ページ

2013年11月5日火曜日

「それぞれの道」






たった一球のストライクで英雄になり、たった一球のフォアボールで戦犯になる。
たった一つの死球で試合は壊れ、たった一つの失策で一年間の努力は消え去る。
たった一球の先に栄光と敗北がある。
たった一つの勝利を求めてプロの男たちは人生を賭ける。
主役を演じる者、脇役に徹する者。

巨人対楽天の日本シリーズ第七戦、最終回のマウンドには前日160球を投げた田中将大投手が仁王立ちしていた。
一年間敗け知らずという奇跡的な投手はそのプライドを初めての敗戦投手という結果で傷つけられた。最終戦最終回、自ら志願したというが星野仙一監督は勝っていたなら胴上げ投手は田中将大でと思っていたのだろう。歓喜の演出と東北のファンへの感謝を込めて。

30で勝っていた楽天、この試合に勝てば日本一だ。
前人未到の男の球はさすがに疲れていた。ヒットを2本打たれる。
代打矢野謙次選手に一発のホームランが出れば同点となるのだが、巨人に代打の人材が不足していた事が証明される。
矢野選手は今シーズン一年間を通して2本の本塁打を打っただけの長打力しかない。
だが、もしかしては過去に何度も起きている。

だがやはり田中将大の投じた命の豪球は矢野選手を圧倒し三振させた。
ゲームセット、東北に歓喜の渦を巻き起こした。
私はこの試合を決めたのは四回一死澤村投手から打った牧田明久(31)選手のホームランであったと思う。

牧田選手はどのチームもいらないと、分配ドラフトされた選手であった。
00年秋ドラフト5位で近鉄に入団、最初の四シーズンは一軍出場なく、楽天創設時寄せ集めの選手の一員であった。
日本シリーズ第一号は巨人に深手を与え、それが止めとなった。このシリーズは脇役の差が出た。それと一球に対する執念と球際の強さの差だ。

牧田選手が打った後グランドを回る姿に、チキショウ主役たちに敗けてたまるかという男の意地を見た。

私は果たしてたった一球に命を賭けるプロの選手の様に全力で生きて来ただろうか。
プロとして努力を続けて来ただろうか、悔し涙をどんぶり何杯分も流してきただろうか。私にとって仕事を依頼してくれる会社並びに人々は主役であり監督でもある。
その期待に応えて来ただろうか。脇役としての力を発揮して来ただろうか。

牧田選手の四打席を見ていて胸が熱くなり、心を新たにした。
日本シリーズ七戦で楽天の総得点は21点、巨人は15点であった。
その6点差は間違いなく脇役の集中力と精神力の差だった。

脇役に栄光あれ、東北に復興あれ。この日サッカーの三浦知良選手が468ヶ月8日、最年長ゴールを決めた。唐獅子牡丹を演じた高倉健(82)が文化勲章の親授式に出席した。主役たちには主役たちの長い道が待っている。人間はそれぞれの道を極める素晴らしい生き物だ。

2013年11月1日金曜日

「クルミパン」

イメージです



人間がこの世で生きていく上では必ず何かの影響力を受けている。
良い影響力もあれば、すこぶる悪い影響力もある。

アメリカの経済誌「フォーブス」が恒例の「世界で影響力を持つ人物」の番付を発表した。対象は各国の首脳や企業経営者だ。
それによると1位はロシアのプーチン大統領、二年連続トップのオバマ大統領は2位、3位は中国の習近平国家主席。

日本では黒田日銀総裁が39位、ソフトバンク孫社長が45位、総理大臣である安倍晋三はなんと57位だった。如何に世界の目は安倍晋三に対して厳しいものを持っているかを表している。つまり影響力は全然ないのだ。
自分が選んだ日銀総裁より下に見られてる事を知って愕然としただろう。
一年後安倍政権のままである保障は何もない、一寸先は闇だから。

