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2016年6月13日月曜日

「ケンタッキーは持ち帰った」




うんざりする男舛添要一に、うんざりするマスコミという“マスゴミ”。
一週間うんざりしたのを晴れ晴れさせてくれるのは、やはり少年たちの汗と涙です。

昨日日曜日午前十一時三十分プレイボール。
場所は平塚の河川敷にある野球場、土手を歩いているとグラウンドが一つ、二つ、三つ。そこには小学生たち、なんだここじゃないのかと記録員の方に聞くと中学生はあの土手のずっと先ですと言われ、また土手を歩く。

オッ、小学生より体が大きい、オッ、見つけた孫たちのユニホーム。
汗びっしょり、サンドイッチやら使い捨てカメラ(これが得意)やら、タオルを入れたスポーツシューズが入っていた袋を持って、土手の中程に用意された白いベンチに座る。
そこにはその試合の係のママさんたちがいた。
前の日の土曜日は息子のお嫁さん、つまり孫のママさんが金沢八景の方で行われた試合の係であった。

次はこの係が大変なのだ。一日三試合だと、早朝集合して出発する。
ママは休日返上、監督やコーチや子どもたちのために、冷たい水や麦茶やらを用意する。試合が終わると茅ヶ崎のホームグラウンドで練習、用具の片付けやグラウンドの整備。
帰ってくるのは夜八時半を過ぎる。パパも休日返上で子どもたちや監督、コーチを乗せて車の運転手、もうみんなヘトヘト。

で、日曜日土手で我が息子を探していると、係のママさんが、パパさん今日は主審のデビュー試合ですよと言うではないか、線審をするとばかり思っていた(審判の勉強をしている)。オッ、あれかグレーの審判服、中にはプロテクター、腰にはボール入れの袋、審判用の帽子と靴。若い女性のアナウンスで試合の主審はと息子の名が呼ばれた。

第一試合は中学三年生たちであった。
第二試合十一時三十分、息子のプレイボールの声で私は緊張した。
失敗するなよ、ネット裏には記録員や審判やアナウンサー。
一番三塁でいちばん小さな体の孫がいた。

実のところ今年に入って練習試合に一つ勝って以来勝ち星なし、週末我が家に来るのだが毎週かわいそうな位にガックリ、ヘトヘトになって帰って来る。
それでも少年たちは試合が始まると、いきなり打たれまくりながら、チームの仲間と声を出し合い、励まし合い、監督に叱られながらも、ハイッ!ハイッ!と帽子を取って歯を食いしばる。

監督の熱心さには頭が下がる。未だ二十六、七才とか、平日市役所に勤めていて休日は少年野球の指導を朝から晩までする。遠くは静岡御前崎まで行って試合をする。
第一試合中学三年生は七対五で勝ち、第二試合孫たちチームは残念ながら大敗、試合終了は一時二十五分、第三試合は午後二時プレイボール。

愚妻が作ったハムチーズサンドを袋から出して土手にて食す。
いい天気、いい風の中モンシロチョウが飛んでいた。
外野には鳥がたくさん緑の芝生の上で一休みをしていた。

午後二時第三試合プレイボール、オッ、息子が来た。
主審だったのかと言えば、メッチャ疲れたと、ハンパなく疲れたようであった。
少年たちの必死なプレイに誤審は許されないからだ。
第三試合は三年生たち主体、孫はベースコーチ、二年生が二塁を守っていたが二回に正面のゴロをエラーしてしまった。
監督が何やってんだよーと超金切り声、で、交代孫が二塁へ。
私はとても複雑な気分、交代はキビシイ。

試合はなかなか好試合であったが二対五で敗けた。
最終回の七回表二死ランナー一塁、二塁、私は上から叩け、叩けと声を出した。
最後のバッターは孫であった。結果はご勘弁を。
うんざりさせられる男たちも少年であったはずだからその頃を思い出し、フェアプレーに徹してもらいたい

