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2016年4月13日水曜日

「No.1に?」




出るぞ、出るぞと言いながらやっと出たと思ったら何だいこりゃ、まるで花園神社で見た蛇女みたいでないかい。

国境麻薬戦争の「今」を極限の臨場感でとらえたサスペンス・アクション。
アカデミー賞三部門ノミネート。本年度No.1、衝撃的傑作!他に類を見ない、最も野心的、脳と腹にズシンと来る。
などギョーサンの言葉につられて速攻で観た映画「ボーダーライン」に見事に裏切られた。

大好きなベニチオ・デル・トロは謎の男であった。
メキシコの麻薬カルテルの実態が遂に見られるのかと思ったのが大間違いだった。
ずいぶんと大げさに近づいて行くのだが、近づくほどに迫力不足になり、登場人物はいなくなり終いには一人で立ち向かって行くことになり、私的復讐劇となってしまった。


オドロシイ相手なのに何故一人だけ女性FBIがいるのか、それも全然鍛えられてない弱々しいFBIBARで買収されている警察と酒を飲み踊り、たやすくKissをして部屋に連れ込まれてしまい本気で抱かれてしまう。
あっ、と思ったら都合よく助け人が現れて途中で終り。
お前それでもFBIかとなってしまった。

ベニチオ・デル・トロは正体不明、CIAらしき人間が出てきたり、SWATや国境警備隊らしき男たちが重装備で出るが緊張感まるでなし。緊迫感もなし。
で、結局オドロシイ麻薬王の実態や、カルテルの実態は出そうで出ないままで、えっ麻薬王の大邸宅ってそんなに簡単に入れちゃうの、で、そんなに簡単に殺せちゃうの、なんでなんでなんでづくしで女房子ども殺して(麻薬王の)一人の復讐劇は終る。

バカヤロー1100円を返せよだ。
圧倒的クオリティに絶賛の声!何が正しいのか、何が悪なのかそこにボーダーはある。でもラインはない。デル・トロの存在は圧倒的だ。
作家・映画監督/森達也、他にも作家黒川博行/キャスター安藤優子/ジャーナリスト大谷昭宏等々が大絶賛だ。結局実態には迫らずにであった。

昨日あわてて行った私がバカでした。
でもこれはあくまで私の感想だから観る人によっては違うことになる。
なんで途中から個人的になったのかが分からないので観た人は教えてください。
映画はやはり、シナリオが命なんだとつくづく思った。
毎年一万人以上を殺す国家の中の国家といわれる麻薬カルテルの実態を知りたかったんだよなぁ。次は見逃していた「サウルの息子」だ。

駅弁の牛肉どまん中を買って食べたのだが、こちらも(?)であった。
これぞNo.1という人もいる。

2016年4月12日火曜日

「友情の詩」

 ♪〜泣けた泣けた こらえ切れずに泣けたっけ あの娘と別れた哀しさに 山の懸巣も啼いていた 一本杉の石の地蔵さんのヨー 村はずれ…。
高野公男作詞/船村徹作曲の名作「別れの一本杉」。
唄ったのは春日八郎であった。

昨日千葉のとある駅でお世話になる人と待ち合わせをしたのだが約束の時間よりかなり早く着いてしまった。その駅に今では未だあったのかというアフタヌーンティーがあった。流行から遅れた店はどこかうらさびしい。

そこで愛読している夕刊紙を読んだ。
そこにレコードメーカーの垣根を超え、実現した夢の豪華企画!/別れの一本杉は枯れず。「別れの一本杉」競演集/四月二十七日発売/2,778円+税/という広告が載っていた。名曲を三橋美智也、北島三郎、美空ひばり、五木ひろしなどが唄うのだ。
ギターは名人木村好夫だ。

私は思い出した。
古い友人に福田嚴(通称ガンさん)というのがいる。
近頃会ってないが、とにかく熱血長電話の写真家である。
その“ガンさん”から電話があって、船村徹大先生の密着ドキュメント番組を撮影するというのだ。題名は「聖なる酔っぱらい伝説 作曲家・船村徹の50年」であった。
この番組はTBSだった。その年のギャラクシー賞を受賞した。

船村徹は大学でクラシックを学んでいた。先輩に高野公男がいた。
高野公男は船村徹に言う。そんなむかしの人間が書いた作曲をいくらなぞったって仕方ない、人間を書け、人間を、と。
船村徹はクラシックを捨てて演歌の道に入り、街を流すギター弾きとなる。
別れの一本杉を当時の大プロデューサーに持って行くと、君の詩は、泣けた泣けた こらえ切れずに泣けたっけ 山の懸巣も啼いていた、やけに泣けるんだなと言われた。

大天才と言われた高野公男は体を壊し古里茨城に帰る。
後輩の栃木生まれ船村徹は駅のホームで先輩と別れる。
泣けた、泣けたなのである。
高野公男は26才で生涯を閉じ、船村徹は演歌の大作曲家となる。

