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2016年6月16日木曜日

「事件防止CM」

ACジャパンHPより



昨夜遅く見たテレビ番組は一つだけ。
20年前に起きた大学生殺人事件の被害者の父親が出ていたものであった。

ある駅で大学生が一人の男に殴られ倒れた時に後頭部を激しく打って死亡してしまった。100人以上が見ている中で起きた事件であったが未だに犯人は捕まっていない。
似顔絵が貼りだされたのを憶えている。

人の記憶というのは実にあてにならない。
目撃者情報が正しいとは限らない。
息子を殺された父親は駅に立ち続けて事件への協力を頼むためにビラを配り続けた。
この事がキッカケとなり、殺人事件の時効が無くなったと知った。

この頃駅で乗客が駅員を殴ったりする暴力行為が多発しているという。
またスマホを見ながら歩いている人とのイザコザの結果、暴力沙汰になるのも多発している。昨夜私はその当事者になりそうになった。
人と待ち合わせをしている場所に行くために銀座を歩いていた。
スマホを見ながら歩いている男が私にぶつかった。30代位だった。
何も言わない(シカト)のでこのヤローと思ったが、公共広告機構のCMを思い出した。

ぶつかったらどっちかがやわらかくなったらいい、そんなCMだった。
そうかやわらかくかと思い怒りを収めた。
夜遅い駅の近辺には、ムカムカやイライラやヘベレケが集まる。
この歳になって自分がずい分とやわらかくなっている事に気付いた。
いいCMは事件を防止する。作者に敬意を表したい。

昨夜、ホセこと保勢さんこと「ホセ桑田」さんの超絶ギターに心が洗われた。
失くしたと思っていたメガネを持って帰った。ホセさんの店に落としていたのだ。

2016年6月15日水曜日

「白だし」

コープHPより



英語ならThe End、フランス語ならFIN、日本語なら終り、ある世界では“御名御璽(ギョメイギョジ)”という。天皇が押す印のことをいう。
どんなことがあっても、オイ御名御璽だと言われたら絶対それに従わなければならない掟である。

東京都知事舛添要一はあろうことか自分の子どもがイジメられている(自分のせいだろ)、なんとか九月まで待ってくれと泣きを入れ命乞いをしたという。
学力だけを頼りに生きてきた学者には答案用紙の点数が全てであり、それ以外は何物の価値はない。
鉄面皮、恥知らず、恩知らずと言われようと権力への野心と野望にしか関心はない。
きっと心を許す友人もいないのだろう。
人間の持っているカルマ(業)を表立ってこれほど露出した男は未だかつていない。
自らの保身のためには、下手な作り話をしゃべる。

自分以外はみんなバカにしか見えなかった男は、人という人を裏切り、寝返り、白痴(コケ)にして生きて来た。私が常日頃言う勉強ばかりしていると本当のバカになるぞの見本となった。
東大法学部を首席(?)で卒業した国際政治学者は、人間界のケジメの取り方という問題が解けない、点数0点の答案用紙を出した。
舛添要一が私の相談室に早く相談に来ればなと思った。
見苦しい姿も、私から見ると一興の芝居である。
私はきっとこうアドバイスをするだろう。オマエのすべては病気なんだと。

森に住めなくなった熊の親子たちを追うマタギの銃口が火を吹く。
生活の少しの足しにでもなればと森の中に入って筍を取る老人たちは、行き場を失った熊に襲われて命を落とす。

マスゾエを“マキゾエ”と言った議員がいた。
この議員もまた東大卒であった。マキゾエを生んだ人間の一人であった。
私たちはマキゾエの時代にいるのも確かだ。

駅のホームを歩く時は真ん中を、信号はちゃんと青になってから、スマホを見ながら歩かない、赤信号みんなで渡れば怖くないと言ったのはツービートの北野武だったが、今では青信号で立ち止まっていても危ない。
人のふり見て我が身を正せの教え通り、マスゾエとマキゾエを学ばねばならない。

テレビに出まくっている元知事たち、北川正恭、片山善博、東国原英夫たちがマスゾエをエサにギャラを稼ぎ、マキゾエをこの時とばかり楽しんで顔を売っている。
食えないヤロー共だ。確か前の前の東京都知事は海外視察は大名旅行だと攻め立てられたら、ウルセイなどとひと言で片を付けた。

