ページ

2013年11月11日月曜日

「ハラタチ日記」




人類は、麺類。
なんていう骨太のキャッチフレーズを憶えている人は日本人がいかに麺類を愛すかを知っている人だ。


昨日三年振りに「わんこそば早食い大会個人戦」が行われた。
出場者は11人、15分間で何杯食べられるかを競い合う。

ヨーイドン!凄い、早い、でもマズソー、かなり汚ねえ、口の中から麺が滝の様に溢れ出し、人間麺作成機となる。
目から涙を流す者、逆流して鼻から麺が出ている者(?)、さあ食え、やれ食えと後から麺を投入するモンペ姿(?)の女性たち、男は麺食い、女も麺食い、オレはもう駄目だ、ワタシも嫌だ、こうなりゃもう麺道だと一気にお椀ごと流し込み、口の中を麺だらけにし後にのけぞり麺をブハァーと放出(?)する者。

私も大の人類は麺類派の一員だがせいぜいお椀78杯で十分だ。
で、優勝者は15分間でなんと327杯。
かけそばにして33杯分をペロリンチョと飲み込んでしまった。男四十二歳であった。

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の様に横一列に並んだ麺食いたちの食べた後はハチャメチャであった。
気のせいだろうか一人などは耳の穴の中からも麺が出ていた様に見えた。
東北地方の名物行事が大声援と大喚声の中で再開されたのは何よりであった。

「しあわせになろうね、あの人はいいました」島倉千代子さんの「からたち日記」の語り部分の名フレーズだ。あの頃は戦後の空腹時代から少しずつ脱するも、未だ人を愛する事には気が回らない時代であり、今では死語となってしまった。
「純愛」が求められていた。
島倉千代子は泣き節の名人、震えるような切ない歌い方が未だ純心(?)だった私の恋を応援してくれた。

しあわせになろうね、でも「お千代さん」はそうならなかった。
からたち日記は「腹タチ日記」となっていった。
ハラタチ、ハラタチ、不幸福ドラマの連続主人公だった。
でもお千代さんの歌は空腹時代の人間の腹の中にずっと生き続けるだろう。
わんこそば327杯分以上の食べ応えある、味のある歌として。

今は亡き私の先輩が酔うと必ず「しあわせになろうね、あの人はいいました」を歌った。芸能人とは光り輝いた瞬間が忘れられない悲しい業の深い職業だ。
売れれば売れる程、売れなくなった時の夢にうなされるという。
どんな大スター、大御所になっても等しくその悪夢にうなされるのだ。

花よ蝶よは女を苦しめ、あんたが大将は男を苦しめる。
人生はいろいろと人間を苦しめる。次々に投げ入れられるわんこそばの様に。
はじめの一杯、二杯三杯はおいしいが、最後の327杯目は何の味もしなかっただろう。
だがしかし苦あれば楽ありという。

ある賢人曰く「人間は他との比較をやめて、ひたすら自己の職務に専念すれば、自ずとそこに『一小天地』が開けてくる」自分の人生を、人の人生と比べるほどつまらないものはない。さあ、しあわせになろうね。そのためには永遠に努力するしかない。
ズルする、ラクする、ナマケ者には決してしあわせは来ない。

♪〜あかく咲く花 恋の花 この世に咲く花数々あれど〜、
私は「この世に咲く花」が大好きだった。

生前お千代さんはピアノを型どった墓を作っていた。
その墓の墓銘のところに「島倉忍」の文字が刻んであった。
この世に生を受けなかった子たちの名であった。
恋と愛の果てに失った三人というか三つの命に同じ名を付けていたという。
この世に芸能人という花ほど無惨な花はない。見栄と虚飾と恐怖と。

テレビでは板東英二が泣きながら植毛は経費で落とせると思っていました、スイマセンでした、どんな仕事でもしますと。
ラジオでみのもんたは、島倉千代子の葬式に行く、復帰の場面が出来たとヨロコンデ(?)いたようだ。バカ共につける薬はこの世にはない。
この世に存在する価値もない。

