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2016年6月23日木曜日

「大宅壮一文庫」


真の情報は雑然の中にある。
頭の上に乗っかっているような気取ったものの中に真実は見えない。
日本人は一億総白痴化すると言い残した、故大宅壮一の言葉であったと思う。

大宅壮一さんの大偉業はなんといっても「大宅壮一文庫」を生んだことだと思う。
今ではスマホ一つで何でも調べられるが、かつてはなんといっても大宅壮一文庫であった。そこには読んだら捨てられてしまったであろう、あらゆる雑誌や週刊誌などが膨大にストックされていた。

何か調べたいものがあると、オイ!西山(担当でした)大宅壮一文庫行って来いや、なんて言っていた。アナログ的資料の大宝庫なのであった。
知人の紹介でずっと昔、娘さんである大宅映子さんと酒を飲んだことがある。
深夜大宅映子さんが唄うテネシーワルツ(英語で)は絶品であった。

先日大宅壮一文庫のことを久々に思い出すニュースに出会った。
ファッションセンス、抜群の大宅映子さんを思い出した。
大宅壮一文庫の、あの資料の中からどれだけ歴史的なものが生まれたこととか、大偉業を改めて讃えたい。

何かで見た評論家立花隆さんの蔵書はまるで図書館と同じだが、どこか共感できない。
難しい本ばかりに見えるからだ。それに入って読むことができない。
知の巨人立花隆さんが追い込んだ故田中角栄が、今大ブームとなっているのは歴史の皮肉だろうか。

政治とは演説だというが、この頃の政治家は演説下手が多い。
大衆の心をつかむ一発の言葉がない。一発で大衆を笑わす言葉がない。
立て板に水を流すように虚言を出し続ける我が国のリーダーは、もはやビョー的症状と思わざるを得ない。

昨夜報道ステーションに全党首が出演していたのを見てコリャ駄目だと思った。
残酷な気分となった。本当に日本は沈没するなと思った。
書は人なりと言うが、最後に全党首が一枚のボードにそれぞれ決意を書いた。
なんたる下手くそに愕然とした。昔の政治家は書の達人ばかりであった。書といえば昨日をもって都知事を退職した舛添要一はチャイナ服で書をたしなんでいたというが、(?)(?)(?)トホホであった。知事室に掛けてあった書の軸物はオレの買ったもんだと持って帰ったとか。飛ぶ鳥あとはメッタメタであった。真実なるものは人間社会には永遠に存在しないのかもしれない。私の期待している人がこの国のリーダーになってほしいと願っている。さあ、いよいよ参議院議員選挙だ。近々20万冊の雑誌類を見に大宅壮一文庫に行こうと思っている。

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