船村徹は功成り名を挙げた後、高野公男の墓を造る。
そこにこんな言葉を刻んだ。“友よ 土の中は 寒いのだろうか 友よ 土の中には 夜があるのだろうか もしも 寒いのならば 俺のぬくもりを わけてあげたい もしも 夜があるのならば 俺の手で灯りを ともしてやりたい 友よ 俺の高野よ こおろぎの よちよち登る 友の墓石

友情とはこういうものなのだとその番組を見て泣けた、泣けただったのを思い出した。
当時上京する人間にとって、茨城は遠い、遠いところだったのだ。

2016年4月11日月曜日

「Aのバッジ」




「実話時代」5月号510円、この雑誌を読む人は暴力団ウォッチャー、ヤクザマニア、極道こそ男の道、任侠または任侠道への憧れ等々を持つ人々が買う。
東大の教授も愛読していたり医学界、経済界、政界の人々も愛読する。
勿論弁護士や検察官や、警察関係者も愛読する。
毎号購読をしている人(堅気の人)も多い。
私も時々買う。

昨夜5月号を買った。
私の親しい友人がとても可愛がられた人の特集号だったからだ。
友人の父上は元海軍将校で戦後大手石油会社の役員をしていた。
友人は大会社に勤める立派な社会人だったが、縁あって可愛がられていた。

特集号の主人公はあの安藤組組長、安藤昇氏であり、もう一人は加納貢氏という。
特集のタイトル/特別企画「安藤昇『お別れの会』」に寄せて/愚連隊の王者、死してなお光を失わず/とあった。
新宿には愚連隊の“帝王”といわれる人がいた、それが加納貢氏であり、渋谷の“王者”が安藤昇氏であった。私が買った5月号は後編であった。

安藤組とは俗称で本当の組織名は“東興業”であった。
安藤昇氏が敬慕していた愚連隊の創始者のような伝説の喧嘩のチャンピオン、万年東一氏から一字とったのではと書かれていた。筆者は大貫説夫氏であった。
加納貢氏は良家の出であり、安藤昇氏は特攻帰りの若者であった。
法政大学中退、当時の大学生は軟派と硬派に二分され、硬派は愚連隊になった。

人気no.1が渋谷の安藤組(東興業)であった。
イニシャルの頭文字「A」のバッジはその憧れの象徴であった。
今でもそのバッヂはネット上で人気である(いろいろに書体は変化している)。
女性に人気があったのは軟派より硬派であったのはいうまでもない。
一時期花の東京は愚連隊の天下であった。

本文の中にこんな個所があったのでそれを書きたい、私も同感だからだ。
筆者はかつて加納貢氏にインタビューした。
「戦後五十一年を過ぎて今の日本をどう思いますか?」
「こんないい加減な国はなくなった方がいい、ドイツはちゃんと自国民の手で戦争犯罪を裁いたが、日本は敵に裁かせて何もしなかった。反省してケリをつけてないんだよ、だから現実は何も変わらなかった。いや政治家も役人も民衆も腐敗しきって、むしろわるくなった。オレはこんな国は認めない、一度滅んで目が覚めないなら、もう一度滅んでみるしかないんだよ」(加納貢氏談)

今の大学生たちはひたすら「就活」にいそしみ、夢も希望も失った若者たちは引きこもり、精神を病み、あるいわ自ら命を絶って無言で姿を消していく。
社会は隅々まで管理されて息が詰まるような閉塞感があるが、国民すべてに番号をつけられ管理されることに対しても、さしたる反対意見は出てこない。
ただ内部に溜まった腐敗の膿だけが至る所に滲み出して悪臭を漂わせる。
今の日本はそういう社会になっていて、それが「戦後」の成れの果てである(本文抜粋)。

故安藤昇氏の「お別れの会」は、過日青山葬儀所で行われてた、いわゆる反社会的人間ならば青山葬儀所で行うことは許されない。
会場にはその筋の人や、芸能界、出版界、経済界さまざまな分野の人が訪れた。
安藤昇氏は昭和三十九年、八年の刑を終えて出所した後、有名な「安藤組解散式」を行った。俳優となり、作家となり、プロデューサーとなっていった。
享年九十歳であった。

私は暴力を肯定も否定もしない。
弱気を助け、強気を挫くための手段ならそれもやむを得ないと思う。
人が怒りを忘れてしまう社会に明日はない。今どき硬派の大学生などはいるのだろうか、バンカラなどという言葉は死語になってしまった。

鈴木清順監督の名作「けんかえれじい」が懐かしい。
かつては喧嘩で捕まっても警察はさしたる事件にしなかった。
両成敗であった。学生よ、バンバン喧嘩しろ、出でよ硬派のスターよ。
女の子にモテるぞ。

