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2015年9月28日月曜日

「陸軍登戸研究所」



今、真実が明かされる!戦中の秘密戦、謀略戦の全貌。
戦争を裏で支えた影の兵器開発基地「消された研究所」を関係者がカメラの前で証言する。

2012年作品・長編ドキュメンタリー映画(カラー240分)監督・編集・楠田忠之
「陸軍登戸研究所」陸軍登戸研究所とは?
1919年第一次世界大戦終結直後、日本は直ちに毒ガス兵器の研究を開始、東京新宿戸山ヶ原に「陸軍科学研究所」を発足させ、諜報・防諜・諜略・宣伝的行為及び措置に対応できる資材や兵器の発案に励んだ。

1937年には陸軍参謀本部第二部八課(諜略課)が生まれ、神奈川県川崎市生田の丘陸地に「登戸実験場」が設立。
この実験場は後に「陸軍科学研究所」となり秘匿名では「登戸研究所」と呼称された。
研究分野は徐々に広がり所員も1000人に及ぶ。
殺人光線、毒物や爆薬の開発、渡洋爆撃の代案としての風船爆弾、中野学校(スパイ養成所)と手を組んでの偽札製造など、多種多様な秘密兵器が発案・開発された。
また、中国に出張しての生体実験も行い「登戸研究所」は戦場から遠く離れた場所にありながら、その歴史に血の汚点を残した(DVDジャケット原文ママ)。

戦争とは一億総国民動員のことであった。
老人から子どもまで出来ることは何でもやらされたのだ。
このドキュメンタリー映画には当時「登研」に勤務していた人間が登場する。
8090代までの人々がいままでそっとしまっていた過去を喜々として語る。

「登研」の跡地は現在ある有名私大となっている。
その下には生体実験された中国人、ロシア人(丸太と呼ばれた)たちの残虐、悲惨、残酷な死が眠っている。日本が上海でいかに悪行の限りを尽くしたか、阪田機関、杉機関、梅機関、そして児玉機関などが戦争終了後、金・銀・財宝を奪略して帰った。

蒋介石政府の影の組織(中国マフィアやチンパオという暴力団)が暗躍する。
里見機関の阿片による莫大な利益が軍にもたらされる。偽札が国家を支える。
現在日本の代表的印刷会社や製紙会社は偽札印刷によって財を成して行く。

老人たちが生々しく語る裏面史は戦争の正体を暴く。
但しこれだけで話せない、墓場まで持って行くという話も多い。
世界各国の偽パスポートも寸分狂いなく作る。
妻たちもなつかしき思い出のように「登研」を語る。

上海の影の機関を動かしていた中に影佐禎昭中将という軍人がいる(アヘン・スパイ・テロなどの政治工作を担った「梅機関」の創設者)。
現在自民党幹事長谷垣禎一の血脈である。戦犯12人のうちの1人であったが病死した。
児玉機関の頭目であった児玉誉志夫は持ち帰った財宝を金に変え鳩山一郎に献金した。
その後、日本の黒幕となった。

このドキュメンタリー映画を観ると現在の政財界のルーツが分かる。
時代がかった一億総活躍時代を目指すというメッセージが国家目標として発せられた。
一億総動員で働けとも読み取れる。私たちは戦時下の国民となった。
「登研」に変わる極秘の研究所がどこかに生まれているのだろう。
現在の日本を動かしている本当の支配者は、魔都上海の闇の世界にいたものであるはずに違いない。彼等闇の生き物はアメリカと密に繋がっている。
さて、次の首は誰にするかと舌なめずりをしているのだ。


映画「陸軍登戸研究所」は2012年第86回キネマ旬報ベストテン・文化映画ベストテン第3位に選ばれた。7600+税で日本の過去と未来を見ることができる。
昨日私はこの映画を観ながら上海での夜を思い出した。
羽根つきで大きな円形となって出て来たギョーザは絶品であった。

2015年9月25日金曜日

「何回も難解」



この人の作品はあまりにも難しく、あまりにも暗く、重く、あまりにも長い。
だが大好きなのだ。

ロシアの代表的監督、アンドレイ・タルコフスキーの映画を連休中に三本観直した。
レンタルビデオで観た時は返却しなければならず、ただじっと観た。

大巨匠の映画は現在活躍している殆どの映画人に影響を与えたといっても過言ではない。カンヌ映画祭に出品すれば必ず何かを受賞する。
宇宙、希望、絶望、人間、苦悩、愛、生、死、キリスト、神、争い、生きて行く上で全ての要素に迫る。

一本161分から183分だ。
三本で約500分、いい言葉を書き留めるからその3割増しであった。
そのためにDVDは購入しておいた。
「惑星ソラリス」「ストーカー(密猟者の意)」「アンドレイ・ルブリョフ」である。
この三本の中にある哲学的言葉は、現代社会に生きる私たちの胸に刺さる、その一部を紹介する。



宇宙船ソラリスの中での科学者の言葉「同情心というやつは、ときに有害だ、人を苦しめる。苦しみは生活に陰をさし猜疑心をもたらす。でも本当にそうか、私はそうは思わない。生活に不要なのは全て有害なのか、そうじゃない、絶対に有害ではない。トルストイも苦しんだ、そもそも人類を愛することができないと。助けてくれ僕も人を愛する、だが愛とは感じることはできても具体的に説明することが困難な概念だ。人は失いやすいものに愛を注ぐ」(惑星ソラリスより)

