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2016年6月3日金曜日

「日本映画史上初のリアリズム」




日本の映画界は史上初めて本当の喧嘩のシーンを生んだ。
リアリズムの監督といえば、故今村昌平とか、故小林正樹が両巨頭であっただろうと思うが、ある視点ではそれを超えた。

暴力性を描いた監督は多い、故深作欣二をはじめ、三池崇史、阪本順治など、日本の映画作品の50%は暴力と性を描いてきた。
女と性を書かない物書きは小説家ではないと評論の神様、故小林秀雄は言っていた。
同じように暴力とその延長上の戦争は映画監督にとって永遠のテーマであった。
今まで私が観て来た映画の中の喧嘩シーンは、どこまでいってもやっぱり映画家さんが作った偽物であった。

先日友人の娘さんのライブを見聞しに行った時、娘さんから二人の若者を紹介された。
一人は監督を目指し、一人は格闘家をしながら役者を目指していた。
この映画是非観に行ってください僕出ているんです、と言って一枚のフライヤー(チラシ)をもらった。暗い中であったのでそれをバッグの中に入れた。

家に帰ってそれを見ると“ディストラクション・ベイビーズ”という映画だった。
その後友人のプロデューサーにその映画の題名を言うと、それ真利子哲也さんの作品ですね、今年はその映画No.1で決まりでしょうと言った。
僕よく知っています、今度一本一緒にやろうと思っているんですと言った。

1981年生というから現在34歳だ。
法政大学時代から8ミリで自主映画を作り、すでにカリスマのような存在であったという。東京藝術大学院映像研究科映像専攻にいた頃も自主映画で誰も作らなかったリアリズム映画で、国内外の短編映画祭や長編でグランプリをはじめ数多くの賞を獲りまくっていた。
私は不勉強でこの監督を知らなかった。

で、昨日テアトル新宿に行った(640分の回)。
テアトル新宿は若い才能を育てる事で有名なところである、東京テアトル(株)は今年で70周年を迎えた。

映画の舞台は愛媛県松山市、登場する人間は伊予弁で話す、主人公の若者は無口でラストまで言葉らしきものは発しない。
この主人公は中里介山の大長編の名作「大菩薩峠」に出てくる虚無的な盲目の武士、机竜之助のようである。
人を見ると誰でも斬りたがる机竜之助、主人公は人を見ると殴りたがり、蹴りたがる。
その逆に殴られ、蹴られる。不良でもない、チンピラでもない、暴走族でもない、ヤクザ者や極道でもない。
漁師の息子のようであり、どこかの工場に勤めている作業員のようである。

ごくフツーの若者なのだが、相手が学生だろうが、不良だろうが、チンピラだろうが、極道者だろうが辻斬りのようにいきなり殴り、蹴りまくる。
反撃されボコボコにされるのを楽しむ。映画の殆どがその喧嘩のシーンである。
勝つとか負けるとかはドーデモいい。
ただ楽しかったらいいと暴力を楽しむ。鬱屈の爆発を暴力という肉体言語で発散する。

目的のないまい日の中で虚無的彷徨をする若者のニヒリズムの極致だ。
真利子哲也はよくぞここまで喧嘩を研究したなと思うほど徹底的なリアリズムを追求した。この映画を観た監督は、喧嘩のあるシーンはもう撮れないだろうと思う。

役者たちがまた素晴らしい。
あえて名は伏す、本年度No.1になるであろうこの映画を観てほしい。
撮影、照明、衣裳、特殊メイク、音楽、全てパーフェクトであった。
現代社会に於いてディストラクション・ベイビーズはすぐ側にいるはずだ。
裏社会ではこういう、あいつは“フーな奴(気が狂っている)”だから近寄るなと。
ブルージンジャエールが熱くなったカラダを冷やしてくれた。

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