イメージです |
マシンといえば機械の事と相場は決まっている。
ホンダがF1に再び参入する。
バイクオヤジ本田宗一郎もよろこんでいるだろう。あの世のスタンドで。
知人のF1レーサー中野信治さんも。さあ出番だ、と腕をまくっているはずだ。
マシン音痴の私がマシンを知る事になった。
何かといえば“ジンマシン”だ。
その日家族とお寿司を食べに行った。
お寿司は何より大好きで毎日でもOKだ。
コハダ、イカ、マグロの赤身、エビ(ボイルしたもの)、タイ、アナゴ、かんぴょう巻きを各一貫ずつ食べた。
その前に酒のつまみでお刺身の盛り合わせを少々。家に帰ったのが午後八時頃であった。
十一時を過ぎたあたりからやたら体がカユくなった。手、足、胸とカユくなり顔が猛然とカユくなった。酒を飲むと血管を刺激し、ジンマシンは広がると後で聞いた。
かつて経験した事のない状態となったのは午前一時を過ぎた頃だ。いよいよ全身がカユい。
頭が心臓になったかの様にグアングアン、ドッキンバッコン呼吸する。
本当の心臓の方もバッコンバッコンしてきたではないか。
鏡を見るとまっ赤にふくれあがった顔があるではないか。
まるで三升位飲んだ様な顔だ。
こりゃヤバイ。隣の部屋に寝ている愚妻に
「オイ、死ぬかも知れない。これから書くものを明日会社にFAXしてくれ」と言った。
今受けている仕事で支払う先を書いていった。
私にしか分からない事なので、もしもの事があったら仕事を頼んでいる人たちに迷惑をかけてしまうからだ。
一枚の紙にビッシリ書いて、これから市立病院へ行く、と言った。
ネボケた愚妻が「飲み過ぎよ。何!その顔酷いじゃないの」と言った。
元々酷い顔だ、行って来るからな、と呼んだタクシーに乗った。
なじみの運転手さんが「どうしたんですか、まっ赤な顔で」と言った。
市立病院に着いたのが二時頃であった。
日曜日にカユくなり、日付が変わって月曜日となっていた。幸い救急は私一人だった。
おなかの大きい看護士さんが受付の若い男の人と出て来た。
「電話をしてくれないとダメですよ」と言った。
若い男の人が「今日は仕方ありません」と言った。
「おなか大きいけど妊娠中なの?」
とカユいながらもいつもの調子で聞くと、「七ヶ月なのよ」と言った。
「大変だね」と言ったら、「人手不足なの。婦長さんに言って下さいな。こんな体なのに夜間の仕事をさせるな、って」と言った。
三人目なのよ、と言いながら体温計を出した。
ボリボリかいていたら若い先生が診察室の扉を開けて、どうぞと言った。
何を食べました?とか、過去には?とか言いながら体中を見て、聴診器を胸にあてた。点滴をします、と言った。
何ですかね、と聞くと、
「何かのアレルギーでショックを起こしているところです。子どもさんだったら危ないところですよ」と言った。
「特効薬でショックを止めるのに注射を打ってもいいのですが、注射によるショックもあるので点滴にします」と言った。
へえ〜大変なんだ、と看護士さんに言った。
ジンマシンと自分で勝手に思っていた。
アレルギーとジンマシンの区別が分かっていなかった。
ジンマシンはアレルギーの症状なのであった。
ベッドに座らされた。
何故か横にはさせてくれず小さなテーブルを出してくれた。
これにうつ伏せになるといいですよ、と言ってくれた。
左手に針を刺され点滴を二袋仕込んでくれた。
終わりましたよ、と声をかけられて顔をあげた。
すっかり寝てしまった。時計は四時半を少し回っていた。
次の日すっかりジンマシン(?)は消えていた。
頭のグアングアンも。
後日かかりつけのお医者さんに行ってその原因を調べる事となった。
一枚の紙にビッシリとアレルギーになりそうな食べ物の名があった。
血液検査の結果が4月9日に分かった。
原因はホタテ貝であった。
まさかいままでずっと食べていたのに。
そういえば刺身盛り合わせの中にホタテ貝が入っていた。
にっくきはホタテ貝であった。
人間の体は何かの事で体質が変わるらしい。
また、刺身を切っている包丁とかまな板にもその原因があったりするらしい。
そこにアレルギー物質が付いている事があるらしい。
自分の体がこんなにもデリケートであったとは。
「先生、崎陽軒のシュウマイは大好きなのだけど、ホタテが入っているので大丈夫なんですかね」と聞いた。
「うーんマズイんじゃないかな」と言った。
食べてみますよ。生じゃないから大丈夫ですね、と言った。
うーんマズイじゃないかという顔をした。
何かあったらすぐ効く特効薬を出します、と言って処方箋を出してくれた。
そこには頓服薬(いざという時の薬)クラリチンと書いてあった。
赤い字で“蕁麻疹”と。
こんな漢字はじめて見た。ジンマシンと読むのだ。
私を殺すのはすごくカンタンです。
ホタテ貝を食べさせればいいのです。5〜6個で十分なはずです。