堀内孝雄が唄った詞の中にこんなフレーズがあった。
♪〜こうとしか生き様のない人生がある。
何かの決断や判断をしなければならない時、このフレーズを思い出し従う。
自分は現在何故自分であるかを科学的に立証することは、いかなる天才でも出来ない。
何故日本人であるのか、もしかして石器時代や縄文人や弥生人であったかもしれない。
平安時代や戦国時代かもしれない。
昭和二十年十月十三日、戦後っ子として生まれたのは偶然の産物でしかない。
父と母が、父と母として生まれたのも偶然であり、二人が出会って結婚したのも偶然である。
終戦の年十月に私が生まれたということは、昭和二十年の正月早々父と母は子孫を残すべき作業をしていた事になる。
どうして自分が自分であるのかを分からずに、全ての人は今偶然生きている。
奇跡は奇跡的には生まれないというが、私たちは奇跡的の中にいる。
その家のルーツ、遺伝子をずーっと訪ねるヒストリー番組があるが、ずーっと、ずーっと前の事までは調査不能だ。
こうとしか生き様のない人生は、全て持って生まれた遺伝子によって進められる。
私は運命論者だから今は、“なんで(?)”という言葉に左右はされない。
自分がなんでこんなにと思うには、なんでを生む性質があるからだ。
人に利用される人と、利用する人。
あえて苦を背負う人、とことん楽をする人、石垣直角のように正直な人、重い列車を乗せる線路のように実直な人、世の中の全部を敵に回すような人、その逆に味方にする人。
人間の数だけ人生はある訳だから、それぞれこうとしか生き様もない人生という列車の乗客なのだ。
私が一度鬱状態になった時は“なんで(?)”を連発していたらしい。
だが、なるべくしてなった原因は全て自分にあり、私を立て直してくれたのは、信頼した医師や家族、友人、知人、そして仕事仲間だ。
そんな時、そうかこうとしか生き様もない人生なんだと気がついた。
気丈夫な亡き母が見舞に来てくれて、人生はケセラセラよ、みんなにおまかせしてゆっくり休みなさいと言って笑った。
医師からは家族と私の右腕が自殺に気をつけてと言われた。
以来二十年こうとしか生き様のない人生と思って生きて来た。
決して“なんで(?)”とは言わずに何もかも運命なのだと思って。
昨日の朝、東海道線下り列車で人身事故が起きた。藤沢駅であった。
私は十時十七分上りの列車の乗っていた。藤沢駅のホームで茶色のシートをかけられているシーンを見た。ホームには駅員さんや乗客がシートを囲んでいた。
私は合掌した。
列車の中のアナウンスが列車の遅れた原因を何度も言った。
私は乗務員に何度も言うなと言った。
人生に苦しみ悩んでいる人に“なんで(?)”は考えず、仕方ない、なる様にしかならないと開き直ってほしいと願う。世の中には善い人がたくさんいる、必ずいる。
諦めないでほしい。
コップ一杯の水を飲んで大きく深呼吸すると、きっと生きる力が沸いて来る。
私はずーっとそれを続けた。
昨年小庭に見事に咲いた牡丹は今年は咲かない、150個位取れた梅は6個しか取れない。
片隅にがんばって咲いたアジサイの花も何故か咲かない。
花や木々にも運命があるのだろう。来年はきっと咲くはずだ。