この差は一体何なんだろうか。
やっぱり遊びを学んだ違いではなかろうか(?)ここ一番の喧嘩をする時は、言葉を多く発したら負ける。黙々として殴られ、黙々として殴り返すのが極意である。

このブログを書き終え明け方ウーロン茶だと思って冷蔵庫の中の物をゴクッゴクッと飲んだら、ウヒャーCOOPの白だしだった。チクショウウーロン茶と同じ色だった。
なんで白なんだと一人で声を出した。(文中敬称略)

2016年6月14日火曜日

「虎ノ門にて」


ハングリータイガーHPより


自分の金を自分の口座に振り込むのに、自分であることを証明せよと言われて、結局自分が自分であることが証明できずに振り込めなかった。

六月九日午後二時四十五分頃、私は虎ノ門の交差点のところにある銀行に行った。
六月十日に自分の口座に振り込みたいことがあったからだ。
溜池から歩いたせいか、その日がかなり暑かったせいか銀行に着くと汗をかなりかいていた。一階に中年男の係員が立っていて気持ち悪いほどていねいに本日のご用はと言った。

この銀行に来たのは何十年振りかであった。むかしは富士銀行だった。
中はずい分変わっていて振り込みをしたいのだけどと言うと、どちらへと聞くから横浜銀行へと言った。
金額はというから◯×万円と言うと十万円以上ですねと言う。
機械入力の仕方はというから知らない、やったことはないと言った。
それではお二階へとエレベーターのボタンを押してくれた。

二階に行くと中年の女性が来て気持ち悪いほどていねいに一階で聞かれたことと同じことを聞いた。保険証とか、運転免許証とか公共料金の請求書はと言った。
あっそう保険証のコピーを取ったのがあるよと汗をふきふき、バインダーを開いてポケットの部分から出した。
ちょっとお待ち下さいと言ってカウンターの方へ行って何やらゴニョゴニョ話をして戻って来て、保険証のコピーでも大丈夫ですと言って振込用紙の書き方を教えてくれた。
私どもに口座はというからないよと言った。
横浜銀行のカードはと言うから持ってない、家の奴が持っているよと言った。

振込用紙を書き終えた時は三時少し前であった。
袋に入ったお金を出して一枚二枚と数えて出したところ、四十代か三十代の終り位の細い女性がスミマセン保険証のコピーでは駄目なんですと言ってきた。
なんだよさっきこの人がコピーでいいって言ったじゃないかと言うと二人揃って気持ち悪いほどていねいに誠に申し訳ありませんと言った。
歯医者さんはコピーでOKだよと言うと、私共は歯医者さんではないのでスミマセン、何か本人確認できるものはと言うから、またバインダーを出して広げた。
飲み屋の請求書や寿司屋の請求書や映画のチラシとかがザクザクと出て来たが役立つものはない、もしかしてカードを入れている財布の中に何かあるかもとそれを出す。
いつも使用しているカードや忘れていたようなカードやTSUTAYAのカードや松屋のカードやらが何枚も出て来た。まるでトランプをしている様であった。

すでに三時を回っていた。ゴッツイ男が二人私を見ている。
女性客が二人いたのが帰り支度をしている。
こういう事が一人で全く出来ないので散々な目にあった。
オレオレ詐欺が多いので厳重なチェックをするらしい。

結局次の日の朝、愚妻が横浜銀行へ持って行った。
なんだこれがいちばんカンタンで早かったじゃないかと思った。
自分が自分であることを証明することを携帯しないといけない、銀行預金に残がなくなるので。電気料金の請求書があった、これだなと思った。
虎ノ門の銀行のカメラにきっと不審者として残っているだろう。
何しろ風体もフツーじゃないアロハな男だったから。

虎ノ門といえば“ハングリータイガー”というパスタ超ウマ、超安、超行列、超手順スムーズ店を最近知った。是非オススメです、行列していてもアレよアレよとお客は回転する、それを体験するだけでも行く価値あり、お店のプロフェッショナルたちの動きを。
銀行とはえらい違いだ。

