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「よし、朝だ!」というのも、「あーあ朝か」というのも考え方次第だ。
泳ぎもせず、漕ぎもせず一生を終えるな。
こんなはずじゃなかったのに、という考え方は捨てなさい、こんなはずなのだから。
下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら誰も君を下足番にしておかぬ。
直ぐ役立つ人間は、すぐ役立たなくなる。
何かをさせようと思ったら一番忙しいヤツにやらせろ、それが事を的確にすませる方法だ。
過去にこだわる者は、未来を失う。
十年守りの経営をしたら企業はダメになる。
急成長会社では、無能な者が要位にいる。会社の成長についていけなかった人々だ。
優秀な兵学者が師団長として戦って、勝ったためしがない。
有名な経営学者が経営すると、会社はたいてい倒産する。
経営者が忙しいのは自慢にならぬ。
決定の場においては、トップは常に孤独である。
もっとも重要なことは、自分ひとりで決めるべし。
人の悪口はすぐ報告せよ。しかし言った人の名は言うな。
偉くなったら、バカになる修行をせよ。
小才は縁に出会って縁に気づかず。中才は、縁に気付いて縁を生かさず。大才は、袖すり合った縁をも生かす。
百人のうち九十九人に誉められる者は決していい人物ではない。
すぐ、分かりましたという人間に、分かったためしはない。
何を笑うかによって、その人柄はわかる。
ずっとむかしのある日、図書館の分厚い本の中から気に入った言葉をノートにとっていた。就活をしている人、経営をしている人、会社を辞めようと思っている人、あいつは許せないと思っている人。少しばかり参考になればと記した。
“貧困”のために学校に行きたくても行けない子どもを救いたい、等しく勉強をさせてあげたい。そのために資金を集めたいとNPOの若者は言った。
日本は寄付後進国、先進国の中ではオシリから勘定した方がはやい。
それでも3.11以後寄付ビジネスというのが盛んになって来た。
大手広告代理店の友人はとてもヒューマニスト。
その知人に協力を、何か切り口をと宿題を頼まれて、ずっと箱の下の方にあったノートを引っ張り出して思案の水にさざ波を起こしてみようと思った。
若い人に“貧困”っていうと何を連想すると聞けば、エジプトやシリア、中東の難民とかタイとかバングラディシュとか、中国の奥地などという。
日本に貧困はあるかと聞けば、ビンボーな人はいるけど貧困の人はいないんじゃないと言う。何か分かった様で分からないのだ。
つまるところ貧困と言っても若者たちの心には刺さらないというのが分かった。
それじゃ、30代、40代に聞けばなんと若者たちとほぼ同じ。
それじゃ、50代、60代、70代と聞いて回ると昔はさあとか、あの頃はとか、今思えば本当に何もなかったなあと昔話になってしまった。
大学の入試方法が点数より人間本位で選ぶなんて、入社面接みたいな変てこな話になって来ている。基本は学力だと決まっている。
それに面接する人間がそれに値するかが問題だ。
文教族たちが悪巧みを考えているのが見え見えだ。アレでひと儲け、アレでもひと儲けと。
来週火曜日に宿題を提出しなければと思っている。
先人の言葉はためにはなるが、やはり参考にはならない。
私が大好きな言葉が一つある。「千人殺すも一人殺すも、取られる首は一つ『河竹黙阿弥』」一度しかない人生、どんなに貧しくとも、自分の好きな事をしている人が、楽しそうで美しい。
よし!調子が出て来る午前二時五分と十八秒、一から出直して考えてみよう。
貧困を世に知らすべき策を。そういえば13日の夜、愚妻が作った山梨名物「ほうとう」は米が少ない土地が多かった。そこで武田信玄がそこらにあった野菜を自らの刀でぶった切っては入れたとか(宝刀ともいう)。
台所で包丁を持っている愚妻の姿にドキッとした。
我が家もかなり貧困だからな。
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