2016年4月8日金曜日

「雨の日はうどん」




昨日雨の中床屋さんへ行った。
土曜日に結婚式があるためであった。

花粉症が酷い時、床屋さんに行くとヒゲを剃ってもらっている際にハァックションとやるとノド笛を切らせてしまうかもしれない、床屋さんに迷惑をかけられないので行くに行けなかった。

チョキチョキ髪を切ってもらうと首からかけた白い布に切られた髪の毛が落ちる。
年を重ねるごとに髪の毛に白いものが混じる。
黒と白が9182736455を過ぎたころから一気に増えてしまった。
現在は白8に黒2となってしまった。

思わず白い布に落ちた我が灰色の髪を手にし、じっとそれを見た。
若かりし頃黒く太かった毛髪はその面影を失い悲しい気で細々としていた。
ゴマ塩みたいであった。床屋さんは、なぐさめなのか私はゴマ塩大好きなんですよ、なんて言ってくれた。私の左右の手の中に切り落とされたゴマ塩があった。
かなり暖かくなったのでいつもより短くしてもらった。
床屋さんほどアタマがスッキリする所はない。

切り落とされたといえば、セブン&アイHDの鈴木敏文会長が無残にも切り落とされた。
これ以上ない頂点に君臨していたが、実はその上に妖怪が一人いた。
イトーヨーカドーの創業者伊藤雅俊名誉会長だ。
セブン-イレブンという会社を育てたのは鈴木敏文会長だが、大株主の創業者にとっては敵ではなかった。
共に我が子に後を継がせたいとの思いの戦いでもあったが、100歳を前にした妖怪は、90歳を前にした人間を切り落とした。

やはり頂点とは転げ落ちる所なのだ。まさかの坂である。
自分こそ天下第一の経営者と勝ち誇っていた鈴木敏文会長は、創業者と物言う外国人株主の餌食になった。この様なケースはこれから多発する。
日本を代表する企業は実は外国人株主がゴッソリと支配しているのだ。

床屋さんでサッパリしたあと、ガチンゴチンになった体を鍼灸の達人にさらけ出した。
ハリを入れてもらいお灸を据えてもらった。
またもホップ、ステップ、肉離れ、民進党売出し中の女性政調会長がガソリン代ゴマ化しの肉離れを起こしている。お灸を据えないと駄目な者ばかりだ。ゴマ塩ではなくゴマ化し社会になっているのだ。桜よもう少しがんばって咲いてくれと願っている。

円高大不況に備えなければならない。
アベノミクスが成功したという人は、本人を含めてこの世に一人もいない。
我が世の春は長くは続かない。これは常なることなのである。
達人は愚妻のつくった“きつねうどん”をおいしいと言ってすすってくれた。
雨の日にはそばより、うどんの方がいいと勝手に思っている。

2016年4月7日木曜日

「Pe’zにて」





六本木の国立新美術館で「三宅一生展」が開催されている。
それじゃPe’ でハンバーガーを食べてから見ようと計画した。

Pe’z Magic は美術館のすぐ近く。
隣に担々麺の店と豚組という豚料理店がある。
Pe’zのママさんは元モデルさん、チャーミングですさまじく元気のある女性。

約束の時間に10分遅れてしまった。女性スタッフが四人先着していた。
店に入るとママがキャーと言って近づきハグハグをしてきた。
その日のPe’zハンバーガーは特別だと言った。
野菜と肉と共に、なんとお寿司に出てくるガリが入っているのだ。
これが実に特別にして格別。

パンと野菜と肉とガリの三角関係が見事に合体しているではないか。
ハンバーガーをナイフとフォークで食べる。ガリは肉と相性がいいというのは大発見だ。自宅でハンバーグを食べるとき試してみるといいと思う。
プライドポテトはデザイン化されていて形が楽しい。
サービスよと言って玉ねぎのリング揚げを出してくれた。
ステキな社長さんもようこそと顔を出してくれた。
とてもクリエイティブな店なので店内はベリーグッド。
ナイスなセンスがアチコチ生きている。

ハンバーガーを食べていざ、イッセイミヤケ気分だったが、一本の連絡でガァーン、ドーンとなってしまい計画は変更となった。
9日に結婚式を挙げる女性デザイナーにいざがんばってのランチでもあった。
申し訳ないことになってしまった。

Pe’zのママは左右のほっぺにフランス式よとチュッをしてくれて、また来てねとなった。店内には小谷中清さんの書で白い大きなキャンバスに「あっ」と赤文字で書いてあった。文字通りあっとオドロクタメゴローみたいなことが起き、私はひたすら謝罪をする日となった。おいしかったPe’zのハンバーガーの味を忘れる程の話だった。
親切な人に迷惑をかけてしまったのだ。昨日の昼のことである。

店の前に咲いていた桜がヒラヒラと飛んでいた。私は飛んで帰った。
今日午後一時謝罪に飛んで行く。