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2016年3月22日火曜日

「頂上の先」



倉敷から帰った日曜の夜、人生の流転を見た。
NHKのニュース番組のスポーツコーナーで清原和博と甲子園で伝説をつくった桑田真澄が、相変わらず暗い声で解説をしていた。
桑田は投げる不動産屋と呼ばれ、株で失敗の江川卓と借金王を争っていたという。
それ故二人を監督やコーチに起用するチームはない。

フジテレビを見ると、松戸の総合病院に入院隔離されている清原和博がカーテンの合間から無精ヒゲをはやし不安げな顔を出していた。
甲子園では選抜高校野球が始まっていた。

溜まった新聞を読みながらクサイ言葉を聞いた。
ショーンKが涙声で四分間お詫びと称するコメントであった。
スミマセン、ゴメンナサイ、許して下さい。バカな私はその四分間を全部聞いてしまった。あの和製ベートーヴェンの時程のインパクトはない。
佐村河内守は今何をしているかだが、ゴーストライターであった作曲家新垣隆は売れっ子となっている。



ゴルフシーズンが幕を開けた。
かつてはAO時代といわれた、Aの青木功はOの尾崎将司(高校時代は野球のエースであった)に勝利数では及ばない。Oは我が世の春を謳歌し、ホワイトハウスといわれる程の豪邸を建て、長い間自分以外はプロゴルファーにあらずの振る舞いであった。
Aはよき再婚相手を得て主戦場を米国にした。結果Oは借金地獄に落ちた。
昨年度賞金獲得はほぼゼロに近い。
トボトボとクラブを杖に変えてゴルフ場にいる姿は哀れを極める。
一方中卒の青木功は米国で成功しゴルフの殿堂入り、今年度から日本ゴルフ協会の会長となった。白いスラックスに赤いシャツ、短髪でシャンメェ、シャンメェと言っていた男が一人の女生との出会いで劇的に変わった。

学歴とは何か、学歴コンプレックスとは何か、私にはよく分からない。
勉強が好きで仕方ない人は天下国家、人民のために学歴を積んでほしい。
学びの歴史をだ。入学しただけでは学歴ではない。
何を誰にどう学んだかの歴史が学歴という。中退だっていい。
密度濃く学び、もうこれ以上学ぶこたあないと思えば中退すればいい。

人間は一人ひとり個性があるんだからそれを生かすことが正しい。
織物の職人、鉄工所の職人、旋盤の職人、大工職人、刀鍛冶、和紙職人、畳職人、植木職人、左官職人、漆塗りの職人、およそ職人の達人、名人たちに学歴コンプレックスなどは無い。日本は職人の国である。
私が最も尊敬する人々は職人さんたち、漁師さん、お百姓さんたちだ。
生きた知恵とアイデアを持っている。

人生は流転する。“頂点とは転がり落ち始める場所”というのが自論だ。
さて、だれが転がり落ちるか、今頂点にいる人々を観察する。
企業もブランドも同じ、ソニー、シャープ、パナソニック、東芝、日本を代表する企業が中国や台湾などに買収されるなんて誰も考えていなかったはずだ。
今の世の中学歴でメシが食えるほど甘くはない。
むかしの名前で生き残れるブランドはない。

2016年3月18日金曜日

「卒業式とスギ」




本日午前九時〜十一時、茅ヶ崎に住む孫の小学校の卒業式に出た。
もう一人は船橋なのでそちらには先泊で愚妻が行っている。
同じ日だったのだ。

猛烈な花粉症にやられていて目も、鼻もグシュングシュンだ
今年は何か新しい花粉物質が私を襲っている。

私は父を早くに亡くし、母は働いていたので、卒業式や入学式での親との思い出はない。それ故何をさしおいても入学式や卒業式や運動会には最優先で出席する。
卒業生はわずか53人、担任の先生は男一人、女性一人のみであった。

卒業生はそれぞれ決意を語った。
保母さんになって世の中の役に立ちたいです。
イラストを描いて絵本を作ります。
看護師さんになって病人のお世話をしたいです。
ピアニストになってピアノの先生になりたいです、何故かプロ野球の選手とか、サッカーの選手とかテニスやお相撲さんとか、円盤投げとか砲丸投げなどというスポーツ関係がいなかった。

一人くらいはヤクザの親分になって世の中をオモシロク生きます、なんていうユニークな子がいればと不謹慎にも思った。
式に先駆け君が代斉唱があったが私は座ったままであった。
式はキビキビとしていて随分と練習したのだろう。
この頃は「仰げば尊し」とか「蛍の光」とか「贈る言葉」はない。
子どもたちの将来が希望に満ちていることを心より願うのだ。