「振動させ続けなさい、あなたの心にー。生じたその響きを、情熱と称するものは魂と外界の摩擦だ、気をいっぱいにして脆弱であれ。幼子のように弱くあれ、弱いことは偉大であり、強いことは無価値だ。人は生まれたときは、弱くてやわらかい、死ぬときは堅く干からびている。木は成長するとき、やわらかでしなやかだ。乾き堅くなると木は枯れる、硬さと強さは死の仲間だ。やわらかさと弱さは、みずみずしさの現れだ。堅くなったものは勝つことがない」(ストーカーより)

ゾーンといわれる不思議な空間の中で自称物理学者と自称作家の会話だ。
ストーカーとはゾーンに案内する密猟者のこと。
ゾーンの中には人間の一番の望みをかなえる「部屋」があるという。
が、ゾーンから生きて出るのは…(?)今日は寒い、冷たい雨が降っている。

人間の心の中にゾーンがあるのだと思った。
人や物事にかけた愛情は、それによる苦しみに比例するという。
分かったようで分かんない。週末にまた観ることにする。

今日は朝から雨、まったくよく降りやがる。
テレビをつけるとどのチャンネルも“乳癌”と“胆管癌”の解説をしている。
「アンドレイ・ルブリョフ」は中世ロシアの天才的イコン画家の苦悶する物語。
何回観ても難解だ。

2015年9月24日木曜日

「九月二十三日の事」




今年も残り100日を切った。
過ぎ去った265日は早く感じることもあれば、遅々としていたような感じもある。

海岸に行って石ころを手にして海に向かってそれを投げた。
水面に平行に投げると石ころが海面を一回、二回と飛ぶ。
上手くいくと三回、四回となる。

水切りというのだが、回数を多く得るためにはなるべく平っぺたくて軽いのがいい。
重い石はどぼんと沈む。
それに驚いたのか(?)ボラの子がピョンピョンと海から飛び出す。

午後四時頃投げ釣りをする人がいたが何も釣れていない。
聞けば何日も釣れていないのだとか。お目当ての貝殻は見つからなかった。
未だ100日近くもあると思い少し大きい石を手に遠投した。
やることはやってやるぞー!と、石はそれほど遠くまで投げれなかった。

休みの間少年たちの野球の試合や練習を見て回った。
監督に怒鳴られ叱られ続ける少年たち、その度に大きな声でハイ!ハイ!と帽子をとって頭を下げる。
少年たちは誰にでも帽子をとってコンニチワとかアリガトウゴザイマスと頭を下げる。
早朝から暗くなるまでハードな練習をする。連休などは無い。

コラー何やってんだボールを怖がってちゃダメだっていってんだろー、コラー、コラー、コラーが続く。監督の声はすこぶる甲高い。
ずっと見ていると自分が叱られている気がした。

今年もあと100日を切った。
少年たちに負けないよう私も自分への練習をしようと思っている。
海岸にあるサイクリングロードにはマラソンの練習をする人々が黙々と走っている。
一方は江ノ島に向かい、一方は富士山の方に向って。

五輪真弓の名曲「恋人よ」を思い出した。走る人のことを“マラソンマン”と歌った。
女性も多いがマラソンマンでいいのだろうと思った。
海の上にポツン、ポツンと動くのは波を待つサーファーたちだ。
海を離れ家に向かうとき、少年たちを叱る監督の声を思い出した。

野球に上手くなりたかったらボールから逃げんじゃないヨオ!
そうです、何事も逃げたら負けなのです。楽に生き抜ける人生なんてありゃしない。
失敗したってドンマイ、ドンマイだ。

2015年9月18日金曜日

「飛ぶ鳥、後は…。」



銀の週間→シルバーウィークが明日から始まる。
人生の後半をいかに生きるかしばし考えてみよう。モノ忘れは酷くなった。
前の日何を食べたか忘れてしまう。人の名前が全然でない。
え〜、あの、あれ、あれ、あいつだよというセリフのやりとりが多くなった
毎日着る物に関心がなくなった。そのクセやたらに食欲はある。
日々服用している薬を飲んだかどうか忘れている。
朝・昼・夜・食間・就寝前と薬局に分けてもらわないとダメですよとなる。
え〜、もしもし、ハイハイ、あれ誰でしたっけと電話をかけた相手を忘れてしまう。


「人生は…死ぬまでの暇つぶし」といったのは確か山本夏彦さんだったと思う。
「生きてるだけで丸もうけ」といったのは確か明石家さんまさん。
「年寄り笑うな行く道だもの」は確か永六輔さんであったと思う。

私の師匠であり大先輩であった人は「飛ぶ鳥、あとはメッタメタ」だよといい、銀座の高級クラブにツケを山ほど残して逝った。
大和のハイヤー代も山ほど会社のツケで残していた。
でも、いい仕事も山ほど残していたので太っ腹の会社が精算した。
みんなに愛されていたのでツケは何分の1かで済んだ。
勿論私も先輩のツケを二軒分払った。

先輩は生きている間中“シルバーウィーク”だった。
ゴールド→お金に対して全く興味なく、使うことばかりに興味があった。

“いぶし銀”といえば中年のいい男のことだ。ロマンスグレーともいわれた。
50代、60代の人が読む週刊誌の特集は、毎週これから、愛欲を楽しめと見出しが踊っている。女性に興味を失った時、男としての人生は終わりとなる。

ある賢人の言葉に「悪いことのできない人より、悪いことができて悪いことをしない人の方が、人がついてきて成功する。」この人は高級百貨店グループを生んだ。
私は大先輩の生き方に共感する。

あれ、今日薬飲んだっけ、メシ食ったっけ。
誰の電話だったっけ(?)銀座のクラブのツケは約束の日に振り込んでもらった。
みなさんよいシルバーウィークでありますように。