ページ

2016年7月6日水曜日

「二人の巨匠」



「桜桃の味」という映画でカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞したイランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督が死去した記事が昨日あった。
もう生きているのは嫌だ、いっそ死んでしまおうとする人間に、最後にもう一度桜桃の味を味わってごらんよ、そんなフレーズを思い出す。桜桃とはサクランボだ。

イランの映画界に名匠は多く当然名作も多い。
アッバス・キアロスタミ監督は私の大好きな監督だった。
プロの俳優を起用せず市井の人々を起用する。演技直前まで役者たちに脚本を見せないという独自な作法で有名であった。
ドキュメンタリータッチの作品は哲学的、文学的、そして宗教的であった。
映像は詩情豊かな自然派であった。小津安二郎監督に強い影響を受けたという監督であった。週末にTSUTAYAに行ってこの監督の作品をあるだけ借りてきて見ようと思っている。

アカデミー監督賞を受賞した巨匠マイケル・チミノ監督も死去してしまった。
名作「ディア・ハンター」を観てない映画ファンはいないだろう。
ベトナム戦争時あのロシアンルーレットの恐怖感を思い出すだろう。
ベトナム人たちが喚き、叫び、怒鳴り、水中に入れられたアメリカ兵を引きずり出して拳銃をコメカミに当て引き金を引く。死ぬか生きるかに金を賭ける。

上映後ロシアンルーレットは有名となった。
野菜のレンコンのような穴の中に銃弾を一発入れてルーレットのようにクルクル回すのだ。
リボルバー式の拳銃をある業界では通称“レンコン”という、また拳銃そのものを“親”といい、弾を“子”という。
親と子を持って来いと言えば、拳銃に弾を入れて持って来いとなる。また通称“鉄”ともいう。

数ある映画の中で、マイケル・チミノほど拳銃の恐怖を象徴的に描いた監督はいない。
短銃とかピストルの映画はある。西部劇の拳銃はマンガか劇画だ。
週末やはりマイケル・チミノの映画も借りてこよう。
大成功と大失敗の評価がある大作「天国の門」は空前にして絶後の映画だ。

夜十二時四十二分四十四秒、テレビからスガシカオの名曲が流れている。
♪〜あと一歩だけ、前に進もう(プロフェッショナルの主題歌)。
チャンネルを変えると、梅沢富美男が出ている。大の吉永小百合ファンで、日々サユリさんはどんなオシリをしていて、どんなパンティをはいているのだろうと妄想しているとか、サユリさんはスイミングが大好き、いっそサユリさんが泳いだプールの水を飲んでしまいたいと真顔でしゃべっている。

心に重いものを抱えて帰った夜は、いつものグラスで一杯だ。
今夜は強めのウィスキーのロックだ。
お世話になっている山形出身の社長さんが、桜桃を送ってくれた。
うですサクランボです。夜の最後に冷えたサクランボの味なんて、アッバス・キアロスタミ監督への献杯だな。明日はあと一歩前へ進もうと思った。

2016年7月5日火曜日

「トウモロコシとカボチャ」




北海道出身のその人は我が家でトウモロコシを食べた時“レオクリビ”、一家をビックリギョーテンさせた。
レオクリビとは遊び人たちが言うところの、オレビックリのこと。

トウモロコシを食べるとは、ガブッと喰いつきハーモニカを吹くように左に右に食いまくる。歯と歯の間にトウモロコシのビミョーな細い毛が何本もはさまったり、トウモロコシの粒々を入れるところの繊維もはさまる。
人間がトウモロコシを食べた後ほどだらしない形はない。
ずっと見ていたくないので直ぐに台所に行って捨ててしまう。

が北海道の人は、トウモロコシを左手に持つと、右手の親指で一粒一粒をオドロシクていねいに取って行く。15粒位取りそれを手のひらにのせるとパポッと口の中に入れる、そしてまた器用というか超絶的テクニックでキレイ、キレイ、ビューティフルに食べ尽くす。
その残った形は美術品と言っても過言ではない。
それ故決して台所に持って行くことはなくジッとそれを見る。
一同シーンとなってしまう。スゲエとかスゴイとか位しか言葉は見つからない。

昨夜トウモロコシが茹でてあったので、北海道の人のようにやったが全然ダメであった。何年やってもダメなのである。
この北海道の人はジャガイモをアルミホイルでていねいに包んでたき火の灰の中に入れる。待つこと約30分位、長割り箸でコツンコツンと突っついて、ヨシとばかり灰の中からコロコロ、アツアツと取り出して、アルミホイルを広げる。
そこにはふっかふかのジャガイモが黄金色になって湯気立っている。