ケンタッキーフライドチキンを電話で頼んで帰りを待っていたが、午後八時三十五分、息子が玄関で、孫はクルマの中で寝てしまったから持って帰ると言って愚妻が作っていた料理をパックに入れて持ち帰った。我が家で待っていた妹と弟を乗せて帰った。
それにしても相手の平塚は強かった。
交通機関がなくずっと歩いてやっと街道に出た時は四時半を過ぎていた。
ドンマイ、ドンマイだ(大丈夫気にすんなよ、次はガンバローぜみたいな言葉)。

2016年6月10日金曜日

「コップ一杯の水と、」



堀内孝雄が唄った詞の中にこんなフレーズがあった。
♪〜こうとしか生き様のない人生がある。
何かの決断や判断をしなければならない時、このフレーズを思い出し従う。

自分は現在何故自分であるかを科学的に立証することは、いかなる天才でも出来ない。
何故日本人であるのか、もしかして石器時代や縄文人や弥生人であったかもしれない。
平安時代や戦国時代かもしれない。

昭和二十年十月十三日、戦後っ子として生まれたのは偶然の産物でしかない。
父と母が、父と母として生まれたのも偶然であり、二人が出会って結婚したのも偶然である。
終戦の年十月に私が生まれたということは、昭和二十年の正月早々父と母は子孫を残すべき作業をしていた事になる。

どうして自分が自分であるのかを分からずに、全ての人は今偶然生きている。
奇跡は奇跡的には生まれないというが、私たちは奇跡的の中にいる。
その家のルーツ、遺伝子をずーっと訪ねるヒストリー番組があるが、ずーっと、ずーっと前の事までは調査不能だ。
こうとしか生き様のない人生は、全て持って生まれた遺伝子によって進められる。

私は運命論者だから今は、“なんで(?)”という言葉に左右はされない。
自分がなんでこんなにと思うには、なんでを生む性質があるからだ。
人に利用される人と、利用する人。
あえて苦を背負う人、とことん楽をする人、石垣直角のように正直な人、重い列車を乗せる線路のように実直な人、世の中の全部を敵に回すような人、その逆に味方にする人。
人間の数だけ人生はある訳だから、それぞれこうとしか生き様もない人生という列車の乗客なのだ。

私が一度鬱状態になった時は“なんで(?)”を連発していたらしい。
だが、なるべくしてなった原因は全て自分にあり、私を立て直してくれたのは、信頼した医師や家族、友人、知人、そして仕事仲間だ。
そんな時、そうかこうとしか生き様もない人生なんだと気がついた。
気丈夫な亡き母が見舞に来てくれて、人生はケセラセラよ、みんなにおまかせしてゆっくり休みなさいと言って笑った。

医師からは家族と私の右腕が自殺に気をつけてと言われた。
以来二十年こうとしか生き様のない人生と思って生きて来た。
決して“なんで(?)”とは言わずに何もかも運命なのだと思って。



昨日の朝、東海道線下り列車で人身事故が起きた。藤沢駅であった。
私は十時十七分上りの列車の乗っていた。藤沢駅のホームで茶色のシートをかけられているシーンを見た。ホームには駅員さんや乗客がシートを囲んでいた。
私は合掌した。
列車の中のアナウンスが列車の遅れた原因を何度も言った。
私は乗務員に何度も言うなと言った。

人生に苦しみ悩んでいる人に“なんで(?)”は考えず、仕方ない、なる様にしかならないと開き直ってほしいと願う。世の中には善い人がたくさんいる、必ずいる。
諦めないでほしい。
コップ一杯の水を飲んで大きく深呼吸すると、きっと生きる力が沸いて来る。
私はずーっとそれを続けた。

昨年小庭に見事に咲いた牡丹は今年は咲かない、150個位取れた梅は6個しか取れない。
片隅にがんばって咲いたアジサイの花も何故か咲かない。
花や木々にも運命があるのだろう。来年はきっと咲くはずだ。

2016年6月9日木曜日

「天野祐吉さんの言葉」




メモに書いておいたある王様の言葉。
実語(真実の言葉)は天に昇る橋で、妄語(偽りの言葉)は地獄へ入る道だ。
一国のリーダーが偽りの言葉ばかり言うと、その国の知事→市長→町長→村長と偽りの言葉はリレー的に繋がって行く。