2013年11月8日金曜日

「トイレと、トレイ」


イメージです




ドトールのトイレに入ったら「ひと」が付いて来た。
昨日午後十二時三十分に関係スタッフが集合。

その場所は神奈川県相模原市淵野辺駅改札口、大事な仕事が控えているので30分早めに着いた。ここには桜美林大学や青山学院大学の学部が二つあり若い学生が多い。
少し腹ごしらえをしようと駅の側にくっついているドトールに入った。

私はホットドッグ大好き人間なのでドトールのレタスドッグをよく食べる。
で、店に入ると昼時なので楕円形のテーブルも、小さなテーブル、小さな椅子もほぼ満席。大事な仕事の為に用意した書類や資料がゴッソリ入ったバッグが重い。

しばし立っていると席が一つ空いた。
そこにまずバッグを置いてオーダーに、アイスコーヒーSサイズとレタスドッグを一つ。
アイスコーヒーが直ぐに出てそれをテーブルに。
ストローでキュイーンと二回吸ったら、レタスドッグの出来ましたコール。
ハイ、ハイと取りに行き椅子に座る。

トレイの上はホットとアイスないい感じ、同じドトールでもレタスドッグの味は一店一店違う。アツアツの店もあればホドホドアツ、チョッピリアツ、冷え気味のホット(?)というケシカラン店もある。淵野辺のドックはアツアツであった。
今日はいい日になるかもとホットを味わう。

あと10分かそろそろ行くべし、とその前にオシッコをしておこうと思いトイレに向かった。男マークと女マークが一緒という事は男女共用という事。
私がノックを忘れたのがイケなかった。

トイレのノブを引っ張るとグイという手応え、あれと思いグイグイと引っ張ると更にグイグイといった手応えがした。海釣りに行って魚が掛かりグッグッと来たあの感じとほぼ同じ。グイと引張るとなんとオジさん(?)が半分出て来たのだ。
その手は一方でノブを掴み、一方はズボン(?)を掴んでいた。

アッ、ス、ス、スイマセンと言ってそこをさあっと離れた。
それを見ていたドトールの女子店員二人が、アラッイヤダァーと言って吹き出して後ろを向いた。ヤベエー早く出ようとカバンを持ち、トレイを片手に持ちそれをカウンター横の置き場所に置いてスタコラ店を出た。

女子店員はふっくらしたほっぺがとてもいい感じの娘さん、もう一人は顔がよく見えなかった。アレ、待てよもしかしてオバさんだったかな、いやオジさんだったよな、眼鏡かけた。駅の階段を登りながらノックをしなかった私が悪いのか、鍵を閉めてなかった相手も悪いのかを考えた。


そうか、座ってから鍵をかけようとしていた時に丁度引張ってしまったのかもしれない。
何しろ狭いトイレだった。今もグイグイした感触が残っている。

2013年11月7日木曜日

「見た目より」


イメージです


たった二ヶ月で−15kg達成。
30日間全額返金保証制度、専属トレーナーと二人三脚で目標体重、目標サイズを今こそ!なんて書いてある小冊子があった。

同じように、痩せたくない人は見ないで下さい。
これまでの失敗は科学的根拠のある痩身治療で取り戻す。
無痛、短期、安全、−2kg〜−30kgと小冊子。

AGA患者(?)の98%に効果、銀座HS式薄毛治療。
日本皮膚科学会による薄毛治療薬品の推奨度A、専門医師による頭皮と髪の健康診断総額3,150円と小冊子。

これは昨日タクシーに乗ったら目の前にあったのだ。
アホ言え、二ヶ月で−15kgも減ったら四ヶ月で−30kg60kgの体重だったら30kgになっちまうじゃないか。えっ何!痩せたくない人は見ないでだと。
どこに科学的根拠があんだよと実は見てしまった。 