2016年6月13日月曜日

「ケンタッキーは持ち帰った」




うんざりする男舛添要一に、うんざりするマスコミという“マスゴミ”。
一週間うんざりしたのを晴れ晴れさせてくれるのは、やはり少年たちの汗と涙です。

昨日日曜日午前十一時三十分プレイボール。
場所は平塚の河川敷にある野球場、土手を歩いているとグラウンドが一つ、二つ、三つ。そこには小学生たち、なんだここじゃないのかと記録員の方に聞くと中学生はあの土手のずっと先ですと言われ、また土手を歩く。

オッ、小学生より体が大きい、オッ、見つけた孫たちのユニホーム。
汗びっしょり、サンドイッチやら使い捨てカメラ(これが得意)やら、タオルを入れたスポーツシューズが入っていた袋を持って、土手の中程に用意された白いベンチに座る。
そこにはその試合の係のママさんたちがいた。
前の日の土曜日は息子のお嫁さん、つまり孫のママさんが金沢八景の方で行われた試合の係であった。

次はこの係が大変なのだ。一日三試合だと、早朝集合して出発する。
ママは休日返上、監督やコーチや子どもたちのために、冷たい水や麦茶やらを用意する。試合が終わると茅ヶ崎のホームグラウンドで練習、用具の片付けやグラウンドの整備。
帰ってくるのは夜八時半を過ぎる。パパも休日返上で子どもたちや監督、コーチを乗せて車の運転手、もうみんなヘトヘト。

で、日曜日土手で我が息子を探していると、係のママさんが、パパさん今日は主審のデビュー試合ですよと言うではないか、線審をするとばかり思っていた(審判の勉強をしている)。オッ、あれかグレーの審判服、中にはプロテクター、腰にはボール入れの袋、審判用の帽子と靴。若い女性のアナウンスで試合の主審はと息子の名が呼ばれた。

第一試合は中学三年生たちであった。
第二試合十一時三十分、息子のプレイボールの声で私は緊張した。
失敗するなよ、ネット裏には記録員や審判やアナウンサー。
一番三塁でいちばん小さな体の孫がいた。

実のところ今年に入って練習試合に一つ勝って以来勝ち星なし、週末我が家に来るのだが毎週かわいそうな位にガックリ、ヘトヘトになって帰って来る。
それでも少年たちは試合が始まると、いきなり打たれまくりながら、チームの仲間と声を出し合い、励まし合い、監督に叱られながらも、ハイッ!ハイッ!と帽子を取って歯を食いしばる。

監督の熱心さには頭が下がる。未だ二十六、七才とか、平日市役所に勤めていて休日は少年野球の指導を朝から晩までする。遠くは静岡御前崎まで行って試合をする。
第一試合中学三年生は七対五で勝ち、第二試合孫たちチームは残念ながら大敗、試合終了は一時二十五分、第三試合は午後二時プレイボール。

愚妻が作ったハムチーズサンドを袋から出して土手にて食す。
いい天気、いい風の中モンシロチョウが飛んでいた。
外野には鳥がたくさん緑の芝生の上で一休みをしていた。

午後二時第三試合プレイボール、オッ、息子が来た。
主審だったのかと言えば、メッチャ疲れたと、ハンパなく疲れたようであった。
少年たちの必死なプレイに誤審は許されないからだ。
第三試合は三年生たち主体、孫はベースコーチ、二年生が二塁を守っていたが二回に正面のゴロをエラーしてしまった。
監督が何やってんだよーと超金切り声、で、交代孫が二塁へ。
私はとても複雑な気分、交代はキビシイ。

試合はなかなか好試合であったが二対五で敗けた。
最終回の七回表二死ランナー一塁、二塁、私は上から叩け、叩けと声を出した。
最後のバッターは孫であった。結果はご勘弁を。
うんざりさせられる男たちも少年であったはずだからその頃を思い出し、フェアプレーに徹してもらいたい

ケンタッキーフライドチキンを電話で頼んで帰りを待っていたが、午後八時三十五分、息子が玄関で、孫はクルマの中で寝てしまったから持って帰ると言って愚妻が作っていた料理をパックに入れて持ち帰った。我が家で待っていた妹と弟を乗せて帰った。
それにしても相手の平塚は強かった。
交通機関がなくずっと歩いてやっと街道に出た時は四時半を過ぎていた。
ドンマイ、ドンマイだ(大丈夫気にすんなよ、次はガンバローぜみたいな言葉)。