ある記事にビックリした、確かイランだったと思う。
麻薬を売って死刑を執行された人間がなんと生きていたのだ。
絞首刑にされてガターンと落ちて12分、すっかり動かない、もうあの世に行っただろうと下ろすとなんと生きていた。

一日様子を見た後この人間は無罪となったという様な記事だった。
執行は二度する事が出来ないからだとあった。
絞首刑のあり方に大きな影響力を与える話だ。
日本でも絞首刑はやめて薬物にしてはとの議論がされている。

いまさら日展の審査が大ボス、中ボス、小ボス、ただのボスの系列で入選が割り当てられているなんて事を朝日新聞が朝刊一面にデカデカと書いた。
画壇、書壇、文壇、彫刻壇、およそ「壇」と付く世界はボスの影響力で決まる。
お決まりの貢物、金、酒、女性または同性愛だ。

大ボス、中ボスたちは実は殆ど弟子に書かせて最後の仕上げをチョコ、チョコと手を入れただけともいう。こんな話は今更なのだ。
朝日新聞がトップ記事に持ってきたのには何かの影響力が働いたのだろう。
今どき日展入選なんて「へ」みたいなものなのに。

書道展なんて毎年金太郎飴みたいな同じ代物ばかりだ。
私の敬愛する浅葉克己先生の書の敵ではない。全部中国の真似ばかり、中世の真似ばかり、独創性が無いのだ。
こういう悪い影響力をやたらに発揮する人は若い才能の芽を殺すので、いち早く退いてほしいと思う。

集英社は30日、尾田栄一郎(38)さんの「ONE PIECE」の単行本が累計3億冊を超えたと発表した。鳥山明さんの「ドラゴンボール」の15200万部を大きく上回った。
72巻が与えた影響力は途方もなく凄い事だ。文化勲章をいずれ与えねばならないだろう。

大ボスとかの影響力のおこぼれで生きている人間のなんと多い事か。
そのおこぼれが手にできないとなると必ず密告をするのだ。愛憎の結果もある。
これは人間の持つ悪い「性」みたいなもので大化の改新以後ずっと続いて来たしこれからも永遠に続く。

私は基本的に反権力、反権威だが若い人材を育てるためにはやっぱり◯△賞は獲れよと応援する矛盾を抱えている。それ故、人々に迷惑をかけ、悪い影響(?)を与えて来た事を反省している。

私を知る若者はどうか私を反面教師にして下され。
えっ、何も影響力なんか無いってか、そりゃ結構でやんした。

今年もいよいよあと二ヶ月か。クルミパンを口にくわえながらカレンダーをめくり十一月にした。それにしても本拠地で1918年以来95年振りの世界一を目指すボストン・レッドソックスの田澤純一と上原浩治は素晴らしかった。
出歯と歯茎がこれほど美しいのを見た事がない。
全力で世界一になった後のタフな男たちの歓喜の姿に全身鳥肌が立った。

2013年10月31日木曜日

「土橋の交番」




久々にポンタクに乗った。
ポンタクとは「白タク」の事、白タクとは自分のクルマ、即ち白ナンバーで営業をするいわばタクシー業界に加入していない違法タクシーの事だ。

ポンタクに乗る時は◯△までなら幾らと事前交渉して話がまとまればそれじゃレッツゴーとなる。銀座のポンタクは縄張りを持っている◯☓会や□☓組などにお守り代として一台一ヶ月一万円を払う、月番の運転手が仲間から一万円ずつ集金して毎月納めに行く。

 現在この行為は反社会的行為となっているが運転手たちは自分たちの身の安全のためには必要な納金と思っている。ポンタクは皆いいクルマを使用するのが決まりだ。
センチュリー、デボネア、セルシオ、クラウンが多い。