3,150円で薄毛の相談だと、えらい高いじゃないか、どうせ毛一本も生えるわけはないとタクシーの中でブツブツ言って小冊子を元に戻した。

偽装や誤表示がわんさか出て来た。
そんな中でやけに気に入らないのがブラックタイガーがまるで悪者扱いされている事だ。車海老が正であって、ブラックタイガーは邪の如くだ。
私は気取った車海老よりゴッツイブラックタイガーが大好き、子どもたちも孫たちも親族一同、親戚一同でっかいブラックタイガーを支持している。

車海老が白人でブラックタイガーは黒人扱い。
車海老がホワイトカラーでブラックタイガーはブルーカラー。
タイやフィリピンからの不法労働者的扱い。
偉いじゃないか、家族のために働きに来ている人々は、法に守られて悪い事ばかりしている奴等より。

どこぞのレストランがウチじゃ真っ当な車海老しか出してませんなどと言ってやがった。
私的には海老フライは車海老よりブラックタイガーの方が全然旨い。
インチキ臭いお前の処なんか気取って高いだけ二度と行くもんかと思った。

ブツブツ言いながら窓の外を見ると、どーんといつも見慣れた大きな看板広告。
女子競輪の広告だ。そこには「顔より太もも」とバカでかく書いてある。
そういえば先日会った一人の巨匠は、女性の太ももに一番色気を感じると言っていたのを思い出した。ピッチピチの太ももの女性が自転車の横に立っている。
いいキャッチフレーズと、いいビジュアルに脱帽だ。

と、その向こうに「あなたの骨盤は正しい位置か」と骨盤矯正治療院の文字。
何度見てもインパクトを感じる看板だ。
そんなこんなでブツブツしながら仕事場に戻った。

朝から何も食べてない。
よし!今夜はブラックタイガーの特大海老フライ2本1500+消費税を平らげてやると心に決めた。


ついでに言えばバカ高い伊勢海老も気に入らねえ。
ホテルの結婚披露宴で出される伊勢海老は、ほぼ100%冷凍輸入されたもの、南半球産(和名・ミナミイセエビ)だ。ガキの頃割り箸にタコ糸を巻いてその先にスルメを付けて釣り上げたアメリカザリガニと大差ねえんだと言いたい。

花屋の気取った花より、雑草の中にぽつんと咲いている野菊の方が余程美しいのと同じだ。ウソはいけないが誤った気取りも始末が悪い。
見た目美人が心の中も美人かというと殆ど違うのと同じ。
それより骨盤の正しい位置とはどこだろうか。       

2013年11月6日水曜日

「ある村で」




恐い映画を観た。
恐いといっても、オカルトや復讐や残忍な殺しや異常犯罪ではない。

それは一人の幼稚園児のひと言だ。
鹿狩から帰ったとある小さな村の男たちは酒盛りをする皆酔っ払う。

少女の兄が妹にワイセツなポルノ画像をiPad(?)で見せる。
少女は幼稚園児の中で感受性が強い子とされていた。
少女は一人の男に恋心を抱いていたが、関心を示してくれないので腹いせにある言動を口にする。

 妻と別居をしている一人の男が少女が通う幼稚園で働いている。
息子とは妻の承諾なくしては会えない。山々の側にある町は美しい。
住んでいる人々は皆、敬虔なクリスチャンだ。一人の男もそうである。
 ある日、あるひと言があるまでは。

男たちは鹿狩の仲間であった。男の名はルーカスという。
クララという少女は園長さんにルーカスから変なものを見せられ、変な事をされたと告げる。

町は一変する、男の状況も一変する。
クララの告げ口が何もかもを激変させた。

ルーカスは性的異常者にされてしまい酷い事をされる。
愛犬は殺される、買い物に行けば店員に殴られ、蹴られ顔は傷だらけとなる。
警察に捕まってしまう、ルーカスは必死に少女の嘘だ、作り話だと言うのだが。

