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2013年4月16日火曜日

「カユイ貝」

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マシンといえば機械の事と相場は決まっている。
ホンダがF1に再び参入する。
バイクオヤジ本田宗一郎もよろこんでいるだろう。あの世のスタンドで。
知人のF1レーサー中野信治さんも。さあ出番だ、と腕をまくっているはずだ。
マシン音痴の私がマシンを知る事になった。
何かといえば“ジンマシン”だ。

その日家族とお寿司を食べに行った。
お寿司は何より大好きで毎日でもOKだ。
コハダ、イカ、マグロの赤身、エビ(ボイルしたもの)、タイ、アナゴ、かんぴょう巻きを各一貫ずつ食べた。
その前に酒のつまみでお刺身の盛り合わせを少々。家に帰ったのが午後八時頃であった。
十一時を過ぎたあたりからやたら体がカユくなった。手、足、胸とカユくなり顔が猛然とカユくなった。酒を飲むと血管を刺激し、ジンマシンは広がると後で聞いた。
かつて経験した事のない状態となったのは午前一時を過ぎた頃だ。いよいよ全身がカユい。
頭が心臓になったかの様にグアングアン、ドッキンバッコン呼吸する。
本当の心臓の方もバッコンバッコンしてきたではないか。
鏡を見るとまっ赤にふくれあがった顔があるではないか。
まるで三升位飲んだ様な顔だ。
こりゃヤバイ。隣の部屋に寝ている愚妻に
「オイ、死ぬかも知れない。これから書くものを明日会社にFAXしてくれ」と言った。
今受けている仕事で支払う先を書いていった。
私にしか分からない事なので、もしもの事があったら仕事を頼んでいる人たちに迷惑をかけてしまうからだ。
一枚の紙にビッシリ書いて、これから市立病院へ行く、と言った。
ネボケた愚妻が「飲み過ぎよ。何!その顔酷いじゃないの」と言った。
元々酷い顔だ、行って来るからな、と呼んだタクシーに乗った。
なじみの運転手さんが「どうしたんですか、まっ赤な顔で」と言った。

市立病院に着いたのが二時頃であった。
日曜日にカユくなり、日付が変わって月曜日となっていた。幸い救急は私一人だった。
おなかの大きい看護士さんが受付の若い男の人と出て来た。
「電話をしてくれないとダメですよ」と言った。
若い男の人が「今日は仕方ありません」と言った。
「おなか大きいけど妊娠中なの?」
とカユいながらもいつもの調子で聞くと、「七ヶ月なのよ」と言った。
「大変だね」と言ったら、「人手不足なの。婦長さんに言って下さいな。こんな体なのに夜間の仕事をさせるな、って」と言った。
三人目なのよ、と言いながら体温計を出した。
ボリボリかいていたら若い先生が診察室の扉を開けて、どうぞと言った。
何を食べました?とか、過去には?とか言いながら体中を見て、聴診器を胸にあてた。点滴をします、と言った。
何ですかね、と聞くと、
「何かのアレルギーでショックを起こしているところです。子どもさんだったら危ないところですよ」と言った。
「特効薬でショックを止めるのに注射を打ってもいいのですが、注射によるショックもあるので点滴にします」と言った。
へえ〜大変なんだ、と看護士さんに言った。

ジンマシンと自分で勝手に思っていた。
アレルギーとジンマシンの区別が分かっていなかった。
ジンマシンはアレルギーの症状なのであった。

ベッドに座らされた。
何故か横にはさせてくれず小さなテーブルを出してくれた。
これにうつ伏せになるといいですよ、と言ってくれた。
左手に針を刺され点滴を二袋仕込んでくれた。
終わりましたよ、と声をかけられて顔をあげた。
すっかり寝てしまった。時計は四時半を少し回っていた。

次の日すっかりジンマシン(?)は消えていた。
頭のグアングアンも。
後日かかりつけのお医者さんに行ってその原因を調べる事となった。
一枚の紙にビッシリとアレルギーになりそうな食べ物の名があった。
血液検査の結果が4月9日に分かった。
原因はホタテ貝であった。