北海道の人はそのアツアツの皮をそれはそれは美しくはぎ取る、というか海水浴なんか行って陽灼けしたあと、背中の皮を美しい女性の手でそっとやさしく、いたくなくはいでもらう、ワァッこんな大きな皮がむけたわ、オッ上手いなんて感じである。
ジャガイモが型崩れすることなどは決してない。取れたままの形が全裸となる。
そこにバターをのせると、もうたまらない北の味が生まれる。
これもやはり美術品に近い。

近所に住む陶芸家ご夫婦の奥さんが自宅の畑で育てた特大・大・中・小のジャガイモを、ご主人が持って来てくれた。
思い出すな〜稚内に行った時、寒い早朝の海岸で食べたあの美しい全裸のジャガイモを思い出した。
お世話になった大手証券会社の偉い人が定年になった後、夏は北海道に行って畑仕事をして、毎年でっかいカボチャを何個も送ってくれてた。釣りの名人でもあった。

はじめて私と会った時、あまりに言いたい放題なので、なんて嫌な奴だと思ったと後で聞いた。私を連れて行った広告代理店の担当部長に、なんであんな男を連れて来たんだよと言ったとも聞いた。だがその人とはその時から三十余年以上お付き合いが続いた。
その人が今年の初めに亡くなった。元気満々の巨体の人であった。

今年はカボチャが来ない。
いつもカボチャと共に名文のエッセイがダンボール箱に入っていた。
それも来ない。夏には絵日記がよく似合う。
トウモロコシとジャガイモ、それにカボチャをカラーペンで描いた。

北国の人お二人には何十本もCMを作らせてもらった。
会うが別れのはじめというが、いい人との別れはつらい。
平塚の海で釣りをした時の写真を見てサヨナラを言った。
その人は頭に白いタオルでハチマキをしていた。

2016年7月4日月曜日

「煮干し」

左々舎HPより



「美の壺」という大好きな番組がある。
NHK Eテレ日曜日午後十一時〜十一時三十分。以前は違う時間帯でやっていた。
ずーっと昔から見ている、これはと思うのは資料としてモニター会社に頼んでダビングをしてもらっていた。

昨夜は「鱧」ハモであった。魚は見た目が悪いほど、恐いほど繊細である。
オコゼ、カマス、ナマズ、マゴチ、トラフグ等など。ハモは鋭い歯を持っている。
魚の暴力団みたいなのだが、これほど芸術的な食材はない。
何しろ捨てるところがない。
ハモシャブ、ハモ寿司、ハモの柳川、ハモ鍋、ハモの薄造り、ハモの皮、ハモの浮袋、ハモの顔面、ハモの肝の甘露煮、ハモのハラワタ、ハモの骨、ハモの肉体には無数の小骨がある。

気合不足の鱧料理店のハモにはやたらと小骨がある。
抜いていないからだ。ひとくち食べればすぐに分かる。
この小骨をパーフェクトに抜くには鱧一本で五、六時間はかかるという。

神田明神下に「左々舎(ささや)」というこじんまりした店がある。
路地裏であるから通い慣れた人でないと分からない。
といって京都のようにお客を選んだりしない。誰でも入れてお値段もそれほど高くない(それほど安くもない、コース(A)で七千円)。

ひと夏に一度か二度位鱧料理のフルコースを楽しんでもよいのではと思っている。
+豊と書く位だから実に気持ちが豊かになる。
一本一本小骨を抜くのを知っているからやはり予約を入れる。

料理人の店主は朝早くから予約の分だけひたすらトゲ抜きのようなもので小骨を抜くのだ。気の遠くなるような作業を料理人という職人はやりぬく。
“一本も入ってなかったでしょ”と言うのに、一本も入ってないと答えるとニコッと笑う。

今年は若い者を二人連れて一度行って来た。
初めての鱧料理なのでその豊かさが分かったかどうか不明であるが社会勉強のために経験してもらった。何を食べているかでその人間が分かるんだよと言ったのは、“北大路魯山人”だったと思う。池波正太郎さんも同様なことを言っていた。
高価なものを食べるのではなく、その季節に合わせ、何をどんな風に食べてるかだ。

で、煮干しを三匹ほど焼いてちょいと海岸で拾って来た貝殻なんかに置いて、庭にある小さな葉っぱなんかを添えると、もう一丁前の料理になる。
おしょうゆをポツンとたらせばもうお酒の肴にこの上なしとなる。

旅館の料理に出てくる七輪の小さいやつ(一輪?)に小さな金網を乗せて固形燃料で焼くと申し分ない。一度愚妻に買って来るようにといったら家は旅館じゃないわ、なんて言われた。仕方ないからオーブントースターで焼く。
雑魚の小さい、小さいのが旨い!5cm位がいい型だ。あーハモが食べたい。
頑張って働くしかない。それにしても暑い、ガリガリ君を三本もかじってしまった。