その夜、業界の巨匠である二人の友人と話が盛り上がり、気がつくと終電がなくなっていた。熱っぽかった体も友人の熱気でかき消されてしまうほどであった。

巨人が楽天に65で逆転勝ちをしましたよと店を出る時、マスターから聞いた。
やっとこ日本シリーズになったんではないかいと言った。
別にどこのファンというのではないが私と同じ岡山県出身の星野仙一監督が大嫌いなのでマアマア相方頑張って盛り上げてくれという感じだ。
東日本大震災の被害を受けた東北の人々のためには楽天に頑張ってとも思う。
田中将大投手は負けないままシーズンを終えたらどうなるのだろうと思う。

楽天の三木谷オーナーが日本一のチームのオーナとなるのは余りツキ過ぎでおもしろくないな、でも私の愛する後輩の一人が熱烈な楽天ファンだしな、などと思いながら歩いてタクシー乗り場に友人と近づいて行くと、ダンナどちらまでと数人の男が寄って来た。

タクシー乗り場には十数人が並んでいた。
ポンタクかと言ったら、中年太りほっぺふっくらの男がそうでやんすみたいに言った。
どちらまで、先ず一人を送って◯☓まで、その後□△までだと言った。
それじゃ高速代込みで☓☓円でどうでやんしょと言った。
よし分かったと友人と黒のセルシオに乗った。

ある企画の立ち上げで連日夜出来の悪い頭を使い、一日中しゃべりまくる日が続いていたので脳と体は疲れていた。それと毎年かかる秋のアレルギーが今年も出て来ていた。
でもいい友と会い、いい話の花を咲かせると疲れが取れる。

目黒まで送る友人は、野良猫の面倒をみていたらノミの大攻撃を受けてカユイ、カユイと言っては、手と足をしきりに掻いていた。つられて私もカユイ、カユイ状態となっていた。クルマの中でも話は弾んだ。
セルシオはさすがに乗り心地抜群、3000ccの馬力でグイグイ進んだ。

運ちゃん、いまあそこにポンタク何台位いるんだいと聞いたら15台位だと言った。
 銀座八丁目、旧三井アーバンホテル前、直ぐ側が土橋の交番、お巡りさんがちゃんとポンタクの営業を見守っている(?)ちなみにフツーのタクシーよりポンタクの方が4000円安かった。
かつてはポンタクの方が23割高かったのに、銀座だけで300台以上はポンタクがいたのに今は40台位らしい。夜の銀座はやはりどこより好きな街だ。

走ること一時間半余、家の近所のコンビニに着くと運ちゃんが名刺をくれた。
野本☓☓と緑地に黒文字で書いてあった。
ダンナたちの話はメチャメチャ面白いですね、今度またぜひと言った。
酔っ払いの戯言だよ、またな気をつけて帰れよと言ってポンタクと別れた。

午前二時を過ぎたサークルKには客は一人も居なかった。
サーフィン灼けした女店員が一人いた。
店を出て夜空を見ると星が飛び切り美しかった。

2013年10月30日水曜日

ショートムービー「あかるい鬱」


「脈絡なしの中で」




フレデリック・ショパン作曲、バラード第1番ト短調作品23
なんていっても実は私は何の事か分からない、が今毎日この曲を聴いて入眠手続きをする。

何かいい曲がないかと思っていた時、イギリス制作のドキュメントフィルムで知った。
あらゆるジャンルの音楽を私は聴いて来た。音楽はアイデアの源泉だからだ。

ファンキーなモダンジャズの後に演歌、その後にリズムアンドブルース、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、イーグルス。
その後に童謡、その後にウエスタン、その後にプレスリー、ビートルズ、その後にサーマン・マンソンの気狂いロック、その後に石原裕次郎、高倉健、その後にシャンソン、その後に小林旭、美空ひばり、藤圭子、その後にディキシーランド・ジャズ、その後に村田英雄の人生劇場、三橋美智也の哀愁列車、鳥羽一郎の兄弟船、その後にハワイアン、その後に学校唱歌、その後に大好きなトム・ウェイツやジョニー・キャッシュやライ・クーダー、カルロス・サンタナのギターやニニ・ロッソのトランペット等々脈絡なく一日中聴きまくって来た。

