世の中には、この人がいてくれて本当によかったと思う人と、この人さえいなければいいのにと思われる人がいる。
私などは勿論後者なのだが、この人ほど世間に迷惑をかけてはいない。
森喜朗(78)という存在が世のため人のために何かをやり遂げたという話はない。
利権がらみで地元石川県には貢献しているのだろうが。
不幸にして愛息を亡くし政界から引退をし余生は墓守に徹するだろうと思っていたが、モグラ叩きのモグラの様に、あっちこっちに顔を出しては、ああ、この人さえいなければと思われる。
知力、胆力、思案力、展開力などはない。ただ調整力のみで生き残っている。
古い政治家の見本、化石の如くである。
本来なら日銀の総裁になったと思われる、武藤敏郎は見ていられない、というより問題意識が全く分かっていない。何しろ国家の行く末を考えていたのが、デザインだ、タイポグラフィだ、エンブレムだ、なんていったって分からない。
政治家とゼネコンとの駆け引きやコントロールだって専門外。
ただ行き場を失った大物が名誉職についただけだからだ。
2020年オリンピック開催への異常事態、この状態を打破できる人物は日本には残念ながらいない。不幸は更に不幸を呼ぶだろう。デザイナーの家族の心労は生き地獄だと思う。
勿論当人も同様のはずだ。今はただ我が身と命を守れといいたい。
家族を守れといいたい。どこでどうなったかは考えないことだ。
人を憎んでも解決にならない。まず眠れ、そして食べる。
むかしのいい映画でも観ることだ。楽しかった頃を思い出すんだ。
森喜朗よ、故郷石川に帰り愛息のお墓を守ることにしよう。
きっとみんなが大喜びするはずだから。(文中敬称略)