まさかいままでずっと食べていたのに。
そういえば刺身盛り合わせの中にホタテ貝が入っていた。
にっくきはホタテ貝であった。
人間の体は何かの事で体質が変わるらしい。
また、刺身を切っている包丁とかまな板にもその原因があったりするらしい。
そこにアレルギー物質が付いている事があるらしい。
自分の体がこんなにもデリケートであったとは。

「先生、崎陽軒のシュウマイは大好きなのだけど、ホタテが入っているので大丈夫なんですかね」と聞いた。
「うーんマズイんじゃないかな」と言った。
食べてみますよ。生じゃないから大丈夫ですね、と言った。
うーんマズイじゃないかという顔をした。
何かあったらすぐ効く特効薬を出します、と言って処方箋を出してくれた。
そこには頓服薬(いざという時の薬)クラリチンと書いてあった。
赤い字で“蕁麻疹”と。
こんな漢字はじめて見た。ジンマシンと読むのだ。
私を殺すのはすごくカンタンです。
ホタテ貝を食べさせればいいのです。5〜6個で十分なはずです。

2013年4月15日月曜日

「ある家族」


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泣いている、誰かが確かに。
午前三時を少し回った頃、私の耳の中にその泣き声が下から聞こえた。
二階から下りて、じっと耳を澄ますとやはり
“ウィーン、ウーン、ウェーン”と泣いている。
何しろ小さな家の中、その泣き声は直ぐに判明した。
すっかり老人化した冷蔵庫のモーター音だったのだ。
なんだつまんネェ〜の、と椅子に座りいつものグラスに氷の大きいのを入れ、
スミノフを注ぎ、ゴクッと飲んだ。

オイ、冷蔵庫、随分長い間がんばってくれありがとうよ。
開けたり閉めたりをきっと何万回もしてきたからな。
人間の寿命と同じでついにその日が近づいた訳だ。
などと声をかけた。
と、その時冷蔵庫はブルル、ブルルと揺れ始めた。
オレの言葉が通じたのか
冷蔵庫はウィーン、ブルル、ウェーンブルルを繰り返す。
グラスを手にしながら近づいて前に立つと、時刻表やら、分別ゴミの収集日の事やら、4週間目にこんにちはダスキンの事やら、防災マップがマグネットによって貼られている。掲示板にもなってくれていたんだなと思わずナデナデしてやった。
するとウィーン、ブルルが心なしか静かになったではないか。

いろんなものを冷やす冷蔵庫にもきっと温かい血が流れているのだろう。
家電も家族なのだ。

2013年4月12日金曜日

「ケルベロス」


西武多摩川線


若かりし頃西武グループの隅っこにいた時がある。
西武ホールディングスが米国のハゲタカファンドに
TOB(株式公開買付け)を仕掛けられている。
この事は私にとって何も問題はないのだが、ハゲタカファンドの
サーベラス・キャピタル・マネジメント(サーベラス:地獄の番犬の意)の不採算部門の整理検討リスト項目の中に西武多摩川線があった。これは困る。
何故なら私の父と母のお墓が多磨霊園にあるからだ。
中央線で東京→武蔵境へ。ここで西武多摩川線に乗り換える。
武蔵境→新小金井→多磨→白糸台→競艇場前→是政までが西武多摩川線だ。
単線である。かつては二両編成であったが現在は四両編成だ。

お彼岸、お盆、命日とお墓に参る大切な足なのだ。
クルマを運転しない私にとって西武多摩川線は、父と母に日頃の反省をするため、また家族や会社の人間の安寧をお願いする命綱といえる路線なのだ。
なんとしても地獄の番犬たちに訴えてほしい。
沢山のお墓参りする人のためにも。
そうでないと数万、数十万、その家族一族が数百万、数千万人が化けて出てきて、奈落の底へ落とすだろう。
「サーベラス」はギリシャ神話に出てくる「地獄の番犬ケルベロス」の英語読みだという。