中学時代音楽は2であった。
何故1でないかというと、未だ26歳だった女の先生と仲良しだったからだろう。

さてショパンの曲は1835年に作曲された。
ショパンはその時20代半ばだったという。ショパンは7歳にして作曲をしたというから9歳で作曲したモーツァルトより天才だった。

 1930年代祖国ポーランドは分割されていた。オーストリア、ハンガリー帝国、ロシア帝国、プロセイン王国によって。ショパンは逆境にある祖国への熱い思いを抱きこの曲を生んだのだという。39歳でパリで亡くなるまで作曲、演奏活動をした。

バラード第1番ト短調が東日本大震災のあの津波の映像に合わせ、イギリスのピアニスト、スティーブン・ハフの超絶的演奏とシンクロナイズした時、私は目にいっぱいの涙が浮かんだ。わずか9分間の中に戦いと平和、絶望と希望、格闘と静寂、諦念と熱情。
そして十本の指でバンと終わる。

今、心が疲れている、病んでいる、愛に飢えている、孤独に耐えている。
生とは、死とはを考えている。そんな人に是非この曲をおすすめしたい。
泣いて、泣いて、涙をふいてグラスの中を見つめると、生きる勇気が沸いて来る。

鉛色の海、鉛色の空、鉛色の風、無彩色の東北の海に流れるショパンのバラード第1番ト短調、今年最大の収穫の曲であった。人間の感情が全て音符になるなんて。
音符が全て涙のしずくになるなんて。

午前四時七分二十八秒、私はもう一度聴き始めた。
少し濃い目のウイスキーオンザロックを手にしている。東北に行かねばならない。
 3.11を風化させてはならない。私にはやり残している宿題がある。

2013年10月29日火曜日

「まさか」




戦後を生き抜いて来た老婆はどこまでも執念深い。
特に食べ物には。

味覚の秋の脇役といえば銀杏(ぎんなん)だ。
茶碗蒸し、土瓶蒸しという「蒸し社会」の両巨頭に欠かせない。
本物の茶碗蒸しか、真実の土瓶蒸しかはその中に銀杏が入っているかで決まるといっても過言ではない。

老婆は八十歳位であった。
息子夫婦とおぼしき五十代、孫とおぼしき二十代の女性と辻堂駅西口のお寿司屋さんのカウンターに座っていた。人気のちらし寿司には茶碗蒸しが付いている。
1200円+消費税、その家族はきっと何かいい事があったのだろう、松茸土瓶蒸しをアラカルトでオーダーしていた。800円+消費税、私と友人は小上りの座敷で冷酒を一本ずつ飲みながら、ちらし寿司を待っていた。店内は人気なので満杯だ。

「あのおばあちゃん大丈夫かな、あんな高いカウンターの椅子に座って」と言った。
友人が「足がちゃんと着いてないから危ないなと」言った。
「でも、かなりこの店に慣れているみたいだから大丈夫じゃない」と私が言った。
私と友人はとりとめのない話をしていた。

楽天の田中将大選手には神が乗り移ったようだな、東北の大震災で亡くなった多くの方々の魂が田中選手に乗り移ったのだろう、ただ好事魔多しと言う。
このまま勝ち続けると、世界プロ野球史上空前絶後の記録の後に、「もしか」とか「やっぱり」とか、◯☓とか、□△とかを話していると、私たちの側に老婆がいつの間にかいるではないかい。

あたしの銀杏が見つからないの、と言う。
何でも茶碗蒸しの中の銀杏をお箸でつかもうとしてスルッと落ちてしまったのだと言う。何処へ行ったんでしょうねと言って、アッチコッチを探すではないか。
おばあちゃんいいじゃないと息子とおぼしき声、私の銀杏を食べてと嫁とおぼしき声、おばあちゃん私が探すからと孫とおぼしき娘の声、店内二十人近くが銀杏一個に集中したのだ。「オカシイワネ、イッタイドコへイッタノカシラ、クヤシイワネ、ギンナン」と、ブツブツ言って執念深く探したのだ。