映画の題名は「偽りなき者」現代社会の犯罪の多くに、フェイスブックとかラインとか出会い系サイトとかが密接に複雑に絡んでいる。
使い方を少しでも間違うと少女の告げ口の様に凶器となる。
少女もインターネット上のポルノ画像の犠牲者であった。

日本シリーズ第七戦、田中将大投手に心打たれた後、この映画を観てすっかり気分が落下した。連休前にTSUTAYAに行き六本レンタルしてきた内の一本だった。
ルーカスの息子の名はマルクス、月日は経ちルーカスの無実というか何も見せてない、何もしてない事が警察にも町の人々にも認められた。

クララが父親にルーカスは何もしていない、私はいけない事をしてしまったのと告げたからだ。やがて少年マルクスは猟銃を使える年齢となり、町の皆から祝福される。
狩人の仲間になった祝にとルーカスは銃をプレゼントする。
そしてある年のある日、親と子、仲間たちは鹿狩に行く。
息子に狩りの仕方を教えルーカスは一人山の中で鹿を追う、とその時一発の銃声がする。ルーカスは危うく頭を撃たれそうになる。
ルーカスが銃声の先に見た人影は(?)。

犯罪捜査の世界では「多くを語る証人は、多くを知らない」という。
多くの冤罪はでっち上げの告げ口と激しい拷問から生まれた。
それ故今日では、自白は証拠価値はない。

大人たちはくれぐれも気をつけて下さい。
イケナイ画像を子どもに絶対見られないように。これは偽りのない私の気持ちです。
我が子たちは大丈夫だろうか、我家にパソコンは無い。iPadiPhoneも無いのだが。

気分がハイになっている方にオススメの映画です、どーんと沈みます。
映画の監督は名匠トマス・ヴィンターベア、主演のマッツ・ミケルセンはこの映画で第65回カンヌ国際映画祭で主演男優賞他3冠を達成した。
デンマーク映画恐るべし、「子どもと酔っ払いは、ウソをつかない」というのだが。

2013年11月5日火曜日

「それぞれの道」






たった一球のストライクで英雄になり、たった一球のフォアボールで戦犯になる。
たった一つの死球で試合は壊れ、たった一つの失策で一年間の努力は消え去る。
たった一球の先に栄光と敗北がある。
たった一つの勝利を求めてプロの男たちは人生を賭ける。
主役を演じる者、脇役に徹する者。

巨人対楽天の日本シリーズ第七戦、最終回のマウンドには前日160球を投げた田中将大投手が仁王立ちしていた。
一年間敗け知らずという奇跡的な投手はそのプライドを初めての敗戦投手という結果で傷つけられた。最終戦最終回、自ら志願したというが星野仙一監督は勝っていたなら胴上げ投手は田中将大でと思っていたのだろう。歓喜の演出と東北のファンへの感謝を込めて。

30で勝っていた楽天、この試合に勝てば日本一だ。
前人未到の男の球はさすがに疲れていた。ヒットを2本打たれる。
代打矢野謙次選手に一発のホームランが出れば同点となるのだが、巨人に代打の人材が不足していた事が証明される。
矢野選手は今シーズン一年間を通して2本の本塁打を打っただけの長打力しかない。
だが、もしかしては過去に何度も起きている。

だがやはり田中将大の投じた命の豪球は矢野選手を圧倒し三振させた。
ゲームセット、東北に歓喜の渦を巻き起こした。
私はこの試合を決めたのは四回一死澤村投手から打った牧田明久(31)選手のホームランであったと思う。

牧田選手はどのチームもいらないと、分配ドラフトされた選手であった。
00年秋ドラフト5位で近鉄に入団、最初の四シーズンは一軍出場なく、楽天創設時寄せ集めの選手の一員であった。
日本シリーズ第一号は巨人に深手を与え、それが止めとなった。このシリーズは脇役の差が出た。それと一球に対する執念と球際の強さの差だ。

