英語ならThe End、フランス語ならFIN、日本語なら終り、ある世界では“御名御璽(ギョメイギョジ)”という。天皇が押す印のことをいう。
どんなことがあっても、オイ御名御璽だと言われたら絶対それに従わなければならない掟である。
東京都知事舛添要一はあろうことか自分の子どもがイジメられている(自分のせいだろ)、なんとか九月まで待ってくれと泣きを入れ命乞いをしたという。
学力だけを頼りに生きてきた学者には答案用紙の点数が全てであり、それ以外は何物の価値はない。
鉄面皮、恥知らず、恩知らずと言われようと権力への野心と野望にしか関心はない。
きっと心を許す友人もいないのだろう。
人間の持っているカルマ(業)を表立ってこれほど露出した男は未だかつていない。
自らの保身のためには、下手な作り話をしゃべる。
自分以外はみんなバカにしか見えなかった男は、人という人を裏切り、寝返り、白痴(コケ)にして生きて来た。私が常日頃言う勉強ばかりしていると本当のバカになるぞの見本となった。
東大法学部を首席(?)で卒業した国際政治学者は、人間界のケジメの取り方という問題が解けない、点数0点の答案用紙を出した。
舛添要一が私の相談室に早く相談に来ればなと思った。
見苦しい姿も、私から見ると一興の芝居である。
私はきっとこうアドバイスをするだろう。オマエのすべては病気なんだと。
森に住めなくなった熊の親子たちを追うマタギの銃口が火を吹く。
生活の少しの足しにでもなればと森の中に入って筍を取る老人たちは、行き場を失った熊に襲われて命を落とす。
マスゾエを“マキゾエ”と言った議員がいた。
この議員もまた東大卒であった。マキゾエを生んだ人間の一人であった。
私たちはマキゾエの時代にいるのも確かだ。
駅のホームを歩く時は真ん中を、信号はちゃんと青になってから、スマホを見ながら歩かない、赤信号みんなで渡れば怖くないと言ったのはツービートの北野武だったが、今では青信号で立ち止まっていても危ない。
人のふり見て我が身を正せの教え通り、マスゾエとマキゾエを学ばねばならない。
テレビに出まくっている元知事たち、北川正恭、片山善博、東国原英夫たちがマスゾエをエサにギャラを稼ぎ、マキゾエをこの時とばかり楽しんで顔を売っている。
食えないヤロー共だ。確か前の前の東京都知事は海外視察は大名旅行だと攻め立てられたら、ウルセイなどとひと言で片を付けた。
この差は一体何なんだろうか。
やっぱり遊びを学んだ違いではなかろうか(?)ここ一番の喧嘩をする時は、言葉を多く発したら負ける。黙々として殴られ、黙々として殴り返すのが極意である。
このブログを書き終え明け方ウーロン茶だと思って冷蔵庫の中の物をゴクッゴクッと飲んだら、ウヒャーCOOPの白だしだった。チクショウウーロン茶と同じ色だった。
なんで白なんだと一人で声を出した。(文中敬称略)
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