日本法人の社員は一人だけ。こんなケースがどんどん出て、さらにTPPでさまざま市場開放が要求される。中でもISDSの導入は米国の最大の狙いだ。海外企業が投資先の国の政策変更で被害を受けたら投資先の国に賠償を求める事ができる仕組みだ。訴訟大国米国に訴訟後進国日本は勝つ見込みはゼロに近い。莫大な賠償金をモギ取られるだろう。何しろ弁護士の数が桁違いに米国は多いのだから。安倍晋三は永田町で有名な経済オンチ。この国の経済の事、なにがどうなったって知らないよだ。参議院選挙まで憲法の改正の牙を隠し、過半数をとってから一気に本性を現す。そして自衛隊を国防軍へ、徴兵制度へ。もしかして核武装へ一気に突き進むだろう。悪魔はやさしい顔をしているという。

2013年4月11日木曜日

「顔と顔」


佐久間象山




その夜TVのニュースでは株の投資セミナーに“楽して儲けよう”という人々がどっと押し寄せていた。主に中年以上であった。

まるで詐欺師の様な経済アナリストが競馬の予想の如き事をのたまわっている。
真剣にメモを取るオジサン&オバサンたち、勿論オジイサン&オバアサンもメモを取る。

「詐欺」という字を分解すると、言葉を巧みに「作」る→言+作、「詐」となり、人間としての其の事が「欠」けている→其+欠、「欺」となる。
アナリストや経済学者は過去に何度も予想を外してバブル地獄を生んだ。


あなた方の側に株でひと儲けという人がいたら、大切なお金は大切にしなさいとアドバイスして欲しい。後期高齢者であれば尚更貴重なお金をバブルで失ってほしくない。
お金は汗水たらして手にした労働の賜だから。

「儲」という字を分解すると「人」の「言」葉を「信」じてしまう「者」、人+言+者なのです。

そんな人たちの顔の後に、音楽家小澤征爾さん(77)の復活インタビューがあった。
その顔のなんと神々しい事か。三年前癌で食道を全摘出した。
だが音楽への執念は、凄まじいリハビリを終えて遂に復活をとげた。
お金儲けの事とは真逆の人だ。

思うになんで小澤征爾さんは文化勲章も国民栄誉賞も授与されていないのか。
最もご本人はそんな事どうでもいいで賞みたいな気持ちだと察しているのだが。
同じ人間でも楽して金儲けをと思う人間の顔と、音楽を通して人々に勇気と希望、感動をおくりたいという人の顔の違いに心底驚き、見たくもない自らの顔を鏡で見た。
その結果しばし愕然とした。ダメダコリャーと声を出した。
小澤征爾さんのコンサートにぜひ行きたいのだがチケットは手に入らない。
 
“男の顔は履歴書だ”という名言を言った人がいた。
確か元安藤組組長安藤昇さんだったと記憶している。
スカーフェイス、顔半分に斬られた傷痕がある。
顔の傷は男の紋章、背中の傷は男の恥という。

幕末松代藩の佐久間象山という武士にして先見の明ある大学者は暗殺された、その時背中に斬られた傷があった。武士の恥だといわれて佐久間家は断絶された。


2013年4月10日水曜日

「柄の悪い事」

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何を考えているんだ全く、平日に入学式をやるなんて、親が働いているんだからたった一度の入学式に出れないじゃないか。
親にとっても子供にとっても小学校の入学式は何より思い出の日なのだっていうんだ。
といえば、だって学校が決めた事だから仕方ないじゃないと娘はいう。
で、パパは出るのかと聞けばなんとか会社を休んで出たいと思っていますとお婿さんはいう。


全くふざけた話だ、その夜外は爆弾低気圧で烈風豪雨。
春休みの最後に娘夫婦と二人の孫が三日間泊まりに来ていた。鉄板焼きを大人6人、子供5人、計11人で食べながら私の怒りは鉄板の上みたいになった。 

411日(木)が娘の下の子の入学式なのだ。
誰がどういう考えで決めたか学校長に会って聞いてみたいと本気で思った。
学校とか先公(センコウ)は自分たちのご都合主義なんだ、何が一番大切か分かってネエんだよ、といえば柄の悪い言い方をやめなさいよなんて言いやがる愚妻。

