その頃まい日何を探していたかといえば、“質草”だった。
質屋に入れて金を借りるためだ。隠語では→グニルという。
博打では数字の“五”をグーという。それに“二”を足すと“七”シチ=質屋行きとなる。
背広のことを“洋ラン”といった。
この洋ランをグニって来るわとか、モノタン=反物のこと、つまりは着物、オイそのモノタンちょっとだけグニらしてくれとか、金目の物はグニっていた。
質屋は三ヶ月以内に出さないと質流れとなってしまう。
流したくない品ならば利子を払い続けねばならない。
会社勤めをやめて独立したものの仕事はない。即ち収入はない。
だが女房はいる、腹は減る、酒は飲みたい、映画は観たい。時計で800円、首輪で1,500円、指輪で4,000円、着物で8,000円、背広上下で1,300円、コートで1,800円…そんなもんだった。
目に入る物は殆どグニって食いつないだ。私にとって質屋は人生の思い出が出たり入ったり流れてしまったところであった。それ故数字の“七”には敏感になる。
朝晩すっかりひんやりする様になった。
コオロギの鳴き声がしきりに聞こえてくる。「荻、桔梗、葛、藤袴、女郎花、尾花、撫子」これらは秋の七草だが読み方によっては“シチグサ”となる。
秋はずんずんと進んで行く。今でもよく分からないのが質屋の経営だ。
銀座にある私の仕事場の側に質流れの店がある。
あるある、質流れとなった品々が。
お客さんが出たり入ったりするのはあまり見たことはない、が、ロレックス、オメガ、ロンジンなどの高級時計がウィンドウの中に無造作に置いてある。
中学時代の先輩に質屋の倅がいた。この男はケチでケチでとことんケチンボだった。
店の前が天沼八幡神社、中学二年の時その境内でケチンボが日大二高の不良たちにタカられていた。それを追い払ってやったら八幡通りにあった今川焼きの店で、アツアツの今川焼きを一個買ってくれた。今でも今川焼きを見るとあの秋の日の午後を思い出す。