一日二十四時間の内に、ありとあらゆる犯罪が起きる。
“子は育てたように育つ”という。
昼、家に帰りイカれたFAX機をハリ倒したら動き出した

TVのニュースでは、また清原和博ばかりだ。
シャブ中だった田代まさしが、まるでシャブ評論家のようにしたり顔でシャブ脱出法を語っている。

小学生の頃からシャブをやる子はいない。
中学に入ってからはいつでもやる可能性が生まれる。
何かが変わるそのちょっとした変化を見落としてはならない。
シャブへの入学はたやすいが、卒業式を迎えるには鉄の意志が必要なのだ。
あー目がかゆい、鼻水が止まらない。スギをぶった切ってやりたい。

2016年3月17日木曜日

「トマトと赤い玉、」




昨夜帰宅しアレやコレやをした後、映画を観た。
題名は「遠雷」根岸吉太郎監督の代表作だ。
主役の永島敏行が23才の設定だから、初めて観たのはずーっと昔だ。
確かベストワンになったと思う。

栃木県宇都宮近辺でトマトのハウス栽培をしているのが永島敏行、その友だちがジョニー大倉、トマト栽培以外にやる事といったらスナックで飲むこと位しかない。
あとはハウスの中にワラを敷き、毛布を敷き、服を脱いでそれを敷いてひたすらSEXをする。若い肉体と肉体が、たわわに実ったトマトとトマトの間で重なり合う
石田えりのスイカップの胸がブルンブルン揺れる。

地上げが始まった頃なのでハウスの土地を売れと地上げ屋が来る。
愛人をつくって家を出た父親(ケーシー高峰)は女装して愛人を抱く。
スナックの女性に惚れたジョニー大倉はその女性を絞め殺してしまう。
大都市化が進む中で農家の跡取り息子はトマトを切り取り続け、SEXを続ける。
他に何もやることがないのだ。

根岸吉太郎監督は実に丹念に、農家の生活を追う
百姓は働いてさえいれば、食っていけるちゃと母親は言う。

古い名作映画をしこたまレンタルして来ている。
アウトプットするにはインプットが必要だ。
それには決して外れのない映画がいちばんだ。

新作の「赤い玉、」という高橋伴明監督、奥田瑛二主演のも観た。
これは芸術大学で映画を教えるスケベ教授の話し、バイアグラを飲みながら若い女の子とやたらめったらSEXをし、最後は車にはねられて死ぬ。
高橋伴明監督の実世界のような作品であった。
女房の高橋恵子がちょっとばかり出ていた。

「遠雷」は芥川賞作家、立松和平の原作だけに文学的であった。
奥田瑛二の娘安藤サクラはやはり「百円の恋」「0.5ミリ」の演技で主演女優賞を受賞した。スゴイ映画家族だ。気分を変えるために、石井岳龍監督の「ソレダケ」を観る。

アメリカ合衆国の大統領予備選はてんやわんやの大騒ぎとなってきた。
いずれハリウッドでB級映画化されるだろう。
ともあれ映画は私の最高の精神安定剤なのだ。
一日も早くトランプ劇場の終わり方を観たいと思う。
途中でバァーンと撃たれるかもしれないが。

2016年3月16日水曜日

「ジェルソミーナ」



昨日というより今日午前二時から一本の映画を観た。映画史に残る名作だ。上映した年のベストワンになったはずだ。

フェデリコ・フェリーニ監督の「道」である。
主演はアンソニー・クインとジュリエッタ・マシーナ。
主題曲の「ジェルソミーナ」は映画音楽史に残るニーノ・ロータの名曲だ。

三輪トラックでサーカスの見世物をする男に1000円ほどで売られた小さな主人公がジェルソミーナという名だ。サーカスの男の芸といえば、筋肉隆々の胸に太い鉄の鎖を巻き大きく息をし、グッと力を込めて自慢の筋肉でそれを切る。
ただそれだけだ。

この映画がきっかけで名匠フェリーニは世界にその名を広め、ジュリエッタ・マシーナと結婚する。旅から旅へ、巨漢の男の芸の前に、ピエロの顔をした小さなジェルソミーナが悲しげにトランペットで主題曲を吹く。

一本の道の先には希望はない。
男と女は共に生きているが愛の言葉も愛の行為もない。
二人はやがて別々になる。小さなジェルソミーナは道端で消え入るように死ぬ。
それを知った男は、死ぬ間際までトランペットでジェルソミーナを吹いていたと知らされる。そして男は…。

人生とは一本の道を旅する孤独な旅なのだ。
男と女はきっと深く愛し合っていたのだろう。
日本人の中でもきっと小さいと思うジュリエッタ・マシーナはこの映画で大スターとなり、フェデリコ・フェリーニは大巨匠となる。
勿論多くの映画賞に輝く。かつてイタリア映画は世界の最高峰だった。