私が店の若い衆に、丸いものは「もしか」とかにあるんだぜ、「やっぱり」とか「まさか」の処にあるんだよと言った。ヘイ、わかりやしたと探したが見つからないのであった。歴史はすべからく謎の中にあるものなのだ。

すこぶる食欲旺盛の老婆は出たものはしっかり食べた、しかも銀杏を諦めきれなかったのか、息子とおぼしき男の人がレジで勘定している間も店の下の方をずっと見ていた。

アレこんな処に銀杏がと言ったのは私たちの隣でランチをしていた会社員風四人組、その中の一人の靴の中に銀杏が入っていたのだ。
高いカウンターの処から落ちてバウンドをしてすっかり入ってしまったのだろうと友人が言った。まさか、きっと老婆が立ち上がった時、衣類の何処かについていた銀杏がポトンと落ちたのだろうか。

なあーんだびっくりしたなあと店主の声。その時、老婆は既に退店していた。
今度来たら握って出してあげなよと洒落たひと言を四人組の中の一人が言った。
十月二十八日(月)の午後の出来事だった。
松茸土瓶蒸しの方の銀杏は、ちゃんと口から食道を経て転々としながら老婆の胃袋に入った様だ。

田中将大選手の事は、私の「老婆心」で終わってくれる事を祈るのみだ。
神は時に残酷で、時に移り気だから。

2013年10月28日月曜日

「塩からとんぼ」



塩おからとんぼ


「王将」という歌をヒットさせた歌手といえば故村田英雄だ。
決して餃子の王将の歌ではない。将棋指しの坂田三吉をモデルにした歌だ。

♪〜生まれ長屋の八百八橋というフレーズがある。
村田英雄はこれをヤオヤバシと歌ったというエピソードがある。
これはある作曲家が語った愛嬌だ。

ウソ八百という位だから世の中はずっとウソだらけだったのだろう。
船場吉兆がウソにウソを重ねて廃業した頃すでに阪急・阪神ホテルはウソ八百を始めていた。阪急の祖、小林翁があの世でこれを知ったら怒り八百を持ってこの世に戻って来るだろう。

ある年、ある坊さんがその年の一文字を「偽」と書いた。
既に忘れられたが北海道のミートボール屋さんとか、東横インとか、姉歯建築事務所などがやり玉にされて連日賑やかであった。

誰かが密告(チクリ)したのだろう、偽装は内部告発から世にさらされると決まっている。謝って済むなら警察はいらねえんだよ、という警察も偽装だらけ。
東京電力なんか未だにウソ八百を垂れ流し、汚染水も垂れ流し続けている。

安倍晋三総理などは、完全にブロックされているというが「完全」の二文字を官僚の作成したウソ八百を使い分けている。何にも決められない民主党から何でも決めちゃう自民党となっている。

TPP問題なんかはどんどんウヤムヤになって来た。
農家の減反保障の廃止とか、老人医療負担一割増しとか。
次々と公約破りだ。

かつて稀代の悪法といわれた治安維持法を特定秘密保護法案と名を変えて立法化しようとしている。
この法律は例えばファミレスで二、三人で世間話をしていても、オイ、何を企んでいるんだとしょっぴく事も可能になる。
話している相手が中国人、ロシア人、韓国人、インド人、パキスタン人、イラン人、イラク人、トルコ人、アフガニスタン人となれば更にその確率は高くなる。
外国人は治外法権があるので見逃すとしても日本人は疑われたらずっと追跡される事となる。

外国語を達者に使う人間はスパイではとチェックリストに載せられるだろう。
外国語学校や英会話教室などは元々スパイが多いと疑われてきたからこれから更に目を付けてられる事となる。