2016年7月1日金曜日

「性格の不一致」




人生長くやっていると何人かの生理的に合わない人と出会う。
その声、その姿、その空気を感じただけで、すこぶるイヤーな気分となる。
何が嫌いかというものではなく、ただ生理的に合わないのだ。
多分何人もの人が私と生理的に合わずイヤーな気分になったことだろう。
説明のつかない嫌悪感を生理的に合わないという。

例えばお見合い結婚などをして、交際中一度もSEXをしないで結婚式を挙げていざ新婚旅行へ。海外でいざ初夜で。イヤだ足が臭い、ここで性の不一致(性格の不一致とも言う)を感じ、初めて見る互いの全身に生理的嫌悪を感じる。
ウソォーとか、ウァーギモジワルイとか、えー信じられないとかとなる。
何すんのヤメテ変態とか、何すんだよかなり経験してんなとなったりする。

人間一つがどーしても嫌になると余程包容力がないと何もかもが嫌いになる。
箸の上げ下げから始まってトイレの流し方まで。
ナイフとフォークの使い方、スープの飲み方まで嫌いになる。

初夜の床の上での出来事でお互いに嫌になって成田離婚をした者の相談を受けたこともある。
部屋の中でオナラしたとか、食事した後コップの水で口の中をグシャグシャ掃除したとか。朝起きたらウィッグが外れてたとか、逆にカツラが外れてたとか、食事の最中にズルズル鼻をかんだとか、爪が伸びていたとか、水虫だったとか、美しい足と思っていたのにカカトがささぐれていたとか。

昨夜の私は我慢の夜であった。
紹介者の顔を潰しては恩義に外れると、芸者を演じた。チマチマグダグダ言ってんじゃないよと言いたかったが、私はじっとこらえた。
ずい分と私は成長した(この年になって)。みんな世のため人のためになるなら。
が生理的に全く合わないのには芸は売れない。

2016年6月30日木曜日

「串カツ」




長い間お世話になりました。
これにて店を閉めますので、とまるでどこぞのクラブのママさんがテレビであいさつをしていると思ったら、自民党小池百合子議員の東京都知事選への立候補声明だった。

クラブに行くとママさんやチーママは太い客(上客)のところへ行っては、いらっしゃ〜い、まい日待ってたんですよ、来てくれないとお店やっていけないんだからもォ〜と、アッチコッチのテーブルを回る。小池先生もアッチコッチ政党を渡り歩いた。

♪〜赤い夕陽よ燃え落ちて…。小林旭の大ヒット映画「ギターを持った渡り鳥」の主題歌だが、小池先生も赤い夕陽のごとく燃え落ちるのだろうか。
ハタマタなかなか食えない先生なので、ここ一番私は健在よ、忘れないでねの行動かもしれない。

女性にとって愛されなくなることより、忘れ去られることが最大の苦痛という(何かで読んだのです)。
キミのことはもう愛せないきっぱり忘れたいんだ、なんて言われたら出刃包丁の出番とか、味噌汁に大量の睡眠薬とか、崖の上で背中を押される。
小池先生も崖から落ちる覚悟だとか言っていた。

人気グループ嵐の櫻井翔君のパパが家族に迷惑をかけているのでと固辞しているらしいが、私の推測だとジャニーズ事務所が嵐をオリンピックに使いたいのでパパ出馬に大反対なのだろう。

黒澤明の名作「悪い奴ほどよく眠る」の中で下っ端役人がこんなセリフを言った。
役人というのは上の人の命令が絶対で、上の人を守るためなら死んでもしゃべらないと。確かこんな言葉だった。役者は名優藤原釜足さんであったと記憶している。
土地開発公団の汚職事件をモチーフにしていた。官庁とは軍隊と同じ鉄の組織なのだ。
学歴、家柄、閨閥、政治家のおぼえめでたいが全てとなる。

役人の頂上である次官になった櫻井パパがその上司である人間に私は固辞しますと言うのは基本的にありえない。ジャニーズ恐るべし(?)。
だがやっぱり最後は役人の掟に従うかもしれない。
機先を制す、小池百合子先生はここが売り時と手を挙げた。

さていかほどの値段が付くだろうか。
黒澤明の映画では、地下に閉じ込められた上司が空腹に耐えられずにしゃべってしまう。だが正義感ある主役の三船敏郎は闇の力によって殺される。
かくして悪い奴はよく眠る。
私は不眠症だからひょっとして良い奴なのかもしれない(?)。

昨夜銀座のおでん屋「かめ幸」(お多幸の兄弟分)で私の連れ二人が串カツを食べていた。ソースジュージュー。
昼に肉を食べていたので私は頼まなかったが、やけにウマソーだった。
今夜おでん屋にて人に会うことをコロッと忘れていた。
串カツあるかな。
(文中敬称略)