牧田選手が打った後グランドを回る姿に、チキショウ主役たちに敗けてたまるかという男の意地を見た。

私は果たしてたった一球に命を賭けるプロの選手の様に全力で生きて来ただろうか。
プロとして努力を続けて来ただろうか、悔し涙をどんぶり何杯分も流してきただろうか。私にとって仕事を依頼してくれる会社並びに人々は主役であり監督でもある。
その期待に応えて来ただろうか。脇役としての力を発揮して来ただろうか。

牧田選手の四打席を見ていて胸が熱くなり、心を新たにした。
日本シリーズ七戦で楽天の総得点は21点、巨人は15点であった。
その6点差は間違いなく脇役の集中力と精神力の差だった。

脇役に栄光あれ、東北に復興あれ。この日サッカーの三浦知良選手が468ヶ月8日、最年長ゴールを決めた。唐獅子牡丹を演じた高倉健(82)が文化勲章の親授式に出席した。主役たちには主役たちの長い道が待っている。人間はそれぞれの道を極める素晴らしい生き物だ。

2013年11月1日金曜日

「クルミパン」

イメージです



人間がこの世で生きていく上では必ず何かの影響力を受けている。
良い影響力もあれば、すこぶる悪い影響力もある。

アメリカの経済誌「フォーブス」が恒例の「世界で影響力を持つ人物」の番付を発表した。対象は各国の首脳や企業経営者だ。
それによると1位はロシアのプーチン大統領、二年連続トップのオバマ大統領は2位、3位は中国の習近平国家主席。

日本では黒田日銀総裁が39位、ソフトバンク孫社長が45位、総理大臣である安倍晋三はなんと57位だった。如何に世界の目は安倍晋三に対して厳しいものを持っているかを表している。つまり影響力は全然ないのだ。
自分が選んだ日銀総裁より下に見られてる事を知って愕然としただろう。
一年後安倍政権のままである保障は何もない、一寸先は闇だから。

ある記事にビックリした、確かイランだったと思う。
麻薬を売って死刑を執行された人間がなんと生きていたのだ。
絞首刑にされてガターンと落ちて12分、すっかり動かない、もうあの世に行っただろうと下ろすとなんと生きていた。

一日様子を見た後この人間は無罪となったという様な記事だった。
執行は二度する事が出来ないからだとあった。
絞首刑のあり方に大きな影響力を与える話だ。
日本でも絞首刑はやめて薬物にしてはとの議論がされている。

いまさら日展の審査が大ボス、中ボス、小ボス、ただのボスの系列で入選が割り当てられているなんて事を朝日新聞が朝刊一面にデカデカと書いた。
画壇、書壇、文壇、彫刻壇、およそ「壇」と付く世界はボスの影響力で決まる。
お決まりの貢物、金、酒、女性または同性愛だ。

大ボス、中ボスたちは実は殆ど弟子に書かせて最後の仕上げをチョコ、チョコと手を入れただけともいう。こんな話は今更なのだ。
朝日新聞がトップ記事に持ってきたのには何かの影響力が働いたのだろう。
今どき日展入選なんて「へ」みたいなものなのに。

書道展なんて毎年金太郎飴みたいな同じ代物ばかりだ。
私の敬愛する浅葉克己先生の書の敵ではない。全部中国の真似ばかり、中世の真似ばかり、独創性が無いのだ。
こういう悪い影響力をやたらに発揮する人は若い才能の芽を殺すので、いち早く退いてほしいと思う。

集英社は30日、尾田栄一郎(38)さんの「ONE PIECE」の単行本が累計3億冊を超えたと発表した。鳥山明さんの「ドラゴンボール」の15200万部を大きく上回った。
72巻が与えた影響力は途方もなく凄い事だ。文化勲章をいずれ与えねばならないだろう。

