人類は、麺類。
なんていう骨太のキャッチフレーズを憶えている人は日本人がいかに麺類を愛すかを知っている人だ。
昨日三年振りに「わんこそば早食い大会個人戦」が行われた。
出場者は11人、15分間で何杯食べられるかを競い合う。
ヨーイドン!凄い、早い、でもマズソー、かなり汚ねえ、口の中から麺が滝の様に溢れ出し、人間麺作成機となる。
目から涙を流す者、逆流して鼻から麺が出ている者(?)、さあ食え、やれ食えと後から麺を投入するモンペ姿(?)の女性たち、男は麺食い、女も麺食い、オレはもう駄目だ、ワタシも嫌だ、こうなりゃもう麺道だと一気にお椀ごと流し込み、口の中を麺だらけにし後にのけぞり麺をブハァーと放出(?)する者。
私も大の人類は麺類派の一員だがせいぜいお椀7〜8杯で十分だ。
で、優勝者は15分間でなんと327杯。
かけそばにして33杯分をペロリンチョと飲み込んでしまった。男四十二歳であった。
レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の様に横一列に並んだ麺食いたちの食べた後はハチャメチャであった。
気のせいだろうか一人などは耳の穴の中からも麺が出ていた様に見えた。
東北地方の名物行事が大声援と大喚声の中で再開されたのは何よりであった。
「しあわせになろうね、あの人はいいました」島倉千代子さんの「からたち日記」の語り部分の名フレーズだ。あの頃は戦後の空腹時代から少しずつ脱するも、未だ人を愛する事には気が回らない時代であり、今では死語となってしまった。
「純愛」が求められていた。
島倉千代子は泣き節の名人、震えるような切ない歌い方が未だ純心(?)だった私の恋を応援してくれた。
しあわせになろうね、でも「お千代さん」はそうならなかった。
からたち日記は「腹タチ日記」となっていった。
ハラタチ、ハラタチ、不幸福ドラマの連続主人公だった。
でもお千代さんの歌は空腹時代の人間の腹の中にずっと生き続けるだろう。
わんこそば327杯分以上の食べ応えある、味のある歌として。
今は亡き私の先輩が酔うと必ず「しあわせになろうね、あの人はいいました」を歌った。芸能人とは光り輝いた瞬間が忘れられない悲しい業の深い職業だ。
売れれば売れる程、売れなくなった時の夢にうなされるという。
どんな大スター、大御所になっても等しくその悪夢にうなされるのだ。
花よ蝶よは女を苦しめ、あんたが大将は男を苦しめる。
人生はいろいろと人間を苦しめる。次々に投げ入れられるわんこそばの様に。
はじめの一杯、二杯三杯はおいしいが、最後の327杯目は何の味もしなかっただろう。
だがしかし苦あれば楽ありという。
ある賢人曰く「人間は他との比較をやめて、ひたすら自己の職務に専念すれば、自ずとそこに『一小天地』が開けてくる」自分の人生を、人の人生と比べるほどつまらないものはない。さあ、しあわせになろうね。そのためには永遠に努力するしかない。
ズルする、ラクする、ナマケ者には決してしあわせは来ない。
♪〜あかく咲く花 恋の花 この世に咲く花数々あれど〜、
私は「この世に咲く花」が大好きだった。
生前お千代さんはピアノを型どった墓を作っていた。
その墓の墓銘のところに「島倉忍」の文字が刻んであった。
この世に生を受けなかった子たちの名であった。
恋と愛の果てに失った三人というか三つの命に同じ名を付けていたという。
この世に芸能人という花ほど無惨な花はない。見栄と虚飾と恐怖と。
テレビでは板東英二が泣きながら植毛は経費で落とせると思っていました、スイマセンでした、どんな仕事でもしますと。
ラジオでみのもんたは、島倉千代子の葬式に行く、復帰の場面が出来たとヨロコンデ(?)いたようだ。バカ共につける薬はこの世にはない。
この世に存在する価値もない。
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