深夜いつものグラスに酒を入れてしばし瞑想すると、自分が妄語ばかり言っているではないかと。真実の言葉とは何かを考える。どこからどこまでが真実なのか分からない。
自分の直感を信じて言葉を発するのが常だから、絶えず話しながら思考を展開する。
気が付くと偽りとも真実とも言えない言葉の中にいる。

まい日この実語と妄語の境界の中で生きている。
仕事柄理論的に有り得ないことも有るのだと信じて言葉にする。
理屈や間尺に合わないことでも直観を信じて合わせていく。
直観はいきなり出るのではなく四六時中思考していないと浮かばない。
直感が浮かばなくなった時、私は私でなくなる。

国語の辞典や英語の辞書にない言葉を造る。
それを生業としている。小説などはさて実語かと思う。
何言ってやんだ小説なんてウソばかりの作り話だよという小説家の声も聞こえたりする。正直な人がバカを見る時代となってしまった。
誠実という言葉が希少性を持ってきた。愚直などという言葉は宝のようになってきた。

偽りの国家に未来はあるのだろうか。
裁判所も、警察も、大学も、高校も、勿論小・中学校も偽りばかりが横行している。
超一流といわれた名門企業も、一流企業も、中、小、零細企業も偽りと共に沈没する。
いかなる大金を持ってしても手に入れることができないのが、正直と誠実さだ。

名コラムニスト故天野祐吉さんの言葉に、「日本は一位とか二位とかを争う野暮な国じゃなくていい。『別品』の国でありたいと思うのです」なるほど別品か、いい言葉ではないか、新聞の切り抜きから見つけた。

チーズクラッカーを食べながら飲んだ。クラッカーがポロポロと崩れて落ちた。
人差し指でそれを取った。

2016年6月7日火曜日

「忘れがたき日々」

♪〜兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき 故郷。

2時〜3時はおうたとおやつの時間であった。
老人たちはかつて元気一杯の子どもであった。
やがて少年少女となり初恋に胸をトキメかす。
夢多き青春時代に、よき友、よき仲間をつくった。やがて大人社会に進み、愛を育み、よき伴侶を持った。

子宝に恵まれた人は、子育てに全力を尽くした。
親は子のためにはその命をかけた。
人間、老人になるまでは長いが、老人でいるのも長い。
私の目の前にいる老人たちは戦争を経験した人たちであった。

忘れがたき故郷はどこであろうが、深い愛情を持つ我が子がいる家だろうか。だが、子どもや人に迷惑をかけずに自分らしく生きたいという。

介護付老人ホーム、ここに入居できる人は幸せな人だという。
老人介護、老老介護を自宅で行っている人々にこの国の政治は冷たい。


2016年6月6日月曜日

「お母さん」


この世の中で誰がいちばん大切か言えば、いのいちばんは「お母さん」だろう。

「戯れに母を背負いて そのあまりに軽さに泣きて 三歩歩まず(石川啄木)」
良い命も悪い命もお母さんの中から出て来た。
お年寄りを大切にしない社会は、お母さんを大切にしない社会といえる。

遠い昔「日本の母」という映画があった。三益愛子が主演した。記憶が定かでないが概ねこんな話だ。

三益愛子演じる老母には、兄姉が三人いる。
兄には嫁がおり、姉には夫がいる。末っ子は遠く離れたところで働いている。
老母ははじめ長男の家に住むが、嫁がやさしくない。
とても居づらい。娘のところに身を寄せるが、その夫がやさしくない。
とても居心地が悪い。
次男のところも同様で老母にとって居心地が悪い。
それぞれの家庭にそれぞれの事情がある。

ある雪の日老母は外をさまよっている時、路上に倒れてしまう。
すぐ前に養老院があり命は助かる。
やがて末っ子が帰ってくる(確か宇津井健)。
末っ子は怒り、兄や姉をなじり倒す。
そしてお母さんは僕がお世話をする。