大ボスとかの影響力のおこぼれで生きている人間のなんと多い事か。
そのおこぼれが手にできないとなると必ず密告をするのだ。愛憎の結果もある。
これは人間の持つ悪い「性」みたいなもので大化の改新以後ずっと続いて来たしこれからも永遠に続く。

私は基本的に反権力、反権威だが若い人材を育てるためにはやっぱり◯△賞は獲れよと応援する矛盾を抱えている。それ故、人々に迷惑をかけ、悪い影響(?)を与えて来た事を反省している。

私を知る若者はどうか私を反面教師にして下され。
えっ、何も影響力なんか無いってか、そりゃ結構でやんした。

今年もいよいよあと二ヶ月か。クルミパンを口にくわえながらカレンダーをめくり十一月にした。それにしても本拠地で1918年以来95年振りの世界一を目指すボストン・レッドソックスの田澤純一と上原浩治は素晴らしかった。
出歯と歯茎がこれほど美しいのを見た事がない。
全力で世界一になった後のタフな男たちの歓喜の姿に全身鳥肌が立った。

2013年10月31日木曜日

「土橋の交番」




久々にポンタクに乗った。
ポンタクとは「白タク」の事、白タクとは自分のクルマ、即ち白ナンバーで営業をするいわばタクシー業界に加入していない違法タクシーの事だ。

ポンタクに乗る時は◯△までなら幾らと事前交渉して話がまとまればそれじゃレッツゴーとなる。銀座のポンタクは縄張りを持っている◯☓会や□☓組などにお守り代として一台一ヶ月一万円を払う、月番の運転手が仲間から一万円ずつ集金して毎月納めに行く。

 現在この行為は反社会的行為となっているが運転手たちは自分たちの身の安全のためには必要な納金と思っている。ポンタクは皆いいクルマを使用するのが決まりだ。
センチュリー、デボネア、セルシオ、クラウンが多い。

その夜、業界の巨匠である二人の友人と話が盛り上がり、気がつくと終電がなくなっていた。熱っぽかった体も友人の熱気でかき消されてしまうほどであった。

巨人が楽天に65で逆転勝ちをしましたよと店を出る時、マスターから聞いた。
やっとこ日本シリーズになったんではないかいと言った。
別にどこのファンというのではないが私と同じ岡山県出身の星野仙一監督が大嫌いなのでマアマア相方頑張って盛り上げてくれという感じだ。
東日本大震災の被害を受けた東北の人々のためには楽天に頑張ってとも思う。
田中将大投手は負けないままシーズンを終えたらどうなるのだろうと思う。

楽天の三木谷オーナーが日本一のチームのオーナとなるのは余りツキ過ぎでおもしろくないな、でも私の愛する後輩の一人が熱烈な楽天ファンだしな、などと思いながら歩いてタクシー乗り場に友人と近づいて行くと、ダンナどちらまでと数人の男が寄って来た。

タクシー乗り場には十数人が並んでいた。
ポンタクかと言ったら、中年太りほっぺふっくらの男がそうでやんすみたいに言った。
どちらまで、先ず一人を送って◯☓まで、その後□△までだと言った。
それじゃ高速代込みで☓☓円でどうでやんしょと言った。
よし分かったと友人と黒のセルシオに乗った。

ある企画の立ち上げで連日夜出来の悪い頭を使い、一日中しゃべりまくる日が続いていたので脳と体は疲れていた。それと毎年かかる秋のアレルギーが今年も出て来ていた。
でもいい友と会い、いい話の花を咲かせると疲れが取れる。

目黒まで送る友人は、野良猫の面倒をみていたらノミの大攻撃を受けてカユイ、カユイと言っては、手と足をしきりに掻いていた。つられて私もカユイ、カユイ状態となっていた。クルマの中でも話は弾んだ。
セルシオはさすがに乗り心地抜群、3000ccの馬力でグイグイ進んだ。