ジャーナリストが夢だった、憧れだったという「みのもんた」が自身の言葉を巧みに操って「みのもんた」による「みのもんた」の禊ショーを行った。

 先ず最初に謝罪するのは被害者であり、自分が出演していた局であり、番組を提供していたスポンサーだろうと思う。息子に向かって何かひと言といわれ、「バカヤロー」と言った。それはきっと自分を追い込んだジャーナリズムに対しての気持ちでもあったのだろう(とりわけ自分が身を置いている芸能ジャーナリズムに)。勿論自分に対してでもある。

私なりに考えると息子が起訴されそうな事を察知して行動を起こしたのだと思う。
財布を盗んだ相手に示談にしてもらうためにが本筋だろう。
ラジオなんかで突っ張っているとマズイ事になりますよと当局からアドバイスがあった筈だ。

息子よ、お前の人生はまだ長いこれからだ。俺の身にかけてお前を更生させたい。
父は全てを失うが、お前への愛情は失わない。それだけで十分だった。
「子は育てた様に育つ」というから、私もこの機会に我が身を振り返るのだ。

台風で順延になっていた孫の運動会が十月二十七日(日)快晴の中で行われた。
小学生たちにウソ八百はない。一人ひとり一生懸命全力だ。
親は勿論、応援する親族一同、ご近所一同この日ばかりはみんな仲良しだ。

大人もはじめは子どもだった。指切りげんまんウソついたら針千本飲ますと誓い合った。秋風に揺れる万国旗の下、リレーの選手となった孫が全力で走り友達にバトンを渡す姿を見て、あ〜俺にもあんな真っ白い時があったなーと思った。
毎日運動会だったらいいのにな〜。秋になると必ずこの思いをする。

トンビが数羽空から弁当を狙っていた。トンビもまた、子を育てて居るのだろう。鉄棒のところに塩からとんぼが止まっていた。秋は一気に深まって行く。ガンバレ、ガンバレ大人よだ。

2013年10月25日金曜日

「カキフライ」


イメージです


人間の値打ちはその人が何をしているかを見れば分かる。
最も値打ちが高いのは弱者のため、行き場のない人、困った人のために生きている人だろう。

広島県のとある町に一人の老婆がいる。
そこには少年院を出た少年、家出をした少女、不良少年、少女たちが食を求めて来る。

老婆は言う、非行に走る原因は飢えなんですよ、子どもたちは空腹に耐えられない、帰る家もない。帰る家があっても帰りたくない。親に見放されている少年少女はこの老婆の作るあたたかいごはんに失ったものを味わうのだ。
子どもは腹がへると万引きをする、恐喝や売春もするんだ、親が子どもに対して無関心となった時、子どもはすでに非行列車に乗っているのだ。

ある日その老婆を訪ねて十六歳の少女が来た。
あどけなさが残る顔で茶髪をしきりに指でなでながら、お腹空いたご飯食べさせてと老婆に甘える。あーいいよ、いいよと熱々のご飯を出してあげる。
贅沢なおかずは無くとも少女にとっては何ものにも代え難いご馳走だ。
少女はおいしい、うまいよと言って笑う。

親に対しては子どもの方が無関心だ。
結婚したいな、いい人見つけてさ、老婆は優しい顔でそれをじっと聞いている。
老婆はずっとずっとそうして少年少女を見守って来たのだ。

アンパンマンの生みの親が亡くなった。
そんな時にあんぱんで有名な銀座木村屋が身内同士、一族同士、骨肉の争いをしているという。なまじっか財産をたらふく遺すと醜悪なる姿をさらけ出す。
甘いあんこのあんぱんを真っ二つに割るとドロドロした黒い血の塊がツブツブ、ブツブツと入っているのだ。

私は時々木村屋の二階で人と待合わせをする。
先日そこで人と会った、店長とおぼしき人間にオイ、相変わらずお家騒動続きだなと言うと、苦笑いしながら「何しろ木村屋ですからね」と意味深なことを言った。