なんでウインナーが茹でてあるのといえば、小さな子どもにはその方がいいのよ、それにはじけないし(?)なんていいやがる。イカが随分小さいなといえば、大きいと喉に引っかかるのよ子どもには、なんていいやがる、もう、もやしもキャベツも海老もホタテもカボチャも肉も何もかも気に入らねえやという事になった。

みんな学校のせいだ。 
11日に行って文句いってやるぞと思ったが当然恥ずかしい事は絶対やめてといわれるのが分かっているからやめて、焼きそばにしてくれといった。
あの紅しょうがとあの海苔をとなるのだが、当然うちは屋台のそば屋さんじゃないのだからというに決まっているから黙って食べた。

暴風大雨洪水警報が出た。
11日ガァーンと一発かましに船橋の小学校に行ってやるかと秘かに思っている。
えっ、それこそがモンスターなんとかなんだと。
私はペアレントじゃなくグランパなのだ。だからきっと許される筈だ(?)筒井康隆の小説に、「わたしのグランパ」という本があった。
読んでからつまんねえの買ってしまってシマッタと思った。
映画にもなった。主演は菅原文太であった。小説も映画もダボであった。

私もきっとダボなのだが、入学式は休日にすべし、親はこの日のために頑張って働いて来たのだから。これは正論の筈だ。翌日、娘家族は風と共に去りぬの如く帰って行った。車の中から手を振る姿は、文句いいに来ないでねといっている様だった。

2013年4月9日火曜日

「ある恋の物語」




昨年10月ある一人の老女が死んだ。八十九歳であった。
上羽秀(うえばひで)さんという、元銀座のバー「おそめ」のママさんであった。
京都祗園時代の源氏名「おそめ」からとったという。

京都の炭問屋に生まれたが、幼い頃両親が離婚し小学校を出て花柳界へ。
地元の名士に嫁いだが別の男性を好きになり子をもうける。
生活のため京都にバー「おそめ」を開く。芸妓時代の馴染客で大繁盛する。
川端康成、小津安二郎ら文化人が通い詰める。

 やがて東京銀座で15坪ほどの店を開く。
円羽文雄や大佛次郎らそうそうたる顔ぶれが通い詰める。
中でも白洲次郎はかなりお熱だったと伝えられる。
当時京都と銀座を飛行機で行ったり来たりする“空飛ぶマダム”といわれた。

銀座のライバル店との客の取り合いが映画「夜の蝶」となる。
確か京マチ子と山本富士子だったと記憶している(?)京都から来て客をとるんじゃないわよと酔ったママがおそめに乱入したシーンがあった筈だ。
当時の銀座には女と女の熱闘があった。また文壇バーという著名人や文化人、経済人が集まる処が何軒かあった。

おそめは1961年暮れにバーテンダーが偽酒を店で使っていたという容疑で警察の捜索を受ける。それ以後客足が少しずつ遠のいていった。
個人経営から企業資本を導入した大箱のクラブの時代に移っていった。

と、ここまではそれ程魅力的な話ではない。
この上羽秀さんは家庭人として幸せな晩年を送った。
が、名士のご主人とわかれるまで一緒になりたかった一人の男性がいた。

五十代になるまでは遊び人といわれその名を未だ世にしらしめる事がなかった映画プロデューサー俊藤浩滋さんがその人だった。
やがて東映ヤクザ映画の一大ブームをつくり大プロデューサーになった人だ。
藤純子(現富司純子さんはその娘)鶴田浩二、高倉健、若山富三郎、菅原文太、梅宮辰夫、千葉真一などみんな俊藤浩滋さんの一家だった。

上羽秀さんと半世紀近く共に暮らした後、俊藤浩滋さんは先妻との籍を抜き、入籍した。その時、新婦上羽秀さんは七十一歳だった。

46日(土)の新聞にその人生を語る記事があった。
上羽秀さんはくじらと異名をとるほどの酒豪で、夜はいつもよって化粧も落とさず寝ていたと、グラスを持って笑う写真のキャプションに書いてあった。
こんな女性に愛された男はやっぱり筋物だ。

