもない事となる。

2012年11月16日金曜日

「化学反応」



親指を立ててイエーイは高島忠夫さん、寿美花代さん家のキーワードだ。

そのむかし新東宝という映画会社があった。
私が大ファンだった高島忠夫さんはその会社のスーパースターだった。

その息子さんである政伸さんがイエーイ、こんな美しい女性と結婚できるなんてと記者会見してから月日は経ち芸能界から身を引いてでも離婚したいといって裁判となった。
相手の女性の名は美元さんという。
美しさがかえって不幸な別れの元だったのか皮肉な名前である。

さて、政治の世界も結婚と離婚の話ばかりだ。
民主党は沈みゆく船とみたのか続々と離婚届ならぬ離党届を出す政治家が後を絶たない。

一方では少々性格の不一致だろうが性の不一致だろうがとにかく結婚届を出す政党が後を絶たない。すでにイエーイと親指を立てている余裕はない。

高島忠夫さんは太陽の様に明るい俳優さんだった。
長い間鬱病と共生しているとカミングアウトした。何とかまた、明るい高島家を見たいと思う。美元さんの幸福ならん事も思う。

結婚はゆっくりと、離婚は急げとの格言もある。
また、志ある政治家の皆さんが命をかけて合体し、暗鬱なこの日本国に明るい太陽の季節を生んでくれる事を願わずにはいられない。会うが別れの始めというが、時に信じがたき化学反応も期待できる。

2012年11月15日木曜日

「イタズラ」


※写真はイメージです


よおござんすね、よおござんすね。
といってサイコロを二つ壷の中に入れるのを博打という。
丁か半で勝負を決める。偶数は丁、奇数は半だ。

1114日場所は国会党首討論会場。
いいんですね、いいんですね。お約束ですよ、お約束ですよと金切り声を出したのは安倍自民党総裁だ。

この人のしゃべりは句読点の使い方が間違った文章の様に変な言語体となる。
方や嘘つきといわれて年は越せない野田民主党代表(総理大臣)マスコミはこぞって歴史的討論であったというが、私にいわせればきわめて格の低い博打場に見えた。

ちなみに裏の世界ではそんな博打をイタズラという。
商店街のおじさんやおばさんを集めてさあ〜どっちもどっちもという程度のものだ。

で、もって安倍晋三になる人物が丁か半かで勝ち再び日本国内閣総理大臣になるとしたらもう絶望的というしかない。
どっちも、どっちも、ニッチモ、サッチモいかなくなってきた。
すぐにもう一回戦となる。

2012年11月14日水曜日

「ソースを忘れた」


※写真はイメージです

夜になるとぐっと寒くなって来た。

深夜近所のコンビニに行く時いつも決まって私に向かって吠える茶色い中型犬がいる。
ご近所の家の愛犬であり番犬だ。

その夜何故か肉まんが食べたくなり二個買ってきた。
鎖に繋がれた犬は小さな木の門の向こうで吠えて、吠えて、吠えまくる。
私は立ち止まり、木と木の間に見える犬にお前はそんなにオレが嫌いか、ずいぶん長い付き合いだろうが、いつもそうやって鎖に繋がれていてかわいそうだな。
今日は何を食べさせてもらったのだ。
お前の父は、母は、兄弟はどうしたのかと声をかけると、ふと静かになりキュイーン、キュイーンと悲しい声を出す。

そうか独りぼっちか寒いだろうと肉まんの入った白い袋から湯気のたった肉まんをちぎって木の門の中に投げ入れた。一つ、二つ、三つ。
犬はすっかりおとなしくなってしまった。四つ、五つと投げ入れた。

私はそこから離れて30メートル位先の私の家に残りの一個の肉まんを持って帰った。
袋の中に小さなビニール袋に入ったソースがあった。
そうかソースをつけてやればよかったなと思った。

2012年11月13日火曜日

「一杯の価値」


※写真はイメージです


中国ではお酒の事を「忘憂」という。
憂いを一杯飲んで忘れるという事なのだ。
それ故に酒の友を「忘憂の友」という。

浅草のどじょうで一杯。神田明神下のふぐで一杯。
八重洲口の焼鳥で一杯。赤坂の寿司屋で一杯。
新橋のおでん屋で一杯。築地の刺身で一杯。
銀座のうなぎで一杯。
もうあちこちで一杯また、一杯。

忘憂の友との酒は仕事の話や会社の話は御法度だ。
酒がまずくなるからだ。
映画の話、旅の話、歴史の話、政治の話、人物の話、本の話、女性の話、ヤクザな話と話題は次々と変わる。
 
ちょっと気の利いたおそば屋で焼きたらこ、畳鰯、海苔とわさび、だし巻玉子、板わさと進んで行く。最後にもりそばか、かけそばで終わる。
懐具合が少々いい時は天ぷらの盛り合わせを友と分け合い、天もりにしたり、天ぷらそばにする。
そば湯を入れて、あーあうまかった、楽しかった、嫌な事憂鬱な事を忘れられる。

最高の忘憂の友を失って半年、心は闇雲の様にはれる事はない。
まだ写真を飾っていない。友の似顔絵をプリントした日本手ぬぐいと語り合う。
友を持つ人々よ、いかなる犠牲を払っても友を大切にしなければならない。
親の血を引く兄弟よりも固い契りの義兄弟という。

2012年11月8日木曜日

「一枚のメモ」




便せんに文字を書く、封筒に入れる、それを閉じる(1.のりで、2.ナメナメして、3.セロテープで)今頃は白い帯があってそれを剥がすとのりになっているのが多い。

宛名を書いてポストに入れる。
郵便局の人がそれを集配する。
郵便局に持って帰り区分けする。
それぞれの配り先担当郵便局に着く。
そこで配り先ごとに区分けされる。
郵便局員の人はそれを持って一軒一軒配達する。
これが海外メールとなるとさらに面倒な事となって海を渡っていく。

休日ノートを整理していたらあるメモが貼ってあった。
それはNY同時多発テロの時、NYに住んでいたイラストレーターの黒田征太郎さんが目撃した。その壮絶な光景を次々にはがきに書き続け、東京の友人に送り続けたというメモ書きだった。圧倒的な絵と、圧倒的な枚数のハガキを。

私は確かその事をNHKの番組で見て感動したのだ。
黒田征太郎さんも郵便というのは大変ありがたい親切この上ないリレー方式だとおっしゃっていた。

今年も後二ヶ月、年賀状の季節となりました。
元旦のお昼頃、カチャンとポストの音、取りに出ると正月のためのアルバイトの学生さんが自転車でお隣さん、そのまたお隣さんと配って回る。
お正月の中で一番好きな風景である。

郵便局のテレビCMで「人の心が、年の初めに届く国。」
というのが流れている。いいコピーだ、毎年郵便局はいい言葉を届けてくれる。
ここ一両日で年賀状の文章を決めようと思う。