私はあんぱんを食べる事はない、銀座を行き交う人間観察にはいいロケーションなのだ。それと携帯を持っていないので、和光の上の喫茶室とかその隣の木村屋なら間違いない。

木村屋一族に広島の老婆の生きる姿を見せてやりたいものだ。
あんぱんをどんどん送る位の事をしてもいいんだよ。
銀座のあんぽんたん。従業員は一個のあんぱん売るのに一生懸命なんだよ。

何!木村屋から追い出された人間が行き場、立場がなくて困っているだと、何をいうかあんぽんたん、売り場に出てお客さんに頭下げてあんぱんを売れっていうんだよ、一から出直せだ。売り場は商人の原点なんだから。

さて、今夜はカキフライ、いよいよ広島の季節じゃけんのぉー。

2013年10月24日木曜日

「YOSHINOYA」




東京駅発熱海行。私の最も苦手な東海道線なのです。
人は熱海へと思った瞬間から既に旅行モードに入ります。

男三人組、五十代とおぼしき二人と二十代後半の男。
で当然の様に買い出しは若い男。
発車まであと十数分、第一便まずは缶ビールロング缶3缶、一番搾り2缶とサントリーモルツ1缶。歌舞伎揚げ一袋とサキイカ、サラミ、柿ピー、笹かまぼこ各一袋ずつ。
第二便タカラ缶チューハイ3缶、おーいお茶のペットボトル3つ。
第三便「牛肉どまん中」「北海海鮮丼」「崎陽軒シュウマイ弁当」駅弁各1個ずつ。「まい泉かつサンド」2個。
で第四便、週刊ポスト、週刊現代各一冊、日刊ゲンダイ、夕刊フジ各一紙。
若者はこれだけの買い出しを十数分でアッチコッチソッチとめまぐるしく動き、座席に運んで来た。席をヒックリ返し向かい合わせにしていた。

私はその横にいた。あーついてねえやっぱり次の列車にするべきだったと悔やんだ。
だが私は先に座っており、全体的にまったりと席に馴染んでいた。
新聞を読み始めていた。何しろガヤガヤと入ってきて、オイ買って来てくれの合図で後はフィルムの早回しの様に若い男が運んで来たのだから仕方なしだ。
他に空いている席もない。

プシュ!プシュ!プシュ!と缶ビールが開けられた。
髪の薄い五十代は一気に飲干しプハァーとやった。発車のベルが鳴っている間に。
灰色の髪の五十代が歌舞伎揚げの袋を左右に引っ張りブホッと開けた。
独特の油っこい臭いがプーンと私の鼻の中に入った。

嫌いだ、嫌いだ。
列車の中の歌舞伎揚げは、左手に缶ビール、右手で一枚バリバリ食べだした。
食べた欠片が黒いズボンの上にパラパラ落ちる。
列車は動き出していた、有楽町の駅を通過した、次は新橋だ、またいろんな会社員が乗って来るなと思った。

あの三人が座っている席には一人分空いている、グリーン車代払った人間、誰が座るだろうか、座る、座らないを賭けていた。
三人は新橋ですっかり旅人モード、どうやら翌日熱海で研修会があるようだ。
黒いズボンの上にはサキイカの粉も落ちている。
歌舞伎揚げは三枚目になっていた。

臭い、いっそ新橋で降りて次のにするかと思ったが何で降りなきゃなんねえだと考え、降りる必要性を見い出せなかった。
と、その時すいませんそこ空いてます?と三十代後半の女性が根性決めて言った。

 950円払ってんのに立って行くなんて冗談じゃないとその女性の顔に書いてあった。
えっ、あ、おっ、ど、どうぞと三人はドギマギする。
空いていた席に置いてあった飲料及び食料をナンダナンダノッテキタノカと大移動、すっかり宴会気分はトーンダウン。
何だいこの女ズケズケしやがって、よくまあ男三人のところに座りやがんなと顔に出ていた。

シラー、シラー、シラーとしながら列車は品川に向かった。
バーバリーチェックの短パンに黒のレギンス、丸首の白い長袖に、襟の大きなジーンズジャケット、それをスカーフ替りにして今はやり出したファッションにしていた。
耳にはイヤホン、手には当然スマートフォン。