運ちゃん、いまあそこにポンタク何台位いるんだいと聞いたら15台位だと言った。
 銀座八丁目、旧三井アーバンホテル前、直ぐ側が土橋の交番、お巡りさんがちゃんとポンタクの営業を見守っている(?)ちなみにフツーのタクシーよりポンタクの方が4000円安かった。
かつてはポンタクの方が23割高かったのに、銀座だけで300台以上はポンタクがいたのに今は40台位らしい。夜の銀座はやはりどこより好きな街だ。

走ること一時間半余、家の近所のコンビニに着くと運ちゃんが名刺をくれた。
野本☓☓と緑地に黒文字で書いてあった。
ダンナたちの話はメチャメチャ面白いですね、今度またぜひと言った。
酔っ払いの戯言だよ、またな気をつけて帰れよと言ってポンタクと別れた。

午前二時を過ぎたサークルKには客は一人も居なかった。
サーフィン灼けした女店員が一人いた。
店を出て夜空を見ると星が飛び切り美しかった。

2013年10月30日水曜日

ショートムービー「あかるい鬱」


「脈絡なしの中で」




フレデリック・ショパン作曲、バラード第1番ト短調作品23
なんていっても実は私は何の事か分からない、が今毎日この曲を聴いて入眠手続きをする。

何かいい曲がないかと思っていた時、イギリス制作のドキュメントフィルムで知った。
あらゆるジャンルの音楽を私は聴いて来た。音楽はアイデアの源泉だからだ。

ファンキーなモダンジャズの後に演歌、その後にリズムアンドブルース、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、イーグルス。
その後に童謡、その後にウエスタン、その後にプレスリー、ビートルズ、その後にサーマン・マンソンの気狂いロック、その後に石原裕次郎、高倉健、その後にシャンソン、その後に小林旭、美空ひばり、藤圭子、その後にディキシーランド・ジャズ、その後に村田英雄の人生劇場、三橋美智也の哀愁列車、鳥羽一郎の兄弟船、その後にハワイアン、その後に学校唱歌、その後に大好きなトム・ウェイツやジョニー・キャッシュやライ・クーダー、カルロス・サンタナのギターやニニ・ロッソのトランペット等々脈絡なく一日中聴きまくって来た。

中学時代音楽は2であった。
何故1でないかというと、未だ26歳だった女の先生と仲良しだったからだろう。

さてショパンの曲は1835年に作曲された。
ショパンはその時20代半ばだったという。ショパンは7歳にして作曲をしたというから9歳で作曲したモーツァルトより天才だった。

 1930年代祖国ポーランドは分割されていた。オーストリア、ハンガリー帝国、ロシア帝国、プロセイン王国によって。ショパンは逆境にある祖国への熱い思いを抱きこの曲を生んだのだという。39歳でパリで亡くなるまで作曲、演奏活動をした。

バラード第1番ト短調が東日本大震災のあの津波の映像に合わせ、イギリスのピアニスト、スティーブン・ハフの超絶的演奏とシンクロナイズした時、私は目にいっぱいの涙が浮かんだ。わずか9分間の中に戦いと平和、絶望と希望、格闘と静寂、諦念と熱情。
そして十本の指でバンと終わる。

今、心が疲れている、病んでいる、愛に飢えている、孤独に耐えている。
生とは、死とはを考えている。そんな人に是非この曲をおすすめしたい。
泣いて、泣いて、涙をふいてグラスの中を見つめると、生きる勇気が沸いて来る。

鉛色の海、鉛色の空、鉛色の風、無彩色の東北の海に流れるショパンのバラード第1番ト短調、今年最大の収穫の曲であった。人間の感情が全て音符になるなんて。
音符が全て涙のしずくになるなんて。

