昨年10月ある一人の老女が死んだ。八十九歳であった。
上羽秀(うえばひで)さんという、元銀座のバー「おそめ」のママさんであった。
京都祗園時代の源氏名「おそめ」からとったという。
京都の炭問屋に生まれたが、幼い頃両親が離婚し小学校を出て花柳界へ。
地元の名士に嫁いだが別の男性を好きになり子をもうける。
生活のため京都にバー「おそめ」を開く。芸妓時代の馴染客で大繁盛する。
川端康成、小津安二郎ら文化人が通い詰める。
やがて東京銀座で15坪ほどの店を開く。
円羽文雄や大佛次郎らそうそうたる顔ぶれが通い詰める。
中でも白洲次郎はかなりお熱だったと伝えられる。
当時京都と銀座を飛行機で行ったり来たりする“空飛ぶマダム”といわれた。
銀座のライバル店との客の取り合いが映画「夜の蝶」となる。
確か京マチ子と山本富士子だったと記憶している(?)京都から来て客をとるんじゃないわよと酔ったママがおそめに乱入したシーンがあった筈だ。
当時の銀座には女と女の熱闘があった。また文壇バーという著名人や文化人、経済人が集まる処が何軒かあった。
おそめは1961年暮れにバーテンダーが偽酒を店で使っていたという容疑で警察の捜索を受ける。それ以後客足が少しずつ遠のいていった。
個人経営から企業資本を導入した大箱のクラブの時代に移っていった。
と、ここまではそれ程魅力的な話ではない。
この上羽秀さんは家庭人として幸せな晩年を送った。
が、名士のご主人とわかれるまで一緒になりたかった一人の男性がいた。
五十代になるまでは遊び人といわれその名を未だ世にしらしめる事がなかった映画プロデューサー俊藤浩滋さんがその人だった。
やがて東映ヤクザ映画の一大ブームをつくり大プロデューサーになった人だ。
藤純子(現富司純子さんはその娘)鶴田浩二、高倉健、若山富三郎、菅原文太、梅宮辰夫、千葉真一などみんな俊藤浩滋さんの一家だった。
上羽秀さんと半世紀近く共に暮らした後、俊藤浩滋さんは先妻との籍を抜き、入籍した。その時、新婦上羽秀さんは七十一歳だった。
4月6日(土)の新聞にその人生を語る記事があった。
上羽秀さんはくじらと異名をとるほどの酒豪で、夜はいつもよって化粧も落とさず寝ていたと、グラスを持って笑う写真のキャプションに書いてあった。
こんな女性に愛された男はやっぱり筋物だ。
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