とまあこういう映画であって、当時十二、三歳だった私は、オイオイと泣いた。
これから介護付老人ホームを撮影するために向かう。
お母さんを大切にしない国はきっとお天道様に叱られる。

2016年6月3日金曜日

「日本映画史上初のリアリズム」




日本の映画界は史上初めて本当の喧嘩のシーンを生んだ。
リアリズムの監督といえば、故今村昌平とか、故小林正樹が両巨頭であっただろうと思うが、ある視点ではそれを超えた。

暴力性を描いた監督は多い、故深作欣二をはじめ、三池崇史、阪本順治など、日本の映画作品の50%は暴力と性を描いてきた。
女と性を書かない物書きは小説家ではないと評論の神様、故小林秀雄は言っていた。
同じように暴力とその延長上の戦争は映画監督にとって永遠のテーマであった。
今まで私が観て来た映画の中の喧嘩シーンは、どこまでいってもやっぱり映画家さんが作った偽物であった。

先日友人の娘さんのライブを見聞しに行った時、娘さんから二人の若者を紹介された。
一人は監督を目指し、一人は格闘家をしながら役者を目指していた。
この映画是非観に行ってください僕出ているんです、と言って一枚のフライヤー(チラシ)をもらった。暗い中であったのでそれをバッグの中に入れた。

家に帰ってそれを見ると“ディストラクション・ベイビーズ”という映画だった。
その後友人のプロデューサーにその映画の題名を言うと、それ真利子哲也さんの作品ですね、今年はその映画No.1で決まりでしょうと言った。
僕よく知っています、今度一本一緒にやろうと思っているんですと言った。

1981年生というから現在34歳だ。
法政大学時代から8ミリで自主映画を作り、すでにカリスマのような存在であったという。東京藝術大学院映像研究科映像専攻にいた頃も自主映画で誰も作らなかったリアリズム映画で、国内外の短編映画祭や長編でグランプリをはじめ数多くの賞を獲りまくっていた。
私は不勉強でこの監督を知らなかった。

で、昨日テアトル新宿に行った(640分の回)。
テアトル新宿は若い才能を育てる事で有名なところである、東京テアトル(株)は今年で70周年を迎えた。

映画の舞台は愛媛県松山市、登場する人間は伊予弁で話す、主人公の若者は無口でラストまで言葉らしきものは発しない。
この主人公は中里介山の大長編の名作「大菩薩峠」に出てくる虚無的な盲目の武士、机竜之助のようである。
人を見ると誰でも斬りたがる机竜之助、主人公は人を見ると殴りたがり、蹴りたがる。
その逆に殴られ、蹴られる。不良でもない、チンピラでもない、暴走族でもない、ヤクザ者や極道でもない。
漁師の息子のようであり、どこかの工場に勤めている作業員のようである。

ごくフツーの若者なのだが、相手が学生だろうが、不良だろうが、チンピラだろうが、極道者だろうが辻斬りのようにいきなり殴り、蹴りまくる。
反撃されボコボコにされるのを楽しむ。映画の殆どがその喧嘩のシーンである。
勝つとか負けるとかはドーデモいい。
ただ楽しかったらいいと暴力を楽しむ。鬱屈の爆発を暴力という肉体言語で発散する。

目的のないまい日の中で虚無的彷徨をする若者のニヒリズムの極致だ。
真利子哲也はよくぞここまで喧嘩を研究したなと思うほど徹底的なリアリズムを追求した。この映画を観た監督は、喧嘩のあるシーンはもう撮れないだろうと思う。

役者たちがまた素晴らしい。
あえて名は伏す、本年度No.1になるであろうこの映画を観てほしい。
撮影、照明、衣裳、特殊メイク、音楽、全てパーフェクトであった。
現代社会に於いてディストラクション・ベイビーズはすぐ側にいるはずだ。
裏社会ではこういう、あいつは“フーな奴(気が狂っている)”だから近寄るなと。
ブルージンジャエールが熱くなったカラダを冷やしてくれた。