午前四時七分二十八秒、私はもう一度聴き始めた。
少し濃い目のウイスキーオンザロックを手にしている。東北に行かねばならない。
 3.11を風化させてはならない。私にはやり残している宿題がある。

2013年10月29日火曜日

「まさか」




戦後を生き抜いて来た老婆はどこまでも執念深い。
特に食べ物には。

味覚の秋の脇役といえば銀杏(ぎんなん)だ。
茶碗蒸し、土瓶蒸しという「蒸し社会」の両巨頭に欠かせない。
本物の茶碗蒸しか、真実の土瓶蒸しかはその中に銀杏が入っているかで決まるといっても過言ではない。

老婆は八十歳位であった。
息子夫婦とおぼしき五十代、孫とおぼしき二十代の女性と辻堂駅西口のお寿司屋さんのカウンターに座っていた。人気のちらし寿司には茶碗蒸しが付いている。
1200円+消費税、その家族はきっと何かいい事があったのだろう、松茸土瓶蒸しをアラカルトでオーダーしていた。800円+消費税、私と友人は小上りの座敷で冷酒を一本ずつ飲みながら、ちらし寿司を待っていた。店内は人気なので満杯だ。

「あのおばあちゃん大丈夫かな、あんな高いカウンターの椅子に座って」と言った。
友人が「足がちゃんと着いてないから危ないなと」言った。
「でも、かなりこの店に慣れているみたいだから大丈夫じゃない」と私が言った。
私と友人はとりとめのない話をしていた。

楽天の田中将大選手には神が乗り移ったようだな、東北の大震災で亡くなった多くの方々の魂が田中選手に乗り移ったのだろう、ただ好事魔多しと言う。
このまま勝ち続けると、世界プロ野球史上空前絶後の記録の後に、「もしか」とか「やっぱり」とか、◯☓とか、□△とかを話していると、私たちの側に老婆がいつの間にかいるではないかい。

あたしの銀杏が見つからないの、と言う。
何でも茶碗蒸しの中の銀杏をお箸でつかもうとしてスルッと落ちてしまったのだと言う。何処へ行ったんでしょうねと言って、アッチコッチを探すではないか。
おばあちゃんいいじゃないと息子とおぼしき声、私の銀杏を食べてと嫁とおぼしき声、おばあちゃん私が探すからと孫とおぼしき娘の声、店内二十人近くが銀杏一個に集中したのだ。「オカシイワネ、イッタイドコへイッタノカシラ、クヤシイワネ、ギンナン」と、ブツブツ言って執念深く探したのだ。

私が店の若い衆に、丸いものは「もしか」とかにあるんだぜ、「やっぱり」とか「まさか」の処にあるんだよと言った。ヘイ、わかりやしたと探したが見つからないのであった。歴史はすべからく謎の中にあるものなのだ。

すこぶる食欲旺盛の老婆は出たものはしっかり食べた、しかも銀杏を諦めきれなかったのか、息子とおぼしき男の人がレジで勘定している間も店の下の方をずっと見ていた。

アレこんな処に銀杏がと言ったのは私たちの隣でランチをしていた会社員風四人組、その中の一人の靴の中に銀杏が入っていたのだ。
高いカウンターの処から落ちてバウンドをしてすっかり入ってしまったのだろうと友人が言った。まさか、きっと老婆が立ち上がった時、衣類の何処かについていた銀杏がポトンと落ちたのだろうか。

なあーんだびっくりしたなあと店主の声。その時、老婆は既に退店していた。
今度来たら握って出してあげなよと洒落たひと言を四人組の中の一人が言った。
十月二十八日(月)の午後の出来事だった。
松茸土瓶蒸しの方の銀杏は、ちゃんと口から食道を経て転々としながら老婆の胃袋に入った様だ。

田中将大選手の事は、私の「老婆心」で終わってくれる事を祈るのみだ。
神は時に残酷で、時に移り気だから。