フェリーニの大ファンだった私は一度イタリア映画のメッカ、チネチッタに立寄った。その時チネチッタは何の活動もしていない雑然としたものであった。
その時心の中にジェルソミーナの曲が流れた。悲しかった。
ジュリエッタ・マシーナの顔が浮かんだ。
アンソニー・クインの筋肉が見えた。一本の長い道があった。

いい映画は何度観てもいい。そして涙があふれ落ちた。

2016年3月15日火曜日

「デンデン虫」




天才と狂人は紙一重というけど、殆どは狂人だと思う。
「見知らぬ乗客」や「太陽がいっぱい」最近では女性の同性愛を描いた映画「キャロル」の原作者パトリシア・ハイスミスもその一人だ、ハイスミスは人付き合いが苦手で、孤独だった。執筆の喜びの源というよりは強迫観念のようなもので、仕事がないと苦しかった。

リラックスして仕事をするために、ベッドの上にすわり、タバコと灰皿、マッチ、コーヒーの入ったマグカップ、ドーナツと砂糖を盛った皿をまわりに置いた。
胎児のような姿勢で書くことによって、彼女の言葉による“自分の子宮”を作り上げた。
執筆前には強い酒を飲む習慣があり、躁状態といえるほどエネルギーを高めた。

毎日大量の酒を飲む、ベッドの脇にはウォッカのボトルを置く、その日飲む分量の印をつけた。生涯通じて強い煙草のチェーンスモーカーであった。
食事はアメリカベーコンと目玉焼きとシリアルだけ。
動物が好きで、とくに猫とカタツムリに特別の愛着を感じた。

ある時魚市場で二匹のカタツムリが奇妙な形で絡み合っているのを目撃したのがきっかけで、三百匹のカタツムリを庭で飼うことになった。
カクテルパーティーにレタス一個と百匹のカタツムリを入れた巨大なハンドバッグを持って現れた。百匹のカタツムリは彼女の夜のお伴だった。
六匹から十匹のカタツムリを乳房の下に隠した。

彼女が同性愛者だとしたら二人の間というか、二人の体中にカタツムリが吸い付き、ヌメヌメと動いていたのだろうか。稀代のミステリー作家はやはり天才であり、狂人であった。強い酒を飲み、強い煙草を喫い、砂糖をナメナメし、カタツムリを愛す。
“太陽がいっぱい”でなく、“カタツムリがいっぱい”だった。

冷たい雨に打たれながら家の前の公園を歩いていたら一匹のカタツムリが木の葉の上でくつろいでいた。手に取ろうとすると強くそれを拒否した。
季節は狂いすでに梅雨入りかと思った。
三月十四日のカタツムリは、はやすぎではないだろうか。
その習性を私は知らない。

映画「キャロル」の評判はすこぶる高い。なんとか観に行きたいと思っている。
同性愛の名作とカタツムリの美しい関係を。ガキの頃はデンデン虫と言った。
この世にはナメクジみたいなカタツムリみたいな人間も多い。
※参考文献「天才たちの日課」フィルムアート社刊、メイソン・カリー著、金原瑞人・右田文子訳

2016年3月14日月曜日

「二百歳」




三月十一日(金)はそれぞれに東日本大震災を悼んだことだろう。
灰色の寒い日であった。
私は千葉にある老人ホームに居た。
二時四十六分私は打合せをしていた。

詳細を記すことは出来ないが、驚いた話をそこで聞いた。
その日、百二歳のご主人と九十八歳の奥さんが入居の申し込みについて話をしに来たという。何故足して二百歳になるご夫婦が来たかといえば、ご夫婦の子どもたちが先立ってしまったからだ、それ以上はプライバシーの問題があり聞くことは出来なかった。

長寿の幸といえばこれ以上の事はない。
が、稀なる人生の有様に複雑な思いを感じた。人間の生命とはつくづく考えた。
今防災について少しばかりお手伝いをしているのだが、地震ばかりはいつ起きるか分からない。一分後かもしれないし、一日後、一週間後かもしれない。
私がお手伝いしている会社がスローガンにしている「事前防災できることからはじめよう」、このことを実践して行くしかない。

五年前の3.11の時一番役立ったのは、手巻き式のラジオ&懐中電灯だったのを思い出す。一晩中グルグル回していた。停電したテレビよりラジオの方が役立った。
不思議と死への恐怖がなかった。
人間は全く想像出来ないことを体験したり、映像で見てしまうとあらかたの神経が思考停止するらしい。

あなたは今いくつですか?百二歳まであと何年ですか、九十八歳まであと何年ですか。
老人になるまでは長い、が老人でいるのも長い。
自分の中にある乾電池の使用期間を知ることはできない。

子どもや女性に呼子を持たせてください。
当然、老人にも。これ事前防災の基本です。
次にペンライトを一本、いざという時のために逃げ足を鍛えてください。
毎日少しでも歩いてください。これ基本中の基本です。