2013年4月8日月曜日

「滅びの笛」




いかなる試合も相手がいないと試合にはならない。
相手が強化費を使って強くなれば、その相手も強化費を増やしていかねばならない。
この強化費を軍備費に置き換えると物事は分り易くなる。

北朝鮮が核を飛ばすぞと脅しをかけているが、この事で一番得をするのは誰かといえば、勿論戦争こそ金儲けとしてきた米国。
この際自衛隊を国防軍にという日本国、北朝鮮はオレたちのいう事しか聞かないぞという露国と中国。
核開発の事なら任せてといてくれと算盤を弾くイランやパキスタン。
軍隊に気合を入れたい韓国。
と、まあ北朝鮮問題は裏の裏の裏であらゆる駆け引きがされている筈だ。

 米国はもはや世界の警察だなんていっていられる状態ではない。
ハンバーガーとコカ・コーラで肥満大国、あらゆる主要産業はユダヤ人が握っている。
“ベニスの商人ではないが金儲けに関しては世界民族の中で抜きん出て一番だ”(ベニスの商人は名判事により貸した金は戻らなかったが)
果たして世界の何処かに名判事はいるだろうか。

西村寿行の小説に“滅びの笛”というのがある。百年に一度山の熊笹が異常繁殖をする。
それと同じくして熊笹を食べるネズミが異常繁殖する。
それと同じネズミを食べる天敵イタチやテン等が異常繁殖する。
逃げ場も食べる物も失ったネズミの大集団は、山から村そして街へ出てあらゆる物を食べつくしながら最後には東京湾に向かい集団自殺する。
事実東京湾の歴史でその事が確認されている。

さて、ネズミはどの国か、熊笹は何か、テンやイタチはどこの国か、冷静に考えてみれば分かる筈だ。食べ物もなく生きる術もない北朝鮮の国民を見ていると戦前の日本と見事に一致する。他国を北と南に分断して戦わせる様な事をする国はなんでもありだ。

2013年4月5日金曜日

「売国奴たち」





アベノミクスが→“上げのミクス”となりその正体が現れてきた。
世界広しといえども値上げを進める政党、増税を進める政党の支持率が70%という国はまず無いだろう。

電気、ガス等の値上げ、小麦粉、食用油等の値上げはあらゆる物の値上げに結びついてしまう。正規社員をお金を払って解雇しよう等という悪巧み、65歳以上を勤め続けさせる等という一見いい法案に見えるが、年金を支払うのを少しでも遅らせたいという見え見えの法案、これにより若者たちはますます就活に苦しむ事となる。 
60歳まで減払奉公これから第二の人生だという人にとっては勤労地獄法案だ。
やっとこさ年金生活だと喜ぶときにはすでに体がボロボロとなっている。

竹中平蔵などというアメリカ資本主義、競争主義にどっぷり染まった経済学者が更に規制を緩和して行けと動いている。売国奴といえるだろう。
日本人は“和を以って貴うべし”と教えられてきた。
弱者に対しては皆で手を差し伸べよ、強き者は実った稲穂のごとく頭を下げようと。
世に言う御用学者たちほど始末の悪い者はいない。
害虫であるからにして、フマキラーとかゴキブリホイホイとかキンチョールで退治せねばならない。

“龍腕無鱗”という言葉がある。
龍の鱗には魚の鱗は無いという意味だ。
米国という魚に日本という鱗を何故にベタベタつけねばならないか、本来別々なのだから。

アメリカの最大の欠点は、他国を手前勝手に理解する事だという。
骨の髄までシャブリ続けられるのだろう。
日本にタフネゴシエーターは一人も見当たらない。シャラップ!ジャップ!なんていわれて机をドンと叩かれたらすべて受け入れる事だろう。
甘利明などという“アマリ”に軽いのがこの国の未来を左右するTPPの担当大臣だなんてやっぱり“あまり”の事だと思わずにはいられない。