オッサンたちイケてないよ、歌舞伎揚げいい加減にしてよ、みたいな目線をバチバチっと放った。あんまし美人じゃないけど中々出来ない事をやる女性に拍手を送った。

品川を通過し、川崎を通過した時には三人はすでに駅弁以外をあらかた飲み且つ食べ終えていた。髪の薄い男が「牛肉どまん中」を食べ始めた。
私は臭いに耐えていた(列車以外で食べる歌舞伎揚げは大好きです)。

あの女性は相当仕事が出来るなと思った。
足を組んだヒョウ柄のハイヒールの裏にGINZA YOSHINOYAの文字、銀座の名店皇族が好んで選ぶ靴屋さんだと聞いた事がある。
松屋斜め前、決して吉野家ではない。それ故牛丼は売っていない。

2013年10月23日水曜日

「キンイロヨルマタ」



♪〜ゴールドフィンガー、金色の靴、金色の冷蔵庫、金色のスカート、金色の洗濯機、金色のスマートフォン、金のパスタ、金のパン、金のハンバーグステーキ、納豆金のつぶ、金の麺、金麦のビール、世の中「金」だらけ。
「金」まみれ、何かにつけて金をつければ売れ筋となっている。 

2008年のリーマンショック前の好況期に金色がはやった事がある。
三遊亭金馬などお座敷からの呼び声が多くなったという話は聞いていないが、きっと年末にかけてお座敷が増える筈だ。金太郎飴、金平糖なんかも俄然人気になるやもしれない。

金髪、金の爪、金のアイメークなども勿論はやるだろう。
金のバッグ、金の財布(例え中に金が入ってなくても)、金のシャツに金のネクタイ、金のスラックスに金のスカーフや金のマフラー、金の手袋に金の靴下、金のピアスに金のネックレス。早い話が金箔のプールにドボンと飛び込んで上がってきたら流行の先端となるのだ。

「金色夜叉」などという「尾崎紅葉」の本も売れ始めるかもしれない。
熱海の海岸で貫一に、恋人お宮が金持ちのところに嫁に行くと告げると、貫一は激怒しお宮を突き放す。貫一の足にお宮はすがりつく、貫一は言う、金に目がくらんだかと(正しくはダイヤモンドだと記憶している)。そして貫一は金貸しになって行く。
お宮が嫁いだ先は事業はかばかしくなく没落する。

♪〜熱海の海岸を散歩する、貫一お宮の二人連れ、共に歩むも今日限り、共に語るも今日限りとなり熱海の名所「お宮の松」は生まれた。
あ〜嫌だ嫌だ、金、金、金色の世界なんて。

茅ヶ崎に「鉄砲通り」という名の一直線の道がある。
軍国日本の頃、兵隊が鉄砲担いで行進したらしい。
近所に「兵金山」というのもあるからして藤沢、辻堂、茅ヶ崎近辺は兵隊が集結していたらしい。

その鉄砲通りに夫婦二人で不動産を営んでいる知人がいた。
ある年ポスターを作ろうとなりデザインし、キャッチフレーズをつけた。
「どんなお金持ちのウンコも金色ではない」出来上がりを持って行くと二人は苦笑い、私の顔がゴツイせいか二人はそのまま沈黙してしまった。
まあーいいや一度だけでも貼ってよ、費用はタダでいいからねと言ってその場はサヨウナラ、何日か経った時、自転車でフラリと寄ったら額に入れたポスターは貼ってなく、後向きにしてあった。私を見ると奥さんはカウンター越しに隠れてしまった。
ダンナといえば60歳から始めたサーフィンですっかり金色になっていた。

トホホ、トホホな顔であった。
その後、その夫婦と私の関係がどうなったかは想像にお任せする。
ちなみに中学生の頃「金色夜叉」をキンイロヨルマタと読んだ。